77 「領主のため息」
カケル達がドラティオ山脈の山越えを行っている頃、その山の向こう側にある領都ミシュラムに居を構えるライストール辺境伯現当主であるトールは、部下から受け取った報告書に目を通して眩暈を覚えていた。
「何だこれは……法螺か? 」
「いいえ、トール様。それは遠征に出ている雷光騎士団から今朝届けられたものです。わざわざ従魔の魔鳥を用いてます。緊急案件である黄色の封蝋がされていることからしてもそれはないかと」
「ああ、そうだな……そうだよな。すまない。俄かには信じ難い報告に少々現実逃避をしてしまった」
トールは、バサリと報告書を豪奢な執務机の上に投げ出した。背もたれに寄りかかって天を仰ぐ。右手で顔を隠して、動揺する気持ちを落ち着かせるように長い長い息を吐き出す。
ラクイーネはそんなトールを無表情に一瞥した後、投げ出された報告書へと目を向ける。
「ラクイーネ、君はこの報告書はまだ読んでないのか? 」
「はい。黄色の封蝋がされたものは、まずトール様に見せるのが決まりですから」
「そういえばそうだったか。君も目を通して構わない。意見も聞きたい」
「畏まりました。失礼します」
ラクイーネは一言断ってからその報告書を手に取った。
ぺらり……ぺらり……
しばらくラクイーネが報告書を捲る音だけが執務室に響く。ラクイーネは、眉一つ動かすことなく淡々と報告書を読み進めた。
「……なるほど。確かに俄かには信じられない内容で御座いますね」
報告書を読み終えたラクイーネは執務机の上に報告書を置いた。そして、読む以前と何ら変わらない顔色でトールへと端的な感想を述べた。
報告書には、今回の遠征のあらましが書かれていた。
「あの地域の村は、夜鷹の爪の襲撃を受けて壊滅的な被害を出したようですね」
「……ああ、残念だ。やはり狂人の考えというのは常人の理解を超えている。魔境で暮らすだけあって村の者は魔獣の襲撃をものともしない冒険者顔負けの者たちと聞いていたが、あの悪鬼たちの襲撃には抗えなかったか……。あそこには過去にライストール家に仕えていた武官もいたと聞いていたのだがな」
トールは、苦々しげな表情で話す。
「パーキンス伯爵の虎の子の鷲獅子騎士団と互角にやり合う相手です。それも致し方ありません」
ラクイーネにそう返されて、トールは「そうだな……」と頷く。トールも夜鷹の爪の脅威は理解しているつもりだった。でなければ、討伐に向かわせた雷光騎士団を頭を失った残党であるにも関わらず生え抜きの騎士のみで固めて送り出すような真似はしなかった。
だからこそ、その夜鷹の爪の残党が雷光騎士団とやり合う前に壊滅していた、というのはすぐには飲み込めなかった。
「ラクイーネ、君はカケルという名の魔物使いを聞いたことはあるか? 」
「いいえ。この報告書に偽りがないのであれば、仮にその名が偽名であったとしてもこれほどの実力を持つ者を私は聞いたことがありません。周辺諸国でも話題になっていてもおかしくありません」
何せ、テイムマスターの称号を持つ者の中でも歴代最高と名高い宮廷魔物使いのエリアル様に匹敵する実力者と報告書には書かれてるのですから。
と、ラクイーネは淡々と述べた。ラクイーネの言葉にトールは、頭が痛いと言わんばかりに眉間を指で押さえた。
「突発的な転移か。またどこぞの神の気紛れか……? 」
大陸規模の超長距離転移など、人の為せる域を超えた神の御業の域である。
「ラクイーネ、ここ最近でそれらしい神託を受けた神殿に心当たりはあるか? 」
「いいえ。ここ最近でそれらしい神託を受けた神殿はどこもありません」
「そうか……」
ダンジョンに湧くモンスターのように突然現れたテイムマスター級の魔物使いであるカケルに対する処分を考えようにも情報が不足していて現状では判断することができなかった。カケルの持つ力の大きさとカケルが立てた功績を考えてトールは重苦しいため息を吐いた。
その時、一瞬光が瞬いた。
その閃光にトールが瞬きをした一瞬で、トールとラクイーネの2人しかいなかった執務室に新たな来客が訪れていた。
「トール、ため息なんてついてどうした。これが原因か? 」
執務室に訪れたのは、トールと同じ年頃の少女であった。
プラチナブロンドの髪の中から鹿のような節くれだった角を生やした少女は執務机の上に置かれた報告書に手に取って面白そうに笑っていた。プラチナブロンドの髪の中でパチパチと青白い静電気が音を立てていた。
「何の用だいルミネア? 」
トールは、半開きになった窓を一瞥して再び執務机に腰かける少女に向き直る。
執務室に無遠慮に入ってきた少女にトールは咎めるようなことはせずに、苦笑して尋ねた。ラクイーネもルミネアと呼ばれた少女に対して静かに頭を下げていた。
「別に。ルデリックがいないから暇でね。暇していたから様子を見に来ただけよ。ほぅほぅ……これはあの夜鷹の爪の討伐に出た雷光騎士団からの報告書か。妾もついていけば良かったな」
「あの狂人集団と一度手合わせしてみたかった」とルミネアはぼやきながらパラパラと報告書を流し読みする。それをトールは苦笑するだけで咎めない。
「ほぅ……」
捲っていたルミネアの手が、カケルに関する項目で止まった。
「ほぅほぅほぅ……」
それから流し読みを止めて、ルミネアは別途記載されていたカケルとその配下の天狐たちに関しての記載を読んでいく。ルミネアは青い瞳を輝かせて、口角を面白そうに吊り上げた。
「トール、この者たちがこれからここに来るのか」
「ああ。今、雷光騎士団と一緒に来ているそうだ。捕らえた夜鷹の爪の盗賊達も一緒だそうだ」
トールは、捕らえた盗賊の中に【狂い鬼】のゴドフリーがいることも伝えたが、ルミネアの関心はすでにカケル達にしか向いていなかった。
「そうか。それは、会うのが楽しみだな」
ルミネアは、鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌さで笑みを浮かべていた。
それに一抹の不安を覚えたトールが口を開いたタイミングで、執務室の扉がノックされた。
「入れ」
「はっ、失礼します。パラミア神殿から火急の要件があると神官が訪れています。何でもパラミア神殿に賊が入ったそうです」
――ゴン!
部下からの報告を受けたトールは、思わず机に突っ伏した。
トールの様子にルミネアは、ケラケラと笑った。一頻り笑ってから机から飛び降りる。腰に差したエストックの柄頭を手で押さえながらルミネアは、トールに対して見得を切った。
「よかろう。賊が出たというのなら妾が話を聞こう。トールよ。この問題、雷龍騎士団が受け持ってよいな」
「……そうだね。ルミネア騎士団長、頼むよ」
「承知した」
そう言って踵を返したルミネアは、報告に来た部下を連れて執務室を出ていった。
「どうしてこうも立て続けに問題が起きるんだ。これも神の気紛れだというのか……」
重なる問題にトールは、重く深いため息をつくのだった。
忘れているだろうから
・トール
ライストール辺境伯の若き当主。立て続けに起きる領内の問題に気苦労が絶えない。
・ラクイーネ
トールの腹心の部下。鉄仮面の如く無表情な美人秘書。
・ルミネア
初登場。雷龍騎士団の団長。プラチナブランドの長髪に青い瞳の美少女。枝分かれした角を側頭部から生やしている。魔獣の毛皮を胸と腰にパレオのように巻いた露出度の高い格好をしている。下乳丸見え。
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