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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
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   2

 明け方近くに休憩を終え、一行は再び歩を進める。発見したエーテルを含有する川までくると、上流へと向かった。

 森に生きる生物も本能的にこの川の毒性を知っているのか、あたりは木の葉の擦れる音以外は静まり返っていた。上流へ上流へと草を踏んでいくと、なだらかな丘のように山なりになっていく。そして、一行の歩みは唐突に止まった。行き止まりというには語弊があるが、進むか戻るか話し合う必要があったからである。


 ちょうどそのとき、頭上で小さな羽ばたきが聞こえてきた。巨木の枝に止まる、黒一色の鳥たちが赤い目を揃えてヨクリらをじっと見下ろしている。

 “賤鳥”。都市外の業者や獣の死肉に集る魔獣の一種だった。こちらから刺激しない限り襲われることはないが、妙な不気味さを感じる。こいつらが湧いて出るところはつまり死体が多いということだからだ。あるいは、陣を作り始めた業者たちを見て、自然と集まってきたのかもしれないが。


 たどり着いた上流はぽっかりと口を開けた洞窟へ飲み込まれている。五人が十分に入って探索できそうな広さを有しているが、湿気の多い洞窟は足場が悪く危険だった。どこに通じているかも、いつ崩落するかも判然としていないため、直接衝撃が起こるような干渉図術も使えない。


「どうします……?」


 とはいえ、ここで引いてもあまり意味はないだろう。洞窟用の装備を今から調達するのは時間がかかり過ぎる。


「気をつけて進もう」


 ジャハは一歩洞窟へ近寄ると荷袋から油の入った瓶を取り出し、布を割いて染み込ませ即席の灯を作り、火打ち石で着火する。ぼう、と炎が熾り、浅黒い肌を照らした。後方に振り返って一つ頷くと、皆も同じように頷きを返した。そうして進退は決する。


 ——暗闇を行く背を、“賤鳥”たちは一鳴きすらせずただ見ていた。


 松明を携え、ジャハが先導する。光源がなんなのかはわからなかったが、洞窟内部はわずかに明るかった。水のせせらぎを頼りに、ひたすら中を探索していく。少し肌寒いくらいの温度。五人分の硬い足音が反響し、松明の先の暗闇に吸い込まれていく。うごめくものの気配は感じられない。天井から染み出してきた水滴がぽたりと落ちて、洞窟内を流れる川に波紋を作る。


 警戒を怠らずしばらく進むと、奥が唐突に明るくなっているのがわかる。地上が近いのかと思ったが、どうやらそうではない。新しい風の気配がないからだ。

 妙な違和感に一同は身を硬くして警戒しつつ、その光の正体を確かめるために距離を詰めていった。

 そして、突き当たりを曲がったとき、視界が煌めく光に覆われる。


「すごい……」


 感嘆の声を漏らしたのはセフィーネだった。まばゆく輝く結晶の数々が洞窟内に群生している。しばし呆然としてから、ヨクリはそのうちの一つに歩み寄った。


「これ、なんの結晶だろうか……」


 ヨクリは中指でこんこんと叩いて見る。色や環境から、エーテル結晶ではない。ヨクリに倣うように一行は一様に興味を示す。トールキンは大剣の柄で結晶を割ると、かけらの一つをつまんでしげしげと眺めた。ジャハも結晶洞窟内部を見渡して、光の出所を探っている。エーテルのように結晶自体が光を発しているわけではなく、どこからか伸びる光を乱反射させているようだった。


「エリサイの白晶峠に似てはいますが、それとも少し違うようですね」

「高値で売れたりしねえかな」

「まあ、クラウス様たちがいずれ調査してくれるだろう」


 ひとしきり関心を寄せてから、ジャハが締めた。皆頷いて、さらに奥を目指す。このぶんなら松明も要らないだろうが、明かりがなくならないとも限らない。相談ののち、点火したまま進むことになる。


「しかし、一匹も魔獣でねえな。拍子抜けだぜ」


 油断をするつもりは毛頭ないが、ヨクリも同意見だった。暗がりを好んで生息する魔獣は特段珍しくはない。ここまで人の手が入っていない洞窟ならなおさら、なんらかの生き物の痕跡があって当然だが、それすらないのだ。


(この川か)


