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裸足の人魚  作者: やわら碧水
第四部
185/296

第六章・ルミナリエ(その3)

 潮音たちがメリケンパークに着くと、そこも多くの人ごみでごった返していた。その人ごみの中に、若い男女のカップルの姿もけっこう見られたのには、潮音たちもいささか気恥ずかしそうな顔をした。


 それでもなんとかして公園の中に入ると、東遊園地のものより大規模な、色とりどりの壮麗な幾何学模様の光のアーチが闇夜にそびえ立っているのに、潮音も思わず目を奪われていた。そしてその光のアーチからは、きらびやかな光の回廊がそのまま続いていた。さらに公園の中に建っている船の形をした海洋博物館や赤い色をしたポートタワー、ハーバーランドの観覧車もライトアップがなされ、イルミネーションに彩りを添えていた。


 潮音たちが華やかに彩られた光の回廊を抜けると、そこにはイルミネーションに彩られた鐘が設置されていて、多くの来場者が思い思いにそれを鳴らしていた。潮音たちもかねてから聞かされていた震災の話を思い出すと、鐘の音を聞いて黙祷をささげていた。


 さらに潮音たちがそこからしばらく歩くと、いつの間にか海辺まで来ていた。ここまで来るとルミナリエの会場の喧騒も一段落しており、手すりの向こうには真っ暗な海が広がり、手すりのすぐそばまで静かにさざ波が打ち寄せていた。海から吹き付ける風は冷たく、手袋をはめないと手がかじかみそうなほどだったが、その風の冷たさとかすかに漂う潮の香りが潮音の五感を研ぎすますような感じがした。そしてルミナリエの会場の方を振り向くと、その光の彼方には神戸の街が闇夜に静かに沈んでおり、さらに六甲山の上空には冬の星座がまたたいていた。


 その闇夜に響く波の音を聞きながら、漣が隣にいた潮音にぼそりと話しかけた。


「なんか不思議ですね…。海って人間が生れるより前、何億年もの昔から波が寄せては返すということをずっと繰り返してきたのですから」


 そう話すときの漣は、手すりの向こうに広がる真っ暗な水平線をじっと見つめていた。


「漣ってそうやって、一人で物思いにふけるのが好きなんだね」


 潮音は漣の視線から、漣は自分に対しても、自分の心の中にあるものを素直に打ち明けられずにいることを感じ取っていた。


「漣ってさ…私よりずっと前に男から女になったんだよね。でもそれまでずっと、学校とかでもそのことを打ち明けられる人はいなかったわけ」


 潮音は口ではそのように話しながらも、もし同じ学校に暁子や優菜がいなかったら、さらに高校で昔同じバレエ教室に通っていた紫と再会していなかったら、自分自身学校生活はどのようになっていたかわからないから、あまり漣のことを言いたてることはできないと内心で思っていた。しばらくして漣は重い口を開いた。


「でも実はぼく…小学五年生で女の子になったとき、そんなにいやじゃなかったんです。ぼくはもともと男の子たちと悪ふざけしたりスポーツやったりするのが得意じゃなくて、家で本を読んだり、姉と人形で遊んだりする方が好きだったから…でもだからといって、女の子の輪の中に入ることができるほど甘くはなかったと、特に布引に入ってからは気がつきました」


 その漣の話を聞いて、潮音は去年の今ごろは、自分自身が突然男から女になってしまったという現実を受け入れることができずに、周囲に対しても心を閉ざしたままだったことを思い出していた。潮音は漣が自分よりもずっと長い間、気持ちを打ち明けることのできる仲間すらいないまま、あの頃の自分のように周囲に対して心を閉ざしているしかなかったのかと思うと、胸が痛まずにはいられなかった。


「でも今の漣は、富川さんという友達だっているし、今こうして私たちと一緒にルミナリエに行くことだってできてるじゃん。そんなこと気にして後ろ向きになって、クヨクヨする必要なんかないよ」


 潮音はつとめて明るく振舞おうとしたが、そのような潮音の様子を見て、漣はどこか照れくさそうな顔をしていた。漣は怪訝そうな面持ちで潮音に尋ねていた。


「藤坂さんこそどうして、あんなに友達がいっぱいいて、いつも明るそうにしていられるのですか」


「私だって最初からそうだったわけじゃないよ。どうして自分はこうなってしまったのだろうって、そればっかりずっと考えてたことだってあるし。でもそうやって一人で悩んでばかりいたってしょうがない、そんなことやってる暇があるなら、その間に少しでもいいから今の自分ができることをやるしかない、無理にでもそう思うようにしたら、少しは気持ちが楽になったよ」


