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魔王の村長さん  作者: 神楽 弓楽
三章 
95/114

93 「とある新兵の日常」



 僕の名は、ヘイム。

 ライストール辺境伯の軍で兵士をやっている。3年前のライストール家の跡目争いで起きた内乱が治まってからの入隊なので、人間相手の実戦経験もまだな新兵(ぺーぺー)だ。



 その日、僕は相方のザッツリーと当番であった朝の雑務で兵舎の廊下を掃除していた。

 石造りの廊下は毎日掃除しているにも関わらず、みんなが泥だらけの土足で歩き回るせいで半日も経たずに泥だらけになってしまう。それを朝と夕の二回に分けて掃除をするのが雑務の当番である兵士の役目だ。


 乾いて床にこびり付いた土に水をかけて濡らし、ブラシで擦って洗い流す。石と石の隙間に詰まった土や砂利はなかなか取れない。長い廊下をたった2人でやらなければならないのでなかなかの重労働だ。



 こんな掃除、水魔法の【洗浄水(クリンアクア)】であっという間だろうに。


 以前にそれをエリック兵長に言ったら苦笑され、偶然聞かれたニダロ兵長には「魔力の無駄遣いだ馬鹿者! 」と怒鳴られてしまった。



 僕が使えたらなぁ。

 誰かに教えてもらおうにも残念ながら【洗浄水(クリンアクア)】を使える知り合いはいなかった。


 低級の攻撃魔法を覚えるよりもよっぽど有用だと思うんだけどなぁ。


 次に孤児院に帰れることがあったらシスターから絶対教えてもらおう。

 

 と、考えていると、ザッツリーが掃除の手を止めて誰かと話していた。



 まったく、ニダロ兵長に見られたらまたどやされるよ。


 幸い、近くに他の人はいないようだった。


 こちらからでは相手が抱えている木箱のせいで顔が見えないけど、あの太った体型からしてザッツリーの話している相手は、同期のメディスンかな?




「ザッツリー、掃除をサボって誰と話してるの? 」


「メディスンだよ」


「やぁ、ヘイム。お疲れ様」


「おはようメディスン。2人で何の話をしていたの? 」


「昼食の話さ。今日は僕が厨房の当番だからね」


「ヘイム、今日の昼のおかずはミッドピギーの衣揚げらしいぞ。楽しみだな」


「ヘイムも見てみる? どれも丸々と肥えててきっとおいしいよ」


 どうやらメディスンが抱えていた木箱の中にはミッドピギーが入っているようだ。メディスンは僕に木箱の蓋を少しずらして中身を見せてきた。その中には、丸々と太った大きな緑色の芋虫がいっぱいに入っていた。


 ザッツリーは、それを覗いて「食いでがあってうまそー! 」と無邪気に喜んでいたけど、僕はその気持ち悪さに一歩後ろに後ずさった。


「あれ? もしかして、ヘイムはミッドピギーダメだった? 」


「……うん、ちょっと苦手かなぁ」


 メディスンの言葉に僕は頷く。

 人の手で簡単に育つミッドピギーは、肉や魚よりも安価で体にもいいとかで、孤児院でもよく出ていた。でも、僕はあれが昔から苦手だった。


「何でだ? クリーミーでプリプリしてておいしいじゃないか」


「ミッドピギーの青臭さとどろっとした食感がちょっとね」


「ああ、そうなのか」


「うん。食べられないわけじゃないんだけどね」


 孤児院では苦手だからと言って出された食事を残すなんてことはダメだった。兵士になってからも食べてなければ体力が持たないので、苦手だろうがなんだろうと好き嫌いはしていられかった。という事情もあるけど。


「ミッドピギーが苦手な人は、よく聞くよね。あ、そうだ。さっき厨房で先輩たちが話してたことなんだけど、雷光騎士団が今日にも遠征から帰ってくるそうだよ」



「なにっ!? それホントかっ! あの【夜鷹の爪】を捕まえたのか!? 」



 メディスンの話にザッツリーが食いついた。

 今にもメディスンの胸倉に掴みかからんとするくらい詰め寄っていた。僕もザッツリーほどではないけど、その話に驚いていた。


 【夜鷹の爪】は、元々お隣のパーキンス領で暴れていた盗賊団だったけど、その悪名は僕たちの耳にも届いていた。その残党がこちらに逃げ延びてきたから討伐隊が編成されるという噂が流れた時は、選ばれるのではないかとその日の夜は寝付けなかった。翌朝になって雷光騎士団の騎士のみという異例の編成で討伐隊が組まれることを知って、ほっとしたのを覚えている。


