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そうして探索班の切り拓いた道は戦いのために整えられていった。草木を根から掘り返し、悪路は人夫たちの主導で整備されていく。人夫たちの作業に手を貸し、そしてその安全を守る具者たち。
太古の森に、まさしくこの時に文明がもたらされているのだ。間隔を開けてたてられた篝火はその最たる証だった。
荷車で物資を運び、水晶洞までの道のりも路と変えていく。集落遺跡、水晶洞窟の入り口と出口には仮設天幕が設営され、そこで夜を越すための設備も整えられた。
その下準備のために一月以上を要し、ランウェイルの暦は芽の月を越え、葉の月も終わろうとしていた。
中央は雨季ではあるが、ここ南部は気候的に雨はほとんど降らず、代わりに暑さを増していた。外周の森とチャコ砂漠との境界陣地などは日中、長時間肌を露出させていると火傷してしまうほどである。特に物資の調達で砂漠を越える際はより念入りな準備をするように手配がされていた。
また、作戦に必要なあるものをヨクリとは別の班が入手、加工し、複数の荷車へ積み込んでいた。着々と準備は進み、ほぼ全ての行程が終了する。
——そして、明日が“翼の獣”を討伐する日だった。
今日は交代の警備以外、全ての人間が陣で休息を取ることを許された。
ヨクリは集落遺跡に新たに作られた陣地にいた。日陰の多い森の中はかなり涼しく、暑さで体調を崩すこともない。長身に長剣を携えた男と向き合い、剣を交えているところだった。
澄んだ剣戟は森の中に響き渡り、幾人かがその周りで様子を伺いつつ談笑している。ゆとりのある気配のなか、しかし一本の真剣さがしっかりと宿った空気感。
「どうだい、ヨクリ」
「いや、素晴らしいよ。君の剣才は」
長剣から繰り出される刃は鋭く距離感の把握も適切で、速さで勝るヨクリとて間合いに入るのに相当苦労する。長耳もどきなどの道中の魔獣相手に戦う姿を見てもそれはわかっていたが、こうして実際に剣を交えてみて改めて実感する。
剣を交えて訓練に励んでいたのはヨクリとトールキンである。都市外ならば気兼ねなく図術を使った訓練を行える。強化図術を起動して打ち合い、ほとんど実戦に近い形式で行われるこれは、互いの技量が高くなければ危険すぎて尻込みする内容だった。
だが、少しでも力を蓄えておきたい。
ヨクリたち二人が特別ではなく、補給路を伸ばすことに費やしたこの一月あまり、森の至る所で見られる光景となっていた。特に、極めて高い技量を持った具者たちばかりである。
教書にある型の訓練ではなく実戦的な攻防を繰り広げたあと、最後に数合打ち合って、心身の調整を完了させる。
お互いあまり良くない第一印象から命からがらの帰還と、そのあとの話の結果、ヨクリとトールキンは急速に打ち解けていた。
流石に兄貴呼びは勘弁してもらい、名で呼びあうことにしてなんとか納得してもらった。二人で生き延びたあと、トールキンは口だけではなく心からヨクリを信頼してくれていることが伝わってきて、ヨクリにはどうにも面映ゆい。心を寄せてくれる年下といえばフィリルもそうだが、青髪の少女とは違いトールキンは表情が豊かなので余計にである。
納刀して汗を拭ったあと、ヨクリは切り出した。
「そうだ。訊きたかったことがあったんだ」
「なんだよ?」
トールキンは首を傾げてヨクリの言葉の続きを待った。その剣を見て、ヨクリは思っていたことがあった。
「ギレル式とは少し違うみたいだけれど、誰かに師事したことがあるのかい?」
「? いや、ねーな。俺も基礎校では普通にギレル式やってたぜ」
つまり、今の剣の型は業者として仕事をはじめてから身につけたもの、ということらしかった。ある種、ヨクリと同じ。理由は違えど、必要に迫られて習得した剣術を自身で改良して馴染ませた結果ということだった。