 潮音の話を、漣は少しの間黙って聞いていた。しかしそこで、潮音たちを呼びとめる花梨の声がした。


「漣はどうしたのよ。藤坂さんと一緒に話しこんだりして」


 花梨のきょとんとした顔を見て、暁子と優菜は必死でその場を取り繕おうとした。


「そりゃ二人の間には、いろいろと話したいことだってあるだろうから。富川さんはあまり気にしない方がいいよ」


 しかしそこで漣は、ややためらい気味に口を開いた。


「いや、いいんです。…実はぼくも今日は、行くかどうか少し迷っていました。でもせっかく藤坂さんが誘ってくれたから行ってみてはどうかって、伯母が背中を押してくれたのです。…でもルミナリエの光ってなんか不思議ですね。あのイルミネーションの中にいて模様を眺めていると、暗い夜の中だからこそ、いつもの昼の光の中では見えないものが見えるような気がします」


 潮音はその漣が言う「もの」の正体について、わかったようなわからないような顔をしていた。そこで漣はさらに話を継いだ。


「あのイルミネーションを見ていると、どうしてかわからないけど、自分が子どもだった頃のことや、今自分と離れて暮らしている両親や二人の姉のことを思い出すのです。みんな元気にしてるのかなって」


 その漣の話を聞いて、花梨は深くうなづいた。


「漣の言ってることは間違ってないと思うよ。ルミナリエはもともと、阪神・淡路大震災で亡くなった人を追悼するために始まった行事だけど、私も学校の先生やシスターからあの震災のときの話を何度か聞かされたんだ。そのとき思ったよ。ルミナリエの光はそれを見た人の心の中に明かりをともすことができる、そしてそうすることで自分と大切な人との絆をあらためて感じて、想いをつなぐことができる、そのためにあるんじゃないかなって。先生も言ってたよ。『暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけましょう』ってね」


 花梨の話を聞いて、漣は顔を上げた。その表情からは、これまでのような戸惑いや不安の色は消え失せていた。そして漣は潮音の方を向き直して、丁寧な口調で言った。


「今日はどうも誘ってくれてありがとうございます」


 漣のかしこまった態度を見て、潮音はいやそうな顔をした。


「そんな水臭い態度なんか取る必要ないよ。二人同士でもっと自然につき合えるようになればいいじゃん」


 そこで優菜が潮音たちに声をかけた。


「もうそろそろ時間が来とるし、あまり遅うならへんうちに家に帰った方がよさそうやな。その前にもう一回イルミネーションを見てもええけど、ずっと寒い中におって体が冷えてしもうたから、屋台でなんかあったかいものでも食べて行かへん?」


 その優菜の言葉に従って、潮音はメリケンパークの出口に向かうことにした。帰りついでにあらためてイルミネーションを見た後で、潮音は屋台で神戸名物のコロッケを買い求めた。ホカホカと湯気を立てるコロッケにかぶりつく潮音の姿には、そばにいた暁子と優菜も温かい飲み物を飲みながら笑顔を浮べていた。


 みんなで駅まで戻って、潮音は漣や花梨と別れる間際に声をかけた。


「また一緒にどこかに行けたらいいのにね。漣も行きたいところがあったら、漣の方から誘ってくれてもいいよ」


 そこで漣は、かすかに笑顔を浮べて花梨と一緒に別れの挨拶をした。


 潮音が暁子や優菜と一緒に電車に乗りこんで帰宅の途につくと、ぼそりと暁子や優菜に話しかけた。


「やはり漣も誘って良かったよ。ちゃんと来てくれるかちょっと心配だったけど…」


 潮音の言葉に、暁子も相づちを打った。


「あんたもちょっと心配しすぎじゃない? そりゃあんたにしてみりゃ、自分も同じ体験してるから心配なのはわかるけど、もっとあの子のことを信用して任せてみた方がいいんじゃないかな」


「でもあの子のことを気にしてちゃんとルミナリエにも誘うあたり、やっぱり潮音は優しいよね。潮音がそういう気持ちで接していたら、あの子かてきっと心を開いてくれるはずやと思うよ」


 優菜も潮音に温かいまなざしを向けた。


「でもルミナリエはきれいだったけど、寒かったよね。家に帰ると何かあったかいものでも食べたいよ」


 暁子が話すと、優菜は少し意地悪っぽい視線を暁子の方に向けた。


「来年はこの中に一人くらい、彼氏と一緒に行こうという子がおればええんやけどな」


 そこで潮音はむっとしながら口を開いた。


「ルミナリエは地震で亡くなった人への鎮魂のために始まった行事で、男連れてチャラチャラしに行くところじゃないだろ」


 しかしそこで暁子が言った。


「でもさっき富川さんって言ったっけ、あの子だって言ってたじゃない。『ルミナリエは大切な人と心をつなぐための場だ』って。だから彼氏と行くのもあながち間違いじゃないんじゃないかな。…そんな彼氏がいればの話だけど」


「ああ…そうだね。暁子はまじめで面倒見がいいから、彼氏だってできてもおかしくないよ」


 そこで暁子はかすかに頬を膨らませながら、車窓に流れる海岸の真っ暗な海を眺めていた。潮音はもしかして自分が男の子のままだったら、自分が暁子の彼氏になっていたかもしれないと思うと、そのまま黙りこくるしかなかったが、優菜もその二人を眺めながらじれったそうにため息をついていた。


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