「う、うん。先輩たちがそう話してた」


 上級悪魔や巨人、劣竜(ワイバーン)といった数々の怪物を打ち倒してきたあの【黒の聖騎士(ブラックパラディン)】のルデリック様が率いる精鋭の騎士が相手ともなれば、逃げ延びてきた【夜鷹の爪】の残党程度では相手にならなかったのだろう。


 国に悪名を轟かせた盗賊団の賊を雷光騎士団が捕らえたと聞いた僕の胸が自然と高鳴るのを感じた。きっと僕以上に騎士に憧れているザッツリーは、興奮を抑えきれなかったのだと思う。


「どうやって【夜鷹の爪】に勝ったとか聞いてる? 」


「いやぁ、僕も先輩たちの話を盗み聞きしたくらいだから詳しいことはほとんどわかんない。あ、でも騎士団を出迎えに領都の門の前に行くとか話してたよ」


「そんな話、聞いてないぞ! 」


「ぼ、僕に言われても知らないよぉ」


「ザッツリー落ち着いて」


 ザッツリーがメディスンの肩を掴んでガクガクと揺するのを僕は止める。少し興奮しすぎだよ。


「そ、それじゃあ、僕そろそろ行くね」


 ザッツリーから解放されたメディスンは、これ以上ここにいては危険だと判断して僕がザッツリーを抑えている間に木箱を抱えて去って行った。




「ザッツリー、そろそろ掃除を再開しよう。ニダロ兵長にでも見つかったら怒られちゃうよ」


 僕はそう言ってブラシを渡そうとしたら、ザッツリーはそれを拒否した。


「俺はちょっと火急の用が出来た。ヘイム、ここは任せた! 」


「もーっ、またそんなこと言って! 君がサボってるのバレたら僕まで罰を受けるんだからダメだよ! 」


「うまく誤魔化してくれよー! 」


 僕の抗議も虚しく、ザッツリーは踵を返して逃げ出した。捕まえようとしたけど、ザッツリーはあっという間に廊下の端まで辿り着いていて、追いつけそうになかった。相変わらずの逃げ足の速さだ。


 そして、ザッツリーは廊下の角を曲がって姿を消してしまった。


 あーもう……当番サボったのバレたら、また僕まで外周走らされちゃうよ。

 バレた時のことを思うと、今から憂鬱だった。

 

「ぎゃっ! 」


 と、思っていたらザッツリーの声らしき悲鳴が聞こえた。


 あれ? と思って僕が首を傾げていると、廊下の角から銀の毛並みの狼の獣人がザッツリーの首根っこを掴んで出てきた。


「二、ニダロ兵長! 」


 ニダロ兵長の登場に飛び上がらんばかりに驚いた。

 そして、慌ててニダロ兵長に対して僕は敬礼した。

 ニダロ兵長がザッツリーを捕まえていることを見て僕はすべてを悟った。顔から血の気が引いていくのを感じた。


 どうして、よりにもよってニダロ兵長に捕まっちゃうんだよ、ザッツリー……!


「ヘイム。頭を出せ」


 ニダロ兵長はザッツリーをポイっと放り捨てると僕に対してそう言った。


「は、はい……」


 意を決して僕が頭を差し出すと、ガツンっと脳天に衝撃が走り、グワングワンと視界が揺れた。


「馬鹿者! 相方が誤ったことをしようとしたら体を張ってでも止めぬか! その様ではいざという時に相方をみすみす死地へと行かせることになるぞ! そして、ザッツリー! 当直の仕事を放り出して私情を優先するとは何事だっ! 自分に与えられた仕事を全うせずに勝手な行動を取るな! そのようなことを実践ですれば、自分のみならず相方の命まで危険にさらすことになるということを自覚せよ愚か者! 」


 ニダロ兵長の怒号が廊下に響き渡った。それから僕とザッツリーはニダロ兵長にこってり絞られる羽目になった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 ニダロ兵長にこってりと絞られ、それから廊下がピカピカになるまで磨かされた僕は、ガランとした食堂で遅めの昼食を食べることになった。


