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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
93/96

   終

 地方特有の岩石を巧みに加工した壁面に立てかけられた篝火と、高い天井に吊るされた集合灯のように、内装は南部の伝統的な装飾を基調としているものの、首都近郊の調度品も備え付けられている。外客を招く貴賓館ならではの試みだろう。高い技術を生かした豪奢な毛氈がぴたりと敷き詰められ、埃ひとつない。客席の円卓と椅子も高級品だった。


 様々な人間が集められた大広間。


 その中央で続けられる、入れ替わり立ち替わりの関係者の前口上。同じような文章を言い換えているだけで、正直言って面白みがない。特にこういう形式張った場に飽きるほど出席したことがあるキリヤにとっては荘厳な気配に感じる緊張もない。

 中央に最も近い席の一つに座りながら内心でそのように考えていると、


「退屈ね」

「……」


 髪を撫で付けながら心底詰まらなそうに隣の六大貴族ネージェは言った。キリヤは気づかれないように、


「話しかけるな」

「大丈夫よ。どうせ皆、あくびの出てしまいそうなお話に集中しているし」


 キリヤと同様、会話している様子を見せないように顔を動かさず、そして悪びれず言い放つさまにキリヤは小さくため息をついた。


 百年以上も昔から問題視されていたセルゲイ巨大森の上級魔獣はツェリッシュ、ファイン家が組織した隊によって討伐され、それを祝うため催された式典に出席していた。

 これでサンエイクとガラウを結ぶ行路の建設が現実的なものとなる。今回取り除かれた問題によって凍結していたおよそ八十年前の建設計画がフェリアルミスの南管理塔にある書庫から掘り起こされ、それに必要な人材、資源の調達や配置が瞬く間に進んでいった。


 今回の式典はその事業の前祝いも兼ねており、このあとはある程度開けた会食のような様相になるらしい。

 チャコ砂漠にある都市サンエイク。上流層の貴賓館。


 サンエイクとガラウの重鎮に、キリヤや隣の女のような六大貴族の名代。今回の討伐に大きく貢献した貴族、そしてその隊の参加者の代表。今後建設事業に携わる諸組織。この式典に集っているのはそんなところだろう。


「これで落日都市も当座は凌げる、か」

「そうねえ。サンエイクのお歴々も降って沸いた幸運に大喜びでしょうね」


 眺めた先には、ネージェが揶揄するこの都市の重鎮たちが明るい顔で話を聞いている。そして、キリヤの席の対面、この祝賀の重要人物が座す席にその男はいた。


(ヴァスト・ゲルミス)


 当事者であるツェリッシュ家のロシのほか、六大貴族の当主が出席していたのはゲルミス家のヴァストだった。ガラウの都市議長も兼任する男であるから当然ではあるが、しかしやはりその異質さは際立っていた。

 鉄のように冷たい瞳と、武人としての他者を圧倒する資質とそのうちにある確かな理知性を備えた類稀な者。

 キリヤにとっては母と同格の位を戴く者であり、かつての直属の上司。その力を間近で見、そして今離れた位置にたってもこの男の力の底がまるで読めない。実母とも違う、得体の知れない威圧感の根源が一体何なのか。


 ふと目が合ったような気がして、逃れるようにキリヤは視線を外したのを自覚した。動揺を抑え、別の場所へと視線を移す。

 広間の中央から少し離れたところにまた別の覇気を感じ、その集団に見当をつけた。


(先日亡くなられたホザル殿の子息がこの隊の実質的な指揮者か)


 南部特有の浅黒い肌にゲルミスに相当する長身。同じといっていいのかは微妙だが、キリヤと似た偉大な両親を持ち、その跡を継ぐことを期待される人物。

 まるでこの依頼の完遂を見届けるかのように、先代の偉大な指導者が息を引き取ったことはすでにキリヤの耳にも入っていた。


 その後ろには幾人か隊のなかでも特に活躍し、参加を許された具者が控えていた。名の通った派閥の頭領、ファイン家の血を引くキリヤの同期。ツェリッシュ家の直系も、キリヤたちが鎮座する来賓ではなく隊の席に属している。その他キリヤの知らない顔が複数。


 そのうちの一つにキリヤの目が止まる。


(あの男——アーシスとかいったな、確か。……なるほど腕は立つということか)


