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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
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   2

 それから空気は一変し、討伐に向けて建設的な話し合いが行われる。天幕内の具者たちはすでに落ち着きを取り戻し、規則正しく並んで従容と話の動向を追っていた。


 まず、名もなき“上級魔獣”を“翼の狼”と呼ぶことで統一する。探索班の持ち帰った情報を改めて精査し、改善点がないか吟味する。日程の延長を始めとする、さらに資金を投入してより良い状況を作るためにあらゆる方向での検討も前向きに進もうとしていた。


 得られたもの全てを活用しなければならない。最奥に鎮座していた掲示板に大きな紙を張り出して、クラウス自らが箇条書きにその特徴を筆記していく。また、机上ではベルフーレとジャハを中心に予算の組み直しが行われていたり、絵心のある業者が探索隊の目撃情報を元に、羽筆で“翼の狼”の外見的特徴、周囲の地形を描写したりしていた。普段業者たちが参考にする市販されている魔獣の資料や、さらに深く掘り下げた専門書なども積まれている。そしてそれらを真剣に覗き込み照らし合わせ、余すことなく頭に入れる具者たち。誰かが発した思考の整理や、あるいは小さな推論を皮切りに、会話も自然と活発になっていく。 


 そうして情報を共有していき全てのまとめが一段落すると、クラウスが“翼の狼”についての性質に踏み込み始めた。


「こちらでも確認できるほどの強力な波動情報だった。改めて間近で見たヨクリくんらに問いたい、あれはなんだ?」


 探索隊の到達したエーテルの海まではかなりの距離があるにも関わらず、余波はこの陣まで到達していたのだ。改めてあの“翼の狼”の有する能力の大きさに驚嘆する。


「背中から生える翼のような鉤爪をあいつが広げた瞬間、なんらかの図術が起動しました。こちらの強化図術を含めた全ての図術の効力が激減して、それで態勢を崩されて退かざるを得なくなった」


 最初からその性質がわかっていれば手の打ちようもあったかもしれない。わずかな後悔を頭の片隅で覚えながらもヨクリが説明すると、ジャハがヨクリへ頷いて言葉を引き継ぐ。


「あの中で高度な図術技法をもちいるのはおそらく不可能でしょう」


 支配領域同士の抵抗だけでは説明がつかない現象の影響下では、引具が主体となって効果を安定させる“感知”ですらやっとだ。ヨクリの技量では“拡散”どころか初歩的な干渉図術さえまともに使えるのかどうかも断言できない。


「あの結界のようなものに、心当たりはありますか」


 言葉とは裏腹にヨクリは薄々予想をつけていた。ファイン家の地下室にて、フィリルの講義でみせた、図術の効力を打ち消す仕組み。それに近いのではないかと。


「いくつかの推論は立てられる。だが現地でそれを確認しないことには断定することができん」


 クラウスは明言を避けた上で、


「——だから、全ての予想に対応できるように、手下どもも含めて策を練る。無論君たち具者の助けがいるがね」


 その声に宿った力強さは、おそらく貴族というよりは図術学の第一人者である自負からくるものだろうとヨクリは思った。

 ある程度の方向が決まると、ベルフーレが継いで新たな議題に移った。


「そのために必要なのが物資と人員ですわね。探索班の報告から計算したなら、どう見積もっても今の人数では足りません。それに、自治区への攻勢や貿易封鎖の影響で必要なものが品薄になっていますから、商家の貴族がたが備蓄を売ってくださるかどうか」


 “翼の狼”の特徴に加え、呼び寄せられる獣の群れの突破が必要になってくる。クラウスの策の成否にも影響する極めて重要な課題だった。

 ベルフーレの思案顔に、わずかの間天幕内から音が消える。皆が頭を回して提案を考えているのだ。そして、その静寂を破ったのはヨクリにとっては意外な人物だった。


「……心当たりが、あるっす」


 一同は声のほうを見る。

 決意めいた表情で発言したのは、タルシンだった。瀟洒な男を見たベルフーレは目を細めて愉快そうな笑みを浮かべる。


「“そのとき”に言を左右にされても困りますけれど、よろしいのです?」

「——はい」


 意味深なやりとりだった。タルシンの応答を見たベルフーレは笑みを納めてから頷きを返して、


「では、そちらは私も同行いたしましょう」


 と提案した。当のタルシンの意向はどうでもいいらしく、すぐにベルフーレは姉に向き直って、


「姉様は、父上に進捗の報告と、私が纏めた書類を届けてくださいな」


 プリメラは目を丸くした。自身に仕事を振ってくるとは思っていなかったのだろう。


「姉様の決断も、父にお伝えしましょう?」

「——はい!」


 妹の柔らかな声に、満面の笑みを浮かべて返答した。姉妹のやりとりを見届けた天幕内の時間は再び動き出す。


「——では再び人員を三つに分ける」


 クラウスが切り出し、説明を始める。


「負傷者の療管治療と追加の人員、不足する物資の確保。残りのものは陣の防衛と、探索班の情報を精査し、エーテルの海到達までの消耗を避けるために戦線を伸ばす」


 適切な指示のもと各員がそれぞれに割り振られ、残りの物資と予定の概算が整う。都度ジャハとベルフーレが少しのやりとりをし、確認していった。ベルフーレは幾度か手元の帳簿をめくると、おもむろに席を立つ。


