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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
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九話 縹渺の先の

 探索に出ていた間に着々と築き上げられていた陣のなか、一つの天幕の外でメディリカは耳をそばだてていたが、ややあって意識を空へと向けた。その場に居なくとも話し合いの重苦しい空気は外へと伝わってきていた。あれだけの人数が集まっているにもかかわらず、音が漏れでてこないからだ。


 見上げた先は、年中リリスの恵みが大地を照らし続けるこの地域にきてから初めての曇り空だった。雨が降るかもしれない。布で作られた日陰に並べられた水瓶の蓋を開け、持ってきた桶に水を移し、持ち上げる。メディリカがしばし眺めていた天幕の隣、負傷者用に設営された天幕に入る。

 物資が潤沢というわけではないので、男女の区別に布で仕切られているばかりである。女性側の幕をめくり、桶を砂の地面に置いた。布に水を浸して絞り、気を失っている者の体を丹念に拭き始める。何度か目を覚ましたときに医療用の補給液を口にし、小康状態が続いていた。クラウスの用意していた大型の検査器具を用いて調べた結果、逼迫した環境の中で行われた治療の際の不備も感染症もなく、命を取り止めたと診断してよいことが確認された。一人目の看護を終え、布を変えて薄幕で仕切られた隣へ移動して二人目に入る。首筋の乾いた汗に張り付いた砂粒を丁寧に拭っていると、横たわっていた黒髪の青年は感触に身じろぎして、ちょうど目を覚ました。 


「気がつかれましたか」

「……メディリカさん」


 ヨクリは顔を覗き込む女の名前を呟いた。しゃがれた声は、乾いた喉のせいだろう。メディリカはしゃがみこんで布を絞り、広げて淵にかけたあと、再び立ち上がってそばにある看護机の上に置かれている清潔な布で自身の白い手を拭うと、


「無理に動いてはいけませんよ。ヨクリさんも、血をかなり失っています」


 同じく備えてあった水差しを取り、青年の口へ持っていく。なんらかの葛藤があったのかわずかに逡巡するそぶりを見せてから、しかし大人しく咥えると幾度か喉がこくこくと動いて、手をあげてメディリカに礼を言った。


「……皆は? あれからどうなったんです。——トールキンや、セフィーネさんは」


 わずかな焦りが感じ取れる声だった。メディリカはその心配を払拭するように、落ち着いた声音で状況の説明を始める。


「大丈夫」


 メディリカは隣を指差した。ヨクリがその方へ顔をやると、そこには眠るトールキンの姿があった。ゆっくりと上下する胸元は、落ち着いた呼吸を表していた。


「戻ってきた人のなかで、命を落とした人はいません」


 どうやって救援が間に合ったのかを説明してから、天幕の入り口へ目を向ける。


「……今は皆、隣の天幕で今後の方針について話し合いをしています」


 ヨクリはそれを耳にして、小さな息をついた。そしてきつく瞼を閉じてから居てもたっても居られずといったさまで腕に力を込めて体を持ち上げた。


「ダメです、ヨクリさん」

「……いいんだ」


 痛みをおすようにヨクリは緩慢に上体を起こしたあと、体を折って靴を履く。そして立ち上がった。その横顔はこの依頼の始まりに見た信念を瞳に宿していた。それを見てしまうと、メディリカは言葉に詰まってしまった。この青年がなにをしようとしているのか、直感的にわかってしまったからだ。

 ふらつくその背を思わず支えようとして、本人に止められる。


「メディリカさんは、二人を看ていてください」

「……」


 男性の、それも業者の中では小さな背中と細い線。しかし確かな強い意志を感じ、メディリカは遠い昔を思い出していた。


 父の背中を。


 だから、なにかを為そうと行く青年を、姿が見えなくなるまで目送する。


「……きっと、通じますよ」


 ただ、昔背中にかけた見送りの言葉とは違っていたが、しかし希望を小さく呟くことは止めることができなかった。





 劈頭よりも前から、天幕内は何人たりとも一言も発さない重苦しい緊張に包まれていた。

 覇王の遺獣の強大さをその骨身に刻み付けられた探索部隊たちの話があったからである。死者がでて、それでも満身創痍で帰還を果たした仲間の言葉を疑うものはいなかった。なにより、ジャハというこの集団の中核の一人が体感し、皆に説明したのだ。虚偽などあろうはずもなかった。


