表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
74/96

   3

 サンエイク地方の業者たちが苦心して探索し見つけ出した、転々と存在する水源を蓄えた緑地に度々寄りつつ行軍は進んでいった。丸一週が過ぎ、二週が過ぎようとしたころ、ようやく砂丘ばかりだった視界の先にうっすらと見え始めた別の景色があった。まるで人工的に作られた巨大な壁のように見えたそれは近づくにつれはっきりとしていく。

空気に霞んだ緑は細緻に別れ、密集した巨大な樹の一本一本が目に入ってきた。だが全容を見たにもかかわらず、未だ目指す森は遠くにある。それほどに一つの幹や枝葉は太く、そして広かった。


 セルゲイ巨大森。ここでしか見られない、天を貫く大樹が群生する太古の森である。しかし大樹が生い茂る巨大森はまだ視界の先であり、普通の森がその周囲を囲うような地形になっている。大樹の根が土を掘り返し、また朽葉が栄養となって、他の木々が成長しやすい環境を作っているのだ。


 森と砂漠の境界線にたどり着いた一行は、陣の設営を開始していた。簡易天幕を素早く建てたあと、雇われた職人の指示のもと、人夫や手すきの具者がしっかりとした基礎を作り出していく。大樹の根が地中に張り巡らされているため、ここへ“砂大蛇”が侵入することはない。

 歩き詰めでさらに働かざるをえなかったが、集った者たちは精神的にもよく訓練されており不平不満が漏れることはなかった。

 また、この作戦の本気が窺える、農園の開拓も平行して行われ始めた。砂地の陣を少し森へ伸ばし、伐採し材木に変え、さらに土を耕す人夫たち。

 サンエイク公認の都市間車道の間に点在する拠点の開拓とほとんど同じ手順が踏まれ、ここを長期的に使う計画が進みはじめた。いずれにせよこの陣を放棄することはないという硬い意思の表れである。


 その最中ヨクリは簡易天幕の群から少し森に踏み入ったところに流れる、陣地で使う水源の確保に回される。水質の調査のための技師一人と、同じく付近のエーテル濃度を調査するクラウスの護衛につくことになった。ヨクリの他にニノンとジャハ、計三名の具者であった。


 この辺りまでは、一斉蜂起後にも人間が立ち入ったことを知らせる地図や資料があり、それを頼りに木々をかき分けていくとややもせず沢が見つかる。せせらぎを耳に上流へ進むと、深さは増して十分な水量があることがわかる。担いで来た図術道具をおろし、それを使って技師二人は調査を始めていた。

 専門的な会話がわかるはずもなく、調査が終わるまでは手持ち無沙汰である。襲撃に備えて身構えつつも、ヨクリは佇立してそれを待つ。討ち帽子の女は首を目一杯持ち上げて、はえーなどと言いながら、近くに寄ったことで更にその雄大さを感じさせる大樹の森を眺めていた。たすき掛けに下げられた、矢が目一杯詰められた鞄が揺れ、がしゃがしゃと音を立てる。梢の隙間から、低い雲を抜ける大樹たちがヨクリにも見えた。周囲の警らを終えた南部の民ジャハが戻ると、ひとまず安全である旨を皆に伝えてからヨクリの側へ寄ってくる。


「君とは、話す機会がなかったな。ジャハという」

「ヨクリです」


 道中の休息でも周囲とは距離を取っていたヨクリとジャハがこうして間近で顔をあわせるのははじめてだった。高めに結われたざっくりとした総髪。両の頬に刻まれた墨と伝統的な耳飾りに、肌の見える装い。南部の歴史を重んじる装飾と長槍を携えた姿は、年齢にそぐわない隙のない歴戦の強者という風格を滲ませている。


「君の話は聞いている。優秀らしいな」

「そちらこそ」


 ヨクリも同じようにジャハの噂を聞いていた。橋渡しのように、血鎖の頭領や薄紅髪の治癒者が教えてくれていたのだ。また、道中で幾度となく的確な指揮や、卓越した槍捌きを実際にこの目で見ている。

 ジャハは静かにヨクリを観察していた。そういう所作はヨクリの苦手な手合いであることを示していた。ヨクリの外見ではなく、隠した心の全てを見透かしてくるような怜悧な視線。


