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裸足の人魚  作者: やわら碧水
第四部
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第七章・スイート・バレンタイン(その4)

 そしてとうとう、バレンタインデーの当日が来た。この日は松風女子学園全体が、どこか浮かれた雰囲気に包まれていて、授業など上の空で放課後にどうやってチョコを渡すかに気を取られているような生徒もちらほら見られた。先生の注意の声も、生徒たちの耳には届いていないようだった。


 生徒たちの間には、日ごろからクールに振舞っていて色恋沙汰とは無縁そうな琴絵のように、バレンタインデーに浮かれる学校の雰囲気を冷ややかな目で見ている者もいた。しかしすでに昼休みから、紫や光瑠、さらには二年生の松崎千晶には、何人かの中等部の生徒たちがチョコを手渡しに来ていた。さらには楓組の愛里紗にもチョコを手渡しに来た中等部の生徒がいたのには、日ごろ校内での浮ついた遊びなどには加わらずにストイックに勉強に打ち込んでいる愛里紗も当惑した表情をしていた。


 潮音は昼休みの教室で暁子と一緒に、光瑠が中等部の生徒たちに取り囲まれている様子を、半ば呆れ気味に眺めていた。


「吹屋さんって中等部の子たちから人気あるよな」


「そりゃ吹屋さんは背が高くてかっこいいじゃなくてバスケ部で活躍してるし、去年の文化祭の劇のロミオだってはまり役だったからね。千晶先輩だって剣道やってるところがかっこよくて凛々しいから、中等部の子たちが憧れるのだってわかるよ」


 潮音は文化祭の劇では、自分も光瑠と一緒にジュリエットの役を演じたことを思い出して、気恥ずかしい気分になった。そこで暁子は、潮音の顔を見つめながら言った。


「で、あんたはどうするの? あんたが昨日の放課後、香澄や中等部の子と一緒にチョコを買いに行くのを見たって話聞いたよ」


 潮音はぎくりとしたが、暁子との間で隠し事などしない方がいいと思い直すと、小さな声でぼそりと暁子に打ち明けた。


「実は…湯川君にチョコをあげようと思っていて、昨日香澄と一緒にチョコを買いに行ったんだ」


「香澄があんたと一緒にそんなことするとはねえ」


 暁子は日ごろ手芸部で香澄と一緒に活動しているだけに、香澄がそのような行動を取ったことが意外なようだった。


「でも昇にチョコを買ったとはいいけど、いつどこで、どうやって渡したらいいかわかんなくてさ」


 暁子はしばらく呆れたような顔をしながら潮音の顔を眺めていたが、しばしの沈黙の後でようやく口を開いた。


「えらい…えらいよあんたは。そこまで行動するなんて。それにこのことを変にごまかしたりせずに、あたしにちゃんと話してくれるところがあんたらしいよね」


「オレがこんな話できるのは暁子だけだよ」


「でもそれって、あんたはウソをついたりごまかしたりできない不器用な性格だってことだけどね。だいたいあんたって、男の子だった頃は好きな人がいたってそんなことしたりしなかったのに」


 そこで潮音はむっとしながら答えた。


「そんなこと言ったってしょうがないだろ。そりゃ玲花には椎名がいたから」


「潮音って今でも尾上さんのことがちょっと好きなんだね。…でもその内気だった潮音が、ここまで積極的に行動できるようになるなんて思わなかったよ。いっそ今日学校が終ったら、あんたの彼氏が通っている尚洋学園の校門の前まで行って、そこで直接チョコを手渡したら? 毎年バレンタインデーになると、尚洋の校門の前にはいろんな学校の女の子がチョコを渡しに来るって聞いたよ」


 暁子がいたずらっぽい口調で話すのを、潮音はいやそうな目で見ていた。


「バカ。そんな照れくさいことなんかできるかよ。だいたい、彼がいつごろ校門を出るかなんてわかるわけないじゃん。それ以前に今日はこれからバレエのレッスンがあるのに」


 そこで暁子は心配そうな顔をした。


「それなんだけどさ…あんたがバレエ頑張ってるのはえらいと思うけど、これから勉強だって大変になるし、きついと思うんだったら無理して続ける必要ないんじゃない?」


 潮音はそのような暁子を諭すように言った。


「暁子、バレエは自分がやりたくてやってることなんだ。それにバレエを始めた以上は、それをやって良かったと思えるような何かをつかみたい。中途半端で投げ出すような真似はしたくないんだ。それさえ見つかったら、あとは気持ちを切り替えて勉強できるとおもうんだけど」


 そこで暁子はふと息をついた。


「あんたって、中学で水泳やってた頃からずっとそうだったよね。そうやっていろんなことを頑張ってきたからこそ、この学校のみんなも、あんたのことを認めてくれたんだと思うよ」