「この依頼が、とても難しいことはわかっていたつもりですけれど」


 ようやく、この集団の長の一人、ツェリッシュ家のベルフーレが状況を俯瞰するように呟いた。


「……」


 隣に座るクラウスは瞑目したまま一言も発さなかった。それは思案しているようにも、あるいはなにかを待っているようにも見えた。

 一同にはこの依頼を放棄し、諦めるという選択がありありと見えていた。特に顛末を報告をしたジャハの表情は暗く、その困難さを言外に物語っていたからだ。

 さらに、集った業者は経験からその空気を読むことになによりも長けていた。しばし時が止まったような間のあとに、外と内とを仕切る扉替わりの布を払う小さな音がその静けさを打ち破る。

 逆光気味のその姿は、傷と疲労を癒すために未だ眠っていたはずの黒髪の青年だった。

 一同はその姿を見た。


 ——ただ一人、クラウスだけが本当にごくわずかに、口角をあげていた。





 起き抜けに説明してくれたメディリカの言葉を思い出す。結晶洞で別れた具者は一度辿った道を迷わず進めた上に、道中セフィーネの意識が一度戻り、図術信号を発したことで救援の具者がかなり早く到着したのだ。さらに救援の具者に重傷者を任せ、道を熟知していて未だ動けるジャハたちが即座に引き返した結果、ヨクリとトールキンは獣の餌にならずにすんだ。あの窮地で見た逆光気味に覗くジャハの顔を、ヨクリはきっと生涯忘れることはないだろう。

 そして、重傷を負っていたにもかかわらず目を覚まし、図術を使ったセフィーネに対しても。皆が力を合わせてヨクリらを救い出してくれたのだ。


 あんな化け物を相手にしたのだ。直に戦ったヨクリには痛いほどよくわかる。心が折れてしまったとしても仕方がない。どのみちこの戦力では絶望的だ。

 そんなことは最初からわかっていたけれど、それでも剣を交えなければわからないことも、わかってしまうこともある。

 労りを向けてくれたメディリカと、治療用の天幕で眠っていたトールキンの顔を思い出す。

 皆に伝えたいことがあった。たぶん今じゃなければ間に合わない。


 ヨクリのこれまでのこと。そしてこの戦いで悟ったこと。

 それを伝えるために、疲労と失血で反応の鈍った体をひきずって、ヨクリはこの天幕へ足を運んでいた。


 身を包む、極度の疲労が回復しきらない気怠さと、未だあちこちから伝わる鈍い痛みから額に流れる汗と短い距離を走っただけでついてこなくなる呼吸。

 胸に入って体に巡る空気を指先まで確かめるように肩で息をして、ゆっくりと整える。


 どんな雰囲気で、どんな会話をしていたのかその場に入ったヨクリにもすぐにわかった。暗い気配が支配している。依頼を成功に導くための計画に蹉跌をきたそうとしているのだ。


(——変えられるだろうか。俺に)


 一度心中で自身に問いかけてから、具者たちが並ぶ列と中央の天幕を支える主柱を横切って、最奥の図術士らの元へ歩み寄る。


「傷はもういいのかね」


 静かに口を開いたのはクラウスだった。ヨクリは図術士へ小さく頷いたあと、


「話し合いは、どうなりましたか」


 問いかけた先はその横に座るジャハだった。少しの間があり、落日の都市の使者はなにも答えることなく俯いた。ヨクリは目を切ってクラウスらに背を向けると、他の具者たちの返答を待つようにゆっくり二度見渡した。そのうちのアーシスとミリア、知己の具者と目が合う。その二人の眼差しが、ヨクリへ決意をもたらした。


