第四章・北の国へ(その1)
体育祭が終ると、潮音たち二年生の関心は六月の後半に行われる修学旅行にもっぱら向けられるようになる。松風女子学園では中等部は三年生で九州、高等部は二年生で北海道に行くのが習わしであり、特に高等部の北海道旅行は五泊六日の長旅ながら雄大な自然を満喫できるので、生徒の人気も上々である。
修学旅行に先立って、説明会や事前の学習も行われていたが、旅行先ではいくつかのグループに分かれて行動し、宿舎でも同じ部屋に泊まることになるので、そのグループ分けで潮音は暁子や優菜と一緒のグループに入ることにした。天野美鈴や柚木芽実もそのグループに加わったが、引っ込み思案な国岡真桜がどこのグループに入るべきかとまごまごしていたので、潮音が真桜をグループに誘うことにした。真桜も特に嫌がる様子もなく、潮音の誘いを受け入れた。
さらにグループ活動では、何を行うかもポイントになる。途中の一日にラフティング、牧場体験、ハンドメイドの三つに分かれて行動する日があるので、潮音たちのグループは少し話し合った上でラフティングを選択することにした。潮音は真桜だったらハンドメイドの方が向いているのではとも少し思ったが、真桜は反対するそぶりも見せなかった。
旅行の出発の日が近づくにつれて、生徒たちの期待感もいやおうなしに盛り上がっていったが、その一方で潮音は旅のしおりを見ながら荷物を整えていた。北海道の特に東部は、六月といえども特に朝夕は気温が低いから服装にも注意するようにとしおりには書かれていたが、しおりの中に書かれた持ち物の中に水着があったのに潮音はふと目を向けた。潮音たちが泊まることになるリゾートホテルには温水プールもあるからということだったが、潮音はふと息をついて去年の夏に買った青いビキニの水着を持参することにした。
こうやって潮音が自室で荷物を整えていると、いつしか綾乃がその傍らに来ていた。綾乃は荷物の中に畳んだ服が積み上げられているのに気がつくと、怪訝そうな顔をした。
「こんなに服持っていくの?」
「ああ。トマムでは雲海テラスに行くことになっているけど、六月でも朝早くは寒いっていうから…」
「だからこういう山ガールみたいな服持っていくわけね」
「それに旅行中には私服OKの日だってあるから…。こんなことやってるから、女が旅行したら荷物が増えるわけだよ」
潮音はそう言ってため息をついた。
「あんたの学校の修学旅行も大変よね。あたしの修学旅行なんて、ホテルじゃずっと学校指定のジャージだったのに。でもほかの子がどんな服着るかなんてあまり気にすることないよ。旅先では身軽で動きやすい恰好が一番だから」
綾乃が同情するような顔をすると、潮音は少し顔を伏せて不安げな口調で言った。
「それなんだけどさ…修学旅行でどこ行くかよりも、ホテルに着いてからのどんちゃん騒ぎやガールズトークの方が心配だよ」
沈みがちになる潮音を元気づけるかのように、綾乃は明るく声をかけた。
「あんたは女の子ばかりの乗りについて行けるか心配なわけ? もしあんたが男の子のままだったら、男子同士で夜中まで騒いでたくせに」
綾乃に言われて潮音は黙ってしまったが、潮音は自分だけでなく、クラスの中でどこか孤立気味の真桜がこのような修学旅行の乗りについていけるのかという点も気がかりだった。
いよいよ旅行の出発が数日前に迫ったある日、暁子は潮音がどこか浮かない顔をしているのを見て心配そうに声をかけた。
「どうしたの? みんな修学旅行を楽しみにしてるのに」
「いや…今でもちょっと後ろめたい気がするんだ。私は一年半くらい前まで男だったのに、その自分が女の子と一緒の部屋に泊まっていいのかなって」