 黒髪の青年を下した森で、キリヤを正面から怒鳴った茶髪の具者。キリヤにとってはとりとめのないことを思い出してから、再びそれとなく視線を彷徨わせる。


「誰を探しているのかしら」

「……」


 隣の揶揄するような声をキリヤは黙殺した。


 ネージェが見透かした通りキリヤが無意識に探していたのは黒髪の青年だった。

 功労も兼ねているこの式典に、あの青年が選出されていないはずがないとキリヤは南へ赴く前から予想していたのだ。

 レイスが入手した参加者の名簿にも一通り目は通していた。黒髪の青年に匹敵するだけの力量がある具者は、キリヤの見立てでは片手の指で足りるほどしかいない。

 ほかの理由も巷の具者や事件、依頼の関係者を通してキリヤまで漏れ伝わってきていた。

 だからこの依頼が達成せしめられたと聞き、その成功にヨクリが一枚噛んでいると半ば確信していた。


「いくら目を皿にしても無駄よ」

「……なに?」

「姓無しさんを侮っているわけではないの。でも、だからこそ、ここへはこない」


 どう言う意味だ、とキリヤが問う前に場が動いた。


 それはキリヤにとっても助け舟だった。このまま会話が続いていたら声を荒らげない自信はなかったからだ。

 年老いたサンエイクの議長代理が最後の言葉で締めくくると、給仕が続々と広間にやって来て、部屋の両脇に置かれていた長机に料理を運んでいく。参加者は一様に席を立つと、その円卓の上等な布の上にも同じように香ばしい匂いが広がっていった。


「さて、お食事の時間ね。貴女はどうするの?」

「わかりきったことを聞くな」


 あくまで式典であるこの場ではあまり有益な情報も入手できないだろう。隔たれた身分から、現場にいた具者に話を聞くこともおそらく不可能だ。であるならば、表面的な対応に終始するほかない。戦場や、クラウス・ファインについてもレイスに詳細を訊ねる方が建設的だ。


「——貴女の騎士にシャニール人を率いる人間の情報を渡しておいたわ」

「わかった」


 小声でやり取りして、二人はそれとなく別れる。

 ネージェについてもまだ調べは足りない。だが、ユラジェリー家の意向はおよそ掴みつつあった。リヴァ海北方の図術船団が本格的な哨戒を始めていた。加えて、ハト派の幹部に接触したり、首都で暗躍する諸組織に密に連絡を取っていたりするのも把握している。


(少なくとも当主は戦争の機運を高める腹づもりだ)


 硬軟織り交ぜ、スールズとの関係悪化を懸念するハト派に圧力をかけている。シャニール人を使って暗殺させているのもそのためだろう。


(あの女は何を考えている)


 キリヤは自身と密約を交わした後ろ姿、雪のような髪を眺めながら影のように付き纏うネージェの目的を見透かそうとしていた。

 そして、この場に現れない黒髪の青年の心のうちも、キリヤにはわからない。


(——なぜこない、ヨクリ)


 歯がゆさを押し殺すように胸中で呟くのを止めることはできなかった。





 先日の戦いの最後。

 翡翠の海にその巨躯が沈み、重傷者の手当てをし、点呼で人数を確認するなどの戦いの喧騒がようやく過ぎさった頃。

 誰かの小さな笑い声が聞こえたあと、それは周囲に伝播して、大歓声が響き渡る。

 荒れ果てた戦場の跡で戦いの傷や汚れに塗れながらも、勝利を実感した具者たちは引具を放り出して喜んでいた。

 そこには貴族も平民も、シャニール人もランウェイル人もなく。そして、各々の思惑が違っていたとしても、同じ目的を共有し、それが達成された時には全ての隔たりを忘れてただ喜びを分かち合い、諸手を挙げて歓呼の声をあげる姿だけがあった。


 ————瞼を閉じるとすぐに思い出せる光景は、あのときからアーシスの頭に焼き付いて離れない。


 様々な会話を伴った立食が進む中、アーシスはそのことにずっと捕らわれていた。


(オレにできることなんて、いくら考えてもわからねえ)


 そう。どんなに懊悩しても、アーシスだけにできることがこの世界にあるのかどうかさえ、アーシスにはわからなかった。


(でも、オレは)


 だが、もしかすると、そうではないのかもしれない。


(オレがやるべきこと、見なきゃならねえ景色は、これなのかもしれねえ……!)


