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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
86/96

   3

 遡ることトラウト家での当主との面会。絢爛さと実用性を両立させた当主の書斎でヨクリが訊ねたのは、あの薄紅髪の治癒者——アイシュース家についてだった。

 トラウト家の当主はヨクリの問いに事細かに答えたあと、それに連なる形で話題は進んでいた。


「なるほど。今君たちと共にするメディリカ嬢か」

「お知り合いだったのですか」

「いや、当主とは何度か会食で顔を合わせたくらいの付き合いだった」


 過去に想いを馳せるように遠い目をしたあと、


「しかし、アイシュース家か。なるほど」


 わずかに思案気な顔をしたハンサはあることをヨクリへ教えてくれた。


「興味があるなら、一度行ってみるといい。今はもう廃墟だがな」


 トラウト家の当主は続ける。


「栄枯盛衰の物悲しさをみるのも悪くはない」


 曰く、学者の家系であり、その知識量はさまざまな貴族たちから一目置かれるほどの家柄だったとか。とは言ってもファイン家とは異なり、図術に限らず様々な分野の研究を率先して行い、国に貢献することを家訓としてきたらしい。


「君にも関係するものが見つかるかもしれない」

「……と言うと?」

「離れの書庫の蔵書量は半端ではないからな。昔は近隣の家々にも書物を貸し出していたほどだ。ランウェイルでは出回っていない隣国の原書も少なくなかったとか」

「……シャニールについてのことですか」

「さあ、それは君次第だろう」


 ハンサが意味深に笑ったあと、質問を終えたヨクリは礼を述べ、当主の部屋をあとにした。いくつかの確信と新たな疑問を手に入れて。


 そのハンサの情報のもと、ヨクリはその場所へと足を運んでいた。諸準備に三日ほどを要するため、都市に滞在している間のいとまができたのだ。今日はベルフーレとタルシンは終日トラウトの邸宅にいるため、護衛は不要だった。茶髪の男は“暁鷹”など業者の知人らに顔を出しており、つまるところ今はヨクリ一人である。


(さすがにもう残ってはいないとは思うけれど……)


 治癒者の女を正しく説得できるだけの材料はすでに持っているとは考えていたが、さらに補強できるならいうことはない。ハンサの言ったことも気がかりだったし、調べないよりはいいだろう。

 誰何を受けられないように目立たず歩いていると、道中で道端の話し声が聞こえてくる。


「あのお屋敷、もったいないわよね」

「でも“呪われた家”ですもの。綺麗にしたところで、誰も住みたがらないでしょうね」


 貴族の婦人がたが遠巻きに、めいめいにその家を見上げながら言っていた。それもそのはず、都市内での抜刀は基本的にご法度であるはずなのに、白昼堂々盗賊たちが押しかけ家のものを惨殺していったというのだから近隣の貴族たちは文字通り度肝を抜かれたことだろう。今に続く悪評はどう考えても避けようがなかった。ヨクリは外套を目深に被り直し、足早にその場から屋敷へ向かう。


 大通りを避け、少しの遠回りをしてから屋敷の裏手へたどり着く。


 その一角は人気のない立地だった。以前はそうではなかったようで、その周囲には家主の消えた屋敷と呼んでいいほどの邸宅たちが並んでいる。その中でもとりわけ激しく傷んでいるのがアイシュースの旧本宅だった。


 大貴族街の外ではあるが、かなり広い土地を有している。三階建の屋敷は苔むし、蔦が何重にも、家を縛り上げるように生い茂っている。芝は荒れ、太陽の活気付くこの時期はわけのわからない虫どもが飛び回っていた。文字通りひたいに汗してぼうぼうと生えた草をかき分けなんとか進んでいくと、入り口の正面、三叉に別れた動線の敷石までたどり着く。右手をみると庭園あとがあり、遠目からも手入れがされずに枯れた植物も多かったが、そのいずれの痕跡もヨクリの知らない植物だった。


 おそらくは、学術研究用に管理育成されていた貴重な植物たち。


(左手の建物は納屋か……いや、書庫か)


 同じように植物によって侵食されていた建物はちょっとした街の書館くらいの大きさがあった。家が健在していた頃は家や関係者の貴重な知識の源泉になっていたというのは想像に難くはない。入り口も同様に草と蔓まみれでこのままでは開扉もままならないだろう。


(この背の高さならばれないかな)


