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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
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十二話 深緑の死闘

 腰の両側に小嚢を二つずつ下げた、今までになく充実した装備でヨクリは森の中を疾走する。中にはエーテルシリンダーが詰め込まれ、単独の長期行動のほか、味方の型に合わせた補充用の予備もあった。


(それにしても、まさか治癒者が二人も追加されるとは思わなかった)


 駆け抜けながらもヨクリは補充人員について頭を巡らせていた。結果的にハンサやベルフーレの手腕もあり、当初の倍以上の人数を討伐へ投入することができていた。一月ほどの準備期間の間に連携も取れるようになり、練度が落ちることなく今日を迎えられた。

 三人の治癒者も心強い。ヨクリも知識が深い訳ではないが、治癒者同士で護印を行うとより高度な治療図術も都市外で扱えるようになるらしいからだ。


 クラウス率いる本隊は先行して衝突が予想されるエーテルの海を見下ろせる隆起した地形まで進行していた。“翼の狼”に察知されないぎりぎりの地点であり、そこで波動情報を用いた伝令具でヨクリら遊撃を兼ねる具者を介して各班へ指示をだしている。


 思考しつつも前方に背を向けた長耳もどきを見つける。速度を緩めることなく突進し、向こうが気づくか気づかないかの瞬きよりも短い間に斬り抜ける。

 両断された死骸には目もくれない。斬撃の感触から絶命しているのはわかっていたからだ。はっきりと自覚できるほどに剣は研ぎ澄まされていた。

 次の班へ合流すべく、さらに加速する。





 四人が寝そべられるくらいの荷車を囲み、六名の具者が森の中を歩いていた。縁よりもわずかに盛り上がる積荷は黒布で包まれ、その上からいくつもの縄でがっちりと固定されている。

 ところどころ大樹の根や突き出た岩で足場の悪い地面に車輪を擦り付けがたがたと揺らしながらも進み、指定された地点に到着すると縄をほどいて、荷を覆っていた黒い布を取り払った。その奥にあったのは“獣”の死骸の山である。一つ一つが不思議なほどに生々しく、血が通っているように見えるのは、討伐してすぐにいくつかの薬品と混合した大量のエーテル溶液に浸けたためだ。


 “長耳もどき”の対策のうちの一つ。やつらとて同じ魔獣だ。ならば、よりエーテル濃度の高い物体に引き寄せられる性質を持つ。こうしていくつもの荷車の班が森に散り散りになっておびき寄せ、“翼の狼”との戦闘前に各個撃破していく策だった。


 布を取り払ったその直後、ざわざわと木々が騒ぎ始める。一瞬にして気配が変わったのを小隊の全ての人間は悟った。


「くるならこいっす……」


 タルシンの自身を鼓舞する声に呼応するかのごとく、木陰から次々と姿を現したのは、エーテルに惹きつけられた獣たちだった。

 みるみるうちに数が増え、少なく見ても十五以上はいる。隣にいた具者のうちのひとりが抜剣したのと同時に、タルシンも抜きはなった。


「いやいやこれ、集まりすぎでしょー」


 同行した弓手の女ニノンが極めて冷静に、砕けた口調で状況を伝えた。すぐに図術を起動、大樹に杭を打って足場とし、しなやかな身のこなしで枝に飛び移っていた。高所からの矢で獣たちを迎撃する構えである。

 どう猛な唸り声が取り囲む。向けられた意識はすでに囮の死骸からタルシンら具者に移っており、その真っ黒な眼光に体が竦みそうになるのを堪えていると、冷や汗が額から一筋流れ落ちる。


(大丈夫。大丈夫、落ち着け)


 タルシンは必死に自身に言い聞かせる。

 あのレミン集落での出来事がよぎり、頭から離れない。


 戦場は、向いていない。わかっていた。当主である父には剣を手に取った瞬間から見抜かれ、派閥の頭領にもそれとなく釘を刺されていた。

 父の一面である優れた剣腕は妹に継がれ、自身には才の片鱗すら見出せなかったこともわかっていた。かたや将来国の一翼を担うであろう分校への入学が許され、かたやこうして業者としてすら頭角を表すこともなかった。


 それでも、タルシンはなにかを見出したかったのだ。


 それはたぶんはっきりと目に見える、自身の才能のようなものではない。

 その道に全てを賭けるに値する信念のようななにかを。到底御せない巨大な意志にこの大地に生まれる前から決められ、舗装された道を進むのではなく、自らの手でそれを選び取りたかった。


 だからきっと出奔したのだ。


(弾かれた、強い!)


 構えた左の盾が獣の爪に引っ掛かれ、わずかな凹凸に先端を引っ掛けてはがすようにタルシンの防御を突破する。

 無防備な姿勢に晒されたタルシンは目を見開いた。獣が突っ込んでくる。

 咄嗟に右手の剣でもって牙を受け止めると、ぐっと刀身を牙と頑強な顎で固定され、力任せに引き抜こうとしてもびくともしない。連続して獣が首をひねると、タルシンの体はぐんと引っ張られた。


(やられる……!)