「わたしはニノンですよー」


 景色への興味が失せ、いつの間にか近づいてきた討ち帽子の女が会話に割って入ってくる。だがそのおかげというべきか、ヨクリの敬遠したい視線から逃れることができた。


「道中の弓の腕前、見事でした」

「ヨクリさんもすごかったですよぉ。スナヘビをさくっと一発で倒せる人は、そんなにいませんからねー」

「見ていたんですか」

「よく見える位置にいましたからねー。盗賊団のときも、ヨクリさんすごく目立ってましたよー」


 駝車の上に登っていたことを思い出し、ヨクリは得心する。


「みんなも褒めてましたしー」

「そうなんですか」


 初耳だと思ったが、それも当然だった。故意に集団と話さないようにしてきたからである。今のように少人数に編成された場合はさすがに会話の避けようがないが。

 二人が前置きを終えて話ができる姿勢になると砂漠の民の長の息子は間を取って、


「君たち二人はどう思う」

「なにがですー?」

「あの盗賊たちだ」


 ちらとクラウスたちの様子を窺いつつ、ジャハは訊ねた。密談まではいかないが、六大貴族の意思に面と向かって口を出すのもかなり体裁が悪い。特にツェリッシュに直接関わるジャハにとっては。

 その背景を汲んで、ヨクリは気を引き締める。ニノンも同じように表情を改めたのを見て、さすがだとヨクリは内心で賞賛した。また、ひととなりの真贋を見定めたのかどうかはわからないが、それを二人に臆面もなく持ちかけるジャハの豪胆さにも目を見張る。

 ヨクリは少し考え頭の中を整理し、声量を絞って答えた。


「……概ね皆と同じだと思います。ベルフーレ様の決断は確かに合理的だとは思いますけれど、それに全幅の信頼を置くことは正直できませんね」


 盗賊たちを加えてから数日が経過した今のところ、ベルフーレの意向に従っているがしかし本当に身を預けているようにも見えない。


 あの盗賊たちはよく見る手合いのならずものとは確かに一線を画しており、カルネロの統率や、配下の者の長への信頼を見ても付け焼き刃ではない裏打ちされた組織であるのはわかるが、とは言ってもそれが全てではない。さらに言うなら、仮にカルネロがベルフーレへ忠誠を誓ったとしてもその下の人間がそれに従うかどうかは別の話だ。それはビルリッド盗賊団の過去を見ても明らかである。


「ですねー。ぶっちゃけ、本当にビルリッド盗賊団の頭の息子かどうかもあやしくありません?」

「ああ。だが、今更直接ベルフーレ様に訊ねるのも無礼だろうしな」


 ベルフーレが明確な答えをもっているとも限らない。指示を出す人間の判断に従わないのは返って集団の和を乱すことにもなりかねなかった。


 こうして集った一線で活躍する具者たちは技量のほどもそうだが、依頼やそれに関する全てに対して常に厳正な価値観を有している。それが真実であるのかどうか確定できない限り、こうして疑念を持つのはある意味当然だった。


「しかし、クラウス様が異を唱えないのを見ても、俺たちがいたずらに心を砕くのも杞憂かという気もしますけれど」


 おそらく目付役も兼ねているであろうクラウスがあの場ではっきりした否定の立場を取らなかったのには理由があるとヨクリは読んでいた。

 その声音になにか感じ入るものがあったのか、


「君はクラウス様を信頼しているのだな」

「……まあ、そうですね」


 ヨクリの第一印象通り嫌なところを突いてくると内心で思いつつも、結局ジャハへ同意する。


 今まさにこの場で水質の調査をしている図術士には極めて複雑な感情を抱いているが、それはそれとして切り離すと、やはりヨクリの出会った中でも最高と言っていい知識と知恵をもった人間であることは間違いない。そのクラウスが表立った反論をせずベルフーレの意向を汲んだ時点である程度の信憑性は保証されていると判断するくらいに、ヨクリは確かにクラウスを信頼していた。

 意識してそういうことを思わないようにしてきたのに、こちらの思惑の一切を斟酌せずこうして容易く暴いてくる人間は苦手だった。


 そんな密談をしていると、調査が終わったようで機器を片付ける物音が聞こえ始めた。察した三人はそれとなく距離を取り、所定の持ち場に戻った。一旦話はお預けだ。それに、盗賊たちの利敵行為がその後見られていない以上はヨクリらとしてもどうこうできるものではない。それよりも、今後の作戦についてのほうが気がかりだった。





 チャコ砂漠とセルゲイ巨大森の地境へ到着してから、三日目の夜。 


 仮設天幕の設営や水源の確保などはおおよそ完了し、駱蹄の背や駝車に積まれていた荷は帰りの物資を除き、全て降ろし終わっている。これから本格的に、物資運搬のための都市サンエイクとの往復と上級魔獣の住処までの探索が始まろうとしていた。

