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裸足の人魚  作者: やわら碧水
第六部
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第四章・門出の季節(その6)

 潮音は流風やモニカと一緒にしばらく海岸に佇んだ後で、モニカが潮音を直接車で家まで送ると言った。モニカの運転する車が潮音の自宅に着いたときには、すでに春の陽も西に傾きつつあった。


 そこで潮音が流風やモニカに別れのあいさつをして車から降りると、ちょうど暁子と栄介もそろってどこかに出かけていたのか、一緒に潮音の家の隣にある自宅に戻ろうとしていた。


 モニカの運転する車が走り去ると、潮音は栄介の姿を見るなり、笑顔で声をかけた。


「栄介は志望の高校に受かったんだってね。おめでとう」


 しかし栄介は、潮音に声をかけられても少し表情を曇らせたまま、単に「ああ」と気のない返事をしたままその場を立ち去ろうとした。その栄介の様子を見て、暁子はたまらず声を上げていた。


「栄介、潮音がちゃんと合格おめでとうと言ってくれたのだから、せめてお礼くらい言いなさい」


 暁子に注意されると、栄介はようやく潮音に向き合って、小声でぼそりと「ありがとう」と言った。潮音はやはり、自分が女になってからすでに二年以上もの歳月が経っているにもかかわらず、栄介はそれをなかなか受け入れられずにいるのだろうかと思わずにはいられなかった。


 そこで暁子は、思わずため息をついていた。


「ほんとに栄介は、このところ変に気難しくなったんだから。以前の栄介は、もっと素直で明るい子だったのに」


 そこで潮音は、暁子にそっと耳打ちした。


「暁子、ちょっと話があるんだ。少しだけ時間あるかな」


 暁子もうなづくと、栄介に自分は少し潮音と話がしたいから、先に自宅に戻るように言った。栄介は狐につままれたようなきょとんとした顔をしながら、自宅の中へと戻っていった。


 潮音は暁子を自宅の中に招き入れると、そこで暁子に話しかけた。


「暁子、栄介が変に気難しくなったのは私にだって責任はあるよ。私は自分が女になってから二年以上になるのに、栄介ときちんと向き合ってちゃんと話をしてこなかったんだから」


 潮音の話を聞いて、暁子は困ったような顔をした。


「潮音もそこまで自分のせいにすることなんかないよ。そりゃ栄介にしてみりゃ、潮音が女の子になっちゃったことをなかなか受け入れられないという気持ちだってわかるけど」


 そこで潮音は、あらためて暁子の顔を向き直した。


「いや、私はずっと、栄介が高校に受かったらあらためて栄介ともちゃんと話をしなきゃいけないって思ってたんだ。春休みのうちに一度、栄介と会うことができないかな」


 暁子は少し考えるようなそぶりをした後で、はっと何かを思いついたような表情をした。


「潮音、小学生くらいのときまではよく栄介とも一緒に釣りに行ってたじゃない。潮音のお父さんに連れられてさ」


 そこで潮音は、はたと手を打った。


「そうだ。近いうちに栄介とまた一緒に釣りに行くのはどうかな。釣りの道具は父さんから借りればいいから。服だって釣りに行くときとかに着る服を用意してるし」


 その潮音の提案に暁子ははじめ少し戸惑ったようなそぶりを見せたものの、少し経つとそれに納得したようだった。


「いいんじゃないの? もしあの子に潮音と一緒に釣りに行きたいって気があるならの話だけど。さっそく栄介にも話してみるね」


「栄介が行きたくないと言うのなら、無理に行くことはないからね。栄介の気持ちを第一に考えてくれないかな」


 そこで暁子は潮音の家を後にした。


 その日の晩のうちに、暁子から潮音のスマホに、栄介も潮音と一緒に釣りに行くことに同意したという内容の連絡があった。潮音は栄介が自分の提案を受け入れたことに胸をなで下したものの、自分もしばらく釣りにいっていなかっただけに、釣りに行くにあたってはいろいろと準備が必要だと思っていた。



 潮音が栄介と一緒に釣りに行くことを決めたのは、春休みも終りに近づいて、桜の花も満開になった日だった。潮音はその日はいつもより早く目を覚ましたが、窓の外を見て天気が良かったことにまずは安堵した。


