第七章・TOKYO(その2)
東京行の計画が軌道に乗り始めたことを暁子と優菜も喜んだものの、潮音は日程も旅費も限られている中で、どこに行けばいいのか計画を立てかねていた。優菜はディズニーリゾートに行きたそうにしていたが、高校生の乏しい小遣いではなかなか厳しく、ようやく貯金を崩してなんとかなりそうそうだった。しかし東京にはそれ以外にも目を引くスポットがいろいろのあるので、潮音は東京観光のサイトや図書館から借りたガイドブックを眺めているだけでも目移りがした。
そこで潮音は、お台場のビッグサイトで開催される同人誌即売会のイベントにも顔を出したことのある寺島琴絵の話を思い出していた。琴絵は自分も東京にいる親戚の家に泊まってイベントに出かけたものの、暑さと行列がひどくてへばる人が続出するので、あまり物見遊山気分では行かない方がいいと潮音に忠告したので、東京に行きたいと思う人もその理由はさまざまなんだなと潮音は感じていた。
それでも潮音が旅行について暁子や優菜と話し合いながらもプランをまとめようとしているのを見て、綾乃はどことなく嬉しそうな顔をしていた。
「あんたが自分から何かをしようと行動するなんて、今まであんまりなかったじゃない。それだけでもあんたは十分頼もしくなったよ。この調子で勉強とかもちゃんとやってくれたらいいのだけど」
潮音が最後の言葉は少し余計だと思いながらも、自分が積極的に行動していることを綾乃が褒めてくれたことに対して、悪い気はしなかった。そこで綾乃も潮音をなだめるように言った。
「ま、あんたもこのところ夏休みの勉強やバレエなどで疲れてるみたいだったからね。この機会に思い切って遊んで心身をリフレッシュする方が気分転換にもなって、勉強とかもはかどるんじゃないかな。暁子ちゃんや優菜ちゃんと一緒に遊べるのだって今のうちだろうし」
「ありがとう、姉ちゃん」
「ところで、東京に行くにしてもどうやって行くの?」
「それなんだけどね…。新幹線や飛行機は高いからねえ。高速バスに乗ればいいかなって思ってるんだけど」
潮音が表情を曇らせるのを見て、綾乃は忠告するように言った。
「でもあまり安いバスには乗らない方がいいよ。ちゃんとした業者の運転しているバスに乗らなきゃ」
「夜行バスに乗ったら朝から一日向こうで遊べるけど、その代わりしんどいからな…。昼間のバスだったら八時間半くらいかかるし」
「ま、若くて元気なうちはそういう旅をしたっていいんじゃない? 私は何年か前に青春18きっぷを使って、普通列車を乗り継いで東京に下宿している友達のところまで遊びに行ったことがあるよ。朝神戸を出たら夕方には東京に着けるけど、あのときはさすがにお尻が痛くなったね」
潮音は綾乃の話を聞くだけで、自分までお尻が痛くなりそうな気がした。そこでその話をはたで聞いていた則子が、潮音に声をかけた。
「あまり無理しないでも、帰りの新幹線代くらいは出してあげるよ。さっき暁子ちゃんや優菜ちゃんのお母さんと電話で話したときも、二人ともそう言ってたし。その代わりちゃんと学校で学割の証明書をもらってくるのよ」
潮音は東京から帰るときにもバスに長時間乗ることになるのかと覚悟していただけに、則子の言葉に感謝したくなった。しかし則子は、その後でこのように付け足すのを忘れなかった。
「でも東京に行ったらくれぐれもおじいちゃんやおばあちゃん、伯父さんやいとこたちに迷惑かけないようにね。あとお土産もよろしくね」
「母さんも最初からそれが目的かよ」
潮音はやれやれとため息をつきたい気分になった。
そしてついに、潮音が暁子や優菜と一緒に東京に行く日が来た。潮音は早朝に東京に着いたらその日を一日有効に使える夜行バスに乗ることも考えたが、女子高生だけで夜行バスに乗ることにはそれぞれの家族が難色を示したので、結局バスの昼行便で行くことになった。
東京行のバスは大阪のバスターミナルを朝に出るので、潮音たちは早起きをしなければならなかったが、潮音は前日の晩は気分が高揚してなかなか眠ることができなかった。それは暁子や優菜も同様だったようで、朝早くに待ち合わせ場所でこの二人と出会ったときには二人とも眠そうに目をこすっていた。
それでも潮音たちが何とかして大阪駅前にあるバスターミナルに着くと、夏休み中ということもあってすでにキャリーバッグを手にした乗客たちが列を作っていた。潮音が暁子や優菜と一緒に、指定されたバスの座席につくと、間もなくしてバスはゆっくりと動き出してターミナルを後にした。
しばらくしてバスは高速道路に乗るとスピードを上げた。車窓に流れる夏の青空や、強い日差しに照らされた風景を眺めているだけで、潮音は旅心がいやおうなしに高まっていくのを感じていた。