 みるみるうちに開拓は進んでいき、すでに都市内で建てられるような住居の基礎、木組みの土台作りなども行われ始めている。


 作業に従事する人夫や職人をのぞいた、全ての具者が大天幕に集められていた。机や椅子はなく砂よけの敷物があるだけで、めいめいがその上に直に腰を下ろしている。まずは一体何人がここに残り、何人が都市への往復をするのかが簡単に説明される。

 また、具者が不在だと魔獣の襲撃の際に対応できないので、陣に残り警らを行う者も必要である。つまり、具者は物資調達班、警ら班、そして探索班の三つに分けられることとなった。

 天幕内は道中で親睦を深めたものたちの輪がいくつも形成されており、例のごとくそれらからあぶれたヨクリは邪魔にならないよう端のほうに座り込んでいる。

 最奥には貴族の四人がすでに駝車で使われていた椅子に座り、この場に一つだけの簡易的な机に資料を並べて相談しあっている。この集団の長はクラウスであるが、ベルフーレの発言力も日に日に強まっていた。水質調査での話を抜きにすればそれだけの信頼を得ることに成功しているのである。


 おおよその方針が固まると、まず地形を調べ、道のりを確保する探索班の選定がはじまった。

 当然ながら、誰も好んでは行きたがらない。“区域”はなにが起きるか予想を立てるのが難しく、死傷する危険が極めて高いからだ。さらに今回は上級魔獣の発見まで必要になる。

 クラウスやベルフーレも、集められた具者からの班分けの想定は行っているだろうが、それを命令して現地へ向かわせるよりはまず誰かが発言するのを待っているようだった。その上で決まらなければ予定された人員に声をかける算段だろう。

 皆沈黙しているが、状況をやり過ごす後ろめたさからくるものではなく、それぞれの思考からくるものだった。だがその状況に痺れを切らしたのはヨクリ自身だった。


(こんなところで時間を食うわけにはいかない)


 ヨクリはすっと手をあげて、皆の注目を集めた。


「俺が行きます」


 この依頼への参加を決めた具者全員、命が惜しいわけではないのはわかっている。でも、誰かが口火を切らなければ始まらない。だからヨクリは場を動かすために先陣を切っていた。


「ならば私も同行しよう」


 ヨクリに続いて参加を志願したのは、南部の民のジャハだった。意外な挙手にヨクリは弾かれたようにそのほうをみて、目をそらしたあとに顔をわずかに俯かせてしまう。


「……不服か?」


 ヨクリの挙動へ投げかけられた言葉だった。内心でしまったと思いつつもヨクリは一つ息を吸って腹をくくり、応答を決めた。


「不服というのは、少し違いますが」


 前置きしてから、


「……あなたは、どんなことがあっても——この作戦が失敗しても生き残らなければならない。だから別の人間が行くべきでは、と」


 期せずしてそれは、ヨクリとジャハの口論の口火を切ることになった。


 ジャハは極めて冷静に、ヨクリへ反論する。


「それは、ここに集う皆がそうだろう」


 都市議長の息子は集った具者一人一人の顔を確認するように見渡して、


「大なり小なり、自分以外の人間を守るだけの力がある」


 ジャハはヨクリの言外の意図を正確に射抜きつつ明朗に意見を述べたあと、ヨクリへ顔を向けた。


「無論君もそうだ」


 臆面もなく告げられた言葉に、ヨクリは背筋に嫌な冷たさを感じ、心がざわついた。ささくれ立った胸中をなで付けるように、平静を努めて保つ。

 ここで引くことはできた。しかし、なぜかヨクリの口は思いがけず開かれる。


「それは、詭弁だ」


 ヨクリが否定すると、大天幕の中の緊張が高まるのを肌で感じる。厳しい対立の言葉だった。でも言ったことは取り消せはしないし、取り消すつもりもない。

 ヨクリの頑なな姿勢にも、ジャハは怯まなかった。ヨクリを半ば睨むように、怜悧な視線を一際鋭くさせる。


「詭弁だということを私は認めることができない。なぜなら一人を切り捨てるということは、他の全てを切り捨てるのに等しいからだ」


 ヨクリは先ほどと同じように否定する。


「それも詭弁だ。人一人が全てと等しいわけがない。……俺はあなたのそういう姿勢が民を正しく導く器を持つ人間の考えだと思う。でも、だからあなたを失うわけにはいかない。この国の為にも」