潮音の話を聞いて、暁子は潮音のそのような不安を吹き飛ばそうとするかのように明るく声をかけながら潮音の肩を軽く叩いた。
「そんなの気にすることないじゃん。昔はともかく、今のあんたはどこからどう見たって女の子だよ。それ言ったら潮音は以前に瀬戸内の島にあるあたしの実家に行ったことだってあるし、峰山さんちでお泊り会だってやったのに」
「あのときは暁子や優菜という、昔からよく知ってた同士や、いつも一緒にバレエやってる紫とかと一緒だったけど、今回はうちの学年のみんなと一緒だからな。それに今回の修学旅行は五泊六日もあるし」
「そんなに心配だったら、先生に頼んで気分が悪くなったりした子のための個室を使えばいいよ。あたしのほかに優菜だってついてるし。でもうちの学校って六日間も修学旅行に行くんだからすごいよね」
暁子の言葉を聞いて、潮音は多少なりとも緊張がほぐれて気が楽になったようだった。
「暁子が心配してくれるだけで、ちょっとは気が楽になったよ。ともかくせっかくの修学旅行なんだから目いっぱい楽しまないとな」
「そうだよね。私は今からおみやげ何買うか楽しみだよ。それに北海道は食べ物だっておいしそうだしね」
「やっぱり暁子は食い気が一番かよ」
潮音が茶化して言うと、暁子はむっとした表情をしたものの、内心では潮音が少しは元気を取り戻したことに安堵していた。
ちょうどそこに、元気な声がした。暁子にとっては手芸部の後輩である、中等部三年の松崎香澄の声だった。香澄はそのまま暁子の近くに寄って来て、快活に口を開いた。
「藤坂さんや石川さんたちはもうすぐ北海道に行くのですよね。私たち中等部は九州に行くのですが、六甲アイランドの港から夜行のフェリーに乗って、阿蘇山や長崎などを見て回る予定になっているのですよ。藤坂さんも北海道に行ったときの話をぜひ聞かせて下さいね」
香澄も旅行を楽しみにしている様子がありありと見てとれて、それを見ているだけで潮音と暁子もいつしか笑顔になっていた。さらにそこに、高等部一年の遥子と小春、すぴかの三人組も姿を現した。
「藤坂さん、北海道に行ったら景色がきれいなだけじゃなくて、おいしいものが食べられそうでいいですね」
遥子のいつも通りの元気な声には、その場の雰囲気がぱっと明るくなったような気がした。
「一年生たちも来年修学旅行に行くじゃん」
「そうですね。ラフティングとかするのが、今から楽しみです。藤坂さんも帰ってきたら旅行の話とか聞かせて下さいね」
潮音は後輩たちの明るい様子を見て、少しは元気がもらえたような気がしたが、それを見て暁子が冷やかすように言った。
「あんたってずいぶん後輩からも人気あるじゃない」
それに対して潮音は、無言のまま笑みを浮べていた。
そしていよいよ旅行の当日が来た。当日は朝の七時半に大阪の伊丹空港に集合することになっていたので、潮音は早起きすると暁子や優菜と一緒に荷物を詰め込んだキャリーバッグを引いて、集合場所になっている伊丹空港へと向かった。暁子と優菜は早起きして眠い目をこすりながらも、旅への期待に胸を膨らませているようだったが、潮音はどこか緊張気味な表情をしていた。
潮音たちが伊丹空港に着くと、すでに生徒たちが空港のロビーに集まって談笑していた。美鈴もすでに空港に着いていて、潮音の姿を見るなり笑顔でカバンからカードゲームを取り出した。
「ホテルに着いたらゲームやって遊ぼな」
「修学旅行はゲームするのが目的じゃないだろ。あまり夜遅くまで騒いでると、牧園のババアから説教食らうぞ」
美鈴がすでに遊ぶ気が満々なのを見て、潮音はげんなりした。
「たしかにこの修学旅行には、牧園先生もついて来とるからね」
美鈴は口うるさい学年主任の牧園久恵が旅行に引率で同行することに対して、ふと息をついた。しかしそこで潮音が真桜の方に目を向けるとスケッチのセットを用意しており、旅先で何か絵を描くことができないかと期待しているようだった。
