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裸足の人魚  作者: やわら碧水
第五部
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第五章・最後の夏(その1)

 潮音たちが修学旅行から帰ってからしばらく経ったある日の昼休み、カフェテリアで潮音と暁子は昼食を取っていた。修学旅行のお土産を流風や漣にも手渡すとこの二人も喜んでいたと潮音が話すと、暁子も満足そうな顔をしていた。


 すると二人の背後から、元気のいい声が聞こえてきた。その声の主は中等部三年の松崎香澄だった。香澄のそばには、香澄の同級生の新島清子と芹川杏李の姿もあった。


「藤坂さんと石川さんも北海道に行ってきたんですよね。旅行の話をもっといろいろ聞かせてくれませんか?」


 香澄の明るくて快活な様子は相変らずだった。潮音と暁子も、香澄の笑顔を見ているだけで気分がなごんだような気がした。


「香澄たちも中等部の修学旅行で九州に行ってたんでしょ?」


 潮音に尋ねられると、香澄もはっきりと答えた。


「はい。フェリーで別府に着いてから、阿蘇山の草千里を眺めたり、路面電車に乗って長崎のグラバー園や大浦天主堂などを回ったりしました」


 そう言って香澄は、スマホを操作して九州の各地を回ったときの写真を潮音に示してみせた。そこではどの写真にも香澄が清子や杏李たちと一緒に、のびのびと旅行を楽しんだ様子がありありと写っていた。


 そこで潮音も北海道でラフティングを行ったり、知床や釧路湿原の雄大な自然に感動したりしたときの様子を香澄たちに話してみせた。香澄たちも興味深げに潮音たちの話に耳を傾けていたが、ちょうどそのときカフェテリアの中にざわめきが起きた。香澄の姉で、前年度に高等部の生徒会長をつとめていた松崎千晶が何人かの三年生と一緒にカフェテリアに入ってきたのだった。剣道部の主将として活躍し、生徒会長もつとめたことで生徒たちからの信任も厚い千晶が姿を現しただけで、その場全体の空気が引き締ったような気がした。


 清子と杏李も千晶に視線を送る一方で、香澄も手を振りながら千晶を呼びとめた。


「お姉ちゃん」


 千晶は香澄の声の方を振り向くと、香澄と同じテーブルに座を占めていた潮音と暁子に目を向けた。


「二年の藤坂さんと石川さんって、香澄と仲いいのね。石川さんは手芸部で香澄がだいぶお世話になってるって聞いてるけど」


 千晶に声をかけられて、暁子は恥ずかしそうに口をすぼめた。


「いや、あたしの方こそ香澄の世話になってばかりで…」


 もじもじしている暁子に、千晶は笑みを浮べながら答えた。


「香澄はこの通りやんちゃな子だからね。これからも香澄がいろいろ迷惑かけるかもしれないけど、そのときはよろしくね」


「もう…お姉ちゃんったら」


 ふて腐れた顔をしている香澄や、香澄の顔をニコニコしながら見ている清子と杏李を横目に、千晶は潮音に話しかけた。


「藤坂さんは石川さんとこないだまで修学旅行に行っていたのよね。旅行は楽しかったかしら」


 そこで潮音は千晶を向き直してはっきりと言った。


「はい。すごく楽しかったです。今の生徒会長の峰山さんとももっと仲良くなれたし、北海道の景色もすごくきれいだったし」


 その潮音の裏表のない態度に、千晶も感心したようだった。


「藤坂さんってそのようにして、直情径行にはっきりとものを言うところがいいわね。今年高等部に入学した子がフットサル同好会を作りたいと言ったときも藤坂さんが協力したというし、香澄も藤坂さんのそういうところに惹かれたんじゃないかしら」


「藤坂先輩はあたしたち後輩のこともよく面倒見てくれますよ」


 千晶と香澄にまで自分のことを口々に褒められて、潮音は顔を赤らめずにはいられなかった。しかしちょうどそのとき昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ったので、千晶が声をかけた。