 押し切られ、その爪が喉笛を切り裂こうとしたその瞬間、一筋の光条が眼前を走り抜けた。

 今まさにタルシンに襲いかかっていた獣は、胴の半ばから両断される。死骸となったその奥から覗いたのは、風に揺らいだ黒髪だった。


「危ない、間に合った」


 森の中を縦横無尽に駆け回り、連絡役と遊撃を兼ねる具者たちはいずれもこの腕利き集団のなかからさらに選抜された、特別力を認められた近接手だった。

 そのうちのひとりが今駆けつけた黒髪の青年である。

 姿を視認した瞬間には青年の名を叫んでいた。


「ヨクリさん……!」

「——こいつらを片付ける。手伝ってくれ。皆も」

「……了解っす!」


 その声と、続く味方の気合いにタルシンは冷静さを取り戻した。同じように少しの揺らぎに包まれていた一同も意識を締め直し、身構え直した。一人加わるだけで、こんなにも気持ちが落ち着くものかとその資質に舌を巻きつつも、タルシンは見違えるような動きで巧みに盾で獣の視界を塞ぎ、その奥から直剣で急所を突き刺し、一匹を仕留めた。


「やった……!」

「うん、いい動きだ」


 手応えが思わず口に出たタルシンにヨクリは短く賞賛すると、獣の群れに向かって囮と撹乱を兼ねた突出を試みていた。それを援護するように頭上から矢の雨が降り注ぎ、タルシンら味方の行動を予測した精密な射撃で持って上をおろそかにしていた獣の命を奪っていく。


 周囲の敵をニノンと他の具者たちと力を合わせて撃破したタルシンは、残り三匹の相手を同時に行なっていた黒髪の青年の動きを観察していた。助力がいらないほど攻守の行動が安定しているところへ横槍を入れると返って足を引っ張りかねないことは承知しているからだ。


 疾い。目の前で振るわれる剣を端的に評価するならその言葉に尽きる。剣術に明るくないタルシンでも考えるよりも先に思いつく単語だった。

 基本的に後手で初動するヨクリは、しかし先手を取ったはずの敵を追い越し、的確に急所を攻撃、無力化している。今に限らず幾度か見た経験があるタルシンは青年の戦闘から分析していたが、それでもとても目で捉えきれない。


 ——そして、その姿を真正面に受けた時、背筋が凍った。


 突きつけられた切っ先は間違いなくタルシンではなくその間にいる獣に対してだったが、その矮躯から発せられる心臓を射抜かれるような強烈な威圧感が間接的に叩きつけられる。


 ごくり、と生唾を飲む音がやけに明確に耳に入った。

 レミン集落のときに見たこの青年とは受ける印象が違う。


(あのときよりも——)


 青年へ思考を巡らせている間に、そのヨクリは瞬く間に獣どもを屠って、更に沸いてくるであろう増援へと備えていた。

 油断なくタルシンの側に寄ってきて、


「大丈夫、タルシンの腕でも十分通用するよ。むしろ、この程度なら君の敵じゃない。よく見て躱せば、それほど速い相手でもない。さっきみたいに組みつかれないようにだけすれば、怖くはないさ」


 ヨクリはあの森と同じような平坦な口調で、事実だけを述べるようにタルシンへ語りかけてから、


「気負わずに、でも、気を抜かずに行こう」


 心を落ち着かせるような声音と共にゆるく微笑んだ。その青年の姿に、タルシンは再び気力がみなぎってくる。

 ちょうどそのとき、姿を梢に紛れさせながら忍び寄る影に一人の具者がいち早く気づいた。風と戦いの音に潜む、かすかに鳴った羽音を聞き逃さなかった。

 “賤鳥”があつまってきて、そのうちの一匹が嘴をあけた瞬間、空を切る音と共にそいつの声は明瞭になるより先にくぐもって、地上へ落下する。正確に撃ち落としたのはニノンの矢である。

 常に柔和なその表情は一転して張り詰め、目元鋭く空を見据えていた。


「騒いだら損をするって、ちょぉっと教えませんとねー」


 各班で対処しきれないほど呼ばれる前に、先んじて優れた遠射手が“賤鳥”を撃破する。極めて知能の高いこの魔獣がその脅威に鈍感であるはずがなく、にわかに慌てる群れの様子が伝わってくる。


 散り散りに逃げ惑う“賤鳥”を正確無比な射撃で次々撃ち落とし、逃げた残りの姿が視界から消え失せるのを枝の上から見届けると、再び眼下へ目を向けて、近接手の援護に回る。地上の具者たちも、頭上から降ってくる矢をいたずらに警戒せず、その力量を信頼してただ眼前の群れに集中することができていた。タルシンのいるこの班だけではなく、至る所で同様の戦闘が行われていた。