 洞窟を流れる川はエーテルの濃度が高く、この環境に順応できる生き物は皆無である。加えて飲み水にもならない。


(体が小さい生き物のほうがエーテルの悪影響を受けやすいというらしいし)


 そういった要因から魔獣などが寄り付かないのはありうる話ではあった。

 ただ、ヨクリを除けば長槍と大剣、さらに遠射手と治癒者という構成なので、閉所での戦闘に不向きである。この洞窟内で魔獣がでないのはありがたかった。

 黙々と進み、しばらく結晶は壁面や天井に顔を見せていたあと、徐々にその姿を減らしていき、かなり開けた空間へ出る。進行方向の遠くから淡い光の筋が伸びていた。今度こそ地上だろう。


「かなり長かったな」

「半刻程度でしょうか」


 と、そこで一行は気づく。先ほどまで一本だった川が、深く広がる水溜りに姿を変えていた。エーテルの始点は目の前のこれにも思える。


「見てください」


 セフィーネがさした指の先は暗がりだった。ジャハが松明を翳して照らすと、噴出するように流動する土が透き通った水の奥に見える。湧き水だ。


「ここがエーテルの湧いてるとこなのか?」

「いえ、多分違うと思います。でも私たちが辿ってきたこの川と、陣地で使っている川の水源は別でしょうね」


 トールキンに答えつつセフィーネは杖を翳し、調査をする。川辺と同じように展開された紋陣が杖の上でゆっくりと回転していく。図術的な細く高い音が洞窟内に反響し、わずかに耳障りだったがヨクリは眉を顰めて堪えた。


「うん。やっぱりさっきよりも濃いけど、他より極端なほどじゃない」


 調べる前に確信していたような口調で断定する。


「ここが源泉ではないと仮定するなら、やはりこの先か」


 ジャハが出口を見遣って言うと、セフィーネは頷いた。トールキンはその様子と洞窟内とをぐるりと見渡しながら、


「砂漠にでけえ森、結晶の洞窟だぜ。どうなってんだこの辺りは」

「是非、ここに通える研究所を建てたいですね!」


 セフィーネは半ば本気のような声音でトールキンへ返した。ハスクルに勤めていた才女には興味をひかれるものが多すぎるのだろう。

 ヨクリは男の疑問に、内心でなかなか鋭い直感だと感心していた。そもそも大樹がここでしか見られない特異な植物である。結晶に関しても太古からそうだったと考えるなら、地質的になんらかの鉱物が発生しやすいのだろうか。そうでないとするなら、なんらかの外的要因があると考えたほうが自然だ。


(エーテルの海はありそうだ)


 疑っていたわけではないが、確信を深めるに足る状況的証拠の数々を見せられる。

 そうしてエーテルの簡易的なエーテルの調査を終えて、結晶洞を抜けると風の感触が変わったことに気づいた。ヨクリらの進行方向へ向かって強く吹いている。大樹は僅かに密度を減らし、幾分か開けた場所になっていた。ざわざわとさざめく巨木の森は、ここが尋常ではない場所だと伝えているような意思めいたものを感じさせる。


「……近いです」


 セフィーネが風を追うように顔を向けて呟いた。


「エーテルの海は触れた空気も分解させるから、まるでその方へ向かって補うみたいに、こんな風が吹くんです」

「俺たちもやばいんじゃねえの、それ」

「たとえエーテルの海のそばに寄っても、すぐにどうこうなるほどの影響はありません。もちろん、長居はしないほうがいいでしょうけど」


 ようやく探索班の本懐を遂げられるだろうと、ヨクリらは自然と身を硬くしていた。


「ならばここを夜営地にするか」


 洞窟内に魔獣はおらず、雨風もしのげる。エーテルの海が近いことから、ジャハの案は良いようにヨクリには思えた。


「賛成だ」

「日が落ちるまでにはここに戻ろう」


 トールキンが頷き、一同も倣う。二、三日は使う予定であるから、嵩張る荷物はこの場に置いたほうがよい。一行は朽葉や枝を集めて魔獣避けの香を炊き、それぞれ荷を置いて石などで囲いを作って万一食料の匂いを嗅ぎつけられても荒らされないようにする。そして、セフィーネは集落遺跡でおこなったように位置を知らせる紋陣を打ち出した。


