表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
裸足の人魚  作者: やわら碧水
第六部
295/296

第五章・青春のきらめき(その7)

 潮音は発表会を終えると、それを一区切りとして大学受験に集中するために、バレエのレッスンを少なくとも大学に合格するまでは休ませてほしいとバレエ教室に申し出た。紫はレッスンを続けるか続けないかは潮音自身が決めることで、自分が口を出す問題ではないと言っていたが、潮音はもし自分が来年の春に大学に合格したとしても、その後でバレエのレッスンを再開できるのだろうかと思わずにいられなかった。


 しかし潮音は発表会が終ってからも、ずっと戸惑いの中にいた。潮音は紫と一緒に舞台で踊って以来、紫と一緒に東京の大学に進学したいという確かな希望が胸の中に芽生えていたものの、それをなかなか周囲に言い出せずにいた。


 潮音はそれではいつまでたっても(らち)が明かないと思って、発表会からしばらく経ったある日、昼休みに弁当を食べているときに暁子や優菜と進路について話題にすることにした。


「暁子や優菜はやっぱり地元の大学に行くんだ」


 それに対して暁子と優菜は、少し遠慮気味に返事をした。


「うん…下宿したらお金もかかるし、いろいろ大変なことだってあるしね」


「あたしもそないなるかな…私大行ったらただでさえ授業料高いのに」


「そうだよね…だからあたしはできたら国立の大学に行きたいけど、そのためにはもっと勉強しなきゃいけないし」


 そう答える暁子の表情は、どこか不安そうだった。そこで潮音もぼそりと口を開いた。


「でも紫は東京の大学に行くんだよね…」


 その潮音の言葉を聞いて、暁子と優菜は一瞬きょとんとした表情をした。


「潮音…あんたももしかして東京に行きたいの?」


「そりゃ潮音が東京行きたいって言うんやったらあたしも止めへんけど…、峰山さんは東京の一流大学から推薦もらえるかもしれへんとか言うとるのやろ? そんなええ大学、潮音が今から勉強して受かるん?」


 そこで潮音はきっぱりと答えた。


「ああ。紫と同じ大学に行くなんて無理だなんてことは自分だってわかってる。でも私は紫と一緒にバレエをやって来て感じたんだ。…高校を卒業してもできれば紫の近くにいたい、紫と一緒に自分を高めていきたいって」


 その潮音の言葉を聞いて、優菜はますます心配そうな表情をした。


「潮音が峰山さんに憧れとるのはわかるけど、あまり無理せん方がええよ。峰山さんは峰山さんやし、潮音は潮音なんやから。無理に人の真似するんやなくて、潮音自身ができることややりたいことは何か、もういっぺん考えてみた方がええんやないかな」


 しかしそこでも、潮音は自分の考えをはっきり言おうとした。


「そりゃ自分が紫についていこうとするのは、たしかにカラスが白鳥の真似をしようとするのと同じようなものかもしれないよ。でも自分はそのままでは終わりたくない、ここで満足してはいたくないんだ」


「だからカラスは無理に白鳥の真似なんかせえへんでも、カラスなりの生き方があるはずやろ。カラスは白鳥よりもあかんなんて、そんなことあるわけあらへんやん」


 優菜の説得を、潮音は黙ったまま聞いていた。そこで暁子も潮音に声をかけた。


「ねえ潮音、東京の大学に行きたいって思うようになったのは、やっぱり去年の夏休みにみんなで東京に行ってからなの?」


 潮音は暁子に尋ねられて、ぼそりと答えた。


「たしかに…それだってあるかもしれない。自分はもっと広い世界を見てみたいという気持ちだって実際あるし」


「そりゃあんたがそう思うのだってわかるし、あんたのその気持ちは否定しないけど、東京で暮すのは楽なことばっかりじゃないよ。アパート借りるにしたって家賃だって高いし、物価だって高いらしいし。そりゃバイトしたら多少は何とかなるかもしれないけど」


「たしかに東京はいろんな施設もあるし、イベントかてしょっちゅうあるらしいから、その点では恵まれとるかもしれへんけどな」


 暁子や優菜の言葉を、潮音は否定することはできなかった。


 そうやって三人が話しているうちに、昼休みの終りを知らせる予鈴が鳴ったので、潮音たちはそれぞれの席に戻ることにした。しかし午後の授業が始まってからも、潮音は暁子や優菜も自分のことを心配して助言をしてくれているのかと思うと、なかなか授業に集中することができなかった。


 その日の放課後になって潮音が帰宅の途につこうとすると、暁子と優菜が潮音を呼び止めた。


「潮音…あたしと優菜はさっきあんなこと言ったけど、あんたが東京行くことに反対してるわけじゃないんだ。むしろあんたがどうしても東京に行きたいって思うなら、そしてそこでかなえたい夢があるというのなら、あたしも優菜もそれを全力で応援したいから」


「ほんまやで。でもこれだけは忘れんといてよ。潮音が東京行ったら簡単には会えへんようになるかもしれへんけど、それでもあたしらはずっと友達やっていうことを」


 その暁子と優菜の言葉を聞いて、潮音は胸にこみ上げてくるものがあった。


「ありがとう…二人とも」


 潮音が瞳をうるませていると、暁子はそっと声をかけた。


「じゃああたしはそろそろ塾に行かなきゃいけないけど…潮音もほんとに東京に行こうと思うなら早く帰って勉強しないとね」


「あたしもアッコと一緒に帰るけど、進路についてはもっとしっかり考えるんやな」


 そう言い残して暁子と優菜が教室を後にすると、潮音もそろそろ自分も帰らなければと思った。しかし潮音が教室を出ると、そこででばったりと紫に出会った。


 潮音が戸惑っていると、紫も潮音の気持ちをすでに見越していたのか、今日はバレエのレッスンもないから少し校内のカフェテリアで話をしていかないかと潮音に提案した。潮音はどきりとしながらもそれに従うことにした。