「香澄もみんな、昼休みが終ったから教室に戻りなさい」


 千晶に言われて教室に戻る途中の廊下で、暁子は潮音に声をかけた。


「千晶先輩ってやっぱりかっこいいよね。背筋もぴんとしてるけど、やっぱり剣道やってて体幹ができてるせいかな。剣道で段位も持っているって言うし」


「ああ…たしかにそうだよね。でも千晶先輩は今年が受験生だけど、大学とかどうするのかな」


「千晶先輩だったらいい大学だって行けるんじゃない。妹の香澄も手芸部で頑張ってるいい子なんだけど、お姉ちゃんを見習ってもう少し落ち着けばいいのに」


 その暁子の言葉に潮音は軽く首を振った。


「兄弟姉妹は一番身近にいるにも関わらず、一番わかりあえない他人だとも言うからな。それ言ったら暁子と栄介だってそうだろ? 暁子はいつも、『栄介が言うこと聞かない』とぼやいてばっかりいるじゃないか」


「そりゃそうだけど…それ言ったら潮音と綾乃お姉ちゃんだってそうでしょ」


 潮音は暁子に一本取られたとでも言わんばかりに、作り笑いを浮べていた。



 その日の放課後、潮音は水泳部の活動のために優菜とプールで一泳ぎした後で帰宅しようとすると、プールの玄関の前でばったり香澄に出会った。香澄は手芸部の活動に出た後、剣道部で練習をしている千晶を迎えに行くところだと言っていた。


「剣道部って遅くまで練習してるんだね。香澄のお姉ちゃんもやっぱり剣道頑張ってるんだ」


「はい。姉はあれだけきつい剣道の練習をやった後でちゃんと勉強だってやってるし、本当にすごいと思います」


 そう話すときの香澄の声の調子は、いつもと違って少し元気がないように見えた。潮音はこのような香澄の様子を見て、香澄はやはり姉に対してコンプレックスを抱いているのだろうかと気をもんでいた。


 潮音は優菜や香澄と一緒に体育館に行くと、練習している剣道部の活動に目を止めた。そこでは六月も末で館内もかなり蒸し暑くなっているにも関わらず、剣道部員たちが道着をつけて頭には面をかぶり、竹刀を構えながら威勢よく声を上げて練習に取り組んでいた。その練習の真剣さを前にしては、潮音は気軽に声をかけることすらできなかったが、隣にいる優菜や香澄も同様に感じているようだった。


 面をつけていて顔はよく見えなかったものの、剣道部員の中に顧問の教師と並んで他の部員に積極的に稽古をつけたり助言をしたりしている背の高めな生徒がいて、潮音はこの部員こそが千晶だなということがすぐにわかった。香澄も剣道部の部員たちの中で、特に姉に対して一心に目を向けていた。


 やがて生徒たちが下校する時間になって、部員たちがうやうやしく一礼をして練習がお開きになると、千晶はさっそく面を取って束ねた髪をほどき、タオルで汗をぬぐっていた。そこで千晶は潮音と香澄が先ほどから練習を眺めていたことに気がつくと、香澄をたしなめた。


「香澄はいちいち私を迎えに行かなくてもいいから、早く家に帰って勉強しなさい」


 そこで潮音が千晶に尋ねてみた。


「千晶先輩って今年は受験だってあるのに、こんなに一生懸命剣道部の練習に取り組んでいるのですか」


 潮音の疑問に対して、千晶ははっきりと答えてみせた。


「今年の夏に大会があるからね。この大会は私が松風の中等部に入って以来の剣道部の締めくくりになるから、悔いが残らないようにしっかりやっておきたいの。その大会が終ったら剣道部は引退して勉強するよ」