 一連の作業を終えたあと、幾分か身軽になった一行は風の向く先へ歩き出す。差し込む陽光は増え、この森の違う顔を覗かせた。そうして歩いていると、がさがさと先のほうから荒っぽい音が聞こえてくる。その音に一同は素早く顔を見合わせ、各々の引具を抜刀する。

 直後唸り声と共に現れたのは、複数の魔獣だった。


「こいつら、見たことねえな」


 トールキンが獣の群れに剣先を向けながら呟く。


 長耳、ではない。しかしよく似た魔獣だった。少なくともヨクリの記憶のうちにこの外見をした魔獣は存在しない。前方に三匹、後方に四匹。挟み撃たれた形になる。

 五人全員が即座に身構えて戦闘態勢に入る。いち早く前へ出て杖を掲げたのはセフィーネだった。


「展開します!」


 高く言い放つと、紋陣が三つ、女の前と左右に現出する。放出された強力なエーテルがセフィーネの衣服の裾をはためかせる。


 “多重起動”。紋陣を複数生成する高等図術技法である。続けて“動”を省略し、自壊するように紋陣が消失した。ちかりと眩く光る光条が獣の頭部を射抜いたが、一見外傷はない。干渉図術の発現にヨクリは失敗したのかと思ったが、そうではなかった。

 直後、耳をつんざく吠え声が森の中を駆け巡った。狂乱し、頭部を激しく振る獣たち。一瞬のうちに目を焼いたのだ。


 “灼光”。光を発生させる干渉図術である。”旋衝”などと同様にエーテルの消費量によって威力を自在に操ることができる図術で、使い手によって有用さが大幅に変わる図術の代表格だ。知識だけはもっていたが、ここまでの精度、威力を両立させた図術、そしてそれを操る具者はヨクリも見たことがなかった。


 セフィーネの図術で視力を失った獣の首を、迅速に三人が撥ねる。前方の三体を一瞬で撃破したあと、くるりと身を反転させた。近接手の三人はセフィーネの合図を受け、残りを固まらせるように誘導する。獣の集団の真下へ展開されたのはセフィーネの作り出した敷陣だ。

 発動前の光は一瞬で、獣が回避するよりも前に起動する。当意即妙の連携だった。

 光の柱に包まれた獣たちは影に消え、直後毛皮に火がついて全身発火する。極めて強力な図術だった。


(これが一流の遠射手か……!)


 その資質上、優れた遠射手は必竟図術制御にも優れるので研究機関に従属することが多く、業者として依頼で遭遇することは稀である。ヨクリもここまでの完成度を誇る遠射手は初めて見た。具者というよりは図術技師の側面が強いマルスに引けを取らない多彩な図術制御方法に加えて戦場を見極めて操作を選択するさまは、ヨクリをひたすらに感心させるものである。

 セフィーネの杖は水質の調査と位置を知らせるための施術がなされており、一種類の干渉図術、“盾”と合わせて引具に施紋できる領域全てを使っていた。つまり、なんらかの補助図術も用いていないのだ。


 間合いの広いジャハが流れるような槍捌きで四匹の急所を貫き、即座に動きをとめた。かなり拓けているところなので考えにくいが、暴れまわられてどこかに引火されても困る。地面に生えていた低草は、敷陣の中央は消し炭に、外周は燻るように燃えていたが問題はないだろう。


「敷陣はちょっと威力が強過ぎますね……」


 セフィーネは死体を燃やす炎を消化するヨクリらを眺めて、申し訳なさそうに眉尻を下げた。未知の獣に肩に力が入るのはしょうがない。


「今の術を大樹に直接ぶつけてもそれが燃えることはないでしょうから、心配はいらないと思いますけれど」


 ヨクリもメディリカに同意見だった。この作業はただ万一の事態に備えているだけだ。むしろ、どういう干渉図術であれ強力であるに越したことはない。相手は上級魔獣なのだから。

 トールキンの大剣で適当な大きさに輪切りしてから、ヨクリらがそれを踏みつけて消火は完了する。


「まあ、この程度の相手なら、敷陣は、使わなくてもいいかもな」


 肩で息をしながらトールキンが締めた。戦いそのものよりも体力を消耗したが、こうして結晶洞の先で行われた初めての戦闘は終わる。


 その後も幾度か長耳もどきに襲われたが、最初の戦闘で行動の傾向を掴んだヨクリらは難なく退けつつ、探索を進めていく。面積あたりの大樹の占める割合は多少減っていたが、足場が隆起し、洞窟を抜ける前よりも歩きにくくはなっている。似たような景色が続くため迷いやすさもあったが、風向きが常に一定なので、とりわけ目立つ地形には地図に標をつけ、あるいは大樹そのものに刃で刻み、痕跡を残しながら進んでいく。