「つーかヨクリさ、ぶっちゃけ、ギレル式ってどうよ」
トールキンの表情から前向きな意見を求めているのではないことがわかる。だからヨクリは言外に欠点を薄々認めつつも、そうせねばならない理由の方を擁護する。
「……まあ、とはいっても一説には国が興るよりも古くから続く剣術体系だし、この国で剣の基礎を学ぶには避けて通れない、とは思うよ」
「確かになあ。でもこんだけバカでけえ剣を使うような構えにはなってねえからなあ」
同じように文脈を察して、トールキンが相槌を打つように具体的な指摘をした。
火の構えは両手を掲げるように構える。トールキンのような、たとえ細身でもこれだけ長い刀身だと不向きであるのは確かだった。
長剣使いの男はヨクリの腰に目を落として、
「ヨクリだって、それ、水の構えにゃできないだろ。かと言って火の構えも使いづらそうだしな」
男が見抜いた通り、ヨクリの剣はランウェイルのギレル式と、シュウから教わったシャニールの剣術の合いの子のようなものとなっていた。ヨクリが頷いて、言葉を継ごうとしたそのとき、
「おいおい、なんだよ剣の話なら俺も混ぜろ」
周囲のうち、会話を耳にした一人の男が小走りに近づいてくる。合わせて、首から下げた三葉の鎖がしゃらりと涼しげに鳴った。二人がそのほうへ顔を向けると、弾み声で入ってくる。
「楽しそうな話してるじゃねえかよ」
「あんた、ヘイウスだっけか」
ヨクリはその男を見て、確かに今の会話にぴったりな人材だと思った。
「ヘイウスさんはすごいよ。ほぼ理想的なギレル式の水の構えを体現している」
会話を潤滑に繋げるために剣の特徴に触れると、ああ、と思い当たったように同調するトールキン。二人の褒め言葉に、
「だろー? ちょっと自信があるんだぜ」
と得意げに鼻を鳴らし、ヘイウスは胸を張った。ヨクリの見立てではちょっとどころではない。それこそその剣術の名を背負っているキリヤとも切り結べそうなほど洗練されている。先日の男との会話でもあったように、探索の道中では密かに敬意を払っていた。
ヘイウスは腰の直剣を抜き払い、斬り、突きを繋げた基礎的な一つの型を演舞したあと、ぴたりと剣を止める。教書の著者が文字の中に思い描いた理想を具象化する、澄み切った風切り音が遅れて知覚されるほど流麗で洗練された動きだった。
「こいつは“魔獣”が発生するよりも前の剣術だからな。基本獣狩りを想定としてねえのよ」
ギレル式の源流となったステイレル家はランウェイル一世の統一に貢献した側近の中にもその家名があり、当時はそれこそ内乱状態だったため、対人戦闘に重きを置いた剣術だったのは想像に難くない。
「そういう意味じゃ比較的新興のタラントのほうが、微妙に変化があるぶん魔獣しばくにゃ向いてるわな」
「なんでタラントを主流にしねえんだろうな。タラントのうたい文句って武芸百般なんだろ?」
「ステイレル家が基礎校なんかの管理してんだぜ? メンツにかけてそんなことできんだろうなあ」
基礎校生に勧められるのもギレル式だった。選択の自由はあるものの、明確な目標がない限りはタラント式を学ぶのはギレル式に比べて少ない。特に貴族などはヨクリの同期でもほとんど全員がギレル式を選んでいた。
学徒の頃に同世代では並ぶ者なしと評されたキリヤの剣を間近で見てきたヨクリには、基礎校を出るまで界隈に根付いた常識に疑いを向ける余地すらなかった。確かにステイレル家の長女ほどの才覚と弛まぬ努力をもってすればギレル式の剣を学ぶだけで全ての戦闘に即応できるだろうが、他のものはキリヤほど賢くなく、強くなく、そして勤勉でもないのだ。そういった“普遍的かどうか”という意味ではこうした議論にも一考の価値があると、今では思っている。