「姉様、少し頼みます。私は資料を確認して参りますので、少し外します」

「え、ええ……!?」

「大丈夫ですわ」


 姉の動揺は想定済みだったのか、クラウスと、そしてマルスに目配せすると二人は小さく頷いた。そして連動するように、マルスはクラウスへと目線を向けた。

 少し張り詰めた気配をヨクリは鋭敏に察して、無意識にそちらへと集中していた。


「今度という今度は、僕も彼らと一緒に戦います」

「いいやマルス。言った通り君は私と一緒に陣で居残りだ」


 却下されるのをわかっていたマルスは、意地を張るでも、敵意を向けるでもなく、ただ真摯に内心を声に出す。


「叔父上、僕は確かにヨクリの言葉に感化されました。それは駝車のときと同じかもしれません。それでも、僕は彼らと一緒に戦いたい。ヨクリがそう思ったように」


 マルスは自分が感情に揺らいだことを素直に認めた上で、自身の家の当主であり、叔父でもあるクラウスに打ち明けた。その言葉に、奥で耳を傾けていたヨクリは顔に血が上っていくのを自覚した。


「わかっているよ」


 クラウスは、それを見越した上でその先について語りはじめる。


「だからこそここで、君にしかできないことを覚えてもらう」

「僕にしか……?」

「“翼の狼”に使える切り札のうちの一つになるかもしれない」


 てっきり金髪の青年に及ぶ危険を避けた上での判断だと思っていたヨクリも、想定していなかったクラウスの言葉に耳を傾けていた。


「……嘘ではありませんよね」

「信用がないな」


 クラウスは可笑しそうに笑った。失言だったと気づいたようで、マルスは自身の叔父から目をそらす。


「私とてこの依頼を成功させたいのは同じだ。セフィーネくんには無理をさせられないからな」

「……」


 つまり高度な図術操作を要求される事柄だとヨクリは即座に予想していた。おそらくはマルスも同じ推察に行き着いているはずだ。この図術士を除けばセフィーネとマルスは最も優れた技術を持つ具者だった。そのうち、負傷したセフィーネの名をあげたのだから自明だろう。もともとどちらの役目だったのかまではわからなかったが。


「——わかりました」


 マルスも納得したようで頷きを持って返した。平坦な声音と表情は感情の揺らぎがない証拠だった。やりとりは終わったようで、気を張っていたヨクリはわずかに弛緩する。

 その後しばらくの間会議は続き、討伐に向けた準備の開始が三日後の出立を目処に話がまとまると、一同は解散となった。





 活気付いた天幕を後にしたベルフーレ。裏手までくると、佇立して中で行われていた一連の出来事を聞いていた者がいた。驚愕を隠せない表情で語りかけたのは襲撃者の頭、カルネロである。


「なぜだ……」


 つぶやきを耳にすると、連れ立っていた三人の従者が警戒するように男の方へ一歩詰め寄る。ベルフーレは片手をあげてそれを諌めてから肩越しに振り返って、


「不思議に思われますか」


 ゆっくりと体を向けて正面に迎える。その問いにわずかに言葉を詰めたあと、


「……信じるというのか。真に受けるというのか。あのシャニール人のあんな話を」


 驚愕にかすれたカルネロの声に、ベルフーレは静かに笑った。


「そうですわね。ヨクリさんの言葉は、突き詰めてしまえば“皆の仲間になりたい”、ただそれだけでしたから」


 そして、男の目を見据えて、


「————でも、本当の言葉です。だから彼らはそれに呼応し剣を掲げた。そして私もまたその言葉に価値を見出し、剣の替わりに、積まれた金貨の枚数でそれを示すだけですわ」


 数多の金と人を操り、国の経済を動かす大貴族の誇りがその声から滲み出ていた。そして語るべきことは語ったと背を向けてから従者を連れて、新たに作られた自身の家へと戻っていく。その小さな背中をカルネロはただ見送るしかなかった。


 ——紛れもなく、カルネロはその少女や、あるいは先ほど起こった出来事に圧倒されていた。遠巻きに見守っていたカルネロの部下たちが近づいてくる。


「……俺は、どうしたらいいと思う」

「我々は貴方に従うのみです」


 カルネロの迷いにそのうちの一人が即答した。


「路頭に迷うかもしれんぞ……」

「もとよりあの場で命捨てる覚悟でしたから、怖いものはありませんよ」


 気遣うわけでもない自然に出たような響きを持つ言葉を向けられて、カルネロは頭を掻いたあと、長嘆息する。

 この部下たちは無法を働いていた悪評の原因である盗賊たちとは異なり、父の信念に感化され、父の代から付き従ってくれた者たちだった。あのときに掲げられた理想が無駄にならないようにカルネロはそれを正しく受け継がなければならなかった。


 すでに影も失せた小さな背中と、昔に見た大きな背中の幻影を見出すようにカルネロは虚空に目を向ける。未だその歩みは、混迷の最中にあった。

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