 塵吹く砂漠をひた進む。資材の補充のための往復の部隊にアーシスはいた。積荷が帰りの物資以外存在せず、また戦闘や都市外での活動に不慣れな職人たちも居ないため、帰路のほうが行軍の速度ははるかに上がっていた。野営地点の設備もほとんどそのままであり、盗賊などに荒らされていなければそのまま使用できる状態だ。行きと比べて倍以上の速度で進軍していた。

 “砂大蛇”への対処も行きの道中で洗練されてゆき、ほとんど完璧に近い対応策に仕上がっている。都市へ着きさえすれば一日単位のまとまった休息がとれるため、補給隊への志願者は多かった。


 昼の休憩を終え、歩いていたアーシスに砂を踏む音をたてて近づく姿があった。そちらを向くと、ひらひら小さく手を振っていたのはミリアである。アーシスと同様に、探索班でも陣の警備班でもなく、補給に回されていた。


「やほやほアーシス久しぶり」

「他の連中に迷惑かけてねえだろうな」

「えー、皆ちやほやしてくれるよ」


 そういうところだと額を軽く小突くと、ぶえ、と妙な声を小さくあげる。

 この金髪の暗殺者とやりとりをするのも久方ぶりだった。おそらくは意図的に接触を避けていた黒髪の青年とは違って、作戦行動の際にたまたまずっと離れていただけではあったが。


「こんな仕事ばっかなら楽なんだけどねえ」

「そのぶん森の連中は苦労してるだろうさ。オレらも気合いいれねえとな」


 別にやる気を出させるわけではないが、心のままをミリアに言うと、へにゃりと呆れっぽい顔で返される。


「アーシスって、見た目と違って結構真面目だよね」

「ほっとけ」


 人のことを言えた義理かとアーシスもなおざりにする。

 アーシスはミリアに対して必要以上の悪感情を持っているわけではない。レミン集落の一件で世話になったのも事実だし、あの黒髪の青年ほど潔癖ではないからだ。

 それはそれとして、人を食ったようにする態度を隠そうともしないのはアーシスの好みからは外れているが。


(こういうの、なんつーんだっけな)


 同じような気配を感じてしまうからこそ、鏡写しの自身を見ているようで避けたくなる。エイネアと出会わなければ、などと女々しいことを考えてしまうからだ。

 とりあえずその考えは置いておき、アーシスは隣を歩くその少女に聞いた。


「そういやお前、あいつと話したか?」

「だれ?」

「ヨクリだよ」


 ミリアは少し間を置いて、水筒を一口煽った。


「あー、うん。したよ。これもヨクリに見繕ってもらったんだし」

「ほー」

「あたしがヨクリの買い物に勝手についてったんだけどね」


 アーシスの表情から続けられる言葉を察したのか、飲み終えた蓋を閉めつつ言葉を継ぐ。


「でもまあ、あたしが普通じゃないから許してくれたんでしょ」


 腰の革帯に水筒を戻して、手のひら両方を空へ向け、肩をすくめて呆れっぽく続けた。


「自治区のいざこざに首突っ込んだヨクリの気持ちがわからないわけじゃないからねぇ」


 捨て置けない言葉に、アーシスの眉は顰められる。


「……なに?」


 聞き返したアーシスに、ミリアはきょとんとしたあと、しまったというような顔をする。


「え、もしかして聞いてない? ……あちゃー、悪いことしたかな」


 少女のばつが悪そうな表情はアーシスの目には入らなかった。自治区と聞いて先日の動乱を連想しないはずがない。


「自治区の征伐にあいつが参加してたってのか」


 アーシスの追及にミリアは言い澱みつつも、結局答えることにしたようだ。


「う、うん。かなり活躍したらしいよ」


 情報通の暗殺者の返答に思考が早回しになる。

 黒髪の青年は、手段はどうあれ自身のしがらみと向き合うことを決めたのだ。そこでようやくアーシスは今回の依頼でのヨクリの態度が腑に落ちた。


(迷惑をかけたくねえってのは、つまりそういうことか)


