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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
73/96

   2

 砂漠を進み三日が過ぎた頃だっただろうか。

 日は傾きはじめ、空が赤に近づく時間帯に、再び討伐隊に降りかかったのは、予期せぬ手勢だった。この地に生息する魔獣ではない。


「そこで止まれ!!」


 こちらの先頭を歩く具者が声に歩みを止めると、波及し集団全体が波立つように停止した。予定にはない出来事に緊張が走る。遠くの砂丘から続々と、隊を取り囲むように人影が現れた。


「我々の指示に従わないのなら、命はないものと思え」


 頭に巻かれた砂よけの布に、武装した駱蹄を従える襲撃者たち。南部文化の意匠が施された、深く反った湾刀。この砂漠の地形に適応した、それなりに強者だということがうかがえる。


「……盗賊か」


 誰に語るわけでもなくヨクリは呟いた。

 手勢は二十名ほどだった。単純な人数差でいえばこちらの五分の一にも満たない。が、非戦闘員を除外し、なおかつ彼らを守りながら戦うのは難しい。


 目の前の光景と自身の立ち位置から、彼方の記憶を呼び起こされる。


 ヨクリが初めて人を斬ったのも、同じような状況に置かれたときだった。

 訳も分からず巻き込まれ人間に刃を向けられたあのとき、ただ恐怖の淵に立たされて剣を振るうことしかできなかった。先日の自治区での戦闘よりも、もっと自我を失っていたようにただ狂乱していた。戦闘の最中——とりわけ人を相手取るときに、今のようにどこか遠くに自身を置いて冷静に考えられるようになるには、多くの時間を要した。


(感傷に浸っているときじゃない)


 過去の景色に引っ張られそうになる意識を切って、ヨクリは再びこの状況について考察をはじめていた。


(おそらく、今日この道を俺たちが通るという情報を入手していたんだろう)


 でなければこの広大なチャコ砂漠でなんの手がかりもなしに獲物を見つけるのは容易ではないからだ。


(だが、それならこちらの戦力も知っているはず)


 いかに護衛しながらの戦闘であったとしても、腕利きの具者が集まるこの討伐隊を襲撃しようなどと思うだろうか。

 もっというなら、前口上からしてこちらを侮っている節がある。その点がどうにもヨクリに釈然としない印象を与えていた。


 異変に気づき駝車から降りたクラウスは具者たちをかき分けて先頭に立ち、時間を稼ぐために相手の要求を問おうとしていた。そのかんに、どう対応するか方策を固めねばならない。


 凪ぎの水面に落ちた水滴が起こす一つの波紋のように、静かに情報が伝播され小声で幾人かの具者が中央へ呼び出される。ヨクリもそのうちの一人だった。音を立てずに忍び足で中央の駝車に近寄り、盗賊たちの死角に身を低くして移動した。

 南部のジャハ、アーシス、ガダ、そしてニノンが、ベルフーレの元へ呼び出された具者だった。


「なるべく、死者を出さないで下さいまし」

「尽力します」

「相手方も、ですわ」

「そいつは難儀ですねぇ」


 首を傾げて筋を張らしながら血鎖の統領は眉を顰めた。ヨクリも同感だった。目的の達成が著しく難しくなるからだ。


「理由をお尋ねしてもいいですかぁ?」


 討ち帽子の女がずばりと直截的に問う。


「それはお答えしかねます」


 怯まずに、口角をあげて大貴族の末娘はニノンへ返した。有無を言わせぬ頑なさは、絶対的な地位の差を思わせるものだった。


 問答をしている時間は少ない。素早く伝達をして、加減をするように全体へ指示を浸透させる。一連の話し合いを見届けたヨクリは所定の位置に素早く移動し、静かに合図を待った。偶然かどうかはわからないが、隣に居た金髪の暗殺者をみとめると一応念押ししておく。


「殺すなよ」

「頑張ってみるけどさ、なんでだろうねぇ?」

「知るか」


 いくら頭を回したところでその意図がわかるわけでも、指示が覆るわけでもない。それを考えるのは命じられたことをこなしたあとだ。

 言い捨てるように答えてから、ヨクリは三歩前へ出てその時を待ちつつ、戦術について考えを巡らせ始めた。

 敵側の弓手は少なくとも三人を視認している。ここに集った具者は図術弓ではない通常の矢などたやすく躱せるだろうが、非戦闘員や駱蹄は別だ。対遠距離や守備が得意な具者を駝車の周囲に置いて、突破力のある具者で掻き回し、後詰が捕縛する。

