第一章・潮音、アイドルになる(その8)
その翌日の文化祭の二日目は、いよいよ文化祭の締めくくりとして、潮音をはじめとする生徒会のメンバーたちが統一行事でアイドルのパフォーマンスを行う日だ。しかし潮音はその点だけでなく、それと同時にこの日には昇と漣が文化祭に来ることになっていたことも気になっていた。潮音は漣と待ち合わせの時間は決めていて、その後文化祭の会場を案内することにもなっていたが、それだけでなく昇も文化祭に来るという返事を潮音に伝えていた。潮音は昇と漣は互いのことを知っているし、むしろ昇は漣にとってもいい相談相手になってくれるだろうと思っていたとはいえ、自分がアイドルの衣裳を着てステージで踊るところを昇と漣に見られるのかと思うと内心穏やかではなかった。
やがて潮音と漣の待ち合わせの時間が来たので、潮音が待ち合わせの場所として指定していた校舎の玄関のところまで来ると、漣が学校での友達の富川花梨と一緒に立っていた。潮音が出迎えてみると、花梨はにぎやかな文化祭の様子に目移りがしていたのに対し、もともと人見知りする性格の漣はどこか気後れするような様子をしていた。しかもこの日漣が着ていた服は、布引女学院の制服のブラウスとジャンパースカートだった。この漣の制服姿は多くの来場者で賑わう文化祭の会場でも人目を引いていたが、潮音は漣はもう少しかわいい感じの私服とか持っていないのだろうかとふと思っていた。
漣の緊張しておどおどした様子を気にしていたのは、むしろ花梨の方だった。花梨は思わず漣に声をかけずにはいられなかった。
「せっかく藤坂さんが松風の文化祭に誘ってくれたのだから、漣もちゃんとあいさつしなきゃダメでしょ」
そう言われてようやく漣も、ぼそりと小声で潮音にお礼を言った。
「藤坂さん…今日はわざわざ松風の文化祭に誘ってくれてありがとうございました」
漣の態度を前にしては、思わず潮音も声をかけずにはいられなかった。
「漣こそそんなかしこまった態度なんか取る必要ないって。もっと気楽にいろんなとこ見て回ろうよ」
潮音にそう言われて、ようやく漣は多少なりとも緊張がほぐれたようだった。そのまま潮音は花梨と漣を連れて校内の模擬店や展示などを見て回ったが、花梨が模擬店で売られていた食べ物を味わったりしている一方で、相変らず漣はおとなしそうにしていた。布引女学院の制服を着た漣の姿は校内でも目立っていて、漣の方を振り返る松風の生徒もいたが、漣はむしろ人目を避けるようにしていた。
しかしそれでも潮音が漣を美術部の展示に誘うと、そこに飾られた真桜の油絵には漣も何か感じるものがあるようだった。潮音は漣が寡黙なまま、深い色調で北海道の風景を描いた真桜の油絵をあちこち眺めているのを見て、漣も心の中に真桜と似たようなものを抱えているのかもしれないとふと思っていた。
ちょうどそこに真桜が現れたが、真桜は漣が自分の描いた絵を熱心に見ているのを目の当りにして、少し驚いたようなそぶりをしていた。真桜にとってはこれまで、自分と同世代で自分の描いた絵に注目してくれる人を見たことはあまりないようだった。そこで潮音は、漣に真桜のことを紹介した。
「この絵は私たちが修学旅行で北海道に行ったときの景色を見て、ここにいる国岡さんが描いたんだよ。私も国岡さんと一緒の班で行動したけど、やっぱり北海道の景色はきれいだったな」
そこで漣は、真桜にぼそりと声をかけた。
「この絵、すごくきれいですね」
「そうですか。…どうもありがとうございます」
真桜は漣にこのように言われてただ気恥ずかしそうにしていたが、潮音は漣はもっと素直に絵の感想を真桜に対して述べればいいのにと思う一方で、真桜がこのことで、自分の絵の実力についてもっと自信を持ってくれたらと思っていた。
そうこうしているうちに、昇と潮音が待ち合わせをしていた時間になった。潮音は漣や花梨と一緒に、昇との待合せ場所に指定していた校舎の玄関に向かったが、潮音がそこに着くとすでに昇は待っていた。潮音は昇を前にして思わず謝っていた。
「ごめん。ちょっと待たせちゃったかな」
潮音が謝ったのには、昇も当惑したようだった。
「いや…ぼくもついさっき来たばかりだから気にしないでよ」
しかし昇が驚いていたのは、むしろ漣が潮音と一緒にいたことの方だった。昇は去年の神社の秋祭りの際に漣と出会い、そこで潮音から漣の事情について打ち明けられていただけに、漣に対してどのように接してよいのか戸惑っている様子がありありと見てとれた。そのせいか、潮音が昇を文化祭に案内している間も、潮音の態度からはどこかよそよそしさが抜けなかった。しかしそれが花梨の目には、潮音が昇を前にして落ち着きなくデレデレしているかのように映った。花梨は内心で、潮音は昇のことを異性として意識しているように感じていたが、そのことは黙っておくことにしておいた。
