第四章・門出の季節(その3)
そのようにして潮音が紫や光瑠、愛里紗と話しこんでいると、背後から潮音たちを元気よく呼び止める声がした。樋沢遥子の声だった。潮音が声のした方を振り向くと、遥子の傍らには壬生小春と妻崎すぴかの姿もあった。
「峰山さん、卒業式の送辞すごく良かったですよ」
遥子の明るくて快活な様子はいつも通りだったが、遥子にまで送辞のことを褒められて、紫は照れくさそうにしていた。そこで潮音は遥子に尋ねてみた。
「もうすぐ新しい生徒会長の選挙があるよね。今の一年生たちはどうするの?」
そこで遥子はぼそりと答えた。
「いろいろ候補の名は上がってるけど、小春のことを推薦する声もありますね。小春は中等部からうちの学校にいるし、性格も落ち着いてしっかりしているから、あたしは小春がなればいいんじゃないかって思うけど…」
遥子に言われて、小春はお呼びじゃないとでも言いたげに手を振った。そこで潮音は遥子に声をかけてみた。
「樋沢さんこそ生徒会長の選挙に出てみたらどうかな。樋沢さんはフットサル同好会を作った行動力だってあるし、それに生徒会長に中入生とか高入生とか関係ないよ」
「いや、あたしはただフットサルがやりたかっただけで、とても生徒会長なんて柄じゃないから…」
気恥ずかしそうにたじたじとしている遥子に、光瑠も声をかけた。
「樋沢さんこそ遠慮することないじゃん。三年生になると受験とかあるから、二年生のうちに思いきりやりたいことやればいいよ」
その光瑠の言葉には、遥子だけでなく小春とすぴかも思わずかしこまって「はい」と返事をしていた。その後輩たちの様子を見て、紫も声をかけた。
「あなたたち一年生はみんな元気そうで何よりだわ。これじゃあ誰が生徒会長になったとしても、来年度の生徒会は大丈夫そうね」
紫が落ち着いた口調で話すのを聞いて、小春は元気よく返事をした。
「はい。私たちは先輩たちの名を汚さぬように頑張りたいと思います」
小春の礼儀正しい態度には、紫の方が驚いたようだった。潮音は小春の態度を見て、小春は華道部に所属している、絵里香の後輩だということをあらためて思い出していた。
「そんなにかしこまらなくてもいいのよ。私たちの学年もできる限り協力するから」
紫の話を聞いて、一年生たちは皆そろって表情をほころばせた。潮音は後輩たちの姿を見ながら、今の一年生たちだったら頑張って生徒会を引っ張ってくれるだろうと頼もしく感じていた。
やがて一年生の三人組もその場を立ち去ると、光瑠がにこやかな笑顔を浮べながら言った。
「あの一年の子たち、なかなかかわいいじゃない。来年度の生徒会活動が楽しみだわ」
そこで潮音も口を開いた。
「今度の一年生たちが、頑張って生徒会を盛り上げてくれたらいいのにね。香澄だって四月からは高等部に入るけど、ちゃんと今の一年生と協力しながらやっていけるかな」
「そんなに心配することないと思うよ。香澄だって千晶さんに対してはちょっと甘えん坊なところはあるけど、根はしっかりした子だと思うし。まずはあの子たちのことを信頼して任せてみたらどうかな。あの子たちが何か困ってることがあったら、私たちもサポートしなきゃいけないけど」
潮音は紫の話を聞きながら、人を信頼して任せる度量の広さも、紫が学校の中で支持を集めてきた理由なのだろうかと思っていた。それと同時に、紫がこれまで生徒会でもバレエでも潮音に対して寛大だったのは、紫が自分に信頼を寄せてきたからだということを感じて、その信頼にこたえなければならないと潮音はあらためて意を新たにしていた。
潮音がこのように思っていると、愛里紗が潮音に顔を向けた。
「一年生の子たちが学校になじむことができるようになったのも、藤坂さんがあの子たちの面倒をいろいろ見てくれていたからよね。ほんとに藤坂さんの、困ってる人を見てるとほっとけないところは私もすごいと思うよ」
愛里紗にまでこのように言われて、潮音はますます恥ずかしそうに顔を赤らめた。
そうやって話をしているうちに生徒たちもぼちぼちと帰宅の途について校内もがらんとしてきたので、潮音は光瑠や愛里紗と別れると、帰宅の方向が同じ紫と一緒に下校することにした。
紫と一緒に駅に向かう道すがら、紫は潮音に話しかけた。
「潮音はやっぱり千晶さんや椿さんが卒業しちゃうのが寂しいの? でも四月になったら代わりに一年生が入ってくるじゃない」
そこで潮音も紫に返事をした。
「紫の双子の妹のうち、浅葱の方は今度からうちの学校の中等部に来るんだよね。四月からうちの学校もにぎやかになりそうだけど、萌葱が布引に進学することになったのはちょっと意外だな」
潮音はすでに中等部の入試は一月に済んでいて、紫の双子の妹のうち浅葱はその入試に受かったものの、萌葱の方は布引女学院を受験してそちらへの進学を決めたことを知っていた。
