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裸足の人魚  作者: やわら碧水
第四部
184/296

第六章・ルミナリエ(その2)

 潮音が漣と一緒にルミナリエに行こうと決めた日は、一月も終りに近づいた週末だった。


 ちょうど冷え込みが厳しい季節のさなかということもあって、潮音は服を入念に着込んで出かけることにした。潮音が身支度を整えていると、綾乃が心配そうに声をかけた。


「日が暮れると寒くなるからね。あったかくして行きなさいよ」


 ちょうどそのとき、潮音の家のインターホンが鳴った。暁子と優菜が潮音を迎えに来たのだった。潮音が玄関口で二人を出迎えると、二人ともぬくぬくとした服を着込んで、寒さ対策も万全なようだった。


「わざわざ迎えに来てもらって済まなかったな。今準備してるからちょっと待ってくれ」


「身支度に時間をかけるようになるなんて、あんたもやっぱり女の子として一人前になったじゃない」


 そう話すときの暁子は、どこか皮肉っぽい口調をしていた。潮音はやれやれと息をつきながら、身支度の続きにとりかかった。


 ようやく準備も整い、潮音が暁子や優菜と連れ立って自宅を後にしたときには、冬の陽は早くも西に傾きかけていた。三人で駅から電車に乗り込んでも、潮音がどこか気づまりな表情をしているのを見て、暁子も心配そうに声をかけた。


「潮音…やっぱり若宮さんがちゃんと来てくれるか心配なの?」


 潮音が黙ってうなづくと、暁子は潮音をなだめるように口を開いた。


「潮音はやっぱり、あの若宮さんって子のことをほっとけないみたいね。やっぱり自分も同じ経験をしているからなの」


「うん…。オレの場合は中三のときにああなったわけだけど、若宮さんの場合は小学校のときからだからね。その点じゃむしろ若宮さんの方が先輩だよ。でも若宮さんはオレよりも長い間、ほんとのことを打ち明けることがいる人も周りにいないまま、ずっと一人で悩んでたんじゃないかって気がするんだ…オレにあの子を助けてあげることなんかできないかもしれないけど」


 そこで優菜が口をはさんだ。


「だから潮音が、なんとかしてあの子を助けてあげなあかんなんて、無理に気張る必要なんかないんとちゃうかな。たしかにあの子が悩んどったとしても、あんたにあの子の悩みを解決してあげられるだけの力なんかあらへんかもしれへんよ。でも無理に世話を焼こうとせえへんでも、ただそばにいて、話を聞いてあげるだけでもあの子にとってはだいぶ心強いはずやで」


 潮音は自分自身の経験と照し合せてみても、優菜の言葉が理解できるような気がした。そこでさらに優菜は言葉を継いだ。


「そういうときはまず、潮音がちゃんとあの子の話を聞いてやることが一番大切やね。あの子に自分自身の考えを押しつけようとしたらあかんよ。それに…なんとなくやけど、潮音はちょっとあの子のこと心配しすぎとちゃうかと思うことがあるんや。あの子だったら大丈夫よ。こないだの潮音の誕生日のときかてちゃんと潮音の家に来てくれたんやから」


 その優菜の言葉には、潮音もただうなづくしかなかった。その潮音の表情を見て、暁子は潮音の不安を慰めようとした。


「あんただったら大丈夫だよ。あんただっていろんなことを乗り越えてきたわけだから。だからこそあんたは、あの子に対しても優しくなれるんじゃないかな」


 暁子と優菜の言葉を聞いて、ようやく潮音は安堵したような表情をしながら、車窓を流れる須磨の海岸をじっと眺めていた。冬の西日を浴びて、瀬戸内海も波間がキラキラと輝いていた。



 電車が神戸の街の中心にある三ノ宮駅に着くと、辺りにはすでに暮色が漂いつつあり、西の空が夕焼けで真っ赤に染まって六甲山の稜線も黒く沈んでいた。駅の周辺もルミナリエに向かう人たちでごった返していた。


 潮音たちは駅前の待ち合わせ場所で漣と落ち合った。漣の隣には、布引女学院で漣と仲が良い富川花梨が一緒にいた。潮音の姿を見るなり、花梨はさっそく笑顔で手を振って潮音を出迎えた。


「富川さんも一緒に来てくれたんだ」


 潮音が花梨に話しかけると、花梨はいつも通りの明るく屈託のない様子でそれに応えた。


「漣がもじもじしてるからどうしたのかきいてみると、こうしてルミナリエに誘われているって言ったからね。だから私も漣と一緒に行こうって話になったの」


 潮音は花梨が学校で潮音の相手をしてくれていることに対して、内心で花梨に感謝したい思いがした。しかし潮音は漣がむしろ誘いを断らずに今日ここに来たのは、漣はこれまで自分の意思を示さずに周囲に黙って従ってきたからだろうかと思うと、むしろそちらの方が気になっていた。


 優菜も花梨とは、一緒に水泳部で合同練習を行ったことがあるので互いに面識のある仲だったし、漣も潮音の誕生日のパーティーで暁子や優菜と会ってはいたが、漣は唇を噛みしめたまま照れくさそうにしていた。暁子と花梨も互いに自己紹介をしてすぐに打ち解けたが、潮音は漣がもっとみんなと積極的に関わればいいのにと気をもんでいた。


