㉒ マックス視点 最早別人だ
その少女に初めて会ったときの第一印象は、『人形のようだ』だった。
ジークの従妹だと紹介されたレオは、なぜか男子生徒の制服を着ていて、ジークに似た色合いながら残念なほど無表情でどこか無気力だった。
ジークたちは掌中の珠のようにレオを庇護し、レオはジークたちに対してだけ心を許していた。
俺はジークたちのおまけくらいに思われていたようだったが、この頃は別に気にもならなかった。
ジークたちと最初に関わったのは、十二歳でアレグリンド王国の王立学園に入学したすぐ後だった。
ただでさえ留学生ということで目立つのに、仮面までつけているものだから悪目立ちしてしまい、柄の悪い同級生に絡まれていたときに割って入ったのがジークだった。
周囲の反応から、学園内のどの女生徒よりもきれいな顔をした少年がこの国の王太子だとわかり、
内心ぎょっとしたものだ。
積極的に友人を作ろうという気もなく、一匹狼で構わないと思っていたのに、それ以降なぜかジークたちとつるむようになってしまった。
我ながら不愛想で面白味もないのに、なぜ王太子がわざわざ近寄ってくるのかわからなかった。
俺が火竜の紋をもっているからか、と率直に訊いてみたら、あっさりそうだと言われた。
「それもあるけどね、僕はきみが気に入ってるんだよ」
「火竜の紋があっても、俺は庶子だ。なにも期待できるようなことはない」
「そんなことはわかっているよ。きみになにかしてほしいわけじゃない。僕は王太子だからね、欲しいものはなんでも手に入る。人の心以外はね」
そうだろうな、と思った。容姿にも才能にも恵まれた王太子も案外苦労しているのかもしれない。
「きみは僕に媚びないし、なにも求めない。きみの家族が僕に接触することもない。僕からすると、とても気が楽なんだよ」
確かに俺はジークになにかを求めたことはなかった。
キルシュにいる俺の家族は、俺がアレグリンドの王太子と親しくしているなんて思ってもみないだろう。
それから注意して見てみると、男女関係なくジークに近づこうとする生徒は欲で濁った瞳をしていることに気がついた。
時には教師ですらそうだった。
特に女生徒が酷かった。
未来の王太子妃の座を巡って水面下で激しい足の引っ張り合いをしながらも、ジークの前では取り繕って淑やかにふるまう様はなんとも見苦しかった。
そんな令嬢たちにも笑顔で平等に接しないといけないジークに心から同情した。
俺は女生徒たちから怖がられ避けられているので、それとなくジークに近づいてそんな令嬢たちを追い払ったりもした。
エリオットとフェリクスもジークと同じように俺に気安かった。
フェリクスとは実技で手を抜いているとバレたときは揉めたが、ジークの取り成しにより事なきを得た。
フェリクスも子爵家の三男なのに王太子の側近に抜擢されるくらいの才能を見出されたことにより家でいろいろあったようで、俺の立場に理解を示してくれた。
レオが入学してきたのはその次の年だった。
レオにも多くの生徒が近づき取り入ろうとしたようだが、笑顔で躱すジークと違い、レオは無表情のままその全てを遠ざけた。
他の女生徒たちはいつも数人で連れだっているのに、レオはずっと一人で淡々と過ごし、ジークたち以外と言葉を交わしているのをほとんど見たことがないくらいだった。
俺もジークたちと混ざっている時はたまに話をすることはあったが、俺もレオもお互いに無関心だった。
それが突然変わったのは、俺が留学して五年目になった時のことだった。
レオは王族なだけあって豊富な魔力を有し、フェリクスと同じ師に師事していたとのことで剣筋も悪くない。
ただ、訓練はしていてもあまりやる気がないので、それが少し歯がゆく感じていた。
その日もフェリクスに頼まれてレオと何気なく手合わせをしていたところ、力加減を間違えて吹き飛ばしてしまったのだ。
幸いたいしたことはなく頭を少し打っただけということだったが、訓練中のこととはいえ女性に怪我をさせてしまったのは気が咎めた。
それで翌朝初めて自分からレオに声をかけてみたところ、どこか違和感を感じた。
あまりレオと直接話をしたことがなかった俺は、それがなんなのかその時はわからなかった。
その正体がわかったのは、それから数日後のことだった。
レオが家政科を履修しだしたというのだ。
相変わらず男装のままではあるがクラスメイトの女生徒たちとも仲良くなり、連れだって歩いていたり一緒にランチをしている姿が見られるようになり、あれだけ無表情だったのが嘘のようによく笑うようになった。
これにはジークたちはわかりやすく動揺した。
可愛い妹が突然人が変わったようになったのだから当然だろう。
悪い方向に変わったわけではないが、なにがあったのかは教えてくれないらしく、とても心配していた。
俺も密かにジークたちとは別の意味で動揺した。
レオが変わったのが、俺が吹き飛ばしてしまった直後だったからだ。
あの時頭を打ったのが原因なのではないかと思うと気が気じゃなかった。
そして、レオを見る周囲の目が変わったことに気がついた。
かつてレオに取り入ろうとして黙殺されたものたちが、再び接触しようと動き始めたのだ。
しかしレオは惑わされることなく、それらをあっさり受け流した。
特に下心が見え隠れする男に対しては以前のような無表情で黙殺していた。
黙殺されて引き下がるくらいならいいのだが、なにか不穏なものを感じるようになった。
ジークたちも警戒していて、特定の生徒をレオから遠ざけているようだった。
ある日、そのうちの一人が訓練場にいるレオに近づこうとしているのが見えた。
ローレンスとかいうやつだ。
数秒迷った後、思い切ってレオに声をかけることにした。
「それは、なにをしているんだ?」
振り返ったレオは驚いた顔をしたあと、すぐに表情を緩めた。
ジークたちのおまけである俺のことは全く警戒していないらしい。
俺に向ける声も表情も以前とは比べ物にならないくらい柔らかく、つい甘い匂いがするなんて余計なことを言ってしまった。
嫌な顔をされることを予想して内心焦ったのだが、鼻がいいんだねと言われただけですぐ流された。
……これはジークたちが心配するのも無理はない。ここまでくると最早別人じゃないか。
「俺のせいなのだろうか」
今なら真実を答えてくれそうな気がして、かねてから心に棘のように刺さっていた疑念を投げかけてみた。
すると、慌てて謝りながら、俺のせいではなくて可哀想な子でいるのをやめたのだと教えてくれた。
どういう意味かよくわからなかったが、それ以上は説明する気はないようで、俺の追及を避けるようにクッキーの入った袋を押しつけてきた。
「あ、一応それは、私の初めてのクッキーなんだ。あんまり美味しくなくてもがっかりしないでね」
そう言い置いて去っていったレオの後ろ姿を見ながら、俺はしばらく動けなかった。
レオの初めてのクッキーだと?
俺がもらっていいようなものなのか?
いやいや、深く考えすぎだ。
学園の授業で作った、ただのクッキーだ。
初めてだろうが百回目だろうが、そこに別の意味などなにもないはずだ。
俺は小さな包みを手に寮に帰ることにした。