紫は潮音に対して、困ったような表情で答えた。
「あの二人ともろくすっぽ勉強もしないで遊んでばっかいて、どうしてうちや布引の入試に受かったのかわかんないけどね。それに浅葱は前から私と同じ制服着るのが夢だったって言ってるけど、萌葱は布引の入学説明会に行って、どうやら布引のお嬢様学校っぽいシックな制服や、落ち着いた学校の雰囲気の方が気に入ったみたいね。それがあの子の意志だっていうのなら、私もそれを尊重するしかないけど」
「萌葱と浅葱は双子とはいえ、おとなしくて落ち着いた萌葱と、元気でやんちゃな浅葱とは性格違うからな。兄弟姉妹っていちばん身近なところにいるのに、一番分かり合えない他人だとも言うし」
「あの子たちは小学校に上がるときにランドセルの色を決めるときだって、萌葱はおとなしく赤を選んだけど、浅葱は明るいライトグリーンを選んだからね。萌葱は変に私や浅葱に頼ったりしないで、自分の力を試してみたいとか言ってたけど」
「萌葱って年の割にはだいぶしっかりしてるじゃん。でも香澄だって、千晶さんの妹ということで校内でいろいろプレッシャー感じてたところはあるからな。もしかしたら萌葱も、紫や浅葱と一緒の学校に行ったらいろいろ比べられてどこか肩身が狭いとか思っていたのかもしれないね」
そこで紫は手を横に振りながら答えた。
「よしてよ。あたしは千晶さんほどかっこよくないってば。それに萌葱と浅葱は、香澄に比べてだいぶ能天気だし」
「わかんないよ。むしろ紫こそ、これからの一年は萌葱と浅葱のためにももっとしっかりしなきゃいけないんじゃないかな。お姉ちゃんらしい威厳を見せなければ」
潮音が茶化すような言い方をすると、紫は露骨にいやそうな顔をした。
「だからプレッシャーかけるようなことばかり言わないでってば」
「紫は家の中では萌葱や浅葱に対してどんな態度取ってるのか知らないけど、うちの姉ちゃんは何かあったらすぐに私に対してガミガミ説教ばかりするからね」
「潮音の家もにぎやかそうよね」
紫が顔に笑みを浮べるのを、潮音はいやそうな目で眺めていた。
「そんなにいいことばかりじゃないよ。それに姉ちゃんも来年は大学の四回生で、ちょうど今就職活動の真っ最中だからね。しょっちゅうリクルートスーツ着てセミナーとか面接とかに行ってるよ。もう何社か落ちたとかぼやいてるし、どこの会社に入るのかまだわかんないけど」
その潮音の言葉を聞いて、紫はふと息をついた。
「どこの家だって大変そうよね。そういえば石川さんの家も、弟がちょうど今高校入試だって聞いてるけど」
「県立高校の入試は三月の半ばだからね。それまでは暁子の家も大変だよ。流風姉ちゃんだって、京都の大学に受かってればいいんだけど」
「流風さんなら大丈夫でしょ」
紫は自信ありげに話していたが、潮音は幼い頃から親類同士で仲よく遊んできたし、自分が女に変ってしまったときも優しく受け入れてくれた流風、さらに綾乃までもが自分から離れていきそうな気がして、仕方がないこととはいえ内心ではやはり寂しさを感じずにはいられなかった。潮音は顔を上げて、神戸の街の上に広がる穏やかな早春の空を見つめながらふと息をついた。
「千晶さんだってこの春からは東京に行っちゃうんだよね」
「私だって勉強したいことがあるなら、東京だってどこだって行きたいけどね」
「やっぱり紫はすごいよ」
「潮音ももしかして、大学に入ったら東京に行きたいの?」
「…それはわかんない。私は去年の夏に東京に行って、そこでもっといろんなものを見てみたいとも思ったけど、東京で一人暮らしするとなるといろいろ大変なこともあるしね。そもそも大学の入試に受からないことには何もならないし」
「だったら潮音はバレエに打ち込むのもいいけど、勉強だってもうちょっとちゃんとやったら?」
そこで潮音は、痛いところを突かれたとばかりの表情をしてしばらく黙っていた後で、少し口をすぼめ気味にそっと紫に話しかけた。
「でも千晶さんってさ…私は元は男だったってことに気がついていたのかな」
それに対して紫は軽く首を振った。
「さあね。少なくとも私は潮音のこと、千晶さんには何も話してないけど」
潮音は紫がきっぱりと言い切るのを聞いて、あらためて戸惑いの色を浮べずにはいられなかった。潮音は紫は人の秘密を軽々しく漏らしたりするような人ではないということなど十分わかっていただけに、ますます千晶は自分のことに気づいていたのかが気になっていた。
潮音が紫と別れて自宅に戻ると、その日の夕食の席で則子が流風も今日布引女学院の卒業式に出たと知らせた。則子も流風の進学先がどこになるのかを気にしていたが、潮音は流風がどのような進路に進むにしても、これからも自分に対して親身に話に乗ってくれればと思っていた。




