㉖ マックス視点6 後悔
俺は物凄く後悔していた。
後悔と自己嫌悪で、その辺りに生えている木に血が出るまで頭をぶつけたい気分だった。
ファーリーン湖に現れた首が二つある魔獣は、一目見ただけで既に斃されていた主よりも段違いに強いということがわかった。
俺の後悔はこの時点から始まった。
なんで帰省した際に兄と手合わせをしなかったのか。
兄は手合わせの後、いつも的確な助言をくれる。
それからまた手合わせをして、俺がそれを理解し体に叩きこめるように導いてくれるのだ。
今年は少しでも早くアルツェークに戻りたくて、それを省いてしまった。
それは大きな間違いだった。
視線の先には、完全に意識を失った状態で騎士に背負われ運ばれているレオがいる。
外傷はないが、魔力が枯渇してしまったのだ。
俺がもっと強かったら。
せめて兄と手合わせをしてから戻ってきていたら。
レオにここまで負担をかけることなどなかったかもしれないと思うと、後悔で心が押しつぶされそうだった。
ファーリーン湖から魔獣が溢れ出し、カイル殿の号令に従いレオとキアーラ嬢を含む数人が例のお掃除魔法を放ち、ルルグのような小さな魔獣は一掃された。
お掃除魔法はとても奇抜で効率が良いのだが、魔力コントロールが難しい。
俺も試してみたが、どうしても上手くいかなかった。
俺は魔力量が多いのはいいのだが、繊細な魔力コントロールは苦手としている。
思わぬところで課題を突きつけられることになってしまい、アルツェークにいる間にこっそり特訓しようと思っているところだった。
最初は魔獣の群れの中を複数のつむじ風が動き回っていたが、次第に数を減らし最後はレオが作り出したもの一つだけになった。
俺はちらりと少し後ろにいるレオを盗み見た。
涼しい顔で手にした剣に薄く炎を纏わせて、中型犬くらいの大きさの魔獣を斬り捨てたところだった。
お掃除魔法を常に展開しながらのことだ。
これだけでレオの集中力と魔力コントロールが飛びぬけて優れているということがわかる。
数日前にザブルを殺すのを躊躇い、カイル殿に叱責されたのと同一人物とは思えないくらいだ。
あの時はあまりに厳しい叱責に、ここでレオの心が折れて諦めてしまうのではないかと思った。
そうなってしまったとしても、別に構わないのだろう。
レオは正真正銘の深窓の姫君だ。
守られ傅かれているのが普通のはずだ。
こんなところで魔獣を狩っていることの方がおかしいのだ。
ここで諦めて、今後大人しく守られることに徹するというなら、その方が安全なのではないだろうか。
そうなった方がジークたちは安心しそうな気がする。
俺は頭ではそう考えながら、気持ちは正反対のことを望んでいた。
諦めてほしくない。
必死で喰らいついて、克服してほしい。
フェリクスが言っていた覚悟というものを胸に宿すことができたなら、レオは今よりもっと美しく輝く宝石になるだろう。
そうなった姿を見てみたい。
叱責を受けている時もその後も、レオは俺とキアーラ嬢を見なかった。
俺たちに助けを求めることをしなかったのだ。
そこに確固たる意志の強さを感じた。
そして、次のザブルをやっと斬ることができたのだが、レオは青白い顔で足元に横たわる魔獣を見ていた。
ルルグはなんの問題もなく駆除していたのに、なぜザブルで躓いたのかが俺にはわからなかったが、とにかくレオはこれで壁を一つ突破したようだった。
アルツェークに来てから、レオは成長した。
明るい笑顔の中に以前にはなかった自信が満ちているようだった。
それを間近で見守っているのがジークたちではなく俺であるということに、密かに優越感を抱いていた。
そして、そんな気持ちは妙な魔獣の出現により粉々に砕かれた。
カイル殿も他の騎士たちも、既に魔力も体力も使い果たしている状態で、まだ余裕があるのはレオと俺くらいなのは明白だった。
ただ剣を振るっていた俺と違い、あれだけ長時間に渡ってお掃除魔法を起動させていたレオに余力があるというのは驚異的なことだ。
水の魔力障壁を展開したレオは、逃げろというキアーラ嬢に耳を貸さず、また奇抜な魔法を放った。
火球を鳥の形にして魔獣に向けて飛ばしたのだ。
ただ真っすぐに飛ぶ火球ではなく、本当に生きている鳥のようなその動きに魔獣が反応し口からブレスを吐き出して攻撃してきた。
しかも、二つの口から二種類のブレスが放たれることまでわかった。
なんと厄介な。俺は奥歯を噛みしめた。
だが、接近する前にこのことがわかったのは助かった。
事前にブレスのことがわかっているなら回避することもできる。
レオを振り返ると、その青い瞳が俺を見返した。
そこにあるのは、確かな覚悟と俺に向けられる揺るぎない信頼だった。
どんなドレスで着飾った姿より、その時のレオが最も美しいと思った。
「必ず守る。待っていてくれ」
大きな音をたててレオの作った鳥が狼の顔の真横で爆ぜ、吐き出されようとしていたブレスが不発になった。その隙をつくように俺は斬りかかった。
魔獣は強かった。
剣にも火球にも、かなりの魔力を込めないと攻撃が通らない。
これだけでかい図体なのに動きも素早い。
レオの援護がなければ早々に殺されていただろう。
俺もレオも万全の状態ではない。
魔力が底をつく前に早く決着をつけなければ。
焦りと後悔に焼かれる胸の痛みを籠めるように放った火球が、やっとのことで狼の首を行動不能にした。
後方でわっと歓声が上がったのが聞こえた。
山羊の首だけになっても、魔獣は変わらず手強かった。
そして、いつの間にかのびてきた太い尾で弾き飛ばされ、湖に叩き込まれてしまった。
これが走馬灯というのだろう。
まだ実の母が生きていたころの光景や、父や兄の顔、それからアレグリンドに来てからの記憶が頭の中を巡った。そして、最後に蘇ったのは、ついさっき、覚悟と信頼で俺を見つめた、夜明け前の空のような青い瞳。
必ず守ると約束したのだ。こんなところで死んでいる場合ではない。
俺は湖の底を蹴って立ち上がり、どこかに飛ばされてしまった剣の代わりにジークから下賜されたナイフを引き抜いた。
魔獣のブレスと魔力障壁のぶつかるバチバチという音が響いてきた。
ブレスを吐くことに集中している魔獣の隙だらけの背中に駆けあがり、体中の魔力をナイフに集めて山羊の頭に突き刺した。
こうして、なんとかギリギリで妙な魔獣を斃すことができた。
だが、俺が未熟だったせいで、レオは限界まで魔力を消費して意識を失ってしまった。
鼻の下をのばして舌なめずりをしている野獣に囲まれているような状態なのに。
命の危機は去ったが、今度は別の危機にレオを晒すことになってしまったではないか!
剥ぎ取りを終え湖畔で一晩を過ごした遠征隊は、野営地に引き返しているところだった。
近くで数人の騎士たちが次はだれがレオを背負うかで揉めている。
本当は俺がずっと背負うと言いたかったが、体のあちこちが痛む上に体力もまだ回復していないので断念した。
それに、激しい命のやりとりをして神経が昂った後にレオの体に密着してしまったら、とてもマズいことが起こりそうな気がしたのだ。
キアーラ嬢も俺と同じ危惧を抱いているようで、レオの近くに寄り添うようにしている。
キアーラ嬢が目を光らせている限り、レオに不埒な真似をするやつはいないだろう。
俺は苦い思いを噛みしめながら歩き続けた。




