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途上のシャムロック  作者: 納戸
白と黒の街
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   2

 霞んだ視界に天井が見えた。


 酩酊したような覚醒。酒精の残った起き抜けとも異なる、今まで味わったことのない奇妙な感覚だった。頭の中がざらついて、記憶と思考が一致しない。


「起きたわね」


 頭上から声が降ってくる。知らない声だった。一度目をきつく閉じて、ゆっくりと開けて揺らいだ焦点を安定させると、視界に入ってきたその顔に見覚えがあった。

 なぜか考えるうちに徐々に思考がまとまってくる。つい先ほど知った情報だった。


「ヨクリ」


 次に寄ってきたのは金髪の青年だった。


「……マルス」


 それは青年へ向けるというよりも、自身に確認するような声だった。

 ようやく頭が回ってきて、状況が飲み込めてくる。背中の痛みから、それが寝台ではないことがわかった。

あたりを見渡すと、そこは見知ったファイン邸のマルスの作業部屋だった。ヨクリの寝ている台の他に、隣に小さな台があり、それは細い管で接続されていた。上には意識を失う直前に手にしていた欠けた引具と、その破片。


 ぐっと全身に力を込めて体を起こす。


「貴方、気分は?」

「気持ちが悪いのかすら、よくわかりません」


 覗き込んできた顔に答える。夕暮れを過ぎた空のような紫紺色の長い髪はあまり気を使っていないようで、すこしぱさついた感触がヨクリの頬を掠めた。ヨクリよりもわずかに低い身長。その細身から、普段あまり運動をしていないことがわかる。身を包む白衣は図術学者として認められた証であり、理知的な雰囲気と相まってよく似合っていた。


「記憶は? なにが起こったのか思い出せる?」


 知り合いではない、しかし一方的に知っている女性に重ねて問診されたヨクリは素直に答えた。


「……そうだ、引具を壊されて、それで」

「……大丈夫そうね。じきに良くなるわ」


 しばしじっとヨクリの瞳を覗き込んでいた。かすかな揺らぎがなくなって安定すると、興味を失ったようにヨクリから目線を切って、近くの器具を片付け始める。 

 ゆるく頭を振るって切り替えたあと、誰に問いかけるでもなく呟いた。


「俺はどうして無事だったんだ」

「あたしあたし」


 その独白に返答したのは、高い声音の持ち主だった。聞き覚えのある声のほうを向くと、ゆるい笑みを浮かべて立っていたのは金髪の暗殺者だった。

 ヨクリは新たに生まれた疑問を咄嗟にぶつける。


「なんでお前がここにいるんだ」

「あたしもクラウス様に呼ばれたんだ」


 肩をすくめてミリアは答えたあと、一つ前の質問に戻る。


「ここに向かう途中で人が慌てててちょうど揉めてるような感じがしてたから、覗きに行ったらヨクリが戦ってたからさ」


 道中見た景色をそのまま言葉に出すような口調だった。


「ぱっと見で普通の状態じゃないってわかったし、施療院まではどう考えても間に合わなかったから、一か八かマルスんちに運んだってわけ。……ヨクリって悪運強いよね」


 ちょうどファイン邸にヨクリの身に起きた現象を解明し、原因を取り除ける人間がいたことが幸いした。紫紺髪の女がいなければヨクリの命が危ぶまれたのは想像に難くない。

 疑問に答えたミリアに、短く言う。


「まあ、助かった」

「……」


 ヨクリの言葉に、ミリアは幾度か目を瞬かせた。そこで途切れそうになった会話を継いだのは金髪の青年である。


「それで、どうして君は襲われたんだ」

「わからない。俺も人違いかと思ったんだけれど、どうやらそうじゃないらしい」


 “凶狼”や、あるいは別のシャニール人の罪人と間違われたわけではなく、明らかにヨクリを狙った刺客だった。戦闘中にも頭を過ぎったが、改めて考え込んでも、今の所はっきりとした心当たりはない。