まあ、そんなことをあのキリヤの前で面と向かって口にしたなら、ヨクリの発した言葉の三倍の量の反論が返ってきそうなのでする気もなかったが。
こうして誰かと剣の話を突っ込んでするのはとても新鮮だった。自ずとヨクリも饒舌になっていく。
「——で、ヨクリはどう見るよ」
そこでヨクリへ水を向けたのはヘイウスだった。ヨクリがなにをと問う前に、
「フェリアルミスで、どうだった」
補足はいらなかった。紛れもなく、あの夜の出来事が議題に上がって、ヨクリは咄嗟に身を固くした。その心情も予測していたように、ヘイウスはゆるく首を横に振る。
「剣の話だ。実際腰に下げて戦にでたあんたの話を、オレはききたかったんだ。ただやつらの剣を見てどう思ったか」
その言葉は、征伐に伴ったあらゆる感情や思想を斟酌せず、ただ三人が共有している剣術のみに焦点を当てた質問だった。
確かにヘイウスの言った通り、戦後実際に本格的な対人戦闘が行われた貴重な例のうちの一つが、先に起こったシャニール人征伐である。ヨクリはそう言う見方もあったのかと、目から鱗が落ちる面持ちだった。ならばと思考を切り替えて、ただ冷静にあのときのことを思い返す。
心を新たにしたとはいえ動揺を無にするとまではいかなかったが、ややあって、言葉がまとまった。ヨクリは静かな立ち上がりで口を開いた。
「端的に言うならば、シャニール人の剣術は、ランウェイルの剣には歯が立たなかった。あの戦いだけをみれば間違いない。こと対人に関して言えば、ギレル式には全ての剣に即応できるだけの力がある」
夜闇の中、鮮血だけが色づいていたあの出来事を思い出し、それでもヨクリは努めて感情を揺らさずただ技術や技法についてのみを淡々と説明しはじめた。
「——ただ、それでも兵の質が違いすぎたのは確かだった。ランウェイルの具者たちはおそらく、世界中でも群を抜いて優れた戦闘能力を持っている」
ヘイウスは思案気味に唸ってから、ならばと、もう一つのランウェイルが深く関わり合いを持つ人種について挙げる。
「スールズの連中にも通用すると思うか?」
予想外の問いに、ヨクリは少し考えてから、
「それは、俺の知識がないからなんとも言えない」
と言葉を濁した。そのあと、わずかにあった漠々とした知識を確認するために逆に尋ね返す。
「確か、ランウェイル北方の民族と血が近いんだっけ」
「歴史的にも年中吹雪いてるコルスト山脈を越えるのは難しかっただろうから、海路で流れてきた民じゃねえかな。北方は。どっちが源流かっていえばスールズだろうぜ。……んなこと北で言ったら袋叩きにあうだろうけどな」
ヘイウスが素早く補足して、
「あの国は過酷な環境のぶん、教育の質はランウェイルを越えてるらしいからな」
図術学を除けばだがな、と付け加える。
「マジでそろそろきなくせえし、やりあうのも近いかもしれねえ」
少年と青年のはざまに立つトールキンも彼の国に対して感じるところがあるようで、口ぶりと同じく、実感のこもった表情を浮かべていた。
「——その前に、首都の動乱をなんとかしないと」
ヨクリは自分からシャニール人への話題に突っ込んでいった。天幕で打ち明けた以上は、もう気にしてはいられない。
「さらにもっと前に、この依頼だな」
ヨクリに、にっと笑みを向けたのはヘイウスだった。ヨクリは虚を突かれた顔をしてから、苦笑気味に笑う。
「までも、真面目な話首都の動乱を扇動した連中のなかにスールズの息がかかってるやつもいるって噂もあるみたいだしな」
「……それは初耳だ」
新たな情報にヨクリが目を見開いたのを尻目に、ヘイウスは続ける。
「結局、シャニール人だけが悪いわけじゃねえのさ。シャニール戦争よりも以前から火種はあった。皆が知らない振りをしてるだけなのよな」
その口調は自戒するような響きを持っていた。
