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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
92/96

   3

 失われた翼の傷口からは未だ血液が僅かながら流れ出ている。

 伏せるように前傾し、残ったもう片方の翼を前に倒すように地面へ伸ばし、枝分かれした指先のような先端で鏡面の大地を掴んだ。一つ一つが研ぎ澄まされた刃のように鋭利な羽が、翡翠の光を反射する。長い耳がぴくぴくと震えたあと、ぱちぱち、と“翼の狼”の額と背中からいくつか伸びている金属質のたてがみに、稲妻のような青い光がちらついた。


 極めて高い濃度のエーテルが、濃度の低い場所へ移動する際に発生する、まるで実体があるようにはっきりとした放光。なぜ一つの生命体がこれほど高濃度のエーテルを、体を崩壊させることなく蓄えられるのか皆目見当もつかないが、実際に目の前で起きている出来事だった。


 それがなにかよくない前兆だということをここに集う具者たちは直感していた。だからと言うべきか、立て続けに次のことが起こった。


 進行方向に残存する手下の長耳もどきを撃ち払い、大きく迂回するように“翼の狼”の背面をとって斬りかかる二人の具者。それを見た、三人の正面の具者。即席で連携し、同時に攻撃を仕掛ける。これが普通の“獣”だったならたちまちばらばらの骸になるであろう、引具による複数回の直接攻撃を、それぞれ尾と残った翼で過たず受け止める。激しい金属音が鳴り響いた。


 しかしその意識——眼差しは攻撃を試みた前後の具者はおろか、その後ろに控えていた、翼の片方を斬り落としてみせた警戒すべきヨクリたちを飛び越してその後方、遠射手の集団に向いていた。


 それが有する知能にヨクリの背筋に怖気が走った。


 ついで、“翼の狼”が起こした短い行動はどれもが具者たちにとって重かった。まるで人間が飛び交う羽虫を払うようにたった二度尾を振るだけで、二人の具者は無力化される。そして、大地を掴んだ“手”を払うと、その手の内にあった土塊は恐ろしい威力を秘めた攻撃にすり替わっていた。


「ぐうっ……!!」


 歴戦の具者が、赤子の手を捻るように蹴散らされていく。


 結果からみると、背後に回り、尾による苛烈な反撃を食らった具者たちは命からがら生存した。しかし、正面の具者は“それ”を防御するどころか、視認するいとますらなかった。

 ひときわ眩いエーテルの光が迸って、実際に起こった現象を目撃するよりも先に本能的な恐怖を感じる。


 ヨクリは大きく目を見開いた。


 集中し、加速したヨクリの世界では三人の具者が細切れに切断され、さらにその肉片を斬り裂いて、血の一滴すら弾き飛ばした光景がはっきりと映った。


 具者たちの命を奪ったのは、辛うじて防ぐことができた、翼を用いた礫による攻撃ではない。


(図術だ……!)


 そして、その脅威は凄まじい速度でその後ろに控えるヨクリらに届こうとしていた。


「皆!! “盾”だ!!」


 直感と同時に、誰かの叫び声が聞こえた。


 咄嗟に跳躍しつつその列から一歩前に躍り出ると、半身になって体を伏せ、抗盾を起動する。携えた刀の切っ先を纏う、馬上槍のようなエーテルの防御壁に伝わる衝撃は、塔の上でキリヤの“炎壁”を斬り裂いたときとは比べ物にならない。まるで直に押しつぶされそうになっている錯覚すら感じる。それほど桁外れのエーテル容量を秘めていた。


 後方から、次々に図術を起動する光が走る。遅れて、盾が破壊される音が鳴り響いた。


 この場を支配する風を消しとばすほどの、“旋衝”に極めて酷似した図術的衝撃波は、後一息でヨクリの“盾”を突破しそうではあったが、なんとか堪えることができた。


 ヨクリの資質が優れていたからではなく、ほとんど面で襲い来る攻撃に対し、受ける抵抗を小さくするように先細りした、いくつかある“抗盾”の種類の一つの“尖槍”の性質が功を奏したといえよう。


