④ 撃退
翌日、私はジークの執務室のカウチで刺繍をしていた。
これも王妃様から与えられた淑女教育の一環だ。
私が慣れない手つきで見本を見ながらできるだけ丁寧に針を動かしている横では、ジークたちは執務やら勉強やらをしている。
本来なら学園にいるはずの時間なのだけど、ジークが学園に行くとフィリーネ皇女も学園に現れて迷惑をかけることが予想されるため、しばらく私たちは登校を控えることにしたのだ。
コンコココンと扉を叩く音がした。
これはフィリーネ皇女が突撃してきたことを知らせる合図だ。
「来たぞ!」
私たちは視線を交わして気合を入れあった。
扉の外で、侍従と若い女性が揉める声がした。
そして、バンと扉を開いてフィリーネ皇女が執務室に飛びこんできた。
「ジーク様!」
今日も可愛らしいドレスに身を包んだフィリーネ皇女がキラキラとした笑顔でジークに駆け寄ろうとしたところを、
「ジーク兄様。お茶がはいりましたわ。少し休憩にいたしませんこと?」
と優雅に割り込んで阻止した。
「ああ、ありがとう」
私からティーカップを受け取ったジークは、一口お茶を飲んでから、
「新しいブレンドだね?とてもいい香りだよ。やっぱりレオが淹れてくれるハーブティーが一番だ」
「そうでしょう?ジーク兄様のために厳選したハーブですもの。気に入っていただけて嬉しいですわ」
「これはどんな効能があるの?」
「体力と魔力が回復するのと、あと目の疲れに効くのだそうです。スッキリとしたいい香りでしょう?お忙しいジーク兄様の助けになるかと思いましたの」
「それはありがたい。読まないといけない書類ばかり増えて目が痛かったんだ」
まるでフィリーネ皇女が目に入っていないかのように仲良く笑いあう私とジークに固まるフィリーネ皇女にエリオットが問いかけた。
「皇女殿下。面会予約はいただいていなかったはずですが、どのようなご用件でしょうか?」
その冷静な声に、フィリーネ皇女も頭が少し冷えたようだ。
「あの、わたくし、とてもきれいな庭園があると教えていただいたので、散策に行こうと思っていますの。それで、是非ジーク様にエスコートをして頂きたくて、お誘いに参りましたの。ジーク様、庭園を案内してくださいませんこと?」
頬を染めてやや上目遣いで、断られることなど微塵も予想していないのだろう。
さっきジークはとっても忙しい!ってことを匂わせたのだけど、わかってもらえなかったようだ。
「申し訳ございませんが、王太子殿下は立て込んでおられます。急な予定変更はできかねます」
ばっさり切り捨てたエリオットに、フィリーネ皇女が愕然とした。
「そんな!わたくし、少しエスコートしていただきたいだけなのです。そんなにお時間はとらせませんわ」
「繰り返しますが、王太子殿下は立て込んでおられます。後日改めてくださいますようお願い申し上げます」
「立て込んでるって、そこでお茶飲んでるじゃないの!そんな時間があるなら、わたくしに使ってくれてもいいのではなくて!?わざわざキルシュからやってきたというのに!」
「王太子殿下にも休息は必要です。貴国のマナーは存じませんが、アレグリンドでは王太子殿下の執務室に許可も得ずに押しかけることは不敬にあたります」
「不敬だなんて。わたくしとジーク様の仲ですのに」
「お引き取りください」
「なんですの、無礼な!あなた、誰に向かって物を言っているかわかっているの!?わたくしはキルシュの皇女ですのよ!?」
そんなことはわかってるよ、と室内の誰もが思った。
エリオットが頑張って追い返そうとしているけど、フィリーネ皇女には全く響いていない。
「それくらいになさってはいかが?フィリーネ皇女」
ここで私の出番だ。
「淑女がそのように大声を出してはいけませんわ。はしたなくてよ」
私より背が低いフィリーネ皇女を、敢えて少し見下すように背を伸ばした。
「ジーク兄様は大変お忙しいのです。そのような殿方をお支えるのが淑女の役割だとわたくしは教わったのですけれど、キルシュでは違いますの?」
ぐっとフィリーネ皇女が言葉に詰まった。