 やがて人ごみは警察官に誘導されながら、ルミナリエの会場となっている、三ノ宮駅から港の方に向かったところにある東遊園地(遊園地と名がついているが、実際は公園である)や旧外国人居留地に向かい始めた。しかしそのようにしてみんなで会場に向かう間も、優菜と花梨がおしゃべりしているにもかかわらず漣は寡黙なままだった。潮音は漣をなんとかして話の輪の中に誘うことができないものかと思っていたが、そのときの潮音のまごまごした様子を見た暁子がこっそり耳打ちした。


「あの子はかなり緊張してるけど、今あの子と無理に話そうとしたところで、かえってあの子を萎縮させるだけじゃないかな。ここはおとなしく、あの子が自分から話そうとするのを待つしかないよ」


 潮音はその暁子の忠告に、黙ってうなづいた。


 その間にも夕闇はますます濃さを増していき、それとともに寒さも厳しさを増して吐く息も白くなった。ようやく東遊園地に着くと、入口に震災の犠牲者を追悼するための鐘があって募金が行われていたので、潮音たちも募金をして鐘の音と共に黙祷をささげた。


 会場に足を踏み入れると、二十メートルほどの高さはある緻密な幾何学文様をした、色とりどりの光を放つ壮麗な光のオブジェが潮音たちを出迎えた。日もとっぷりと暮れて辺りは真っ暗になり、その闇夜がかえって光を浮き上がらせていた。さらに真冬の夜の澄みわたった冷気が、その光の輝きをより研ぎすまして鮮やかにしているようにも感じられた。その場を訪れた人たちは皆、夕闇にきらめくイルミネーションの色鮮やかさに目を奪われていた。


「ほんまにきれいやな」


 優菜も潮音の隣で思わず感嘆の声をあげていたが、潮音はそこで漣の方に目を向けていた。いつもは無表情な漣も、さすがにイルミネーションの美しさを前にしては何か心を動かされるものがあるようだった。そこで潮音は思い切って、漣に声をかけてみた。


「どう? やっぱりきれいでしょ」


 その潮音の問いかけに対して、漣もようやく口を開いた。


「はい…今日は誘ってくれてありがとうございます」


 そこで潮音は、漣のかしこまった口調によそよそしさを感じたので、あくまでも気さくな態度で漣に接しようとした。


「そんなにかしこまった話し方しなくていいってば。漣とは学年一緒なんだから」


 しかし潮音があらためて漣の方を向き直すと、イルミネーションをじっと眺めている漣の瞳は、それよりもはるか遠いところを見つめているように感じた。潮音は漣もこれまで、自分の知らないところで苦悩や葛藤を抱えてきて、イルミネーションの光の中にそれを重ねて見ているのかもしれないとふと感じていた。


 そこで潮音はこの場にいたみんなに、ここで記念写真を撮らないかと持ちかけて場を和ませようとした。みんなもそれに同意したので、スマホのカメラでみんながオブジェの前に収まった写真を撮った。潮音がイルミネーションの光を頼りに、撮れた写真を目を凝らしながら見てみると、漣がかすかに笑顔を浮べているように見えたので、内心でほっとしていた。暁子や優菜、花梨もその撮れた写真を見て、自然と笑顔になっていた。


 それから潮音たちは、光で彩られた回廊をゆっくりと歩き出した。左右に目を配っても、さらに頭上を見上げても、繊細で華麗な光の文様が闇夜にきらめいている様子を見て、潮音はただ目を奪われるしかなかった。


 潮音はここであらためて、電飾の光に照らされた漣の横顔に目配せをした。


 駅で落ち合ってからずっと緊張気味の表情をしていて口数も少なかった漣も、さすがにきらびやかなイルミネーションの数々を前にしては表情をかすかにほころばせていた。そこで潮音は思い切って漣に声をかけてみた。


「漣って今までルミナリエに来たことはなかったの?」


 潮音の問いかけに対して、漣はためらい気味にぼそりと口を開いた。


「はい…今まで家族や伯母と一緒に来たことはありますが、こうやって友達と一緒に来たのは初めてです」


 潮音はこんなかしこまった口調で話すことなどないのにと、内心でもどかしい気持ちを抱いていたが、むしろそれが漣の個性なのだから無理に変えさせる必要もないのかもしれないとも思っていた。


「漣ってさ…今まで友達と一緒に遊びに行ったことなんかあまりなかったことはわかるよ。でもそうやって自分の中に閉じこもってばかりいたって何にもならない、もっとそこから広い世界を見られるようになってほしいと思って、今日思い切ってこのルミナリエに誘ったんだ。もちろん漣が行きたくないって言うなら、それでもいいって思っていた。あくまで漣が自分自身で行きたいと思うことが大切だからね。でも漣が今日もこうしてみんなのところに来てくれたことを嬉しく思うよ」


 潮音にそこまで言われて、漣も思わず声をあげていた。


「ルミナリエには伯母と一緒に来たこともあるけど、こんなに楽しいのは初めてです」


 漣のこの言葉には、潮音だけでなく暁子や優菜、花梨もみんなが表情を明るくさせた。そこでさっそく優菜が口を開いた。


「ルミナリエは港のすぐそばでもメリケンパークでもやっとるみたいやで。そこは有料になるけど光のオブジェは大きくてきれいみたいやわ。ちょっとそこにも寄って行かへん?」


 その優菜の提案には、もちろんその場にいた全員が賛成した。さっそく潮音たちは、街角にもイルミネーションが飾られている一帯を通って、メリケンパークへと足を運ぶことにした。

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