表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
途上のシャムロック  作者: 納戸
白と黒の街
95/96

一話 一つの別れ

 雨期が終わろうとしている。内陸の日差しは強く、外套を羽織ったまま出歩けばたちまち汗だくになってしまう気温だった。街路の草木の緑は鮮やかで、瑞々しくも力強い生命を湛えている。美しい季節だった。


 ここレンワイスでも、南に生きた伝説の獣が討伐された話で通りは賑わいを見せていた。確認されている上級魔獣の討伐を計画する業者や貴族もいるとか、あるいは南で発見されたエーテルの海がもたらす国内への恩恵とか、またはサンエイク、ガラウ間の行路の建設事業の話とか。久々の明るい話題に、これまでの一連の出来事が生んだ、国を包む沈んだ気配に飽き飽きしていた民衆は一層口数多く、笑顔で話し込んでいる。


 大樹の森での戦いから、すでに三週が過ぎていた。ヨクリがレンワイスに着いたのは六日前のことで、そのかんにようやく、ジェラルド・ジェールの情報を持つクラウスとの連絡がとれた。先日の件で多忙を極めていることは容易に想像がつくので、待機に不満はない。ヨクリにも処理しなければならないことがあったから時間は潰せた。

 活気付いた通りを抜け、歩を進める。外を歩く際に、外套で髪を隠すことをヨクリはもうしなくなっていた。ある種の覚悟というか、意地のようなものだ。一連の戦いを経て、そうすることが正しいのだと自身へ言い聞かせた。当然周囲は変わっておらず厳しい視線を向けられてはいたが、今の所は南から運ばれてくる情報がそれを緩和してくれている。


 向かった先はツェリッシュ金商に敷設されている、主に業者が用いる個人倉庫で、ここは月にいくらかの金を支払えば誰でも使うことができる。業者番号に連動して管理されており、預けた場所が別の都市だろうと、滞在する都市で依頼管理所を通した活動が確認されれば郵送もしてくれる。トラウト家と提携して行われているのを知ったのは、その邸宅で老執事から説明を受けたときだった。


 買ったまま読まずに置いた業者に向けられた雑誌などを引っ張り出して、クラウスの用事が済むあいだの隙に消化してしまうことを決めたヨクリは、レンワイスに着いてからとった自身の宿へと足を運ぶ。

 今の所、ツェリッシュ家が運営している諸機関においてシャニール人を警戒するような動きはなく、ヨクリも宿を取ることができた。その分割高になるのは致し方ない。懐具合に余裕があったのも幸いした。


 そうしてそこそこ豪華な作りの部屋に入ると、中央の机に本を積み、飲み物を用意してから一つ一つ読みふけっていく。今日の夜にファイン邸に呼びつけられていたが、青髪の少女に関わる、分校へ提出しなければならないものなど、諸々溜まった書類を片付けていたため今になったというわけだ。

 カップを啜る音と、頁をめくる音がしばしのあいだ部屋に響いていた。


(ふーん……)


 一冊一冊流し読みして処理していく。


 しばし世間から遠のいていたヨクリには結構目新しい情報があった。特に興味を引いたのは、砂漠の依頼を受ける前に気にかかった新しい図術の項目である。頭の出来がよくない業者たちにその仕組みがわかるはずもなく、記事を書いた筆者もそれを知っているのか、どういう効能があるかに終始していた。

 また、それを考案したのが年若い女の研究者だというのだから紙面の見栄えもよかった。この国では遅れている撮影および印刷技術でも、荒い画像から話題を呼び込むのに足る、どことなく不機嫌そうにするさまの、そこそこ整った顔立ちがわかる。


(聞いたことない名前だな)


 具者としての資質を認められるのが上等校だとするなら、学者として栄光の道を歩むために必要な学び舎が学術院である。そこを首席で卒業しているのはなんとも凄まじい。

 自治区での戦闘で投入された引具は、クラウスが考案したものではないと本人が言っていた。この紙面の女性がそうであるなら、自身とそう変わらないであろう齢にしてある意味図術士に匹敵する功績をあげたということになる。