「庭園の散策でしたら、ジーク兄様より相応しい方がいらっしゃいます。ジーク兄様よりお花に詳しい方に案内をしていただいた方がフィリーネ皇女にも楽しんでいただけるのではないでしょうか。とても珍しいお花もたくさん咲いているそうですわ。わたくしのお友達に何人か心当たりがございますので、ご希望でしたらわたくしからお願いをしておきますけれど?」
優雅に、淑やかに。私は王妃様に教授されたように微笑んだ。
「いいえ、わたくし、お花が観たいわけではないのです……ただ、ジーク様とお話がしたいのです」
「まあ、そうだったのですね。今はジーク兄様は休憩中ですので、好都合ですわ。どうぞお話しなさってくださいませ!」
そういう意味ではない、という顔のフィリーネ皇女は私を睨み、私はそれを笑顔で受け流した。
「フィリーネ皇女」
ここでやっとジークが口を開いた。
「はい、ジーク様!わたくし……」
「貴女が我が国に滞在なさっているのは、若いうちに見識を広めるため、という理由だと伺っています。具体的にどのようなことをお考えですか?場合によっては、私も協力を惜しみません。ご希望があれば、どうぞ遠慮なくおっしゃってください」
「わたくし、ジーク様と……」
「私のように面白味がない男と話をするより、詳しい者に庭園を案内してもらった方がよほど有意義ですよ。遠方から取り寄せた薬草などもあります。こういった知識は貴国でも役に立つことでしょう」
きれいな笑顔と優しい口調。空色の瞳は笑っていない。
それを感じ取ったらしいフィリーネ皇女は、ぎゅっと手を握りしめた。
「……ジーク様、教えてくださいませ。どうして、わたくしの輿入れをお断りになられたのですか?」
「断ったのは私ではなく父です」
「じゃあ!お断りになったのは、ジーク様の意志ではなかったのですね?」
「父が断ったのは、私が望んでいないことを知っていたからです」
はっきりフられたフィリーネ皇女は傷ついた顔をした。
「そんな……わたくし、ずっとジーク様のことをお慕いしていておりましたのに……」
「数年前にお会いした時、私からもお断りしたはずです」
「あれは!わたくしがジーク様に婿に来てほしいとお願いしたから、ということだったはずですわ!でも、わたくし、今はジーク様になら輿入れでもかまわないと思っております!それくらい、お慕いしているのです!」
榛色の瞳に涙を浮かべて食い下がってくる。
諦めないなぁ……
「フィリーネ皇女」
ここで、また私の出番だ。
「先ほどからジーク様と呼んでいらっしゃいますが、そのような愛称で呼ぶ許可を得ていらっしゃるのですか?」
「なっ!わ、わたくしは、キルシュの」
「ジーク兄様はアレグリンドの王太子でいらっしゃいます。いくら他国の姫君でも、許可もなく愛称で呼ぶなど不敬ですわ」
「で、でも……」
「もちろん、わたくしは許可をいただいておりますのよ。ねぇ、ジーク兄様?」
「ああ、きみが生まれた瞬間に許可を与えたよ」
そう言ってジークは私の髪を優しく撫で、私はふふんと笑って見せるとフィリーネ皇女がぎろりと私を睨みつけた。
「では、わたくしにも許可をくださいませ!ねえ、よろしいでしょう?」
「その許可は、家族と側近と、親しい友人だけに与えることにしているのです。線引きは大事ですから」
「なんでその女はよくて、わたくしはダメなのです!?」
「レオは私の天使ですから」
「天使だなんて。言い過ぎですわ」
「妖精の方がよかったかな?」
「もう、ジーク兄様ったら」
二人でうふふと笑い合い、話の腰を折りながら顔を寄せ合って極めて親密な関係であることをアピールした。
「い、いとこ同士ではありませんか!よろしいのですか?血が近すぎるのではありませんこと?」
「あら、なにを勘違いしていらっしゃいますの?ジーク兄様は、わたくしの兄同然なのですわ。わたくしは妹として生涯、ジーク兄様を側で支えると誓っております。決して、男女の仲ではありませんのよ。だからジーク兄様とお呼びしておりますのに。嫌ですわ、キルシュの皇女殿下ともあろう方が、そのような下品な勘ぐりをなさるなんて」
嫌味を飛ばしつつ、ジークには私がもれなくおまけで一生くっついてくるということをお知らせした。
私だったら、こんな小姑がいる男なんて願い下げなんだけどな。
フィリーネ皇女は顔を真っ赤にしてぷるぷる震えだした。
「な……なによ!なによ!ジーク様を支えるですって!?あなたなんかになにができるっていうのよ!」