 普段であればまだ賑わっている時間帯なのだけど、帰還してくる騎士団の出迎えで大半の兵士は出払っていた。


 いつもなら僕やザッツリーもその一団に入っていないといけない。それなのに呑気にご飯を食べていられるのは今回のお出迎えは形式的なものではないからだ。僕やザッツリーに出迎えの話が伝わらなかったのも僕たちが新兵であることが関係していた。

 ニダロ兵長によると、上の人は捕らえた【夜鷹の爪】の賊をよっぽど危険視しているみたいで、不測の事態に備えた万全の体勢ということで僕のような対人経験の少ない新兵はお呼びではないのだ。「盾にすらならんお荷物はいらん」とは、ニダロ兵長の有難い言葉だ。



 そして、お腹を空かせた僕に出されたのは、黒パンに豆のスープ、カットされたモレカという代わり映えのしないいつものメニューに、ミッドピギーの衣揚げが山のようにどっさりと盛られていた。


 孤児院の質素な食事の頃と比べれば、体が資本の兵士に出される食事の量は多い。

 味は屋台で出されている料理の方がおいしいけど、黒パンや豆のスープがおかわりが自由なのは、まだ育ち盛りの僕としては嬉しい。日替わりのおかずも多いので、これがミッドピギーでなければ喜ばしいことだった。


 しかし、苦手だからといって食べなければ体力が持たない。


 ミッドピギーの衣揚げは、ストライトの衣揚げ(エビフライ)のようだという者もいるけど、断じてあんな上品な代物ではない。しかし、ミッドピギーが苦手である僕も衣揚げは、まだ食べられる方だ。サクッと音を立てさせながら噛み、口の中にミッドピギーの青臭い味が広がる前に塩辛い豆のスープで胃の中へと押し流してしまう。食べ飽きた黒パンも今回ばかりは口直しに貢献してくれる。


 そうやって、僕が昼飯と格闘していると食事を終えてどこかに行っていたザッツリーが息を切らしてやってきた。


「おいヘイム! 雷光騎士団が戻ってきたって! 何でか知らないけど雷龍騎士団も一緒だ! 」


「んふっ!? ふぉんとっ! んぐ、まって僕も行くっ」


 僕は慌てて残った昼飯の処理に走った。

 こうなってはミッドピギーと格闘している場合ではない。残りの衣揚げを頬張って咀嚼し、豆のスープで押し流す。口の中に残った嫌な後味は、モレカを食べて強烈な酸味で消してしまう。半分ほど残った黒パンを口に咥えて僕は席を立った。


 ここが孤児院だったらシスターから行儀が悪いと叱られてしまうけど、ここならちょっとは大目に見てくれるよね。ニダロ兵長には見つかれませんようにっ!






 堅い黒パンを呑み込むのに苦労しながらザッツリーを追って僕は裏門へと走った。

 ザッツリーの情報では、少し前に雷光騎士団と雷龍騎士団が領都の門を潜ったそうだ。


 恐らくルデリック騎士団長やルミネア騎士団長といった主だった隊長格は、正門を通って城の中へと入ると思う。けど、城の正門は僕たちのような新兵が気軽に行ける場所でもなければ、用のない兵が立ち入れる場所ではない。なので、積荷を下ろしに来た騎士様を目当てに僕たちは裏門を目指した。


 


 そして、最初の騎士様が裏門をくぐる時に僕たちは間に合った。



 続々と入ってくる騎士様は、日差しを受けて反射する立派な金属鎧を着て、堂々たる姿で戦馬(バトルホース)に乗っていた。着ている鎧の意匠からして雷光騎士団所属の騎士様だ。


 整然と進む騎士様たちのその姿に僕は胸が熱くなるような興奮を覚えた。




 その時、ふと騎士と一緒に裏門から入ってきた馬車の中で一両だけ総金属の馬車が目に付いた。騎士様たちがその馬車の四方についていた。その馬車が開けた広場に止まると、騎士様たちは下馬して馬車を取り囲み始めた。


 何だか物々しい。よっぽど大事なものを守っているのか、それとも……



 そう考えているうちに件の馬車の頑丈そうな扉が開かれた。


 その時、僕の全身にゾクリと悍ましい悪寒が駆け巡った。

 まるで心臓を握られたような自分の命を誰かに握られているかのような恐怖と息苦しさを僕は感じた。

 