自然とゆるく熱の下がった空気に入ってきたのは、片手斧を携えた血鎖の棟梁である。
「おうおう、揃ってやってやがるな」
「お、やっさん! やっさんもやってくかい!」
弾み声で誘ったトールキンに、
「やらねえよ、てめえらに付き合って腰いわしたらどうすんだ」
ガダは冗談交じりに笑い飛ばした。そこまでの年齢ではなかろうとヨクリは反射的に思う。ただ、ガダの技量にはヨクリも実は密かに興味があった。
「うっす。ガダさん」
「どうも」
「おう、面倒見てくれてわりぃな、二人とも」
ガダはトールキンの頭を鷲掴みながら、ヨクリの目を見据えた。
「吹っ切れたみてえだな」
「——はい」
この依頼が始まる直前、サンエイクで話した時からヨクリの心に渦巻くものをこの頭領は見抜いて居たのかもしれない。
「よくこの馬鹿を連れ帰ってくれた。……血鎖の頭領として、礼を言うぜ」
右手を離して、ヨクリに敬意を払うようにゆるく頭を下げたガダに、ヨクリはわずかに慌てた。
「いえ、それは俺だけじゃなくて、ヘイウスさんやジャハさんが——ってやめてくれ、トールキン。きみはもう十分礼を言ったよ!」
いつのまにかガダと並んで深く頭を下げるトールキンを、ヨクリは語気強めにたしなめる。さすがに事あるごとにこうされてはヨクリもやりにくくてしょうがない。
「それだけ、こいつなりに感謝してるってこった」
トールキンのつむじを眺めながら打って変わって意地悪そうに笑うガダに、ヨクリは肩を落として疲れたように言う。
「……まあ、皆のおかげということで。ほら」
ヨクリは咳払いしてから答え、トールキンの姿勢を戻させた。
「んじゃ、合わせに行くぞトールキン」
「あいよ!」
明日の戦いはいくつかの班に別れて戦うことになる。その最後の確認作業だろう。
「オレもちょいと行ってくるわ」
「はい」
何度か見たことがある。同じように明日へ向けた、リリスへの祈祷をこれから行うようだ。簡略化されていながらも都市外で代用できる道具を揃えて行われる祈り。なにかの岐路に立たされた時にせずにはいられない、ヘイウス自身の決まった行動なのだろう。
訓練を終え三人と別れてから、戦いに意識の向いた体を一度冷ますために森の中を当て所なく散策していると、一人の人間に目が止まった。楽しげな声が聞こえてくる。
「どうどうどーう」
“駱蹄”と戯れる、討ち帽子の弓使いニノンの姿があった。ヨクリは目を合わせないようにするが、しかし気づかれる。立ち去ろうとしたヨクリを大声で呼び止めた。
「あーヨクリさん見てくださいよ! 前から思ってんですけどすっごく可愛くないですかあ!」
駱蹄が下げた頭に手を伸ばし、頭頂部を撫ぜながらはしゃぐ。ヨクリは観念してニノンのほうへ足を向け、
「まあ、懐きやすいですからね」
言葉の通り“駱蹄”からヨクリに向けられる視線は穏やかだった。人が寄ってくると高い首を下げて、頭を撫でて欲しそうにするのもこの魔獣が広く人々の好かれる理由のうちの一つである。ニノンの手をぺろりとひと舐めすると、女はくすぐったそうに笑う。次に二回ぽんぽんと優しく頭をなぜ、ヨクリに向き直った。
「皆、頑張ってますよねえ」
ニノンの声はどこか実感のこもった声色をしていた。ヨクリは短く頷く。
「ああ」
「あたし、この感じ好きなんですよ。なんかこう、ぐわーってなりません?」
「わかるよ。俺も、こんな気持ちになれるなんて思わなかった」
多くの誰かとなにかを為すことがこれほど気分を高揚させるとはヨクリも知らなかった。そこにはたくさんの感情や目的があって、それでも各々を認め合い、あるいは妥協し合いながらも力を合わせられることに。
「メディリカちゃんもなんかすっきりした顔だし。ヨクリさんがなにかしたんですかあ?」
「さあ、どうだろう」