「クラウス様にも相談してみるか……」

「それよりも、体は大丈夫なのか」


 マルスの声にヨクリはすぐに頷いた。


「うん。もうなんともなさそうだ」


 話をしているうちに奇妙な感覚も抜け、普段通りの体調にほぼ戻っている。


「それはそうよ。繋ぎ直しただけなんだから」


 女は手を止め、ヨクリらの方を向いた。


「図術起動時は、簡単に説明すると体に流れるエーテルを引具に拡張させている状態なのよ。それを無理やり断ち切られたから、正常な流れを乱されて意識がなくなるの」


 言葉を切って、


「だから、また正しい流れに導けばいい。私がしたのはそれよ」

「しかし、引具を破壊する引具がもう存在しているとは……」

「そんなぽんぽん使えるような代物ではないんだけど。少なくとも二流の殺し屋が手にできるものじゃないわ」


 話を聞いていたヨクリにも、ヨクリの命を救ったのがこの目の前の女性だということがわかった。


「助けていただいてありがとうございました。エルウィア様」

「……私、名乗ったかしら」

「雑誌で名をお見かけしました」

「なるほど。別にいいわよ、大したことはしていないし、珍しい症状だったから興味深かったわ」


 その言葉は本音のように感じられた。ヨクリは改めて名乗る。


「ヨクリと言います」

「ええ。私はエルウィア・トリキュリ。よろしく」


 差し出された右手をとって握手を交わした。世俗から離れて自己の研究に没頭する人間が多いせいか、マルスやエルウィアのような根っからの研究者気質の人間はあまり色眼鏡でものを見ず、他と比べて差別意識もないようにヨクリは感じている。

 挨拶と礼を終えると、ヨクリは当初の目的を思い出した。


「クラウス様は?」

「君が運び込まれるのとほとんど同じ時刻に帰ってこられた。今から半刻と少し前かな。本来はエルウィア様との話が先だったんだが」


 予期せぬ出来事があり、そのヨクリの介抱をしてくれていたから時間がおしたわけだ。


「重ね重ね申し訳ありません」

「だからいいわよ、別に。にしても、巷で噂のシャニール人の業者があっさりやられるなんてね」


 マルスからヨクリの業者としての情報を手に入れたのかどうかはわからなかったが、エルウィアはヨクリの技量についても知っているらしかった。


「貴方を責めているわけじゃないの。……あれの仕組みを小型化させたのは私だからってこと」

「地面に結構な血の痕があったから、剣の勝負ではヨクリに分があったみたいだしねえ」


 つまり、純粋な具者としての力をたやすくひっくり返せるだけの武器ということだ。引具——ひいてはそれを扱う具者の時の流れも大きく変わろうとしている。


「出どころは私も気になるわね。好き勝手に使われるのも腹がたつわ」


 不機嫌そうに顔を歪ませる。自身の研究をあまりいいように使われていないことに感じるところがあるのだろう。


「ヨクリも大丈夫そうだから、私はクラウス様と話をしてくるわ」

「案内します。悪いがヨクリはしばらく待っていてくれ。何かあったら家の者に」

「ありがとう。俺のことは気にしないで」


 口々に言って、エルウィアはマルスに連れられて退出していった。

 ファイン邸の作業部屋に取り残されたのはヨクリとこの金髪の暗殺者である。“翼の狼”の討伐以来だから、なかなか久しぶりだった。

 助けてもらった手前、押し黙ったままというのも気がひける。何か言おうとして、反射的に砂漠と森の境界の陣地で話した出来事を思い出した。しかし、それについて考えるよりも前に、ミリアが切り出した。


「そういや、もう本格的な行路の建設は始まったらしいよ。あの陣地も今じゃ結構賑わってるってさ」

「そうか」


 サンエイクの近況は相槌を打ったヨクリの耳にも入っていた。幾度か横断した柱廊群を通り抜ける砂漠の道は、今では結構な数の業者たちが行き交っているとか。


「ヨクリも式典行かなかったんだって?」

「ああ」

「アーシスたちは美味しいもの食べたみたいだし、うらやましいよねー」


 そこで、口ぶりからミリアも参加しなかったことに気づく。


「お前も行かなかったのか」

「ヨクリと一緒ってわけじゃないけど、あたしが面に顔を出すのもいろいろ面倒だしね……」


 考えてみれば当然だった。臑に傷を持つ少女の顔が周知されるのは不都合が多いだろう。

 そこでミリアはヨクリの傍の台に置かれた、折れた刀を見る。


「引具、壊れちゃったね」

「命があるだけ儲けものだ」


 とは言ったものの、同じ型の引具はもう二度と手に入らないだろう。返した言葉は本心だが、早急にどうすべきか考える必要はあった。

 長い付き合いだった。挫折と後悔を抱えて基礎校を出てからこれまでの戦いをずっと共にしてきた戦友との別れ。心のうちに少しの寂寞が生まれたのを否定できなかった。

 会話が途切れたそのとき、上階から音が聞こえてくる。


『そもそも、私の————を勝手に————は貴方じゃない!』

『君の——ではない。全てはこの国、そして陛————のだ。わきま————』

『————』


 しばらくの間、遠くからでもかすかに内容が聞き取れるほど激しい口論が行われ、次いでばん、と扉を閉める音が屋敷中に響き渡った。

 ミリアと目配せし、部屋を出て階段を登ると、エルウィアが肩を怒らせ髪をかきあげていた。


「なんなの、あの男!!」


 遅れてクラウスの部屋からマルスが退出してくる。ヨクリと目があって、なんとも言えない表情で小さなため息をついていた。うっすら聞こえた話の内容から察するに、この図術技師はクラウスになんらかの抗議をしにここまでやってきたらしい。クラウスににべもなく断られたことに腹を立てているのだろう。