「少しだけ、俺の話を聞いてください」


 全員の集中がヨクリへ向けられる。緊張による喉の渇きを感じ、小さく喉を鳴らした。


「……皆の助けを借りて、なんとか命拾いしたけれど、確かにめちゃくちゃにやられた。そんな俺が言ってもなんの力もないかもしれない」


 前置きしたあと、すうっと、ヨクリは大きく息を吸い込んだ。


「それでも俺は、あの獣を倒したい」


 響き渡った言葉に、はっとジャハは顔をあげた。


「たとえ戦いを共にする人が誰もいなかったとしても……俺は、もう一度あの獣と戦いたい」


 その願いの根源は剣腕への自負でも、強敵との戦いでもたらされる高揚を得るためでもなかった。

 ヨクリにとってはただ自己を肯定するための戦いなのだ。もう、そういう戦いなのだ。

 天幕の皆の集中が一気にヨクリへ向けられ、高まっていく。なにを話そうか、ヨクリは決めていた。それでも打ち明けるのは、いくばくかの勇気が必要だった。臍を固めて、


「俺は————俺は、先日の首都の動乱に参加した。シャニール人としてじゃなく、ランウェイル側として剣をとって……首都で、たくさんの同胞を斬った。それがどういう結果に繋がっていくのか、今はわからない。……この国にとって正しかったのかどうかさえ、はっきりと答えることもできない」


 自身の身の上を打ち明けたその語りに、息を飲む音がいくつか聞こえてくる。それらがどういう感情からきたものなのかも、今はいい。

 ヨクリは少し間を開けてから、


「でも今回は、違う。あの獣を倒せば救われる人たちが確かにいるんだ」


 遠い昔の学び舎でのこと。多くの嘲笑と侮蔑とを受けながら暮らした日々を思い出していた。


 そのなかで、誰もが染まるはずの空気を物ともせずヨクリへ向き合ってくれた緋色の髪の友人。

 この天幕にもいる、金髪の青年。

 その後失意のうちに出会った茶髪の青年。その具者の庇護者。家族。

 一つの契約を交わした、青髪の少女。

 暖かな気配を持った集落の住人たち。

 そして、ここに集う、剣を携えた全ての者。


 ヨクリの好きな人たちに認められるために、そして、僅かながらその感情を向ける人たちの平穏に繋がると信じて、ヨクリは徒らに戦火を広げようとする同胞たちを斬るために剣を取った。そのシャニール人にもそうするだけの理由があると知っていながら。

 しかし、この依頼は誰かの意志を力でねじ伏せるものではない。ただヨクリやここに集う具者が最善を尽くそうと努力するだけで、確かに誰かのためになる。


 ————剣で人を救える。


 自分に言い聞かせるように、ヨクリは言葉を続けた。


「苦境に立たされている人がいて、その人たちを俺が剣を取ることで助けることができるのなら、どんなに困難でも俺はやり遂げたい」


 そこで、ヨクリはきゅっと唇を噛んだ。


「……そうすれば、きっと皆に認めてもらえると思うから」


 声音は震えた。心の奥底にずっと秘めてきたものを初めて多くの人前で打ち明けたからだった。一つ小さく呼吸して、


「ここに集まった貴方たちは好い人たちだ。それでも、俺のようなシャニール人に嫌な感情を持っている人だってたぶんいる。おかしなことかもしれないけれど、皆であの獣を倒すことができたら、俺は皆の仲間として胸を張れる気がするんだ」


 ヨクリは自分の感情をぶつけていた。


「だから……だから、俺は、ここにいる皆と一緒に戦いたい」


 自身の言葉に力はないけれど。


 剣を向けた敵を変えることはできないけれど。それでもここにいる人たちなら、もしかしたら。

 そんな期待をまた抱いてしまったから、ヨクリはそれを声に出すことを、今は迷わなかった。


「俺は俺のために、皆と戦いたい……!」


 感情の最後の一滴を絞り出すように、ヨクリは告げた。


 しばし、静寂が埋め尽くした。

 そしてその直後、張り詰めた均衡を破ったものがいた。


「——この小僧に手ぇ貸してえやつはいるか」


 その人を従える力を持った声の主は血鎖の頭領ガダだった。低く太い声音はうちに秘められた感情を表すちりちりとした熱さをヨクリへ伝えてくる。


 血鎖の頭領のなにかを確かめるような問いかけに応じた影が一つあった。

 ヨクリがそこへ視線をやると、拳を握り、力強く振り上げる茶髪の男の姿がいた。





 語り終えたヨクリを見て、アーシスはじわじわと染み渡るような感慨を覚えていた。この青年が決心して皆に信頼の一端を伝えたことにも、そして、あの魔獣に相対して命からがら逃げ帰ってきても揺るがない闘志にも。