ヨクリが言葉を濁すと、このこのー、と肘で脇腹をつつかれる。こういう触れ合いはしたことがなかったので、どう反応していいのかわからずにヨクリはたじろいだ。
冗談ですよお、とニノンは笑った。
薄紅髪の治癒者の役に立てたのかどうかはわからない。それでもヨクリにできることはやった。それだけは確かだろう。
「勝ちましょーね」
「——ああ」
にひ、と愛嬌のある笑顔で言うニノンに、ヨクリは硬く頷いた。
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日持ちする乾燥食、帰還用の備蓄以外はもはや必要ないということで、都市外でもできうる限りの豪華な食事が振舞われていた。酒がないのは少し寂しいが、決戦前に酒精を取ることを具者の全ては良しとしなかった。
明日出立する具者たちはここ集落遺跡に新たに築かれた陣に勢揃いしている。ヨクリらが留守の間人夫たちや陣を守護するのはビルリッド盗賊団の生き残りとツェリッシュ家直属の護衛たちである。
加工された青縞石の舗装に、いくつか建てられた新たな建物。原型のある遺跡に布を被せ、簡単な天幕に仕立て上げた野趣溢れる外見の住居が並ぶ。
薄く差した月明かりと篝火の炎に照らされ、小さな宴のような賑わいがあたりを包んでいた。
各々が酒の代わりに傾けているのは香草といくつかの調味料を混ぜ合わせ、水で割ったもので、酒を断つ教会兵が戦の前に好んで喫していた大陸西の伝統的な飲物である。消化に良く、良質な睡眠と覚醒に非常に有効らしい。
今更仲間外れだとは思っていないが、どうやらこういう場は苦手な性分らしいということを改めて実感したヨクリは、一人遺跡の壁に背中を預け歓談に耳を傾けていた。トラウト家当主ハンサの計らいで新たに加わった具者たちも同様に、戦いに向けつつも今は緊張を和らげるように隔たりなく加わっていた。知己の男二人や金髪の暗殺者、傷の癒えた凄腕の遠射手も輪の中に見かけ、身の上話から戦術に到るまで、様々な話をしている。
もはやこの立ち位置が寂しいとは思わない。自身が会話に加わるよりも楽しげな雰囲気を眺めているほうが好きなのだろう。
「お隣、よろしいですか?」
そんなヨクリへ語りかけてきたのは薄紅髪の治癒者だった。
「どうぞ」
同じように声をかけてきた砂漠の夜を思い出し、あのときとは心持ちが真逆だと、苦笑混じりに首肯する。
淡い明かりに照らされたメディリカは少し身構えるほど美しかった。以前とは纏う雰囲気がわずかに違うのは気のせいではないだろう。心境の変化があったのはヨクリだけではない。
しばし二人の間に無言の時間が流れたあと、メディリカは切り出した。
「ヨクリさんは、この戦いが終わったら如何されるおつもりですか?」
少し考えてから、ヨクリは素直に答えていた。
「ある男を追います」
「それは、シャニール人の?」
反乱に関わる事柄なのかというメディリカの問いに、首を横に振った。
「いえ。——私怨です」
女は目を幾度か瞬かせた。
「きっとそう遠くないうちに、俺はまた首都の戦いに加わるでしょう。できればその前に、ケリをつけたい」
ヨクリは言葉を切って、
「業者としての俺の指針が正しかったのかどうか、確かめるためにも」
あのとき、レミン集落で失われた命には未来があった。たとえ取るに足らない、国中でしばしば見られていることのうちの一つだとしても。
この依頼に加わったのは、その手がかりを知るためでもあった。
「……ジェラルド・ジェールは一筋縄ではいきませんよ」
ヨクリは弾かれたようにメディリカの顔を見た。
「貴方がなにをしているのか、ずっと前から気になっていましたから」
いたずらっぽい顔で微笑むメディリカに、何も言えなくなる。そんなヨクリを尻目に、
「業者の貴方を一番見てきたのは私だと自負しています」
「いや、勝手に自負されても……」