 レミン集落のときと、立場が入れ替わったような状態だ。

 ランウェイル人としては言うに及ばず、姿勢を示したことでさらにシャニール人としても黒髪の青年の立場は非常に不安定なものとなった。

 つまりヨクリはアーシスを含めた繋がりのある業者を人種的な摩擦に付き合わせたくはないのだ。そしてまた、これ以上新しい繋がりを増やしたくもなかったと。

 一連の出来事が心に軽くはない負荷をかけ、あのときのジャハの言い分を流しきれず反論してしまったのもアーシスには理解ができた。


(オレにそんなことはどうでもいいって言ったくせに、どの口で)


 レミンでの最後のやりとりを思い出して、やりきれない感情が込み上げてくる。

 ジェラルド・ジェールやあのとき背信してこちら側を混乱させたテリスとかいう業者に対しても、どうせ今までと同じように追うつもりだろう。


(一人でなんでもできると思ってやがる)


 そもそも、国内の情勢がこうなってしまった以上、誰もが主義主張に拘らずシャニール人の問題に関与しなければならない状況はやってくる。それはおそらくヨクリ個人が齎したものではない。

 たとえ青年の境遇がそうさせたのだとしても、全ての原因が自分であるかのような考えをアーシスは認めたくはなかった。

 アーシスは、頭をがしがしと乱暴に掻いて、感情のはけ口にする。大きくため息をついて、口を不機嫌そうに曲げた。


「……若えやなあ」


 アーシスとミリアの会話を横で聞いていたのは血鎖の頭領のガダ・ガエンだった。斧を片手で肩に担ぎ、ニヤリと笑う。


「レドの野郎は元気か」

「旦那、うちの頭領と知り合いなのか」

「頭をそこそこ長くやってりゃ、互いにツラ合わせることもあるってことよ」


 アーシスは一旦得心して、


「ああ。最近かなり忙しそうだけどな」

「だろうな。この時勢だ、せいぜい額に汗しろって伝えといてくれや」


 単に派閥の都合で顔見知りになったにしては親しみのこもった声だった。嘘はないだろうが、言葉通りの関係ではなさそうだ。

 アーシスは割って入ったガダに対し、ちょうど思い当たったことを口にしていた。


「……そういや、旦那は最初からヨクリになんとも思ってなかったな」


 青髪の少女の件で、酒場で鉢合わせたときが初対面だったはずだ。異国の小僧と呼んではいたが、別段見下したり不快感を表に出してはいなかった。

 ミリアも意外そうに訊ねた。


「戦争、行ったんじゃないの? おじさんくらいの年なら参加してそうだけど」


 シャニール戦争を経験した今の三十代以上は特にシャニール人に対して風当たりが強かった。そしてミリアの言う通り年齢もそうだが、その具者としての立ち居振る舞いは自然体でいるようでいて隙がない。見るものが見れば、大勢とは違う経験を積んだ具者であるということがわかるのだ。


「……さあな、忘れちまったよ。んな昔のことは」


 とぼけたようで、しかし一定の湿度を持った口調だった。


「ただ、あのとき渓谷で切った張ったした連中ならわかることもあるだろうさ」


 ガダはどこか遠くを見ながら続けた。


「一枚皮を剥いじまえば、どっちも獣だ。違いなんてのはどっちがより多くの首を獲ったかだけだ。そこに人種なんてものはねえ」


 声に戸惑いはなく、まさしく腹の底から出た言葉だった。それがこの男の見出した価値観なのだろう。


「……旦那、かっけえな」


 アーシスがぽつりとそう言うと、ガダは目を丸くしてから、豪快に笑った。


「かっこいいことなんかあるかよ! 俺ぁ酒がうまけりゃそれでいい。なら、あとはどう酒をうまくするかだ。どんな酒でも、てめえ次第で旨くもまずくもなる」


 長年組織を統率してきた男の美学を軽妙に言ったあと、


「まあ、せいぜい悩めや鷹のアーシス」


 肩を叩いてから隊列の前方へと向かった。その背中は広くなにかを語っているような雰囲気があり、ふいに養父を思い出す。アーシスはしばし眺めてから、自身のなすべきことについて考えていた。

 それについてもまだ答えを出せてはいない。アーシスにしかできないことを。


「……ほんと、真面目だよね」


 ミリアは呆れたように肩をすくめて、思考に耽るアーシスの様子を窺っていた。

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