 取りも直さずヨクリに回された仕事は、突っ込んで囮になることだった。


(構わないさ)


 今回に限った話じゃない。ヨクリは自身にできることをして、それで貢献するだけだ。下手に気を使われるよりそのほうがよっぽど気楽だった。


 心を決めて身構えていると、唐突に甲高い音が断続的に鳴り響いた。ベルフーレが発信機で鳴らした、クラウスの受信機である。それを合図に、クラウスがその場から素早く退いたのと同時に、ヨクリは砂の足場に適応させるように加減しつつも一歩めから最高速度になるように踏み抜いた。


(やはり、二割減か……)


 砂大蛇との戦いで感覚はほぼ完璧に掴んだ。自身の通常時の速さと現状のそれを比較して診断しつつ砂煙を巻き上げながら、集団へ単身突っ込む。


「こいつ!!」


 湾刀をしゃらりと抜きはなち、三人がヨクリへ殺到する。抵抗の意志と見做したのか、他の盗賊は駝車のある本隊へ攻撃を始めた。

 一連の行動が、砂塵の中の戦闘が繰り広げられる合図になる。


 木組みの車輪が砂に埋まるように、急に停止しようとすると文字通り砂丘に足を突っ込みかねない。ひときわ大きな砂丘を迂回しつつヨクリは支配領域を展開し、“感知”を起動した。多人数下のねばついた支配領域の感覚と砂地の戦場に、通常時よりも戦闘の速度がまるまる遅くなったような錯覚。


(山の裏手にまだいるな……)


 潜んでいる人影を認識したその瞬間、接近してきた一人めの湾刀が迫り来る。刀で弾いて跳び退り、生み出した速度に逆らわず砂を滑るように移動する。普段のように踵を立てて急停止しようものなら足がもつれて転倒するからだ。


 盗賊らの単純な剣の技量だけで言えば稚拙さはないが、かといって特段優れているわけでもなく、刃を躱すのはさして苦労しない。だが、さすが南部の民と言うべきか砂丘を利用した位置どりが巧妙だった。

 数合打ち合って、速度を加減してわざと回避させ二人目を退けるが、追いついた一人と砂丘の影の盗賊に挟み撃たれる。


(くっ……!)


 流れる戦闘の中でいくつも見いだせる敵の痛点を、あえて見逃がさざるを得ない状況にヨクリは歯噛みする。 


「情報どおり、たいしたことはない!」

「一気にやるぞ!」


 聞こえてきた盗賊の会話が、ヨクリの矜持に火をつけた。


(好き勝手に……!)


 くそ、と内心で唾を吐き捨てて、先に到達した背後の一人が繰り出した一太刀を振り返りざまに斬りあげて弾く。予想以上に重い剣だったのか、そいつは勢いを殺せずにたたらを踏んだ。大きな隙に、まるで携えた刀が意志を持って吸い寄せられるような誘惑を、歯を食いしばって噛み殺す。ここに一撃いれてしまえば間違いなく致命傷だ。

 判断の鈍ったヨクリに、迫り来る刃。味方を援護するような盗賊の牽制を躱し、もう一度飛びすさって距離をとった。激しい動きに立ち上る砂煙。これも目が乾いて非常に戦いにくい。


(落ち着け、あのときに比べれば……)


 フェリアルミスのシャニール人自治区。あの戦いは、こんなものではなかった。もっと激しい、魂を削り合う苛烈なものだった。ヨクリは自身にそう言い聞かせ、不利に萎えそうになる心を奮い立たせる。


(手加減ぶんを差し引いて五分五分なら、俺が勝つ)


 すぐに平静を取り戻したヨクリは、未だ相対する盗賊たちの挙動を注視しながら、戦場を俯瞰的に観察する。

 盗賊は手で合図を送って、3人いたうちの一人をヨクリの背後を取らせるために下げた。そいつが完全に背を向けるまで堪えたあと、ヨクリはその緩手を見逃さず、一息に一番近い相手へ間合いを詰めた。切っ先を下げて盗賊の両腕のさらに下へ刀を潜り込ませ、携える湾刀の柄頭を刀の峰で思い切り弾く。まさに振りかぶる直前、斬りかかろうとした腕はさらに跳ね上がり、完全に相手の虚をついた。手の内を返し、さらに踏み込んで脇腹に一閃。峰で急所をしたたかに打ち据えた。

 くぐもった声のあと、たまらずうずくまった盗賊の利き手を踏みつけて、痛みに離した引具を蹴飛ばして遠ざける。


(手こずらせて……!)