 潮音は紫と一緒にカフェテリアに向かう間も、自分は東京の大学に進学したいという希望を紫に打ち明けるべきか迷っていた。潮音はテーブルをはさんで紫と向き合って席につくと、はじめは紫とありふれた世間話をすることで緊張を解きほぐそうとした。


 そうするうちに、話題はいつしか勉強や進学のことになっていた。


「紫ってやっぱりすごいよね…バレエのレッスンを続けてて、塾や予備校にも行ってないのに成績は学年でも上位をキープして、東京の大学から推薦もらえそうなんだから」


「そんな大したものじゃないよ。授業ちゃんと聞いてそれを理解してりゃいいんだから」


「それができないから私は困ってるのに」


「ところで潮音は大学はどうするの?」


 そこで潮音は、自分の気持ちを紫に打ち明けるのは今しかないと覚悟を決めた。潮音は思わず身を乗り出しながら、はっきりと自分の想いを紫に打ち明けた。


「私…この前紫とバレエで共演して、はっきり思うようにになったんです。自分はこの学校を卒業しても紫の近くにいたい。だから大学も紫と一緒の大学には行けないかもしれないけど、東京の大学に進学したいって」


 その潮音の告白を聞いて、紫は一瞬呆れたような表情をした。そしてしばらく黙っていた後で、きっぱりと潮音に言い放った。


「あんた、進路ってものはほかのだれかがこうするから自分だってこうするとか、そんなものじゃないでしょ。ほんとに自分は何がしたいか、何をするべきかを考えて決めるものじゃない」


 そう話すときの紫の口調や表情は、日ごろの温和な紫の態度とはうって変って厳しいものだった。そこで潮音はたじたじとしながら紫に答えた。


「私だってそうは言ったけど、こないだから悩んでるんだ。東京に行って下宿したらお金だってかかるし…」


 その潮音の態度を見て、紫はますますいら立ちを募らせたようだった。


「私はそんなことを言ってるんじゃないの。そもそも大切なのは東京に行くかどうかじゃなくて、東京に行って何するかでしょ」


 潮音は紫がきっぱりと言い切るのを聞いて、横っ面をはたかれたような気がした。潮音は自分は将来の進路について、曖昧にしか考えていなかったことにあらためて気づかざるを得なかった。


 黙ったままの潮音を見て、紫はさらに言葉を継いだ。


「もしあんたが東京で行きたい大学や、そこで勉強したいことがあるんだったら、親にお金のことで迷惑をかけるとかそんなことなど気にしないで、東京に行きなさい。それくらいのことを親に説得できないようじゃ、何をやったってうまくいかないよ」


 潮音も紫にここまで言われたら、そのまま引下がるわけにはいかなかった。そこで潮音は紫の顔をあらためて見つめ直してきっぱりと言い放った。


「私…やっぱり弁護士になりたいんです」


 その潮音の言葉を聞いて、紫ははっきりと言った。


「それだったら法学部の中でも、かなりレベルの高い大学に行かないとね。それにちょっと話聞いたけど、司法試験に受かって弁護士になろうと思ったら、大学に入ってからの方がもっといっぱい勉強しなきゃいけないみたいよ」


 そこで潮音は、はっきりと紫に言った。


「そりゃ私が弁護士になれるかなんてまだわからない。でも自分は男から女になったときのことを考えたら多少のつらいことには耐えられそうな気がするし、むしろそういうことにも挑戦しなければ自分が今まで経験したことがムダになりそうな気がするんだ」


 紫もその潮音の言葉には納得したようだった。


「あんたにちゃんとした意志があることはわかったわ。でもそれだったらこんなところでおしゃべりしてないで、早く帰って勉強しないとね」


 そう言って席を立った紫の態度に潮音ははぐらかされたような気がしたが、ここは潮音も紫の言うことに従うしかないと思って学校を後にすることにした。


 潮音は紫と別れて自宅に戻ってからも、なかなか先ほどの紫の様子が脳裏から抜けなかった。日ごろは潮音や周囲の人たちに対しても優しい紫も、バレエや演劇に関しては潮音に対して厳しい態度を取るのが常だったが、先ほどの紫の表情や態度にはそれ以上の深い意味があるように潮音は感じていた。


 そこで潮音は、小学生のときの紫は純粋にプロのバレリーナになることを夢見て練習に励んでいたことを思い出していた。しかし潮音が高校生になって再会した紫は、以前レストランで一緒に食事をしていたときにいつになく寂しげな表情をしていた。


――だから冗談はよしてよ。あの世界でやっていくのは、どれだけ大変かわかってるの。それに私なんかより何十倍も練習していて、バレエがずっと得意な子なんて日本中にいくらでもいるよ。


 潮音は紫ですらプロのバレリーナになる夢を諦めていることにあらためて気づくと、紫は人生の厳しさも経験しているからこそ、自分の進路に対しても生半可な考え方で行動してほしくないと思っているのだろうか、だから自分にも厳しくしているのだろうかと、気にならずにはいられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