 しばらく読書に没頭し、待ち合わせの時間が近づいていることを悟ると、一旦中断して身支度を整えた。それほど離れていないが、遅れるよりはなるべく早く近辺に着いていた方が良い。


 再び宿を抜け出して、通りに出る。一つ列車を乗り継いで、ファイン邸の近くまでやってきた。中流層の一角、この雑多な商店が並ぶ区画を過ぎれば屋敷が見える。


 そこで予期せぬ出来事が起こった。


「ちょっと道を訊きたいんだけど、いいかな?」


 ヨクリは薄い反応で肩越しにうかがった。周囲に人はいるが、相手はヨクリに視線を向けたまま完全に足を止めている。どうやら声をかけられたのは間違いないらしい。

 ゆっくり振り返り、声の主に真正面から向き合うと、その男の周りだけ温度が低かった。ヨクリは敏感にその気配を察知して、一歩後ずさりして身構える。


 アーシスに匹敵する長身。この暑さでも長い軍外套を着込んでいる。その下の体は細身で、背中の二つの剣を振るうには少し頼りないほどだ。しかしその佇まいは妙に洗練されている。華美というほどではないが、そのまま式典へ出ても通用しそうな出で立ち。特に、くすんだ茶髪の上にある広めの絹帽子が引具と不釣り合いだった。


 具者だ。それも只者ではない。ヨクリの直感は直後肯定される。


「……流石に不意打ちは無理か」


 暗い笑みを浮かべた表情で、両の腕を背中に回し、


「じゃあ仕方ない」

(嘘だろ!)


 抜刀の瞬間、ヨクリは驚愕した。白昼堂々、人の往来があるなかで臆面もなく剣を抜いたその男に。

 異変に気づいた周囲の人間が声をあげる。そのときにはもう男の図術起動は完了し、ヨクリに斬りかかるところだった。


(くっ)


 いかに都市内の抜刀は禁止されているとはいえ、無抵抗でむざむざ殺されるわけにはいかない。強烈に叩きつけられる殺気にヨクリも応じて腰の鞘を払った。

 けたたましい金属音が鳴り響く。一合目を弾いたあと、ヨクリは後方に大きく跳躍、距離をとった。次いで周囲の人々が悲鳴をあげながら遁走するのを強化図術によって加速した知覚で察する。


 今まで逢ったことのない非常事態に、ヨクリは叫んだ。


「誰と勘違いをしているのかはわからないけれど、人違いだ!」

「いいや、合ってるよ。“狼殺しの狼”はあんただろ?」


 聞き覚えのない言葉に虚を突かれ、ヨクリは目を見開いた。以前ガルザマに“凶狼”と間違われたときと同様、別のシャニール人を狙ったものだと予想していたからだ。


「……なんだって?」

「シャニール人征伐と南の“翼の狼”の二つに唯一関わったシャニール人。つまり、“狼殺しの狼”」


 その条件に合致するのは確かにヨクリ以外には存在していない。

 自身も初耳の、おそらくここ最近できた通り名を思いがけない形で知らされることとなる。


「……なぜ俺を狙うんだ」

「さあ、それは俺の知るところじゃあないんだ。とにかく依頼主はあんたに死んで欲しいらしい」


 ぶん、と二剣を振るって、威嚇するように見得を切る。先ほどよりも一層遠巻きになった群衆を肩越しに見て、


「こんなところで図術を使えば、関係ない人が巻き込まれるぞ!」

「あんたが大人しく死んでくれればその心配もないだろうよ!」


 全く意に介すことなく、再び男が襲いかかってきた。


 すぐに維持隊が駆けつけると考えたのも一瞬のことで、この通りは最寄りが二つ、つまり詰所と詰所の中間にある。近くを通りがかる維持隊員がいないとするなら、四半刻とはいかないまでも時間がかかるかもしれない。