 潮音はあらかじめ用意してあったアウトドアの服に身を包むと、父親の雄一から借りた釣り道具を持って自宅を後にした。潮音が隣の暁子の家に栄介を迎えに行くと、栄介は潮音の「釣りガール」風のいでたちに戸惑っているようだった。


 それでも栄介も準備を整えて潮音と一緒に家を後にすると、二人で須磨の海岸にある海づり公園に向かった。


 海づり公園は春を迎えて、太公望たちでにぎわっていたが、潮音は春の海に釣糸を垂らしてはみたものの、しばらく釣りに行っていなかったこともあって、釣果(ちょうか)は思わしいとは言えなかった。むしろ潮音の隣で釣糸を垂らしていた栄介の方が、多くの魚を釣っていた。


「栄介もなかなかやるじゃん。私なんかしばらく釣りやってなかったからさっぱりだよ」


「昔は潮音お兄ちゃんの方こそ、ぼくに釣りのことをいろいろ教えてくれたのに」


 その栄介の言葉には潮音も気まずそうな顔をするしかなかったが、潮音の隣でよそよそしい様子をしていた栄介も、魚を釣ったことで少しは機嫌を直したようだった。潮音はそのときの栄介の表情を見て、自分が幼い頃からよく一緒に遊んでいたときの栄介の面影に少し戻ったような気がして、少し心の中で安堵した。


 そこで潮音は、思い切って隣で釣糸を垂らしている栄介に話しかけてみた。


「栄介とも昔はこうやってよく一緒に釣りに行ったよね。行かなくなったのは中学に入って、勉強や部活が忙しくなってからかな」


 そ手にしたまま独り言のようにぼそりと口を開いた。


「…あのときはいつまでもずっと、今のように潮音兄ちゃんと一緒に釣りに行けると思ってたのに」


 その栄介の言葉に、潮音ははっと息をつかられたような気がした。そこで潮音は、覚悟を決めて栄介に単刀直入に尋ねてみた。


「栄介ってやっぱり、私にずっと男のままでいてほしかったの」


 そこで栄介は、首を振ってきっぱりと声を上げた。


「そんなんじゃないよ。ぼくは姉ちゃんから、潮音兄ちゃんだっていきなり女になって、だいぶ悩んだり苦しんだりしてきたんだ、もし自分がいきなり女になったらどんな気持ちがするか考えてみろってずっと言われてきたんだ」


 潮音は暁子は栄介にもそんなことを言っていたのかと思ったが、そこであらためて栄介に尋ねてみた。


「栄介はむしろそれだからこそ、私に対してどのように接すればいいかわかんなくなっていたわけだね」


 潮音のその言葉に対して、栄介はためらい気味に答えた。


「でも潮音兄ちゃんは女になってから、女の服を着て出かけたり、うちの姉ちゃんとも前より仲良くなったりしてるんだものの」


「…私は栄介にとって、ずっとお兄ちゃんのままであってほしかったのか」


 その潮音の言葉に対して、栄介は答えを返そうとしなかった。そこで潮音はさらに言葉を継いだ。


「私だって自分が女になってしばらくの間は、自分の目の前にある現実になじむことばっかりに必死だった。しかしそのうちに、何かをやりたいと思うことにも、何かをがんばることにも男も女もないって思えるようになったんだ。そうなってやっと、女の服を着たり化粧をしたりしたって、自分は自分だって思えるようになったんだ。だから栄介には自分が女だからってそのことを変に意識したりせずに、今まで通りに自然につき合ってほしいと思ってる。…無理かもしれないけど」


 そこで栄介は、釣竿を手にしたまますまなさそうに頭を下げた。


「…ごめん」


「別に謝るようなことじゃないよ。栄介の気持ちだってわかるしね。それよりも今日は栄介が素直に自分の本心を私に話してくれて嬉しかったな」


 その潮音の言葉を聞いたときの栄介は、春の海風に吹かれながらどこかふっ切れたような顔をしていた。


 それからしばらく潮音と栄介は釣りを続けた。潮音の釣糸にようやく大きめの魚がかかったときには、潮音だけでなく栄介も嬉しそうな表情をした。


 潮音と栄介が釣りを切り上げて帰宅の途についたときには、ようやく潮音と栄介も互いによそよそしさを感じることなく、自然に会話ができるようになっていた。


「今日は栄介の方がよく魚が釣れたじゃん」


「そうでもないよ。潮音…姉ちゃんだってけっこう魚が釣れたじゃん。それより今日はわざわざ釣りに誘ってくれてありがとう」


 そして潮音と栄介がそれぞれの自宅に戻ったときには、暁子はむしろ釣果よりも二人がより自然そうな表情をしているのを見て、今日二人で釣りに行ったのは成功だったとほくそ笑んでいた。