バスが京都の市街地を抜けて逢坂山をトンネルで抜け、そこからしばらくして新名神高速道路に入ると、新しく建設された高速道路ということもあって山中を橋やトンネルで抜けることが多くなった。ちょうどその頃パーキングエリアで休憩の時間になったので、潮音たちはバスを降りて自動販売機で飲み物を買い求め、伸びをしながら椅子にずっと座りっぱなしで疲れた体をリラックスさせた。
やがてバスは鈴鹿山脈をトンネルで抜け、木曽川の河口近くを長い橋で渡ったときには潮音たちの目も車窓に釘付けになった。しかしバスが二度目の休憩を過ぎて静岡県にさしかかる頃には、はじめの頃は談笑することもあった潮音たちも、さすがに疲れを覚えてうとうとするようになっていた。
それでもバスが箱根の手前のサービスエリアで最後の休憩を取ったときには、優菜は富士山が雲に隠れてよく見えないことを残念そうにしていたものの、潮音たちもここまで来るとさすがに東京ももうすぐだという気分になってほっと息をなで下した。やがてバスが箱根の山を越えて関東平野に入り、高速道路沿いにも住宅が目立つようになった着た頃には、夏の日も傾いて西日が強く照り返すようになっていた。
そしてバスが特に大きな渋滞に巻き込まれることもなく新宿のバスターミナルに着いたときには、八時間半もの乗車を経て潮音たち三人はクタクタになっていた。優菜はバスを降りたとき、思わず言葉を漏らしていた。
「帰りもこれに乗るのはさすがにしんどいからな。お母さんが新幹線代出してくれて良かったわ」
しかしそれでもバスターミナルから一歩外に出ると、新宿の街に人があふれて慌ただしく行き交う様子や街の喧騒ぶりをいざ目の前にして、東京にある祖父母の家を何度か訪れたことのある潮音はまだしも、東京をはじめて訪れた暁子や優菜はただ圧倒されているようだった。
「やっぱ東京ってほんま人多いな。神戸どころか大阪ともちゃうわ」
そこで潮音は、祖父母の家は新宿からさらに私鉄に乗り換えてしばらく行ったところにあると言った。暁子と優菜は、不安そうに辺りの人ごみをきょろきょろと見回しながら言った。
「東京の電車はややこしいから、乗り間違えたりしないように気をつけなきゃね」
「特に地下鉄なんかぐちゃぐちゃでようわからへんからな」
電車が新宿駅を離れると、車窓もビル街から閑静な住宅地へと変っていった。しかし潮音は電車に乗っている間も、東京の電車は自分が通学のときにいつも乗っている神戸の電車はやはりどこか雰囲気が違うと感じていた。
そして潮音が新宿から十数分ほど電車に揺られて伯父の家の最寄駅に着く頃には、夏の日も西に傾いて駅前の商店街にも暮色が漂っていた。潮音は改札口を出ると、駅前で自分と同じくらいの少女が待っているのに目を向けた。潮音が遠慮がちにその少女に声をかけると、彼女もびっくりしたような顔をした。
「これが潮音なの? 男の子だった潮音がこんな風になっちゃうなんて。でもかわいいじゃない」
しかしその少女も、戸惑いながらも潮音の全身を頭のてっぺんからつま先までじっと眺めているうちに、今自分の目の前にいる少女には自分がこれまでしばしば会ってきた、男の子の「潮音」の面影があることを認めないわけにはいかないようだった。
そして潮音は、暁子と優菜にその戸惑っている少女を紹介した。
「紹介するね。この子は尾中真由美といって、私のいとこなんだ。私と学年が一緒で、東京の高校に通ってるんだよ。あ、うちの母さんも結婚前の苗字は『尾中』っていうんだ」
続いて潮音も、暁子と優菜を真由美に紹介した。
「こっちの子は石川暁子と塩原優菜といって、同じ高校に通ってるんだけど、私とはちっちゃな頃からの友達なんだ。二人ともこの夏休みに東京に行くのを楽しみにしてたよ」
暁子や優菜も真由美に簡単に自己紹介を済ませると、もともと明るくて気さくな性格の真由美は暁子や優菜とはすぐに打ち解けたようだった。優菜の関西訛りの口調には、真由美も少し戸惑っていたが。そこで真由美は潮音たちに声をかけた。
「潮音たちも疲れてるみたいだし、ここで立ち話もなんだから、早く家に行きましょ」
そこで真由美は潮音が少し戸惑った表情を見せたのを見て、潮音の肩を軽く押した。
「そりゃうちの両親だって潮音が女の子になっちゃったのを見たらさすがにちょっとは驚くかもしれないけど、こんなにかわいい女の子になったんだもの。きっとうちの両親も歓迎してくれると思うよ」
その真由美の言葉には、暁子と優菜も同意したようだった。そして真由美は潮音と暁子、優菜と一緒に黄昏の商店街を自分の家に向けて歩き出した。