 一応ぐるりと視界をたしかめ、どの角度からでもヨクリがここにいることを目視できないことを確認すると抜刀し、刀で障害を無理やり断ち切った。


「さすがに鍵がかかっているかな……」


 ヨクリがぐっと力を込めて取っ手を握り引いてみると、予想に反して扉が開く感覚が手の中から伝わってくる。


(ついてる)


 隙間を縫うように体を滑り込ませて中へと入った途端、ヨクリは咳き込んだ。すごい量の埃と、黴の匂いにたまらなくなったのだ。

 朽ちかけた窓から差し込む光で視界の確保はできていた。眼前の空気を払うように二、三度手で避けてから、


「すごい量の蔵書だ」


 見上げるほどの本棚の高さ。時間が止まる直前に起こったできごとを表すようにところどころ荒らされた形跡があったが、蔵書自体に手をつけることはなかったようでどれも無事だった——いや。ところどころ本が傾き、いくつかの書物が抜かれた形跡がある。


(盗賊が高価な本を抜いていったのか……?)


 疑問が浮かんだがすぐに否定する。同行していた才女二人ほど博識ならともかく、都市内の館を襲撃するほどの無法者に短時間で選定できるほどの目利きがいるとは思えない。


(しかし、本当に打ち捨てられていたんだな)


 未だ手付かずの本が多く残されていることから、やはり特定の組織の所有物でもないということがわかる。

権利を有するには事件の責任を取らねばならないため、建物の中に細かな検閲が入っていないのだろう。


 とりあえず謎は後回しにして、再び中を見渡す。


 関係者が話し合うために使われていた机がいくつも並んでおり、中二階のような、本を手に取るために必要な足場だけの通路とそれを繋ぎとめる柱と階段がある。持ち主の几帳面さを表すように、きちんと種類ごとに分別された本の種類。


 ヨクリの目をひいたのは旧シャニールについての蔵書群だった。イヴェールの基礎校の書室で資料を漁った時期もあったが、戦争終結直後であったゆえに厳しい選定があり、蔵書量自体はごくわずかだった。これほど充実した関係図書を見たのは初めてのことだったが、しかし今はそれが目的ではない。後ろ髪引かれる思いで視界から外し、奥へと進んでいった。


(あるとしても屋敷のほうかもしれない)


 半ば諦めつつあたりを注視していると隅の方に小さな扉が見え、歩み寄って開ける。中に入ると、年月に積もった埃は見られるが、家具の配置や物自体はさっぱりと整頓されている。書庫の管理部屋のようで、貸し出し人や期間などの紙札が積まれていたり、何時にどの書が必要なのかといった付箋が両脇の棚に並ぶ本に印されている。


 一見ごく普通の部屋に見えた。だが、ヨクリは今まで歩いた書館の情報を頭で整理すると、この真上に空白があることに気づいた。腰の刀を鞘ごとひっつかんで、端から天井を軽く突いていく。すると、部屋の最奥、右隅の天井の一部が持ち上がる感覚があった。


(当たりだ)


 幸い本を整理するためのはしごは書館内にいくつもあったので、運び出して立てかけ、登っていく。


 小部屋の上階はさらに狭く、未だに手付かずの書類が所狭しと積まれていた。当主直々に使っていたらしいことが書きかけのそれや積まれた書類の端にある署名からわかる。当主が内密な書類を調べるために使っていた場所だということは想像に難くない。


 その机上には使いかけの手提げ灯といくつかの読みかけの本があった。そのうちの一つを手に取り、開いてみると一枚の紙がはらりと宙を舞う。


(ミユニ文字で書かれた備忘か)


 単語で植物と狼、と書かれている。今一度本のほうをみると、スローシュ大陸の民族ごとの歴史を宗教に分けて調べた学術書だった。

 ヨクリは少し考え、思い当たる。


(イヴェールだ)


 狼はシャニールで信仰されていた神、植物はリリス。両者が混在する都市がヨクリの古巣の港湾都市である。ヨクリは梯子を降り、イヴェールに関する本が並んだ本棚の前まで行くと、片っ端から調べていった。


 やがて奇妙な一冊の本に行き当たる。冊子はなんの変哲もなかったが開いても内容が書かれておらず、ただ製本された空白の頁があるばかりだった。

 なにかの間違いでこうなったのか調べるために根気よくめくっていると、ようやく手書きの文字が現れる。先ほどと同じようにミユニ文字で書かれたシャニール語だった。

 ヨクリは読み進めていった。記憶を失う前に培われていたであろう齢十二才程度の語学力しかなかったが、大まかな内容を把握するぶんには差し支えない。読めない単語や文法などは無視し、解読していく。