 肩で息をしながら内心で悪態をついたあと、反撃に怯んだもう一人へ猛攻を仕掛ける。息もつかせぬような、構えから生まれているわずかな隙を狙い、数合の打ち合いを組み立てて大振りを釣り出してから、同じように力任せに相手の引具を弾き飛ばす。

 裏をかこうとした最後の一人も無力化したところで、縄を持った味方が追いついてくる。受け取り、手早く縛って自由を奪うと、ヨクリは肩で息をしていた。砂地の足場と、加減しなければ殺してしまう緊張感から普段の何倍もの疲労を感じていた。


(好んで殺しをしたいわけじゃないけれど……)


 これはこれで非常に厄介だと思いつつ呼吸を整え、戦場を見渡す。


 頭上では矢が飛び交いはじめていたが、なんとニノンが駝車のほうへ放たれた矢を、自身の矢で撃ち落としている。人間離れした技だった。そして、“隠者の客舎”の仮面付きも、見事に遠距離攻撃を潰している。構えた剣の前方、下へ向いた展開紋陣が出たかと思うと、見えない壁で押しつぶすように相手の矢や図術を弾いていた。

 圧縮した空気を撃ち落とす“空槌”だ。図術で潰しきれなかった矢なども、舞うような双剣捌きで過たず後逸させない。惚れ惚れするような戦い方である。


 捕縛された三人に気づいた別の盗賊が、砂塵を巻き上げながらこちらへ猛進してくる。ヨクリは迎撃のため、再び意識を自身の戦闘へと集中させた。





 ——しかし終わってみれば、誰一人欠けることなく、四半刻ほどで事態の収束をはかることができていた。双方多少の負傷者はでたものの死者は出ず、戦闘不能にして自由を奪うことに成功する。


 駝車のまわりでは怪我人を手当てするメディリカの姿があった。業者も盗賊たちも、分け隔てなく声をかけ、丁寧に治療している。幾度かの砂大蛇の戦闘でも治癒者の手を煩わせる出来事が起こらなかったため、この依頼ではじめての出番である。治療における全ての所作に、そこまで献身的にするのかと思わせるほどの慈愛が込められており、ヨクリは密かに感心していた。


 予定外の騒動により今日の進軍は中断され、少し時間を繰り上げて野営の準備が始められていた。動ける業者は辺りの警備に周り、人夫たちは駱蹄を休ませ、あるいは魔獣よけの香木を炊き、夜食の支度を行っていた。

 そして少し離れた場所では、主要な人間が集められ処遇についての話し合いの場が持たれていた。


「で、こいつらどうするんで?」


 縛り上げた盗賊らを見下ろしながら、血鎖の頭領が貴族に伺いを立てる。クラウスは顎に手を当ててしばし考えたのち、


「ベルフーレ様は、どう思われますかな」


 立場を考えて敬いの素ぶりをとったとも、その性質を試そうともとれる質問だった。大貴族の末娘はクラウスに一つ優雅に頷いてから、盗賊の頭に向き直った。

 南部出身らしき他の盗賊とは異なる、金髪碧眼の中央人種。藪睨みがちな面立ちに、筋肉質な中背。よく鍛えられた若手の具者のような容貌である。


「貴方がた、どなたかに雇われましたわね」

「……」

「待ち伏せられたこの場所は水場と水場のちょうど中央。並みの隊商なら労せず制圧できる技量。にも拘らず、私たちの戦力に対し適切な分析がなされておりませんでした」


 沈黙を意に介さず、論拠をつらつらと話し始める。


「駱蹄の馬具や貴方がたの引具は、今市場に出回っている最新のものでどれも統一されております。それほど余裕があるようにはみられませんのに」


 横で聞いていたヨクリは感心した。良さそうな装備だとはおぼろげに感じていたが、それがなぜなのかまでは考えが及ばなかったからだ。

 並みの隊商ならば、という言は裏を返せばそれ以上は手に余るということだ。その技量でこれだけの装備を賄えるほどは稼げないだろう。それが真ならば、盗賊たちに装備の支援を行った家、あるいは組織があるはずだ、という推察である。


「誰かの差し金で俺らを始末しようとしたってことですかい?」


 ガダがあごひげを撫で付けながら、


「いいえ。彼らの背後にいる者も、彼らが私たちを亡き者にできるとは思っていないでしょう。そうであるなら、もっと大人数で、周到な準備のあと襲撃させたはず。——おそらく、目的は上級魔獣の討伐の妨害でしょう」