 この気配を僕は知っている。


 悪意だ。そして、殺意だ。

 しかし、今まで感じてきたどの悪意よりも冷たく、どの殺意よりも絶望的で重苦しいものだった。スラム街のゴロツキが向けてくる悪意や殺意が子供のおままごとのように思えてしまうくらいの濃密な気配だった。



 その気配がどこから向けられているのか、僕には理解できた。


 あの馬車の中からだった。


 騎士様たちが警戒するのもこの気配を感じれば当然だと思えた。騎士様によって馬車から出されたのは、周囲に見境なく悪意と殺意を振りまく男達だった。


「何見てんだクソ騎士ども! ぶっ殺すぞ!! 」


「俺と戦ってもいねぇやつが調子に乗るんじゃねぇ! 」


「ヒヒッ、あの白い首掻き切ったら綺麗な血が吹きだしそぉ」


「おーおー、騎士様がラピ()のように雁首揃えてプルプル震えてやがる。こいつぁ傑作だ」


 手足を鎖で繋がれてムカデのように列になって出てきた男たちは、騎士様たちに囲まれても萎縮した様子はなかった。それどころか、嘲笑している者までいた。


「あれが、夜鷹の爪……」


 全員が、息をするかのように悪意や殺意を周囲に振りまいていた。とても同じヒューマンだとは思えなかった。




 【夜鷹の爪】の奴らが騎士様に引っ立てられて、その姿が見えなった頃になってようやっと悍ましい気配は消えて、僕はその呪縛から解放された。


「ハァ……ハァ……」


 いつの間にか止まっていた息を吐き出して、僕は新鮮な空気を求めて何度も吸っては吐いてを繰り返した。


 【夜鷹の爪】は、噂に聞く以上に恐ろしい存在だった。

 今でも僕の胸は息苦しく、嫌な汗が全身から流れ出ていた。


「おい、大丈夫か? 」


 僕はよっぽど酷い顔をしていたみたいで、ザッツリーが傍で背中を擦ってくれた。


「あ、ありがとう」


「いいってことよ。しかし、あれが【夜鷹の爪】かぁ。やっぱりその辺の盗賊とは毛色が違うな。狂人集団って噂は本当だな」


 あれは狂人という一言で済ませられるほど、生易しいものだと僕には到底思えなかった。


「でも、思っていたよりも怖くなかったな。あれだったら怒ったときのニダロ兵長の方がもっと怖い」


「アハハハ……」


 あの悍ましい気配を浴びた直後にそんな軽口を言えるだなんてザッツリーは、すごいなぁ。




「ヘイム! ザッツリー! 」


 

 そのタイミングで雷鳴のような怒声がした。

 その怒声に僕とザッツリーは、飛び上がらんばかりに驚いた。声のした方に目を向けたらニダロ兵長が僕たちの方へ足早に歩いてきていた。


 ま、まさか、さっきのザッツリーの軽口が聞こえて……


 僕は、一旦は治まった冷や汗が再び吹き出してきたのを感じながら、ニダロ兵長に敬礼した。

 ザッツリーは僕よりも敬礼の姿勢を取るのが早かった。そして、その顔は強張っていた。


 

「ちょうどいいところにいた。お前たち、午後は確か何もなかったな」


「は、はい! 」


 ニダロ兵長の言う通り、僕とザッツリーは午後には何もなかった。正確には、いつも通り訓練があったのだけど、騎士団の帰還に関わるごたごたで、指導する側の人達が忙しくなったので自習になったのだ。



「なら、いい。今朝の罰として、お前たちにはあの移送馬車の清掃をしてもらう」


 そう言ってニダロ兵長が指差した方向には、先程【夜鷹の爪】の奴らが出てきた総金属製の馬車だった。


 僕とザッツリーは、さっきとは別の意味で顔を青ざめさせた。


「ふ、2人だけでですか? 」


「そうだ」


「罪人の移送に使った馬車は、【清浄水(クリンアクア)】などの魔法で洗浄すると聞いたことがあるのですが」


「そうだ。しかし、それは最後だ。先に人が掃除をするのは変わらん。他に質問はないな。なら、すぐに取り掛かれ! 」


「「は、はい! 」」



 ニダロ兵長の声に弾かれたかのように僕たちは駆け出した。



「クソ馬車の掃除とか最悪だ」


 ザッツリーのぼやきに僕も同意だった。罪人を四六時中閉じ込めていた馬車の中は汚物まみれで、そこの掃除は罰当番にされるくらいの苦行なのは、兵士の中でも有名な話だった。