(これは……シャニール領の知人からの報告書か)


 旧シャニール国南西都市アルルーの現状についての仔細。図術兵器によって受けた傷が原因で非常に荒廃しきっていること、治安の乱れなどが列挙されている。

 そしてある著述に目をひかれる。


(青い光)


 引っかかって思い出そうとしてもざらざらした砂塵が舞うような思考の不明瞭さは拭えなかった。何度試みたとしてもそれを突破できそうにないのは感覚的にわかった。

 それは図術兵器の光だった。そしてその光に関する叙述に移ろうとしたとき、唐突にそれは途切れる。


 最後にランヴェルと言う名の人物名を残して。


(ランヴェル……? 思い出した、あいつが殺した貴族の名前だ)


 ヨクリはすぐに行き当たった。青髪の少女の件で関わった、貴族殺しを確保する依頼。その犯人は金髪の暗殺者ミリアだ。

 この報告書よりも確度の高い情報を持っていそうな人物が、おそらくはすでに亡くなったランヴェル家の当主だろう。


(そもそも図術兵器はいったいなんなんだろう)


 ヨクリは思考の海に深く沈みこんで行こうとして、


(っと)


 弾かれたように首を横に振る。ついでのほうに引っ張られてはいけない。


『ええ。私は相手がどなたであろうとも、全ての依頼を引き受けてきました』


 今一度薄紅髪の女の言葉を思い出す。


 危ういとヨクリは思った。以前ならば“断らない女”の所以などどうでもよかったが、もう違う。少なくともメディリカに仲間としての信頼を寄せていたし、ヨクリへ気を配り、言葉をかけてくれた恩があった。


 再び小部屋の上階へ上がり、つぶさに室内を調べると、埃が積もった手記があった。軽く開いて内容を調べると、これこそまさにヨクリが探していたものである。丁寧に表面を拭って、中身とハンサの証言が一致するのかどうかを確かめる。

 途中まで読んだ後ぱたりと手記を閉じ、荷にしまって汗を拭う。閉まり切った窓に加え、この小部屋は熱が篭りやすい。うだるような暑さだった。


 ここまで確認できれば十分だろう。ヨクリは用事の終わったアイシュースの邸宅を、来た時と同様人目につかないように後にした。

 無事トラウト家まで戻ってくると、普段使わない頭を回した上にこの暑さのせいでヨクリはだいぶ疲れていた。とりあえず借り受けた部屋へ戻ろうと歩を進めたとき、後ろから複数人の姦しい気配がした。


「いやー買ったねえ!」

「品揃えはやっぱりいつもより控えめでしたけどね」


 ヨクリが振り返ると、そこには三人の女学生がちょうどトラウトの邸宅に帰ってきたところだった。


「おや、ヨクリさんもお帰りでしたか」

「ターニャ様」


 ヨクリの様子を見て、ターニャが察して声をかける。ヨクリも頷いて、


「買い物ですか」

「寮で使う日用品なんかが必要だったもんで」


 ヨクリの問いにターニャは手提げを軽く持ち上げ、にこりと答えた。隣のフィリルを見ると、少女もそこそこの手荷物を抱えていた。ヨクリがそれを運ぼうと手を差し伸べるよりも前に使用人達が駆けつけ、瞬く間に荷を運んでいく。