 声量や立ち居振る舞いは、両者ともとても落ち着いていたが、内包する熱はその様子とは裏腹に火のように熱かった。だからこそ、二人ともが一歩も引かない。


「今生きている者は、生きていることこそが全てなのだ。君の考えを、私は認めるわけにはいかない。——捨ててもいい命なんて、この国にはない」


 ヨクリはジャハの真意が正確に読めなかった。この男が全てを知った上でなお心の底からそう言っているのか、それとも、ジャハの言うように扱われる命ばかりではないということを知らずに、ただ理想を口にしているだけなのか。

 でも一方で、たとえ後者だとしてもそれがヨクリへ不快な思いをさせているわけではなかった。何も知らない理想論者だとしても、それを口にできる人間がこの国には本当に少ないことをヨクリは知っていたから。


 ここまで大天幕の具者たちは二人のやりとりを静かに見守っていた。具者たちが諸声に揶揄したり、呆れて席を立ったりすることもなかった。視界の端に映った拘束を解かれた盗賊たちも、固唾を飲んでいる。だが、次にヨクリが言葉を返すよりも前に、嫋やかに挙手して発言の意思を示したものがいた。薄紅髪の治癒者——メディリカである。


「能力としてはどうなんでしょう、ヨクリさん。ジャハさんは力不足ですか?」


 その質問にも、ヨクリは即答することができた。


「いや。彼の具者としての力量は素晴らしいと思う。それはチャコ砂漠でも見させてもらった」


 鮮やかな長槍捌きは、現時点だけの単純な技量でいえば、ヨクリの記憶のうちにある青髪の少女よりもはるかに洗練されていた。その技術を持つ同年代の具者は国内にもそうは居ないだろう。

 薄紅髪の女に続いて意見を口にしたのは、茶髪の男、アーシスだった。


「なら、いいんじゃねえか? ジャハの旦那が構わねえって言ってるんだからよ」


 それを持ち出されたら、ヨクリは押し黙るほかない。

 反論できなかったヨクリを見て二人の論争の終結を皆が悟ると、再び探索班の人員についての話が再開する。選定に関してはやはり一悶着あったが、概ねまとまると、一同は解散となった。

 そうして方針会議が終わり、席を立つ衣摺れの音が天幕内に響く。ヨクリも立ち上がって外へ出ようとすると、近づいてくる姿があった。


「よう、ヨクリ」

「……アーシス」


 名を呼ぶ声に、真似るように反応する。同じ依頼を行なっているにもかかわらず、何日この茶髪の男と会話をしなかっただろうか。


「ちょっとツラ貸せよ」


 親指で外を指してヨクリを誘導する。黙ってついていき、ひとけのない建設中の基礎までくる。仕草も声音も平坦で、ヨクリにはどういう内容の話なのか推察することはできなかった。

 月明かりで外は明るかった。逆光気味のアーシスの影は、いつもより体を大きく見せている。ヨクリは茶髪の男に向き直って、話の切り出しを促すために声をかけた。


「こんなところまで呼び出して、なんだい?」

「お前、なんかあったか?」


 アーシスは短くヨクリへ問いを投げかけた。その曖昧な問いかけに、ヨクリは咄嗟に言葉を返すことができなかった。


「……」

「オレの勘も捨てたもんじゃねえなあ」


 ヨクリの無言を肯定と捉え、


「普段のお前なら、さっきのあの場面で突っかかったりはしねえだろうからな。当たってるだろ?」


 指摘され、遅まきにヨクリは気づいた。茶髪の男の言う通りだった。ジャハが内に宿す信念に触発され、ヨクリはなにかを言わずにはいられなかったのだ。

 二の句を継げないヨクリに、


「ま、いい。詳しくは訊かねえよ」


 ヨクリはなにか言わなければと、わずかな焦燥に駆られた。焦りの中口をついて出たのは、どうにでもとれる言葉だった。


「迷惑を、かけたくはないんだ」

「別にんなこと思っちゃいねえよ」


 アーシスは肩をすくめて、ヨクリの内心を慮るようにゆるく受けた。


「……それだけか」

「言ったろ? 詳しくは訊かねえって。なにかあったかだけ知れりゃ十分だ」

「いいのか」


 ヨクリの態度に、


「そろそろ、付き合いも短くねえからな」

「……すまない」

「一筋縄じゃいかねえ依頼だからな。お前も気をつけろよ」

「ああ。ありがとう」


 アーシスはそう言い残して、片手を軽くあげて背中を向け、話を終え去って行った。友人の気遣いにただ感謝し、ヨクリはその背を見送った。そしてその気持ちに、ヨクリ自身の態度は不義理ではないかと別の感情がわいてくる。


