⑤ お茶会
そんな日々が続いたある日の午後、私は庭園のガゼボでお茶を飲みながら刺繍の続きを刺していた。
敢えてこんな目立つところにいるのは、もちろん目的があってのことだ。
「あら、こんなところで侍女もつけずに一人でいらっしゃるなんて。淑女らしからぬことなのではございませんの?」
精一杯の嫌味を籠めた言葉に振り返ると、案の定フィリーネ皇女だ。
背後に控えているのは侍女と、マックスのお兄さんだと思われる護衛。
私はこれを待っていたのだ。
「フィリーネ皇女。ごきげんよう。もしよろしければ、わたくしとお茶会をいたしませんか?」
「なんであなたなんかと!」
「ジーク兄様のお気に入りのハーブティーを用意してありますのよ。ご興味がおありでは?」
フィリーネ皇女は数秒迷い、それから足音高くガゼボに入ってきて私の向かい側にドスンと座った。
子供っぽい態度に苦笑を噛み殺しながら、私はハーブティーを淹れたティーカップをフィリーネ皇女の前に置いた。
「あなた、いつも自分でお茶を淹れているの?」
「ええ。そうすることが多いですわね」
「なんで侍女にやらせないのよ?」
「自分でお茶を淹れるのが好きなのです。さあ、召し上がってくださいませ。魔力と体力の回復と、目の疲労回復の効果もあります。乾燥させたレラの皮も入っていますので、いい香りですのよ」
フィリーネ皇女は渋々といった感じで一口含み、なんの感想も口にしなかった。
多分、美味しかったんだと思う。
「わたくし、一度フィリーネ皇女と女同士で腹を割って話がしたかったのです」
私が優雅にハーブティーを飲みながらにっこり笑うと、毛を逆立てた猫のようにフィリーネ皇女は警戒心丸出しで私を睨んだ。
「わたくしとあなたで、なにを話すというのよ」
「わたくし、どうしてもフィリーネ皇女にお訊きしたいことがあるのです」
私はにっこりと笑って見せた。ここからが肝心なところなのだ。
「フィリーネ皇女は、ジーク兄様のどういうところをお慕いしていらっしゃるのですか?」
フィリーネ皇女は虚を突かれたような顔をした。
「ジーク兄様とても美しくていらっしゃいます。そして、アレグリンドの王太子でもいらっしゃいます。ですが、それが逆にジーク兄様を孤独にしているのです」
「孤独?ジーク様が?」
「ジーク兄様は今までも多くの女性に言い寄られてきました。でも、ほとんどの女性は、ジーク兄様のお顔と肩書だけに惹かれて寄ってくるのです。ジーク兄様の中身まで見てくれるような女性は、気後れしてジーク兄様から遠ざかってしまいます。女性だけでなく殿方もそうですわ。ジーク兄様を利用しようと近寄る方ばかりで、周りにたくさんの人がいてもだれも本質を見てくれない。孤独だと思われませんか?」
「……」
フィリーネ皇女もキルシュの皇族だ。少なからず同じような経験があるのだろう。
「もし、なんらかの事故でジーク兄様の美しさが損なわれるような怪我を負ったとしたら。または、王太子でなくなってしまったとしたら。未来になにが起こるか、誰にもわかりません。もしそうなった時、フィリーネ皇女はそれでもジーク兄様と添い遂げたいと願われますか?」
「……」
「教えてくださいませ。フィリーネ皇女はなぜジーク兄様をお慕いしていらっしゃるのですか?ジーク兄様のどこが好ましいのですか?」
「……ジーク様は、とてもお優しくて……わたくし、そんなジーク様をお慕いしています……」
こんなことを訊かれるなんて思ってもいなかったのだろう。自分でも考えたことがなかったことに答えられるわけがない。
「フィリーネ皇女。わたくしはあなたを嫌っているわけではありません。わたくしはただ、ジーク兄様に幸せになっていただきたいだけなのです。ジーク兄様が心から愛し、またジーク兄様を心から愛してくれる方なら、どんな方でも応援するつもりでいるのです。たとえ身分が低い方であったとしても、わたくしなら陰ながら支えることができます。それがわたくしの役割だと思っておりますの」
これは私の本心だ。
もしジークがフィリーネ皇女と結婚したいと望んだのなら、全力で応援した。
でも、そうでないから全力で阻止しようとしているのだ。