「二人は先に部屋へ戻っててください。なにか飲み物を手配しますんで」


 ターニャが二人へ言うと、すれ違いざま、青髪の少女は少し立ち止まってヨクリへ会釈した。ヨクリも同じようにしたあと、自身の部屋へ戻ろうしたとき呼び止められる。


「ちょっといいっすか?」

「はい」


 ヨクリを呼び止めたターニャは使用人へ言付けたあと、ヨクリを応接間へ案内する。どうやらなにかヨクリに話があるようだった。

 二人は向かい合うように椅子に腰掛け、一息ついたあとターニャが口火を切る。


「元々リルさんの秘密をもっと知りたくて家に呼んだんすけど、思わぬ収穫ってやつです」


 悪戯っぽく笑ったターニャにヨクリも笑みを返したあと、一転して真面目な表情で頭を下げた。


「——食事の場でも言ったけれど、俺のことは内密にお願いします」

「——はい」


 ヨクリの出自に対して。そこに含まれる様々な事柄。フィリルへの影響。全てを察したような声音を持った返答だった。

 真剣に返してくれたことに、再びヨクリはターニャへ、改めて告げた。


「ターニャ様。フィリルのこと、どうか宜しくお願いいたします」

「顔を上げてください。リルさんは私の友達ですから」


 ターニャは笑顔で応答したあと、


「ヨクリさんも、兄さんのこと、お願いしますね」

「はい。できる限りを尽くします」


 最初から気さくに接してくれたタルシンにも、友誼を感じている。そして、タルシンの妹であるこの少女にも同じように。また一つ戦場を共にする理由が増えた。

 ヨクリが気持ちを改めていると、ちょうど本題に入る。


「——これは、言おうかどうか迷ったんすけど、たぶんこうして会ったのもリリス様のお導きってやつでしょう」


 身を固くした少女と仰々しい前置きに、ヨクリの耳は集中する。


「貴方のことが、噂になり始めてます」

「俺の? ——まさか、フィリルが」


 真っ先に思い当たったふしに、小首を傾げてターニャは訝った。


「? いや、リルさんは全然関係ないっす。先日の……」


 当主ハンサがどうなのかはわからなかったが、少なくとも子弟——つまりターニャとベルフーレの家の差が、その情報の差を生んでいるようだった。

 ヨクリとフィリルの間にあった事柄について、ターニャは知らないようである。ヨクリは頭の片隅でそう考えたあと、後ろにきた言葉に正確に反応する。


「……シャニール人征伐か」

「です。そのなかでただ一人ランウェイル側でシャニール人が活躍したって、事情通の間で交わされる書面で特筆されるくらいには」


 続けて、


「名の通った商家も大多数はツェリッシュ家を筆頭とするランウェイル側についてますけど、そうじゃない家もかなりありますからね。——内緒ですけど、父も先日の件にヨクリさんがこちら側として関わっていなければ、家には入れなかったと思います」


 ヨクリが国内のシャニール人として示した姿勢が、ひょんなところで意味を持っていたのだ。もしかするとクラウスはこういった事態も見越してヨクリへ征伐への参加を勧めたのかもしれない。


「気をつけてください。リルさんのためにも」


 ヨクリの身を案じてくれる言葉に、


「ご忠告、感謝します」


 ヨクリは沸き起こった感情を素直に声に乗せた。


 この一家に多大な恩を受けた。それに報いることができるように、ヨクリはますます全霊で臨まなければならない。だが、今はその重圧がどこか心地よかった。





 そうしてトラウト家での用が全て済み、一行はフェリアルミスを発とうとしていた。広間に関係者が集い、各々別れの挨拶をしている。タルシンはどこか吹っ切れた様子で、自身の父ハンサと別れを惜しんでいる。代わる代わるベルフーレも挨拶へ応対していた。ヨクリは簡単に済ませてから一歩引いたところでそれを眺めていると、人の輪の中から抜け出した一人の少女が顔を出す。


 フィリル・エイルーン。ヨクリにとって話をすべき相手だった。ヨクリを探していたようだった。ゆっくりした足取りで近づいてくる。


「ヨクリさん」


 二人は正面で見合った。やはり、少し寂しい。ヨクリは素直にそう思った。久々にフィリルの姿を見ることができて安心し、成長を感じて嬉しかったから。

 見つめあって、フィリルはヨクリへ訊ねる。


「また、会えますか」

「もちろん。暇を見て、手紙を出すよ」


 少女の事務的な書類をまとめて分校へ提出する際、簡単な近況を添えて度々手紙を綴っていた。内心迷惑なのではとも考えたが、たとえ返事がなくてもそうすべきだと結論づけ、反応は今まで訊いてはこなかった。


「……わたしも」


 少女にしては珍しく、僅かに眉宇に力がこもっていた。


「わたしも、お手紙、書いてもいいですか。……ヨクリさんへ」


 その言葉を聞いて、ヨクリは言葉に詰まった。


「——」


 直後、ヨクリは返答していないことにはっとして、


「……ああ。嬉しいよ」


 この気持ちがちゃんと、感情を処理することが苦手なこの小さな友人へ伝わっているだろうか。


「今度はゆっくり話ができるといいね」


 いつか暇ができたときに。きっとヨクリもまだこの少女に伝えたいこと、話したいことがたくさんある。


「楽しみに」


 心に刻むように、


「楽しみに、しています」

「うん」


 繰り返された言葉に、ヨクリは答えつつ手を差し出す。フィリルは僅かの間ヨクリの手のひらを見つめて、おずおずと握った。ヨクリはその小さな手をしっかりと握り、新しい約束を交わした。

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