 戦いの場では厳しく釣り上がる目は、今はただ自己を否定されることの恐怖に微かに揺らいでいた。それは短くない付き合いのアーシスでようやくわかるほどの、わずかな感情の発露だった。

 この青年はアーシスにとっては取るに足らないことについて怯え、そしてアーシスの心が折られるようなことには意に介さず、道程を鑑みず、ただ障害を排除することになにも躊躇わない。


(そうだ。こいつはずっとそうだった)


 青髪の少女とのときも。アーシスが止めても、ヨクリは意思を曲げようとはしなかった。

 集落の最後、戦闘奴隷兵たちへ剣を向けたときも。そしてそれを率いるジェラルド・ジェールに剥き出しの敵意をぶつけたときも。利に合わない、理にかなわない戦いに身を投じたとしても、決して戦意を失わない。

 あのとき、その黒髪の青年の姿がアーシスの萎えた心に熱を取り戻させた。

 こんなものではないと。それはヨクリに向けてだけではなく、自分自身にも思った言葉だったのだ。


 アーシスはヨクリの強さの根源が、研ぎ澄まされ卓越した剣腕ではなくこの不屈の心なのだろうということにとうとう行き着いた。


(皆、ずっとお前のことを認めてたんだぜ)


 青年が出自を気にかけ、後ろめたさを拭えずに皆と距離を取っていたときも、共に南に臨んだ具者は青年を認めていた。そして、血鎖の頭領をはじめとする、この依頼の前に出会った業者たちも。


 ——拳をあげさせたのはきっと、黒髪の青年へ抱いた感謝と悔しさだった。


 アーシスの示したヨクリの言葉へ同調する仕草に、徐々に、そしていくつもの、拳を握りしめ天へと突き出す具者たちが続く。


(まだ終われねえよな)


 この困難と、あの日集落で味わわされた苦渋とをただ想い、アーシスは胸中で呟いていた。

 探索隊が持ち帰った情報に暗い淵へ突き落とされた。しかし絶望するのは、探索班だけではなく、ここにいる具者全員が覇王の遺獣と相対し、剣を折られてからでもできる。

 アーシスの姿勢に呼応した、探索隊に加わっていた一人の男が続き、そしていちどきに拳を振りかざす衣摺れや防具の擦れ合う勇ましい音が鳴り響いた。





(杞憂、だったか)


 マルスは具者たちの示した心震える行動に目を向けながら、黒髪の青年を見て安堵していた。先日の長い夜から張り詰めていた気配は消え失せ、今はただその光景に目を丸くしている。


(いいほうに向かうといいな)


 友の行く末を案じつつも、頬を緩めていた。天幕を覆っていた閉塞した空気が打開され、あるいはどうにかなるのではないかという希望に満ちていた。蛮勇ではなく、全員が知恵を絞り、努力し力を合わせればその光明が示す先へ行けると言う正しい希望。

 そのきっかけを作ったのは紛れもなく目の前の友人だった。


「素晴らしい、ご友人ですね」

「——はい」


 隣に座る自身の婚約者の言葉に、マルスは硬く頷いて即答した。

 あの黒髪の青年はこういう困難を自身の運命と寄り添わせられる人間だった。そしてまた、放っては置けない危うさも同時に持っている。

 自分のためといつも言っておきながら、結局他人のためにしか能力を使うことができない。それは表裏一体だということを頑なに認めないのだ。長年顔を付き合わせてきたマルスにとって心を許せる存在。


「私も……」


 プリメラは言いかけて、きゅっと口を結んだ。瞳に湛えられた光から、それがなにがしかの決意であることが見て取れたが、マルスはあえて触れなかった。これほどの身分の差がある人間にすら影響を与えられていることを、黒髪の青年はまだ知らない。それがマルスには歯がゆかったのだ。