 ——そうして大樹の森の各地で屍の山を築き上げていく。





 砂漠と森の境界に張られた天幕内での最初の指導を思い出す。


 クラウスの用意した図術調整専用の天幕の中は、砂つぶが入り込まないように毛氈が敷かれているものの雑然としており、所狭しと器具の数々が無造作に並んでいた。

 叔父が両手で抱えて取り出したそのうちの一つがマルスの前に置かれ、それはところどころ古ぼけた、術金属の立方体だった。

 具者同士の波動情報を引具へ登録し、味方からの誤射を防ぐ“護印器”に酷似しているが、それよりもふた回り以上大きい。

 各々が携える引具の施紋領域に影響される以上、同時に護印できる人数は、出回っている引具の平均をとると6名程度に収束する。ゆえに、護印器をここまで大型にする必然性はないのだ。だからマルスはこれが別の図術器具であることを推理した。


「なんだ、見るのは初めてかね」

「これは一体?」

「シャニール戦時中に用いられた、“展開者”用の波動情報集積器だ」


 “展開者”。


 第一線で活躍する具者にも馴染みがない言葉だった。教書にも未だ記載されてはいるが、死に役割となって久しい。

 支配領域の展開に伴う様々な問題を調整するために必要だった、具者の役割のうちの一つ。

 異なった波動情報を持つ領域同士がぶつかり合うことで発生する大きな歪みを調整し、戦闘を潤滑に継続させる役割は、技術の進歩に伴い廃れていったのだ。

 特に一番の問題だった干渉図術の起動の不安定さが解消された、展開者の存在していた頃より性能の向上した引具が広く国内に流通したことで、展開者を一名加えるよりも近接手や遠射手を追加する方が結果的に戦闘で消費するエーテルも少なくなっていた。


「原理はわかるかね?」

「……一応は」


 展開者の実質的な操作は、てんでばらばらな波動情報に事前に定めた共通の波長を持たせることで、場の領域を一つの集合体に固定することにある。

 別の言い方をすれば、具者同士を図術学的に繋げる、ということになる。その理論を応用したものが発信器や通話器である。当然一時的に定められた属性は脆く、その脆弱性を補強するために大掛かりな設備を要するため通話器は未だ高額だった。


「君には具者73名の波動情報を把握してもらう。そのために用意した装置だ」

「しかし、なぜ展開者なのですか」

「ヨクリ君ら探索班からの伝聞ではあるが、推測は立つ。結論から言ってしまえば“翼の狼”の特殊な力場はなんらかの図術ではない。あれは単なる支配領域だ」


 叔父の言葉にマルスも遅れて閃いた。


「そうか……」


 クラウスはその理解に頷いて、


「うむ。問題はこちらの支配領域を貫き、強化図術にも影響を与えてくるほどのエーテル総量だ。ならば、こちらも量を増やせばいい」

「展開者が個々の支配領域を纏めて調整すれば、“翼の狼”のそれに対抗しうる、と」

「実数を測定していない以上はやはり推測の域を出ないがな。だから手下どもへの対処も含め、増員が必要だったのだよ」


 理屈を理解した直後、マルスの口は独りでに動いた。


「しかし、僕に出来るだろうか……」

「やって貰わねば困るよ」


 咄嗟に零れ出た弱音を一蹴し、


「私は私で、やることがあるからな」


 その言葉は確かな重みを秘めていた。これと同じかそれ以上に重要な役目が戦場のクラウスにはあるのだ。だからこそマルスがこの役割を担わなければならない。


「確かにこの数の波動情報を一つの領域に集約し、それを操作するのは少々骨の折れる作業だ。だが、これを習得することができたら」


 言葉を切って、


「——君の図術技師としての技量はさらに高みへ昇るだろう」


 その最後の言葉を甘美な響きに受け取らなかったと言えば嘘になるが、マルスは展開者としての指導を叔父であり国内有数の図術技師でもあるクラウスから受けることとなり、今日を迎えていた。技術自体の把握は難しくなかったが、なんといってもその数の波動情報を正確に汲み取り、なおかつエーテルの海というエーテル的な干渉を受ける地形で精密に行わなければならない。


 大樹の森の秘境、翡翠の海を直に眺め高揚感に心奪われたのも束の間で、マルスは試練の始まりが刻一刻と迫るのをひりついた空気の中で感じていた。絶え間なく吹き抜ける強風と、逆巻く水面から環境の過酷さが嫌でも伝わってくる。

 ここに集う具者たちの命運をマルスが握っていると言っても過言ではなく、重圧を感じずにはいられなかった。


 切り立った崖の上、眼下に臨む翡翠色の海。身を正し時を待つ具者たちの列から一歩前へ出ると、横から皆を率いるクラウスの視線を感じる。緊張しているのかどうか見定めているのだろう。それを察することができるくらいにはマルスは落ち着いていた。


(それでも、僕は)


 この先にもなすべきことがある。図術学を志すものたちが目指す到達点。果てなく険しい道のりの第一歩だと言うのなら、その艱難を乗り越えて得られるものがきっとあるはずだと、相反する心をマルスはおよそ冷静に見据えることができていた。

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