 アーシスは今まさに、一つの道を見出していた。

 国の根幹を変えるだとか、政治の中枢にかかわるだとか、そういうことじゃない。それもまた、アーシスだけにできることではないのかもしれない。

 ただ今のような光景を国中に作り出すこと。

 “これ”を作り出せる場所が今、この国のどこにもないならば。


 ——その場所を作ることを、アーシスは強く渇望していた。


 すぐ側で適当な料理を手にとって食事をする瀟洒な青年に、アーシスは声をかけていた。


「タルシン。お前、これからどうすんだ」

「とりあえずは家に戻って父の手伝いっすかね。馴染みの家にも挨拶しなくちゃならないと思うっす」


 唸りつつ返答したタルシンに、


「終わったらでいい。オレに手を貸してくれ」

「……アーシスさんの頼みなら、喜んで受けるっす」


 タルシンは真剣な表情で頷いたあと、打って変わって口角をあげた。


「なんか面白いことをするんすよね」

「どうだろうな。まだ考えが上手く纏まらねえが……」

「楽しみにしてるっす」


 アーシスもまた、この戦いでひとつの光明を見出していた。





 あの戦いから二週が過ぎた。

 今日も変わらず暑い日だったが、馴染んで来たこの南の環境と離別するときも近づいていた。


 ふと砂よけの布を捲り、窓の外を眺める。


 青縞岩を積み重ね築かれた高台に位置するヨクリの宿は、砂塵の少ない日には涼しい風がはいってくる。

 見下ろすと、街を生きる人々の喧騒に溢れていた。心なしか依頼が始まる前に見た光景よりも、営みの顔は明るいように思う。

 きっと気のせいではないだろう。

 ヨクリら討伐隊の手によって開拓の準備が整い、引かれる行路の事業計画はすでに末端で働く人間の募集が始まり、支度金も用意されているらしい。全員とは言わないが、これでこの街の飢えた人々もきっと救われるはずだ。


 物思いに耽っていると、部屋の入り口、廊下側にある飾鈴を鳴らした音が聞こえた。暑さへの対処で日中は扉を閉める習慣のないサンエイク特有の呼び出し。

 ヨクリが声をあげて所在を示すと、手配された上等な宿に訪ねてきたのは、ジャハだった。


「やあ」

「ジャハさんでしたか。どうぞ」


 背もたれが荒い網目になった、風通しのいい椅子を進め、ヨクリも対面に腰掛ける。一つ声をかけてから廊下へ出て、この階にある氷室から冷たい飲み物を持って再び戻り、男へ勧めた。


「すまない」

「慣れたつもりですけれど、南はやっぱり暑いですね」

「そうだな」


 答えつつ、ジャハは一息でカップを飲み干した。男の汗を見て足労をかけてしまったと申し訳なくなる。


「それで、今日はどうしたんです? わざわざ俺のところへ」


 立場的にもヨクリよりもはるかに多忙だろう。サンエイク都市議長のジャハの父ホザルが亡くなったのは都市内の情報網からヨクリの耳にも伝わっていた。


 ジャハはひとつ頷いて、


「今回の依頼の達成を祝した式典が明後日に開かれる。君にも是非来て欲しい」

「また、急ですね」

「……所在を掴むのに苦労したからだ。参加者の候補では君が最後だよ」

「すみません。そういえば、クラウス様以外に場所を誰に言うわけでもなかった」


 慌ただしい撤収のあと、依頼に参加した具者たちはしばしここサンエイクに滞在していた。討伐という依頼の性質上、達成後に不都合が起こる可能性は極めて低かったが、念のためである。


「衣服などはこちらで手配しよう」

「議長の折に、少し節操がないような……」

「父の意向でもあるのだ。サンエイクの英雄たちを讃えぬとあればフィストロイの名折れだとな」


 余計なことを言ったと思ったが、気にした様子はなかった。

 少し間をおいて、ヨクリは返答する。


「……公の式典に、俺が参加をするわけにはいきません」


 微笑混じりに言うと、ジャハは硬直してヨクリの顔を見つめた。

 しばしの間があって、


「なぜだ! 君ほど今回の戦いで貢献した具者もいないだろう! 誰も文句は言わない!」

「——時勢がよくないでしょう」


 声を荒らげたジャハとは対照的な落ち着きでヨクリは静かに、そして端的に言った。


 国内のシャニール人組織と貴族とでは、あの一件以来静かに緊張が高まっている。下手に刺激してその均衡を崩すのは本意ではなかった。

 それに、公式の場でその力を認められたシャニール人が現れたとしたなら、その者——ヨクリを担ぎ上げ新たな勢力にしようと目する者や、ヨクリの背景に手を伸ばす者ももしかしたら現れるかもしれない。ステイレルの庇護がある以上そこまで警戒する必要もなさそうだが、さりとてわざわざ腹を探られにいくこともない。