 風の余波で激しい砂煙が立ち昇り、視界が不明瞭になる。

 だが、安堵するにはまだ早かった。


 二撃目の準備がすでに眼前で終わろうとしていた。


 薄い砂埃の向こうに“翼の狼”の巨大な影が見え、先ほどと同じ、額と背の辺りで乱れ散る光芒。

 後退の指示が飛び、各々引具を構えつつ一斉に下がる。しかし、防ぎきれず、特に脚部に深い裂傷を負ったヨクリの前列の具者たちが身構えることもできずに停滞していた。


 一連の攻防に、直撃を受けた最前線の具者たちを庇おうとヨクリの横を過ぎ、飛び出たのは後方から駆けつけたセフィーネだった。

 おそらく、図術士クラウスとその血筋を引くマルスを除けば、この場において最も図術制御に優れた具者である。

 一瞬で盾を生成し、最大出力で維持するさまがヨクリの視界に入る。

 苦痛に顔を歪めながら、


「くうぅ……!」


 両手で杖を必死に前へ押し出し、暴風の威力に耐える。消しきれなかった風の刃が、手足を浅く斬り裂いた。

 セフィーネの作り出した正面の防御壁から甲高い破砕音が聞こえ、限界が近づいたのがわかる。この場の全員を守る“抗盾”を展開することはヨクリにはできなかったが、それでも入れ替わろうと剣を構えて盾を起動しようとした時、唐突にセフィーネの作り出した盾よりもさらに一回り大きなそれが出現する。

 ついで、背中から圧倒的な気配を感じた。


 ——新たな脅威ではない。 


「よくここまで持ち堪えてくれた」

「クラウス様……!」


 血風逆巻くこの場に相応しくない白衣をたなびかせ、主戦場へと降り立ったのはこの戦いを望んだクラウス・ファインだった。

 クラウスが左手を上へ翳すと、伝令の具者が高い笛の音を響かせる。知らされた重要な合図に、海を割るように業者たちが左右に引いていく。


 戦場にできた空白。一直線に結ぶのは翼の狼と、国内で三人しかいない図術士だった。


 クラウスの前に大人の身長三人分はあろうかと言う大きさの紋陣が現出し、杖を引いた。

 そこから、ヨクリの用いるそれとは比較にならない規模の空気の塊が射出される。紋陣の形が表す術の名は“旋衝”だった。上級魔獣の外皮から常に発動されている皮膜の“盾”が膨張し、“旋衝”とぶつかってせめぎ合う。

 操作する細やかな杖の動きと連動し、翡翠色の残像を作る。極限まで調律されたエーテル。


「すごい……!」


 ヨクリが左腕で余波の風と砂礫から目をかばいつつその光景に戦慄にも似た敬意を抱いたそのとき。通常の図術の発動行程とは異なる点を見つけていた。


 省かれてはいるが、“動”によって図術の発現と同時に砕かれるはずの紋陣が生きたまま。くるくると中心を軸に回転しはじめている。


 紋陣の構成要素であるエーテルの線が移動し、形を変え、それが連鎖して全く別の紋陣へ変容していく。

 次に”翼の獣”に横薙ぎに降り注いだのは無数の氷の矢。“氷錐”だった。


(まさか、これが……!)


 直前の紋陣を利用し、新たに別の紋陣を生成することで時間差なしに繰り出される複数の干渉図術。引具の基本構造である三枠の制限は、この特別な技法によって無視できる。


 ——“連鎖生成紋陣”。


 その巨躯は図術の効力に押し切られ、一発ごとに大きく後退する。風の刃と氷の礫は体毛を切り裂き、身体中に傷をつける。

 再び紋陣は変形し、今度は呆然と見守るヨクリたちへその威力を直接伝える図術へと切り替わった。

 灼熱の赤が迸り、奥の“翼の狼”が見えなくなるほどに巨大な炎を打ち出した。


「ステイレル家の術……!!」


 “炎壁”。キリヤが用いた、ステイレル家の研究成果である炎を発生させる図術。

 しかし眼前の光景はキリヤの用いたそれとは比較にならない規模の、この上級魔獣を丸焼きにできるくらいの大きさだった。

 創生神話で世界樹の枝葉を焼き尽くした火神メイギスの炎を連想させるほど、並の人間には想像すら及ばぬ威力である。


 ——しかし。


 炎を見た“翼の狼”は無事なほうの翼を顔の前にやると、伏せるように構えた。直後、その巨躯から解放されたエーテルが吹きすさび、余波がびりびりと肌を伝わってくる。

 “抗盾”。クラウスの連鎖紋陣によって射出された“炎壁”はあろうことか“翼の狼”が自ら生成した盾とぶつかり、せめぎあっている。


 恐ろしい光景だった。


 全ての衝撃に耐える凄まじい耐久力と、攻撃に対処する術を持ち、それを用いる知恵はヨクリらの予想を大きく上回っていた。


「これでも、足らぬか……!」


 クラウスの額から汗が流れ、制御の集中によって疲労しているのが伝わってくる。

 その間にも、具者たちは殺到する手下を捌いてクラウスの間合いに近づかせないようにしなければならない。

 剣で獣を屠りつつも、ヨクリは己のなすべきことを悟っていた。片方の翼を落とした結果図術の低減が治ったのだとしたら、あの双翼はヨクリら人間で言う所の引具に近い性質があるのではないか。