しかしそのうちに、統一行事でアイドルパフォーマンスを行うメンバーが集合する時間が迫っていた。潮音は昇や漣、花梨と別れて、生徒会のメンバーの集合場所へと向かった。潮音はこの日のために、九月のまだ残暑が厳しい日から生徒会の個性の強いメンバーたちが一丸になって練習を続けてきたのだから、この練習の成果を今この場にぶつけるしかないと意を新たにしていた。
潮音が集合場所に来ると、すでにステージに出演する生徒会のメンバーたちは集まっていた。しばらくして紫がメンバーの点呼を取って出場者が全員集まっていることを確認すると、みんなの前で今日は精一杯の力を出し切って悔いのないステージにしようと声を上げた。集まった生徒会のメンバーたちも大きな声で返事をしてそれに応えた。
着替えに向かう途中で、長束恭子が笑みを浮べながら潮音に声をかけた。
「潮音、さっき彼氏連れて校内歩いとったやん。あの彼氏去年も文化祭に来とったけど、なかなか男前で優しそうな人やな」
恭子が冷やかすように潮音に話しかけると、周りのメンバーたちも聞き耳を立てながらニヤニヤしていた。潮音は赤面せざるを得なかったが、そこでさらに恭子は潮音に話しかけた。
「でも今度のパフォーマンスは、あの彼氏も見に来るんやろ? だったら潮音はあんまり無様な真似はできへんな」
潮音がその恭子の言葉にシリアスな表情になったのもつかの間、恭子は最後に潮音にこう話しかけるのを忘れなかった。
「で、このステージが終ったら、潮音にあの彼氏のこと、いろいろ聞かせてもらうで」
しかしそこに光瑠が来て、これ以上潮音を茶化すのもやめて、もう少し真面目にパフォーマンスに取り組むようにと注意した。それには恭子もしゅんとしていたが、そのときの光瑠の様子から見て、光瑠は真剣にこのアイドルのパフォーマンスに取り組んできたのだなということを潮音は直感で見抜いていた。
潮音たちがステージで着るアイドルの衣裳は、フリルなどの装飾をふんだんに使ったカラフルでかわいらしいものだった。潮音はここで、漣や昇もこの衣裳を自分が着て踊っているところを見ることになるのかと思って、少し緊張を覚えずにはいられなかった。しかし潮音はそんなことなど初めからわかり切っていたことではないか、今になってどうしてそんなことにとらわれているのかとあらためて思い直して、心の中の雑念を振り払った。
潮音が衣裳に着替え終ると、周りの生徒会メンバーたちも皆おそろいのアイドル衣装に着替えを済ませていた。長身ですらりとした体格の光瑠は、自分がこのアイドルの衣裳を着ていることに対して、嬉しいのか恥ずかしいのかわからないような複雑そうな表情をしていたが、潮音は光瑠がそうやってはにかんでいるところがかえってかわいいと思うと同時に、日ごろクールに振舞っていた光瑠の別の面を知ることができたような気がした。光瑠の姿には、思わず恭子も声をかけていた。
「光瑠もこないしたらけっこうかわいいな。私服でももうちょっとかわいい服着たらええのに」
「恭子も変なこと言わないでよ」
その一方で寺島琴絵は、どこか嬉しそうにしていた。日ごろはおとなしくてクラスの中ではあまり目立たない琴絵も、自分がアイドルになることで日頃の自分とは違う、新しい自分になれたと感じているかのようだった。
しかし一連の少女たちの中で一番の存在感を示していたのは、やはり紫だった。紫は華麗なアイドルの衣裳をきちんと着こなしており、彼女がいるだけでその場の雰囲気が引き締まるかのように感じられた。潮音はこの場でセンターをつとめることができるのは紫しかいないと考えていたが、紫はそのような潮音の心中などそ知らぬかのように、そのままその場に居合わせた生徒たちを整列させると、頑張ってこのパフォーマンスを成功させようとあらためてみんなに話しかけた。
そうしているうちにパフォーマンスが始まる予定の時間が迫っていたので、潮音は円陣を組んで場の士気を高めようと提案した。紫も微笑んでその潮音の提案に従うと、その場に居た少女たちは皆数人づつのグループにまとまって輪を作り、そこで手を差し出して重ねると、腹の底から「おう」という掛け声を出した。
そこで潮音は、自分が中学生のときに水泳部の大会に出場したときのことを思い出していた。そのときも自分は水泳の腕では浩三にかなうはずがなかったが、潮音はそのプールの水面を前にしたときの気持ちを思い出すだけで胸が熱くなるのを感じていた。それと同時に、この気持ちには男も女もないということを潮音はあらためて感じずにはいられなかった。