「少なくとも、ジーク兄様はわたくしの淹れたお茶を美味しいとおっしゃいます。逆にお伺いしますけれど、フィリーネ様はどのようにジーク兄様のお役に立つおつもりですの?」
一瞬言葉につまったフィリーネ皇女だったけど、テーブルの上に置きっぱなしになっていた私の刺繍道具を見つけて、嫌な感じの笑みを浮かべた。
大きく薔薇が刺繍された布を掴んで、私に突きつけた。
「なによこれ!あなた、こんな下手くそな刺繍しかできないの!?これでジーク様を支えるだなんて、笑っちゃうわね!」
おっと、思わぬところに飛び火してしまった。
これは、私も予想外。そこまでは意図していなかったのに。
「フィリーネ皇女……」
「なによ!」
「それ……王妃様のお手によるものです」
室内に沈黙が満ちた。
フィリーネ皇女が手にしているのは、私が刺していた方の刺繍ではなく、見本として王妃様が貸してくださったクッションカバーの方だったのだ。
フェリクスが細かく震えている。笑いを堪えているのだろう。
流石のフィリーネ皇女もしまったと思ったらしく、おろおろしだした。
「あ、あの、ジーク様、わたくしそんなつもりでは……」
王妃様の刺繍の腕前は、下手ではないけど上手ともいえない、平均レベルだ。
私としては、これくらいできれば十分だと思うんだけど。
「母上には私からもっと精進するようにという助言を頂いたと伝えておきましょう」
「そんな!あの、ジーク様!」
「姫様、そのくらいになさいませ」
今まで扉のところで控えていた、キルシュからフィリーネ皇女についてきた年嵩の侍女の発言だった。
「でも!」
「お部屋に戻りましょう。王太子殿下、御前を騒がせたことを姫様に代わりお詫びいたします。これにて失礼させていただきます」
侍女とその隣に立っていた護衛は深々と頭を下げ、フィリーネ皇女を引きずるように去っていった。
赤い髪をした護衛は、去り際に私に申し訳なさと嫌悪が混ざった視線を向けてきた。
その顔にどこか見知った面影があるのに気がついた。
あれ?今の人、マックスのお兄さんじゃない?
扉が閉められると、ジークたちは途端に笑い出した。
「レオ、すごいじゃないか!すごく面白かったぞ!」
「嫌味の切れ味が半端なかったね!王妃様に是非見ていただきたかったくらいだよ」
「母上に本当に伝えたらどうなるかな?」
ジークたちとは違い、私の心境は複雑だった。
嫌われてしまったなぁ。
あれだけフィリーネ皇女に嫌味をぶつけていれば仕方ないことだけど。
私はそっと溜息をついた。
このように撃退が成功した日はよかったのだけど、失敗してしまうことも多々あった。
ある時はジークが昼食をとろうとするとどこからともなくフィリーネ皇女が現れて、無理やりジークの隣に陣取ってジークの口に食事を運ぼうとしだした。
断っても全く聞いてくれなかったため、王妃様から緊急呼び出しがあったことにして逃げるしかなく、この日のジークは昼食を食べ損ねてしまった。
これ以降、ジークは毎日食事をする部屋を変え、私かエリオットかフェリクスが必ず両隣に座って同時に食事をすることになった。
ある時は、就寝前の挨拶と称しジークの寝室に侵入しようとし、不寝番をしていた侍従が辛うじて阻止したこともあった。
可哀想なジークは、その夜は剣を抱いて寝室の隅で蹲って眠ったそうだ。
それから、ジークは寝る部屋まで毎晩変えることになった。
城で働いている侍女や騎士を買収して情報を得ようとしているという報告もいくつかあがっている。
私をなんとかジークから引き離そうとすることもあるし、エリオットとフェリクスを篭絡しようとすることもある。
そのどれもが失敗しているわけなのだけど、とにかく諦めてくれない。
私は父の手前、朝は学園に登校するふりをして制服で離宮を出てから王妃様の侍女に着替えさせてもらい、夕方にはドレスを脱いでまた制服に着替えて父に帰宅の挨拶をし、こっそりと離宮を抜け出してまたドレスを着てジークの側に貼りつかなくてはいけなかった。
父にドレスを着ている姿を見られるわけにはいかないし、淑女教育のことも知られてはいけない。
幸いというかなんというか、父が最近ずっと寝室から出られないくらいの体調なので可能なことだった。