 ならば、もう片方も落とせば図術的抵抗を消しさることができるのでは、と。

 そして、クラウスの“連鎖生成紋陣”は当然永続するものではなく、いかに“図術士”が優れた図術操作をしようともその源であるエーテルが枯渇してしまえば術は発動しなくなる。


 勝たねばならなかった。


 地を舐めつくす炎の壁と、翡翠色の盾の輝きが拮抗するなか、徐々に森の奥から集まってきた獣たちが増えてゆき勢いを取り戻しつつあった。ヨクリはそれらを判断し終えた瞬間に、再び駆け出していた。


「あそこだ!!」


 並走し、指を指し示したのはヘイウスだった。背後を強襲した二人の具者が作ってくれた道が未だ生きている。ヨクリはこくりと頷いて、迷わずそこを猛進した。

 さらに具者たちが続く。大剣のトールキンと、“隠者の客舎”のレイス。激しい炎と砂煙に晒されながら、四人はひたすら駆け抜ける。


 決断のあと、クラウスの放った“連鎖生成紋陣”の一連の攻撃が止んだ。使い切ったシリンダーの交換や紋陣の再設定などの時間を要することは図術に明るくないヨクリにも想像はつく。


 ややもせず、今だ立ち込める砂煙のなかから先ほど背後をとった具者たち見えた。深い傷を負いながらも闘志を衰えさせずに戦っている。

 四人がその二人と入れ替わるように、さらに間合いを詰めて“翼の狼”に攻撃を試みようとしたとき、大きな影——力の気配を頭上に感じた。


 ヨクリが躱すか否か判断を下そうとした瞬間、


「させるかよぉ!!」


 襲い来る尾を受け止めたのは、トールキンの長剣だった。そして、さらにその防御を支援したのは、二振りの剣。


「助太刀する!」


 激しい金属音に負けない勇ましい声でキリヤの騎士は叫んだ。

 トールキンが全身を回転させるように振り上げた長剣で衝撃を半減させた尾を、レイスが右手の剣で受け流し、左手の剣で弾き飛ばす。

 再び叩きつけられた尾を今度は四人ともがそれぞれ散開するように避けると、その金属質の表面にトールキンは長剣で大上段から斬りつける。


 けたたましい金属音とともに、衝撃に震えた尾がたわむ。


「今だ、ヨクリ!」

「ああ!」


 その隙にヨクリとヘイウスは地を蹴った。


 息つく暇もなく動きの硬直した尾の上に飛び乗って、腰のあたりまで駆け上る。

 同じ戦術に、“翼の狼”もヨクリらを振り落とすように暴れ始めた。二人はそれぞれ剣を足元に突き刺し、そのまま踏ん張って抵抗する。


 稲妻のような軌道で踏み込み、尾と大地の間に深々と潜り込んだレイスは、硬い鱗に覆われた表面ではなく、柔らかい内側の可動域を目にも留まらぬ速さで二度斬りつける。

 執拗に尾を攻撃する二人の具者に気を取られ、視線をわずかに後方へ向けた“翼の狼”。それを待っていたかのように、ヨクリらの前方、狼の頭の方で炸裂する大きな炎が上がった。レンワイスのスラム街で見た、“敷陣”に匹敵する威力を持つミリアの古物である。

 その力をもってしても到底致命傷を与えるには至らなかったが、熱を払い、空気を求めるように“翼の狼”は二、三度首を振る。直後いっとき振動が止むと、ヨクリとヘイウスは目配せした。


 皆がつくった好機を逃すわけにはいかない。


 獣の腰の上に刺した剣を引き抜き、先に翼めがけて斬りかかったのはヘイウスだった。抜き打つように放たれた美しい剣閃は付け根の半分を正確に斬り込んだ。その肉が裂け、断面からぷつぷつと盛り上がるおびただしい血の盛り上がりをヨクリは確かに見た。