(言うべきなんだろうか。アーシスだけじゃなく)


 多くのシャニール人と道を違えたことを。

 首都での光景を見た。多くの同胞を斬った。反旗を翻すシャニール人と対立する道を選んだ。この国の人たちの側に寄り添いたいと、そう思った。


 だがしかし、ヨクリはこうも思う。人は他人を見るとき瞳に映るものだけで判断し、その奥にある信念を見ようとはしない。多くの人間にとっては、ヨクリはただのシャニール人なのだ。

 昔のように他者を全て拒絶してしまえば今抱えている多くの苦しみから解き放たれるのかもしれない。しかし、今のヨクリにはそうすることもできない。この国には、ヨクリの心のうちをきちんと見てくれる人がいることを知ってしまったから。

 そしてここに集う具者は多くがそういう、ヨクリが心を寄せることができる人たちだった。先ほどのジャハとの一件もそうだ。姓無しという侮蔑が飛んでくることはなく、きちんと言葉を交わしてくれて、それを黙って見届けてくれていた。


(良い人たちなんだ、彼らは)


 皆と全く話をしたくないわけではない。むしろ、ヨクリが出会ってきた人たちの中でも、特に尊敬できる人ばかりが集まっている。たくさんの人の様々な話を聞いてみたいと本気で思う。そんな具者たちの役に立つのなら、矢面に立って剣を振るうことにもなんの抵抗もない。ヨクリよりも生き延びるべき人たちだから。

 だからこそ、これ以上ヨクリの問題に純粋な善意で関わろうとしてくる人たちを増やしたくなかった。それがヨクリにできるただ一つの礼だと。


(迷惑をかけたくはないんだ)


 ヨクリは再び空を見上げた。道中と同じように冷めた月がそこに浮かぶばかりで、心のうちをゆるく、しかし絶え間なく吹き付ける風を鎮める術も見出せない。足で踏みしめる砂も、実感が伴わないような危うさを感じていた。


 定まらぬ精神のうちに歩いていると、次にヨクリは意外な人物に声をかけられていた。

 隠者の客舎の具者である。初めて男と接近すると、そいつはヨクリより背が高く、佇まいの中に気品と威圧感があった。未だ外套を被り、その素性は見えない。


「貴公は死に急ぎたいのか?」


 若い、同い年くらいの声音だった。無礼ともとれる言葉だったが、問い自体よりもその内容に思考が引っ張られる。

 男に続けてそう言われてしまうと、道中の戦闘はニノンには賞賛されたが、それは遠回しな独断専行を咎める声で連携の不備があったようにも思えてくる。


「貴公一人が、この集団の捨て駒になる必要はないだろう」


 が、ヨクリの考えはまたしても外れた。硬い口調と仮面の下に隠されてはいたがヨクリを心配するような声音と言葉だった。


「……俺は、別に死にたいわけじゃない。まだやらなければいけないことがある」

「私にはそうとしか見えない。きっと彼らも同じように思っているだろう」


 男は言葉を切って、


「ジャハ殿の言ったことを、もう少し考えてみることだな」


 最後にそう伝えると、用は済んだとばかりに背を向け、いずこかへ去っていった。再び砂を巻き上げ、枝葉を擦らせる風の音のみとなる。自身の天幕へ戻る気にもなれず、ヨクリは静かに考えていた。

 捨て駒。ヨクリもそこまで自身を卑下して行動しているつもりはなかった。


(そう見えているのだとしたら)


 ヨクリの姿は哀れに映ったことだろう。


(うまくはいかないな)


 様々な出来事を経て、再び業者として依頼を受ける立場に戻った。


 自身の指針はひとまず定めたつもりだった。ただ、目的のために頑なになって、いたずらに誰かを傷つけることがないように昔の行動と照らし合わせ無理をすることに気をつけてきたつもりでもあった。

 しかし、もはやヨクリを取り巻く情勢が頑然と立ちはだかるよりも前のことは、記憶の彼方で朧げになり、今の行動が正しいのかどうかさえヨクリは見失いつつあるのかもしれない。

 それでも、折り合いをつけて前へ進んでいくより他はない。剣の技量だけではなく、ヨクリの精神も未だ迷いの中にあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