「オレは自分の好きなことややりたいことをやってるだけで、人からほめられるほど大したことやってるつもりなんかないけどな」


「それがえらいんだよ。だから今日のバレンタインも、悔いが残らないようにちゃんとやりな」


 しかしそのとき、潮音を呼びとめる声がした。その声の主は長束恭子だった。


「藤坂さん、教室の入口で中等部の子が待っとるで」


 そこで潮音が席を立って教室の入口の扉まで来ると、そこで照れくさそうな顔をしながら並んで立っていたのは松崎香澄と新島清子、そして芹川杏李だった。その三人の顔を見て、潮音は拍子抜けしたような気分になった。


 香澄が目配せをすると、最初に口を開いたのは杏李だった。


「昨日は黙ってたけど…私は去年の体育祭で藤坂先輩が学ランを着て応援団長をやっているのを見たときから、ずっと先輩のことをかっこいいって思ってました。文化祭の劇だって、ジュリエットの役をしっかりと演じていたし。だから香澄に勧められて、先輩にチョコを渡すことにしたのです」


 そう言って杏李は、菓子店で買ったチョコを潮音に差し出した。潮音が当惑する間もなく、杏李の隣にいた清子も、チョコを手にしながらやや控えめな口調で話し始めた。


「私も…先輩に憧れていました。先輩は高等部の生徒の中でもめ事が起きたときもそれをなだめようと頑張ったっていうし…そんなこと私にはできないと思います」


 潮音は特に、清子の引っ込み思案な様子が気になっていた。そこで潮音は清子に声をかけてやった。


「新島さんだっけ…もっと自分に自信持った方がいいよ。今こうやって私にチョコを渡そうとしているのだって、そんな自分を変えたいって思ったからだろ?」


 清子が赤面しながら黙りこくる一方で、杏李はますます嬉しそうな口調で潮音に話しかけた。


「清子にそんなこと言うなんて、やっぱり藤坂先輩って優しいんですね」


 清子と杏李の二人をわざわざ潮音の教室まで連れてきた香澄も、どこか得意そうだった。


「清子と杏李が藤坂先輩のこと好きみたいだったから、私が思い切って二人にチョコを渡すように勧めてみたのです。でも二人ともちゃんと渡せて良かったですね」


 そう言いながら香澄も、懐からチョコを取り出して潮音に手渡した。


「香澄はお姉ちゃんにチョコをあげるんじゃなかったのかよ」


「それとは別に、藤坂先輩用のチョコも買っていたのです。二年生になったら生徒会の活動なんかも大変になると思うけど、これからも頑張って下さいね」


 これらのチョコこそが、潮音が家族からもらった義理チョコ以外に、初めて受け取ったバレンタインデーのチョコだった。潮音はこんな形で、バレンタインデーのチョコを女の子からもらうことになるなんてと思うと複雑な気持ちになった。


 そこに紫が通りかかった。紫も主に中等部の生徒から受け取ったチョコや、手作りらしいクッキーの入った包みをいくつか手にしていた。紫は潮音が手にしているチョコと、潮音と一緒にいる香澄たち三人の姿とを交互に見比べながら、にんまりとした表情をした。


「潮音もチョコもらえてよかったじゃない」


 そこにはさっきから一部始終を見ていた恭子も寄ってきて、ニヤニヤしながら潮音に言った。


「潮音も後輩からけっこうもてとるやん」


 そこで潮音はむっとした表情になった。


「紫はもっとたくさんチョコもらってるだろ」


「それ言ったら光瑠なんかもっと大変よ。あの子は私よりもっとたくさんの子からチョコをもらってるけど、自分がこんな目で見られることに戸惑ってるみたいね」


 そこで潮音は、香澄たちにそっと声をかけた。


「吹屋さんってたしかに背が高くてバスケが得意だけど、その一方でかわいいぬいぐるみとかファンシーグッズとか集めたりしてるからね」


 香澄も光瑠の今まで気づかなかった一面を知って、意外そうな顔をしていた。そこで紫は、その場にいたみんなに強い口調で諭すように言った。


「もうそろそろ午後の授業が始まるから、みんな教室に戻りなさい。あと授業中は、チョコはちゃんとしまっておくのよ。それに潮音、今日は放課後バレエのレッスンがあるんだからあまり浮れてるんじゃないの」


 紫がまじめな顔つきになったのを見て、香澄たち三人もたじたじとした表情で中等部の校舎に戻っていった。恭子も紫の顔を見ながら、どこか未練のあるような表情をしていた。


 自席に戻ってチョコをそそくさとカバンの中にしまい、午後の授業の準備を始める潮音を、暁子は遠巻きに眺めていた。


――さっきの恭子は、紫にチョコを渡そうとしてたよね…。それにしても潮音ったら、中学のときにも女の子からチョコをもらうことなんかなかったのに。でも私も、結局昼休みにはチョコを渡しそびれちゃったな…。放課後でも、それこそ家に帰ってからでもいいか。


 暁子はカバンの中に、潮音に渡す予定のチョコを忍ばせていた。

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