「頼んだ!!」


 言い残しつつ斬り抜け、その背から跳躍して軽やかに降りるヘイウスと入れ替わり、その残光を遁走曲のようにぴたりと追い、しかしさらに一歩踏み込んで————今度は腕を振り抜いた。


 強風のなか、ぴぃん、と自身の放った剣の風切り音がはっきりと聞こえた。


 断面から噴水のように血が吹き出て、右肩に返り血を浴びる。

 直後、ぐんと体が軽くなる。一連の攻撃が齎した効果を実感しながら、ヨクリもその背中から飛び降りた。


 二度目の絶叫。


 堕ちた翼を見届けた具者は雨あられと矢や図術を“翼の狼”へ浴びせかけ、主砲の準備が再び整うまでの時間稼ぎをする。“翼の狼”もここが正念場だというのを理解していたのか、背の双翼を失いつつも必死の形相で近寄る具者に尾や爪牙を叩きつけ、一人でも多くの犠牲者を出そうと暴れまわっていた。

 じりじりと後退する“翼の狼”。しかし、具者側も度重なる戦闘と負傷によってもう余力がない。この勢いが少しでも失われた瞬間、形勢が逆転することは明白だった。


 しかし、とうとう“その地点”まで“覇王の遺獣”を追いやると、再び具者は射線を開けるように左右に散った。


 “図術士”と“覇王の遺獣”が相対する。


 生成された紋陣は“空槌”。しかし通常対象の真上に展開させるはずの紋陣はクラウスの真正面に展開された。そして、それを撃ちはなった後瞬きよりも短い時間の中で連続生成された“伝達”。

 円形都市内のどんな建物も削り飛ばすような、増幅された威力の“空槌”は、しかしその巨体を宙に弾き飛ばす程度の衝撃しかもってはいなかった。


 だが、それだけでよかった。

 勝算は、クラウスの用いるこの“連鎖生成紋陣”による干渉図術ではない。


 ————はじめからこの地にはとびきりの武器があった。


 身を翻して着地したその場所には、ただこの大地の力を、吹き荒れる風と共にたたえるだけの、エーテルの海があった。

 “空槌”が発動したその瞬間には、全ての具者は一斉に跳び退り、激しく飛び散ったエーテルの飛沫に身構え、防御する。


「——————!!!!」


 極光よりもまばゆい光をもたらしながら、その巨躯がエーテルの海に沈みゆく。分解時の発光とそれに伴う凄絶な痛苦に吠えた“翼の狼”はもがき苦しみ、前足で大地の際を引っ掻いた。

 激しく波立つ翡翠の海に、赤いもやが混じる。無数につけられた傷口から流れ出たものではない。徐々に静かになる水面から、おびただしい流血は巨躯の崩壊によって起こっていることだと、光景を半ば呆然と眺める具者たちに悟らせる。浸かった体は無作為に分解され、肉片や体毛が波に混じり、そして消えていくさまをヨクリもただ固唾を飲んで見ていた。


 ヨクリらこの時代を生きる人間にとっては永遠に近い、数百年を生きてきた“覇王の遺獣”の最後の時だった。


 そしてその長い命に終わりを与えたクラウスは、岩壁の上で指揮をとっていたジャハの方へ顔を向けていた。


 後ろ足がはっきりと消え失せ、必死に縁を掴む前足も徐々に力を失うと、じわじわと風に押し流され、やがて胴体も跡形なく姿を消した。

 荒れ果てた鏡面の大地には、斬り落とされ、あるいはひしゃげた翼と、分解を免れたその首が残るのみとなった。

 配下の長耳もどきたちは統率者が倒されたのを知るやいなや、脱兎のごとく森の中へ逃げ、抵抗の意思を示すものは一匹たりとていなかった。


 文字通りの総力戦だった。疲弊しきった具者たちはへたり込み、あるいは仰向けに寝転がって荒い呼吸を整えている。その場で傷の手当てをする者や、重傷者を背負い、救護用の天幕へ連れていく者。


 連動して、別の喧騒が起こり始める。

 頭の中は戦いからこれ以上の被害の拡大を防ぐことに切り替わり、しばし一同はそれに没頭した。

 そして、いつしか戦いの音は止み、変わらず吹き抜ける風のみがこの場をいっときの間支配した。

 


 ————勝った。

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