 そして一方でマルスはこの一連の出来事を俯瞰的に見定めていた。


 明らかにクラウスは場の空気を変わるのを——黒髪の青年が天幕を訪れるのを待っていた。

 いかに強大な相手であったとしても、そもそもこの依頼への動機が業者たちの善性によるところであったため、それを思い出させてやれば立て直しは難しくない。そういう心の強靭さを持たない人間はそもそもこの戦いに参加するだけの力も持てないだろう。


(だからヨクリを使った)


 実際、直面した問題を考えるそぶりを見せたのはベルフーレで、クラウスは一言も発していない。どこまでが偶然で、どこからが計算なのかもマルスには判然としなかった。


(……いや、いい)


 マルス一人が物憂げな顔をしては叔父に感づかれる。反目しているのはわかっているだろうが、心の深くまではまだ届いていないはず。子供の駄々と同じだと思われているほうがマルスにとって都合がいい。

 それに、急激な変化に適応しようと足掻く友人の舞台だ。マルスはそうやって考えを落ち着けて、今はヨクリを自然に見守ることに徹した。





 大勢の前で話をして、それが認められたことに胸を撫で下ろしたのはいっときのことで、戦いの意を示した具者たちへどうすべきか決めあぐねていると、その中で後ろから近づいてくる人物がいた。

 話の初めに目があった、砂漠の民をいずれ率いるであろう、ジャハである。ヨクリへと一歩詰め寄ったことで、並ぶ具者たちはそれを見届けるように居住まいを正す。しばしの間があって、ジャハは語りかけた。


「ヨクリくん」


 重たい感情を乗せるように名を呼んで、


「私は臆した。あんな化け物に敵うはずがないと、そう思ってしまった」


 人が創り出した、人智を越えた獣。間近で見たヨクリにもその気持ちがわからないはずがなかった。


「そうだ。君の言う通りだ。たとえあの獣がどんなに強敵だとしても、我々が諦めてしまったら、もうサンエイクを救う手立てはなくなるんだ」


 再び自身へと言い聞かせるように、矢継ぎ早に、半ば捲し立てて言いきったあと、


「——ありがとう」


 両の手で、硬く右手を握られる。大きく暖かい手だった。

 ぐいっと手を引かれ、具者たちの中央へ導かれる。そのほうを見ると、悪そうに笑っている茶髪の友人の見慣れた顔があって、直後、改めて戦いへ向けた、たくさんの力強い声が次々降り注いでくる。

 そうして、声をかけてきた具者たちにヨクリはもみくちゃにされる。ただ目を回すことしかできなかったが、ようやくその声の一つ一つが闘志に満ちていることに気づき、ヨクリは口元を緩めていた。


 そして熱を保ちつつも穏やかな光景のさなか、天幕の最奥から静かに立ち上がった者がいた。

 嫋やかな表情をおさめ、決意に満ちた表情で。具者たちの注目はややもせず集まっていった。


「——ベル」


 声音も、大きくはなかったが張りつめられていた。緊張や怯えではない。そのうちにあった覇気によってだ。


「私の、父上から引き継いだ財産。その全てをあなたと、ここにいる皆さまにあずけます」


 他でもないベルフーレにはその発言に込められた決意が伝わった。


「……姉様」


 瞳を微かに揺るがせ、ベルフーレは呼びかける。


「よいのですね」

「はい。お願いします」


 実姉のらしからぬ力強さがこもった声に、ベルフーレは一つ大きく頷いた。


「——わかりました」


 姉の決意に、その妹は気配を改める。次に見せたのは妹としてのそれではなく、民を従える覇者の風格だった。


「お聞きになりましたか、皆さま」


 腰を浮かして机上に両手をつき、天幕内の全員の顔を見渡して、


「私たちは総力を挙げて、皆さまを支援いたします」


 言葉を切って、


「このために積み上げられた金貨の山。これを私の手元に余らせることは未来の父が許しても、今の私が許しません」


 天幕内の全員を見渡して、語りかける。


「倒します。なんとしても」


 その張り詰めた硬い宣言に、しんと静まり返った。

 そして次の瞬間、ひときわ高い歓声が上がる。


 発揚した士気に天幕内が震え、曇り空を吹き飛ばすような強い信念の声が湧き上がった。

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