 そしておそらく見回りはいない。この男がどの程度周到かはわからぬが、ヨクリがその立場なら“そういう時間”を狙うからだ。

 下手に干渉図術を使ってむやみに建物を壊すわけにもいかないうえに、周囲にこれだけの人間がいると“感知”を使うこともできない。


 右の剣を紙一重で避け、左の剣を打ち払う。手元にびりびりと伝わる確かな感触は、そのまま男の技量をヨクリへと伝えた。

 見覚えのない形の双剣だった。鋏を二つに分解したような、角張った対の直剣。少なくとも先日引具店で見た中には見当たらなかった。


(確かに手練れだ。……だが!)


 単純な強化図術のみの斬り合い。


 ——しかし、どちらかといえば図術操作の苦手なヨクリにとっては逆に単純に思考を切り替えることができる。


 幾度か斬り結びながら、ヨクリは呼吸を溜めて間を測った。

 沈着に相手の猛攻を凌いでいくと、やがて好機が見える。初撃を刀で弾いたとき、二の太刀が狙いの間で繰り出された。見逃さずに丁寧に躱しつつ、その腕と交錯するように懐へ潜り込み、抜きざまに斬りつけた。ほぼ同時に振り返り、男の表情が驚愕に彩られる。そして、遅れてはらりと上衣の留め金が別れ、


「くそっ! 予定が台無しだぜ!」


 切っ先が肉を裂いた感覚があった。苦痛に顔を歪めながら、男は後方へ跳躍する。しかし、ヨクリは深追いせずに、冷静にその男を見据えた。

 ざくりと開いた上衣の下に肌が見え、少なくない量の血が流れている。


「……流石名の通った業者だけあるね、甘く見ていたつもりはないんだが」


 人によっては戦意をくじくだけの手傷を負わせたにもかかわらず、それでも男の口元は弧を浮かべている。単なる強がりか、それともなにか剣腕とは別の力を持っているのか。


(おそらく後者だ)


 数々の具者と出会ってきたヨクリの頭の片隅が警鐘を鳴らしている。本能が敏感にそれを察しているのだ。

そしてもう一つ。


(こいつ、なにかおかしい)


 往来で斬りかかってきたことそのものではない。


 剣を受ければ、それが訓練なのか、あるいは傷つけることを恐れているのか、その戸惑いや目的も自ずと見えてくる。しかし、目の前の男の剣はどうにも腑に落ちなかった。

 向けられる剣に迷いはない。ヨクリを害そうとしていることは確かなのだが、命を奪うに足る気迫のようなものが見えないのだ。ただ戦いの表面をなぞるというか、教書に載っている攻めの型をただ受けているのに近い感覚。