特に誰に誇れることでもないだろうと、ヨクリは半目になる。軽口の応酬にメディリカはくすくすと笑った。
巷を賑わすこの治癒者に言われるのは光栄ではあるのだろうが、そうしてきた理由と、そして自身の行動が筒抜けになっているようで喜べばいいのかよくわからない。
それ自体はガダも言っていたように、メディリカが情報を入手していてもおかしくはない。ヨクリは小さく嘆息して、問いを返す。
「メディリカさんは?」
「……どうしたものかと、少し悩んでいます」
眉を下げ、苦笑気味にメディリカは答えた。
「貴女ほどの具者なら、どこだってやっていけますよ」
「他人事ですね。貴方の責任なのに」
息を詰めたヨクリに、再び忍び笑いする。
「冗談ですよ」
ヨクリは少しいじけたように、メディリカへ揶揄した。
「……性格、ちょっと変わりましたね」
「ふふ、肩の荷が降りたのかもしれません。——私のことは、このあとゆっくり考えることにします」
そしてメディリカはヨクリに向き直った。
「貴方の行く道を、陰ながら応援しています」
「……ありがとう」
差し出されたカップに、ヨクリは自身のカップを軽く打ち付けた。
メディリカとの会話で、ヨクリはこの戦いのあとにも更に自身のなすべきことがあると心持ちを改められた。
死力を尽くして戦い、そして生き残る決心をする。
明日は早い。宴もそろそろ終わりだろう。ヨクリはカップの残りを一気に煽る。
——そうして、全ての準備は整っていた。
総力を挙げた戦いはすぐ目の前だった。
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——未明。ヨクリらが野営地とした結晶洞の出口に、全ての具者は集結していた。昇りきらない陽光が大樹の森の奥から細い光を届け、決戦へ赴く集団を照らす。足元には朝靄がたなびきながらも滞留している。
各々が自然体な所作ながらも、戦いを前にしてわずかに張り詰めた気配。個々の性質にぴたりと合った武具は様々な形状をしているが、使い込まれながらも手入れを怠らず、その戦果を悟らせるような歴戦の雰囲気を全てのものが持っており、それぞれ異なる経験を積んだ者たちが同じ目的で集い邁進してきたことがこの一体感を生んでいた。個々の戦いへ向ける集中が一つの静謐な空気となって辺り一帯に漂っている。そして、そのなかにはっきりと感じられる互いに対する信頼感。まさしく腕利きの具者たちが、烏合の衆から抜け出して一つの統率された部隊に成長した証だった。
事前の打ち合わせで細かく分けられた部隊。今のように一つに集うのは、今後戦いに勝利したときだけだ。そのうちの最前列にヨクリは居た。ただ静かに、戦いを始めるその声を待つ。
先陣を切るように、一人の具者が前にでて、集団に向き直った。
落日都市の使者、ジャハである。
「いよいよこの日がやってきた」
その声は明朗に、そして勇壮に響いた。
「今日よりも前に、すでに命を落としたものもいる。我々はただ勝つだけではなく、彼らの命に見合うものを取り返さねばならない」
“翼の狼”の前に破れた具者たちがいた。
勝っても負けてもこれが最後だ。戦闘を続行するだけの余力はもうない。この一戦に文字通り血や汗の最後の一滴まで注ぎ込んでいた。
「——皆の胸には様々な考えや、数多の感情があるだろう。私は今この場でそれを肯定する。私のため、サンエイクのため、そしてここに集う全ての者のために」
大きく息を吸い込んだあとに発せられた声は、全ての者の心を深く穿つ。
「各々の信ずる神の祝福を携えて!」
決戦前のジャハの堂々たる演説に、ヨクリはただ無言で鞘を払い、剣を掲げた。同じ間で無数の切っ先が空に伸び、武具の擦れ合う音が響く。一点の濁りもない純粋で集束された決意と信念。その心を上天へ示すような開戦の意志が、辺り一帯を埋め尽くした。