「ジーク兄様は、将来アレグリンド国王となられます。国王となったからには、時には非情な決断をしなければならないこともあるはずですわ。フィリーネ皇女もご存じの通り、ジーク兄様はとてもお優しくていらっしゃいます。きっと、辛い思いをなさることもあるでしょう。そんな時に、ジーク兄様の心に寄り添えるような、そのような方でなければジーク兄様の妃として相応しくありません。ジーク兄様の上辺だけに恋い慕っている女性では、とても務まらないのです」
「わ、わたくしが、ジーク様に相応しくないとおっしゃりたいの!?」
「ええ、その通りです。ジーク兄様はフィリーネ皇女との婚姻を望んでおられません。この時点で、既に相応しくありませんわ」
私はきっぱりと言い切ると、フィリーネ皇女が怒りで顔を赤くした。
「なによ!なんであなたなんかに、そんなこと言われないといけないのよ!」
「ジーク兄様のことはお諦めください。それがフィリーネ皇女のためでもありますわ。先ほども申しましたように、わたくしはあなたが嫌いではないのです。できれば幸せになっていただきたいと思っているのですよ。でも、もし強引にジーク兄様の元に輿入れなどなさったら、フィリーネ皇女は確実に不幸になります」
自分が不幸になる、と言われてフィリーネ皇女はさらに顔色を変えた。
「どういう意味よ!?なんでわたくしが不幸になるのよ!」
「想像してみてください。夫に愛されず、夫の家族にも疎まれ、味方もだれもいない。遠い異国の地での一人ぼっちの結婚生活を。最初から心のない政略結婚ならまだマシかもしれませんけど、夫を愛しているのにそのような扱いをされたら、どれだけ辛い思いをすることになるでしょう。さらには、夫がいつか愛する女性と出会った時、側妃として側に置くかもしれません。愛する夫が自分以外の女性に愛情を注ぐのを、横から見ていることしかできない。地獄のようだと思われませんか?そのような地獄に、自ら身を落とすことなどないと思われませんか?」
フィリーネ皇女は青い顔で口を噤んだ。
私が言ったことがしっかり想像できたようだ。
「どうかよく考えてください。望まれない婚姻など、だれも幸せにはなれません。フィリーネ皇女はお可愛らしいのですから、きっと愛してくれる殿方がいらっしゃるはずです。ご自分が幸せになる道を選んでくださいませ」
フィリーネ皇女は泣きそうな顔で俯いた。
「……でも……それでも……ジーク様を、お慕いしているのです。わたくしの初恋なのです」
「ええ、そこは疑っておりません。フィリーネ皇女のお気持ちは本物だとわたくしも思いますわ。でも、だからといってジーク兄様に愛されるわけではないことはおわかりでしょう?」
フィリーネ皇女は唇を噛みしめて沈黙した。
私はここまで言ったのだから諦めてくれ!と祈りながら次の言葉を待ったのだけど、
「わたくし……わたくし……それでも、やっぱり諦めきれませんわ!」
私が望んだのと正反対の言葉に目を瞑って天を仰いだ。
「ここまで申し上げても、まだ諦めてくださらないのですか?」
「そうよ!諦めるなんてできないわ!絶対、ジーク様と結婚するんだから!」
無理だけどね。国王陛下が絶対に認めないから。
「そうですか。残念ですわ……」
付け焼刃の淑女では力不足だったのだろうか。
私は溜息をついた。
「では、わたくしはこれまで通り、全力であなたを排除いたします。そして、もし仮にあなたの輿入れが叶った暁には、想像を絶するほど悲惨な結婚生活となるよう、また全力を尽くすとお約束いたします。わたくしの立場ならそれが可能ですから」
「望むところよ!やれるものならやってみるがいいわ!」
フィリーネ皇女はティーカップの中のお茶を私に向かってぶちまけたけど、それを予想していた私が事前に薄く張っておいた魔力障壁に阻まれてテーブルの上を汚すだけに終わった。
勢いが削がれた形になったフィリーネ皇女は、つんと顎を上げて来た時と同じように足音高くガゼボを去って行った。
話を全て聞いていた侍女とマックスのお兄さんだと思われる護衛は、もの言いたげに一瞬私を見てそのまま無言でフィリーネ皇女に続いた。
フィリーネ皇女たちの姿が見えなくなった後、王妃様つきの侍女と隠れて様子を見てたフェリクスがガゼボに入ってきて、項垂れていた私の頭を撫でてくれた。
「お疲れ様」
「わかってもらえなかったよ……」
「おまえはよく頑張ったよ。あれは、もうなにを言ってもダメだな」
私は片付けを侍女に任せ、渋い顔をするフェリクスと共にジークの元に向かった。
私たちを巻きこむ嵐はまだ止みそうになかった。