 正体の掴めない違和感が拭えないまま、再び男が間合いを詰めてきた。

 次の衝突で今度は肩口に浅い裂傷を与える。それでも男は向かってくる。気味の悪い感覚は、わずかな焦りをヨクリへもたらした。

 目に見えて速度が落ちている。ややもせず決着がつきそうなほど、ヨクリと男の差は広がっていた。確かに命脈を絶つほどの傷を負わせたわけではないが————。


 そして、攻撃と回避が交互に続いていた戦闘で、初めて男の右手の剣とヨクリの剣で鍔迫り合いするように膠着した。

 肘が曲がるか曲がらないかの、体重を載せない腕力だけの迫合い。ぎりぎりと互いの剣が擦れて高い音を断続的に鳴らしている。

 体格差から純粋な力勝負では分が悪い。しかし、出血と痛みで男の力はほぼ半減している。ヨクリのほうが優勢のように思えたその瞬間、


「こいつを待ってた」


 笑みを深めた男の呟きと共に左手が迫り来る。だがヨクリの目は、その太刀筋がおよそヨクリを傷つけるものではないと見抜いていた。

 的外れの方向へ伸びる左手の剣。対処をする必要がない、しかし奇妙だと瞬きよりも短い間の思考のあと。


 ありえない音が頭上から響いた。


 名状しがたい感覚が体を突き抜けたとき、ヨクリは放心したようにその光景を見ていた。

 そう。ありえない。大した速度ではなかったはずだ。


 ——“引具で引具が斬れるわけがない”、と頭の中で現実を否定する。


 ばちばちと、欠けた切っ先の断面からエーテル光が断続的に迸っている。奇しくも“翼の狼”が見せた高濃度のエーテル特有の現象だった。


 そして、自身の力の根源を支えていた引具が破損している、と理屈立てて状況を分析した時。


 唐突に暗幕を目の前に下げられたように、ヨクリの意識はちぎれ飛んだ。





 ————喧騒が耳に入った。


 暗がりで、ぽつぽつと眩い光があるが、ざらついた砂埃が上にかぶさっているように視界が判然としない。たくさんの人が必死な顔で何かを叫んだり、何かを呼んだりしている。


 知っている。


 長距離列車が開発される前、図術学の過渡期に使われていた、水とエーテルを混合させて動力引具へ回し、その排気を吹く蒸気列車の音。エーテルの費用がかさむため、現在のランウェイルではほとんど廃線されている。


 どうやらここはどこかの駅のようだった。場所を理解したそのとき、低い視界いっぱいに長い黒髪が目に入った。必死にこちらへ語りかけている。


『——へ、——って、————緒に』


 喧騒のために聞き取れないのか、あるいは別の原因なのか。しかし押し付けられた布袋を左手でぎゅっと抱え込み、こくこくと頷いた。


『————付けて——』


 途切れ途切れの言葉のあと、強く体を押された。


 左手の布袋を落とさぬように————右手にもなにかの感触があった。誰かの手を引いている。絶対に離してはいけないような気がした。


 そして、混沌の中に身を投げた。両手を離さないように、腰の剣を誰かに引っかけないように、小さな体をもみくちゃにされながら“それ”に乗り込んだ。人混みの熱気の中、ひんやりとする外気と鉄の感触。ぐっと右手を引いて“その子”が乗り込みやすいように補助しながら、人々の体の隙間を覗くように後ろを振り返るが、長い黒髪の人はもう見えない。


 遠くの景色は、炎でこうこうと燃え盛っていた。よくよく耳を澄ますと何かの破砕音が聞こえる。絶叫と悲鳴も。ここよりもずっと遠くのようだった。

 でたらめに打ち付ける、狂騒へと駆り立てる鐘の音も。

 煙を吐く音がしきりに乗り込む人間たちを急かしていた。もうこれ以上待てないとでもいうかのように。


ひときわ高い汽笛が聞こえ、列車が走り出した。


 出入口は未だ扉が開いており、手すりやら外装やらに必死にしがみついて乗り込んでいる人々。積載過多のこの鉄の箱がどこを目指しているのかわからなかった。

 乗客は一様に黒髪で、背は低く肌は白い。少なすぎる座席に腰掛けることは当然できず、半ばしゃがみこむように二人は目的地に到着するのを待つ。

 空腹や喉の乾きよりも、ただ漠然とした、それでいて強烈な不安を耐えることのほうが苦痛だった。その内面を決して隣に見せてはいけないと。

 人の塊と小刻みな振動に同席しながら、どれほど経ったのかはわからなかったが、そのときがきた。


 にわかに列車が激しく揺れ出したのだ。悪路の影響ではないことは明らかだった。

 悲鳴が聞こえる。めちゃくちゃに人の塊がのしかかり————


 ————とうとう、右手を離してしまった。


 次の瞬間、視界が転回する。


『————』


 幼い声が耳に届いたのもつかの間、意識は暗転した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