 憂鬱な気分で僕たちは、掃除用具を取りに行き、長靴や手袋など移送馬車の掃除専用のものを装着した。


「うぅ、この手袋、悪臭が染みついてる」


 それだけでなく、前掛けや頭巾からも悪臭がしていた。

 洗っているはずなのに染みついた悪臭は取れなかったみたいだ。今日着た服は捨てなきゃダメかもな……。


 そんな風に僕は思いながら、金属製の馬車の中へと入った。


 中は窓がないため、薄暗かった。


 意を決して中に踏み入れると、床はぬるっとした液体で濡れていた。床だけでなく、壁にもその液体はついていた。そして、かすかに鉄臭い血の臭いがした。 


「あれ? そんなに汚くない? 」


 悪臭対策にしていた口周りを覆っていた布を少しずらして周囲の臭いを嗅ぐが、悪臭らしい悪臭はしなかった。

 

「もしかしたら騎士様が魔法で先に洗浄してくれたのかもな」


 ザッツリーの言葉に僕は、なるほどと思った。流石、騎士様だ。汚物の処理をせずにただ掃除をするだけで済みそうなことに僕は、騎士様に対する尊敬がより一層高くなった気さえした。


「それじゃあ、このぬるぬるする奴をちゃっちゃと洗い流して終わらせるか」


「うん、そうだね! 」


 ザッツリーの言葉に僕は頷き、持ってきたカンテラに明かりをつけて作業がしやすいように馬車の中を照らした。



「ん? なんだあれ? 何か動いて――」


 カンテラに火を灯すために背を向けていた僕の背後でザッツリーが、そんな声をあげた。


 どうしたんだろうと思い、振り返った僕の目にザッツリーが黒い不定形の何かに呑み込まれようとしている姿が映った。


「ザッツリー!? 」


 僕は咄嗟にザッツリーを助けようと、そばのデッキブラシを掴んでその何かに殴り掛かった。しかし、デッキブラシは水面を叩くような手応えだった。それどころか、化け物は僕までも呑み込もうと引きずり込んできた。


「誰か、誰かー! んんー!! 」


 助けを呼ぼうとする僕の口を化け物は、布越しに覆い塞いだ。そして、抵抗虚しく僕は化け物に呑み込まれた。この化け物は、きっとスライムの亜種なのだろう。ということは、僕はこれから消化液で溶かされてしまうのだろう……。


 全身を舐めますような感覚が、その予感を強くさせた。


 この化け物は、【夜鷹の爪】の誰かが仕掛けた悪辣な罠だったんだ。



 口を塞がれた僕の意識は段々と薄れていった。薄れていく僕の脳裏に、孤児院での思い出が次々と浮かんできた。


 ああ、これが走馬灯……






「ん? あ、おい! そいつらは敵じゃない! 味方だ! すぐに解放するんだ! 」



 幼い頃の自分がシスターのスカートを捲ったところで、僕の意識は床に放り投げられた衝撃で覚醒した。


「げほっ!? がはっ、がはがはっ」


 僕は、解放されてすぐに口元の布をずらして新鮮な空気を吸った。ザッツリーも助かったようで、横でせき込んでいた。



「君たち、大丈夫か? 」


 呼吸が落ち着いてきたところで、手が差し出された。僕は思わず、その出された手を掴んだ。金属の籠手を嵌めているのに気づいて、騎士様に助けてもらったんだと働かない頭で理解した。

 


「ケホッ、は、はい。ありがとうございます騎士様……」


 礼を言おうと騎士様の顔を見上げた僕は、見覚えのある顔に心臓が跳ね上がった。


「うぇ!? ク、ク、クロイス副団長様ぁ!? 」

 