「君たちの番だ」


 マルスが部屋を指してヨクリらに言った。微妙な空気の中、ヨクリとミリアは扉の外から声をかけ、許可を貰ってからクラウスの書斎に入る。

 相変わらず雑然とした書斎だった。前と同じように中央の席へ促され、着席する。ミリアも倣ってヨクリの横へ腰を下ろした。


「待たせてすまないな」

「いえ、こちらこそ」


 直前のやりとりにはお互い触れず、挨拶を交わした。


「さて、ジェラルド・ジェールについてだが」


 すい、と一枚の紙をヨクリの方へ差し出した。どこから入手したのか不明だが、入都記録の一覧である。


「しばらく前にエリサイに入都した形跡があった。間違いないだろう」


 指で叩いたところにジェラルド・ジェールの文字があった。

 “白都”と国内外から呼ばれているエリサイ。リリス教の聖地であるフェノール山脈を有するランウェイル西の都市である。

 ジェラルドは六つある教会兵団のうちの“リリスの右手”の兵団長である。教会の関係者である以上白都に滞在しているのは不思議ではない。


「どうやら教会内で会合があるらしい。今は始聖堂にいるとか」

「山頂付近ですか……」

「でも、しんどい山頂の聖堂にこの時期に行ったのなんでだろうね」

「私も詳しくは知らん。ただ、相当大規模な会合のようだ。それがレミンを襲った理由につながっているのかもわからん。そもそも奴個人の狙いだったのか、それとも教会全体の思惑なのかも断定できんしな」


 言葉を切って、


「聖座の儀と枢機卿の指名はもう終わっているから、当面神子派と枢機卿派で争う様子もないと見ていい。だからこそ私個人としても教会で今話し合われていることについては興味があるな」


 聖座の儀とは、リリスの器として定められた神子の儀式の最も有名なものだろう。毎年器としての資格があるのかどうかの審議が行われたのち、聖座の儀を執り行う。

 枢機卿の選定にも六大貴族の影響はかなり大きい。毎度エリサイ都市議長のローエマ家が取り仕切り行われるが、他の貴族がそれぞれの目的で修道士を推挙することもある。六大貴族が後ろ盾になった修道士は言うに及ばず他の候補者よりも選ばれやすい。


 ともあれ、目的がはっきりとしてきた。

 ジェラルドの居場所を突き止め、その目論見の一端を知る。あの集落を襲い、エイネアを陣営に引き入れてまでしなければならないことが正しい行いであったのかどうか。

 それらをこの目で確かめなければ、ヨクリはあの件に決着をつけることができない。


(猶予のある今のうちにけりをつけたい)


 情勢がどう動くのかヨクリにもわからない。明日にでもシャニール人の組織を含めた反体制側が動き出す可能性もあるのだ。


「クラウスさまはヨクリがなんで襲われたのか知ってます?」

「心当たりはあるが、君たちが考えているのとさほど変わらないだろう。いずれも確たる証拠がない」


 体制側のシャニール人が台頭するのを恐れた反体制側の仕業、という線がヨクリの中では最も納得のいく動機を持つ組織だった。ミリアの疑問に返答したクラウスもそのように考えているらしい。


「まあしばらくフェリアルミス付近から離れるのは君に取っても悪くないだろう。そのかんに君を襲った連中についても調べておく」


 ヨクリが頷いたのを見て、


「それと引具の件は私に預けてくれ。最適のものを手配しよう」 

「しかし……」

「悪いようにはせんよ」


 ヨクリには手に入らない代わりの刀をどうにかするツテがあるのかもしれない。とは言え、他者に自身の命綱である引具を預けるに少なくない抵抗があった。

 一度逡巡してから、結局クラウスに任せることに決めた。結局のところ提案よりもましな手段を持っていなかったからである。


「よろしくお願いします」


 クラウスは満足そうに頷いた。ヨクリは礼を述べてから、横の少女に声をかける。


「で、お前はなんで呼び出されたんだ」


 ミリアはヨクリの問いには答えず、図術士へ顔を向け、


「あたしに道案内しろっていうんでしょ?」

「察しがいいな」


 口の端を釣り上げてクラウスは深く頷いた。金髪の暗殺者に関する、ヨクリの知り得ない情報についてもクラウスは知っているようだった。


「道を知っているのか」

「まあ、昔ちょっとね」


 飄々と答えたミリアの表情に変化はなかった。


(レムス、とかいったな)


 少女の出自に考えが及んだとき、エイネアと話をしたときのことをちらと思い出した。それが白都の地理に詳しいことと結びつくのかどうかは判断がつかないが。


 ともあれ、向かう先は決まった。


 ——白都エリサイである。

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