 そこで香澄は心配そうに千晶に声をかけた。


「お姉ちゃんは剣道も勉強も両方頑張ってるのはわかるけど、あまり無茶しないでよ」


「香澄こそ心配してくれなくてもいいよ。私だったら大丈夫だから」


 千晶が平静な態度を取っていても、香澄の心からは不安が抜けないようだった。そこで香澄は潮音と優菜を向き直して言った。


「あの…、今度の夏にある剣道の大会には、ぜひ藤坂先輩や塩原先輩にも応援に来てほしいんです。お姉ちゃんにとっては、これが松風で最後の大会になるから」


 香澄に頼まれて潮音は一瞬困惑したが、頼まれたらいやとは言えない潮音の性分として、潮音も首を縦に振るしかなかった。


「ああ、わかったよ」


 優菜はやれやれとでも言いたげな顔で潮音を眺めていたが、そこで千晶がまた香澄をたしなめた。


「県道の試合は応援がたくさん来れば勝てるなんてものでもないのよ。藤坂さんや塩原さんだって都合はあるんだから、香澄もあまり無茶は言っちゃダメでしょ」


「まあまあ、私だって先輩の試合を見てみたいし、日程に空きがあったら応援に行きますよ」


 潮音が香澄をかばっても、千晶はすまなさそうな顔をしていた。


「応援に来てくれるなら嬉しいけど…あまり無理に来なくてもいいよ。それに剣道はあくまで礼儀作法を守って真剣勝負を行う場なのだから、応援に来るにしてもあまり大声出して騒いだりしないでほしいんだけど」


 そこで潮音は、千晶が着替えや帰宅の支度を済ませるまでは少しかかりそうだし、千晶と香澄の間にはよそ者の立ち入れない何かがありそうだと感じて、香澄を残して先に優菜と一緒に帰宅することにした。


 潮音と帰宅する途中で、優菜は潮音に声をかけた。


「やっぱ剣道部は練習の真剣さがちゃうな。うちらの水泳部みたいな、部員も少ないちゃらんぽらんな部とは大違いや」


「でも千晶先輩が剣道部で頑張っているのを見て、中学のときの水泳部を思い出したよ。あのときは私だって『この夏の大会が終ったら勉強する』とか言いながら、日焼けで真っ黒になるまで練習してたなって…」


 潮音の言葉を聞くと、優菜も思わず表情をほころばせていた。


「ほんまにそうやったね。なんかあの頃のことが懐かしいわあ」


「あの頃はまさか自分が、女子として優菜と一緒の学校に行くことになるなんて夢にも思わなかったけどね」


 潮音が大きくため息をつくのを見て、優菜は潮音をなだめるかのようにそっと声をかけた。


「そんなんどうだってええやん。女の子になっても潮音は潮音なんやから」


 優菜の言葉を聞いて、潮音は照れくさそうな顔をしながら話題を変えた。


「でもさっきの香澄の態度見てどう思った? 香澄は昔お姉ちゃんに憧れて自分も剣道を始めたけど練習についていけなくなってやめたとか言っていたし、香澄は剣道に関しては、やはりお姉ちゃんに対してコンプレックスを抱いているんじゃないかって気になるんだけど…」


「アッコも言うとるけど、あの子は手芸部で頑張っとるそうやん。人のことなんか気にせんと、自分の好きなことややりたいことやればいいのに」


 潮音は優菜の言う通りだと思いながらも、その一方で香澄はそれができないから悩んでいるのだから、この問題はなかなか解決できそうにないと内心でため息をつきたくなった。そこで潮音は優菜に言った。


「香澄がそこまで言うなら、私も剣道の大会に応援に行こうかな…。千晶先輩が剣道で頑張っているとこ見ると、昔の自分のこと思い出すし」


「潮音の好きにしたらええやん。それにしても潮音って後輩からももてるんやね」


「そんなつもりないってば」


 そう言って潮音と優菜は、初夏の暮れなずむ空を見上げた。

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