 僕たちを助けてくれたのは雷光騎士団のクロイス副団長様だった。ザッツリーも声に出さずとも驚きで息を呑んでいるのが僕にはわかった。


「すまない。君たちを侵入者だと勘違いしたみたいだ。どこかおかしなところはあるかね? 」


「い、いいえ。まったく! 問題ありません! 」


「そうですそうです! 平気です」


 クロイス副団長様の問いかけに僕たちはぶんぶんと首を横に振って答えた。


「そうか。しかし、一応軍医に見てもらってくれ。事情は私から後で話しておく。それと、ここの掃除は大丈夫だ」


 クロイス副団長様にそう言われて、僕とザッツリーはあのスライムの体液でべとべとになった掃除用具を持って馬車から出た。最後にチラッと中を見た時、僕たちを襲ったスライムみたいな黒いのは、馬車の隅っこで大人しくしていた。


「やべぇ! 俺、副団長と話しちゃった……! 」


「うん、すごかったね」


 憧れの騎士様、それもクロイス副団長と話せて、僕の胸は今もどきどきしていた。



 あのスライムに呑み込まれたせいでその体液で全身べとべとになっていた僕らは、水場に赴き、その場で体を丸洗いした。あのスライムの体液は普通のスライムと違って生臭さはなく、無臭だったのは幸いだった。念入りに洗ったおかげか、前掛けや手袋に染みついていた悪臭が消えたような気がする。



「でも、さっきのスライムみたいなのは何だったんだろうね」


「さぁ? 俺たち、侵入者と間違われたっとか言ってたから、大方、魔物使い(テイマー)の騎士様が用意したスライムなんじゃないか? ほら、【夜鷹の爪】の奴らが万が一、馬車の中で暴れた時用の従魔だよ。絶対! 」


 なるほど。

 あっという間に僕たちを無力化した手際を思い出すと、そうなのかもしれない。それに、呑み込まれたっていうのに消化液で溶かされたような箇所は見当たらないから、ちゃんと調教されていたのだと思う。


「あ、そう言えば、今回の賊討伐で辺境の村にいた流れの魔物使い(テイマー)が協力したって話があったな」


「え、そうなの? 」


「おう、あくまで噂だけどな。でも、門の前で出迎えた先輩の話だと、騎士団のものじゃない馬車が一緒に同行してたって言ってたから、同行者がいるのは確かだな」


「へー、どんな人だろうね。会えたりできるかな? 」


「さぁな。しかし、下っ端の俺たちが会えるなんてことはないと思うぞ」


「まぁ、そうだよね」


 騎士団に護衛されながら来たのなら、きっとその人たちは歓待されるんだろうし、僕らが顔を合わせるような機会はないのかもしれない。



「さてと、想定外の目にあったが、結果的に早く終わったな。ニダロ兵長に事情を報告したら一緒に街にでも出るか? スライムに呑み込まれたなんて嫌な記憶、パーっと飲んで忘れようぜ」


「うーん、昼間からお酒かぁ」


「仕方ないだろ。最近は人攫いや通り魔が横行してて、夜に出歩くのは禁止されてるんだから。かといって、お酒を持ち帰ったのがニダロ兵長なんかにバレたらそれこそまずいだろ」


 3年前の内乱の影響は薄れつつあるけど、領都の治安は未だに不安定だ。特にここ半年は人攫いが増加するなど治安が悪化している。2週間前に非番の兵士が襲われる事件が起きてからは新兵は夜間の外出を禁止されていた。


「わかった。僕も付き合うよ。でも、あんまり飲み過ぎないでよ」


「わーってる。わーってるって! 安くてうまい酒が飲める店に連れてってやるよ。迷惑かけたし、今日は俺のおごりだ! 」


「わっ、ホント! ありがとうザッツリー! 」


『ミッドピギー』

薄緑色の体色の芋虫。

庶民の一般的な蛋白源。簡単に養殖が可能なため、肉や魚よりも安価で販売されていて、栄養豊富な主婦の味方。しかし、貴族受け(特に女性受け)は悪い。


・『ストライト』

領都から離れた場所の湖でよく取れる海老。身は白いが、殻が緑がかっているのが特徴。



・『ラピ』

草原でよく見られる野兎に近い見た目のモンスター。耳は短めでもこもことした毛皮で、集団で行動している。警戒心が強く、近づくとするとあっという間に逃げ出す。また、逃げ道を塞ぐと一塊になって精一杯威嚇してくる。

春から夏にかけては茶色い毛並みだが、冬になると真っ白い毛並みになる。




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