 全て仮定の話だ。しかし、それらを楽観視するほどヨクリは手放しに状況を見ているわけではなかった。


(あの子に害が及ばないとも限らないし)


 ヨクリの言葉の裏を正しく読んだジャハは、


「功をあげた者が正当に評価されないのは、間違っている……」


 やるせなさに拳を握る。

 ヨクリにはもうわかっていた。ジャハはただ真っ直ぐなのだ。そうでなければ、これを伝えるためにヨクリの宿まで足を運んだりはしないだろう。使いのものを出せばいいだけだ。

 依頼の最中に天幕で揉めたときもそうだった。この男は、男の信ずるところを疑わない。それが、ヨクリがこの依頼を通して理解したジャハの素晴らしい一面だった。


「ありがとう」


 だからヨクリは礼を述べていた。

 今はこれで構わない。ただこの戦いにシャニール人が加わっていたことが正式な書面に記載され、噂で広がる程度で。一つ一つをきちんと積み重ねていけばいい。ヨクリ自身が表へ出られずとも。


「……いつか君の力になることを約束しよう」

「この街が良くなるように祈っています」


 行路の建設だけではなく、エーテルの海の資源もある。採集の目処が立てば、莫大な利益をもたらすだろう。その道筋を立てていくのは、この目の前の男だとヨクリは確信していた。


 そうして参加を断り、その式典の日も過ぎ去っていった。


 次の日に依頼の完了の知らせがヨクリへ届くと、クラウスへ宛てた手紙を出し、荷をまとめて宿を払った。

 ひとまずレンワイスへ戻り、ファイン家にクラウスが戻るのを待つ。ジェラルド・ジェールの情報を話してもらう約束だったからだ。

 陽はそろそろ沈みかけている。長距離列車の中で夜を越すことになりそうだ。


 高台を下るように駅を目指すと、ひとつ風が吹き抜けた。小さな気配を感じて振り返ると、そこにいたのは戦いを共にした薄紅髪の治癒者だった。

 どうしてここを訪ねてきたのかという、先日ジャハに向けた質問はしなかった。きっとメディリカも式典に参加したことだろう。実際に剣をとることだけが戦いではない。メディリカはメディリカの戦場を戦い抜いたのだ。この治癒者の尽力がなければもっと多くの死者が出ていた。


 ヨクリを見たメディリカは胸を撫で下ろしていた。


「間に合ってよかった」

「メディリカさん」

「行かれるのですね」

「ええ」


 “翼の狼”との決戦前にメディリカには少しの事情を伝えていた。


「……皆さん、とても残念がっていました。特にトールキンさんは」

「そうですか」


 ヨクリは困ったように笑った。初対面とは真逆の関係になった大剣使いの様子がやすやすと想像できてしまったからだ。


「私たちの戦い、もう国中の具者の間で持ちきりだそうですよ」

「それは、そうでしょう」


 今を生きる具者の感覚では半ば伝説の存在となっていた上級魔獣を討伐したのが、国中から寄せ集められた業者とあっては、話題にならないはずがない。


「貴方のことも……いえ、やめておきましょう。すぐにわかると思いますから」


 ヨクリはその物言いに訝ったが、メディリカは優しい笑みをヨクリへと向けていた。


「また、お会いできるのを楽しみにしています」

「……俺もです」


 ヨクリもゆるい笑みで素直に答えることができた。

 お互いこの国で、身ひとつで生きている。きっとまた、各々の道が交わることもある。


「では、お元気で」

「メディリカさんも」


 ゆるやかに礼を払って、薄紅髪の治癒者はヨクリへ背を向けた。

 その背中が見えなくなるまでヨクリは足を止め、見送った。


 遠くで鐘の音が響いていた。


 ヨクリはなぜかその音色に、ようやくこの依頼が終わったことを実感させられる。

 あの長い夜の明け方もそうだった。朝日を知らせる鐘の音と、どこからか聞こえて来たかすかな調べが戦いの終結を告げていたのだ。


(勝どきにしては、静かだけれど)


 でもたぶん、それくらいがヨクリの身の丈にあっているのだろう。

 まだなにも終わってはいないのだから、これでいい。


 体の芯に響くような音に耳を傾けながら、次に待ち受ける戦いに備えるためにヨクリは砂の大地を踏み出した。

三章終了です。

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