「北海道の景色を絵にすることができたらいいのにね」
潮音に話しかけられると、真桜もかすかに表情をほころばせた。
そこに紫が来て、潮音に声をかけた。紫は潮音が真桜の相手をきちんとしていることが嬉しいようだった。
「こうやって自分からクラスの子に積極的に声をかけるなんて、潮音もだいぶしっかりしてきたじゃない」
「紫こそこのところ生徒会長として頑張って来たから、この修学旅行くらいリラックスして、みんなと楽しんだ方がいいよ」
そこで紫のそばにいた長束恭子も声をかけた。
「ほんまやで。責任感が強いのが紫のええとこやけど、あまり根をつめすぎへん方がええんとちゃう? 紫はこの修学旅行くらい、学校のみんなとパーッと遊べばええのに」
「でも恭子は萩組だから、私たちとは別の飛行機で行くんでしょ」
関西と北海道を結ぶ飛行機には中小型機しか就航していないので、一学年は二つのグループに分かれてそれぞれ別の飛行機に乗り、北海道に着いたら再び合流することになっていた。しかも神戸空港から北海道の東部にある女満別空港までは、関西方面からは夏期の不定期にしか直行便が就航していないので、一行はいったん東京の羽田空港に行って、そこで女満別行の飛行機に乗り換えるのが潮音たちの旅行のコースになっていた。
「せっかく東京にも寄るんやから、東京でもディズニーランドとかスカイツリーとかに行けばええのにな」
恭子がやや不満そうな口調で話していると、吹屋光瑠がそれをなだめた。
「まあまあ。恭子も北海道に行けるんだからいいじゃない。あたしは牧場体験をしたりジンギスカンを食べたりするのが楽しみだな」
光瑠の明るく元気な様子に、その場が少しなごんだような気がした。
「吹屋さんは牧場体験のコースを選んだんだ。吹屋さんは動物と接するのとか好きそうだもんね」
潮音の言葉に光瑠がうなづいたときに、そばをキャサリンが通りかかったので、潮音はキャサリンにも声をかけてみた。
「キャサリンも旅行は楽しみなの? イギリスの学校にはこういう修学旅行はないって聞いたことあるけど」
「はい。だからみんなで旅行に行けるのが楽しみです。北海道は日本の中でも、ヨーロッパに近いような景色のところだと母から聞いてましたが」
そこでキャサリンに、同じ菫組にいる能美千夏が声をかけた。
「キャサリンがこの修学旅行を通して、日本のことをもっと好きになってくれたらいいのにな」
もともと音楽が好きで英国のロックにも興味を持っている千夏は、すっかりキャサリンと意気投合したようだった。キャサリンと千夏が仲良さそうにしているのを、潮音は温かい眼差しで見送った。
ちょうどそこで集合時間になったので、美咲をはじめとする引率の先生が生徒たちを整列させ、点呼を取って遅刻者がいないことを確認すると、理事長の吉尾うららがあいさつをして結団式が行われた。続いて引率の牧園久恵が旅行だからといって羽目を外さず、学校の一員としての誇りを忘れずに規律を持って行動するようにという説教を始めた。生徒たちはそれをげんなりしながら聞いていたが、ようやく久恵の話が終ると飛行機の搭乗手続きが始まった。
潮音が飛行機の座席についてシートベルトを締めてからしばらくすると、飛行機はスピードを上げて滑走路から勢いよく離陸し、窓から見える街の景色が見る見るうちに小さくなっていった。潮音はこれから始まる旅に対して、期待の一方でこれから五泊六日もの長旅もの間に、自分が女子たちに混じってちゃんとやれるだろうかという一抹の不安ももちろんあった。しかし潮音は、もうここまできたら旅行を楽しむしかないと腹をくくるしかなかった。