 やがて新学期が始まり、潮音が暁子と一緒に登校しようとすると、栄介が母親の久美と一緒に真新しい高校の制服に身を包んで家から出てきた。栄介は今日が高校の入学式だと言っていたが、潮音に「がんばれよ」と言われると栄介も笑顔を浮べた。潮音と暁子は栄介が多少なりとも明るさを取り戻したのを見て、互いの顔を見ながら嬉しそうにほくそ笑んだ。


 そして潮音と暁子が登校すると、花びらが舞う校門の桜並木で元気よく二人を呼び止める声がした。その声の主は松崎香澄だった。


 潮音と暁子が声のした方を振り向くと、香澄のそばには香澄の親友の新島清子と芹川杏李の姿もあったが、その三人とも制服のリボンの色は高等部の色に変っていた。


「私たちは高等部に通うことになりますが、これからもよろしくお願いします」


 香澄の明るさは相変らずだったが、そこで潮音は香澄に尋ねた。


「千晶先輩はどうしたの?」


「東京で暮すアパートも決まって、今は大学のオリエンテーションや入学式があるみたいです。お姉ちゃんはSNSでよく連絡をくれるので、お姉ちゃんがいなくても寂しくありません」


 潮音は香澄の様子が思ったより明るく、どこかふっ切れたように見えるのにほっとしていた。


 そこに今度二年生になった壬生小春と樋沢遥子、妻崎すぴかの三人組も姿を現した。二年生たちの姿を見るなり、香澄たち新一年生は丁寧にお辞儀をした。


「壬生さんは今度高等部の生徒会長になるのですよね。これからどうぞよろしくお願いします」


 その香澄の様子を見て、小春は思わず声をあげていた。


「あなたたちもそんなにかしこまらなくていいのよ。それよりも早く教室に行きなさい」


 潮音は後輩たちの姿を見送りながら、彼女たちが頑張って生徒会の活動を盛り上げてくれたらいいのにと思っていた。


 潮音は今年度のクラス分けの名簿を見て、クラスが暁子や優菜と同じ梅組で、担任も美咲だったことに安堵していたが、始業式では学年主任をつとめる牧園久恵の、高校三年生は大学受験を控えた大切な時期だから勉強を頑張るようにという講話があった。


 さらにそれからしばらくして、中等部の入学式やオリエンテーションが済んだ頃に潮音がバレエの教室に向かうと、そこには萌葱と浅葱も姿を見せていた。しかし萌葱は布引女学院、浅葱は松風女子学園中等部のそれぞれ真新しい制服を身にまとっていた。


 潮音が萌葱と浅葱の二人とも、中学の制服を着てより大人びて見えるようになったじゃないかと思う間もなく、二人ともさっそく潮音に制服姿を見せびらかした。


「どう、制服かわいい?」


 浅葱は姉の紫と同じ制服を着られることが嬉しくてたまらないようだったが、潮音は萌葱の着ている布引女学院のシックな制服も、なかなかお嬢様学校っぽくていいじゃないかと思っていた。


 そこで潮音は、少し身を引いて二人を落ち着かせた。


「中学に受かったからといって、あまり浮れてばかりいるんじゃないぞ。バレエだけでなく勉強ももっと大変になるから、遊んでばっかりいないでもっとしっかりしないとな」


 潮音は自分自身あまり勉強もしていないのに偉そうなことを言っていると内心で思っていたが、萌葱と浅葱もややふて腐れた表情で言った。


「藤坂さんもうちのお姉ちゃんみたいなことばっかり言うんだから」


「あまりお姉ちゃんを困らせるんじゃないぞ。お姉ちゃんはこれから大学受験で大変になるからな」


 その言葉には萌葱と浅葱もどこか納得したようだったが、この元気な双子の妹のお守りをしなければいけない紫も大変だと潮音は内心で思って、ふとため息をついていた。

潮音の高校生活もいよいよ最後の一年になりました。受験や進路選択という難しいテーマを扱う以上、話を書くのはますます大変になりそうですが、なんとかやっていこうと思います。

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