 散らばった情報の断片から、ベルフーレは限りなく真実へ近い答えを導き出していると、ヨクリは直感する。


「私たちの情報も意図的に伏せられていたようですわね」


 そこまでベルフーレの推理が続いたあと、


「運ねーなこいつら」


 蔑むように見下して、軽佻に言い放ったのは大剣使いのトールキンだった。


「ま、金のために隊商襲うくらいだから救いようがねえけどさ」

「……違う!」


 奇しくもこれからの時代を評価していくであろう若者の真っ直ぐな侮蔑に、盗賊の頭は耐えきれなかったようだった。


「我々は、金のために雇われたわけではない……!」


 ベルフーレは目を細めて訊ねる。


「では、なぜ?」

「貴様ら貴族が憎いからだ!!」


 間髪入れずに怒りをぶちまける。


「今日ここにツェリッシュ家の者が通ると聞いた! だから我らは!!」


 男はそこで喋りすぎたと思ったのか、下唇を噛むように口を噤む。

 ここまではよくある話だとヨクリは感じていた。同じようなことを思ったのかどうかはわからなかったが、目線を切ったベルフーレにはある種の冷たさのような気配があった。それこそ商敵を叩き潰して勢力を伸ばしてきたツェリッシュ家のものにとっては、日常のようにありふれた言葉だったのかもしれない。


「——そうですか」


 応答にも色はなかった。その声音からベルフーレの心情の一端を察し、有象無象と一緒くたにされたくないというような感情が生まれたのか、男はいくばくかの冷静さを取り戻していた。


「……三年前、セラム平野で壊滅させられた盗賊団を知っているか」

「ビルリッド盗賊団ですわね」


 ベルフーレは素早く答えた。


 ヨクリは偶然にも、その断片的な言葉から連想されるある事件を知っていた。

 初めて人を斬った相手は、まさしく三年前にセラム平野で大規模な指揮の元で討伐された盗賊団の残党だったからである。


 ビルリッド盗賊団。一時期はランウェイル全土にまで勢力を伸ばした、過去に例をみないほどの、貴族以外の武装組織だった。

 そして、戦後の反貴族主義の象徴的な存在でもあった。富める者から金を奪い、教会へ寄付したりスラムの人間に恵みを施したりするなどの略奪以外の行いは、自らを義賊と称する盗賊団の大きな特徴だった。その活動は結成当初からじわじわと民衆に波及していき、崩壊前になるとその勢いは相当な高波となっていた。また、彼らを支持する母体は、彼らが拠点とする都市外の集落を筆頭に、そこそこ地位のある貴族らも混じっていたらしい。だがそうして膨れ上がった組織は、ランウェイルの悪しき慣習を潰乱せしめんと動く前に国軍によって解体させられた。


 しかしヨクリが襲撃にあったのは貴族の馬車ではなく、ごく普通の隊商だった。頭領のビルリッドが処刑された影響でただのならず者に成り下がった連中だったのかと、その出来事を経て心の落ちつきを取り戻した頃に調べたが、頭領の意向だった善行は必ずしも組織に深く根付いていたわけではなく、討伐前から無法者も大勢いたらしい。


(彼らは、たぶん)


 やはり推測に過ぎないが、本当にこの国を憂えている者たちだろうとヨクリは思った。そうでなければ反発したりすることも、わざわざ盗賊団の名を出したりもしないだろう。内なる怒りを燃やす盗賊らを見て、ヨクリが強く意識するよりももっと昔から、この国の体制を憎む人間が少なからず存在していると言うことを遅まきながらも理解した。


(リマニの言うことは、正しいのか……?)


 この捕縛された男やビルリッド盗賊団について思いを馳せると、言葉を交わした笠の男の言い分が全て誤りではないのかもしれないと感じてしまいそうになる。


(いや、それでも、俺は)


 ヨクリがそうやって懊悩していると、ベルフーレにもその言葉に思うところがあったようで、続きを待った。


「盗賊団の頭は、俺の父だ……!」


 男の口から出た言葉に、然しものベルフーレも目を見開いた。


「貴様ら貴族に利用されるだけ利用され、使い捨てられた哀れな父だ! ……私の父は、本当の気高さを持っていたのに……!」


 悲痛な声音だった。地に跪いたまま、見上げるベルフーレに貴族の悪習そのものを投影させているかのような、暗い熱を秘めた眼差しだった。

 大貴族の末娘はしばし静かに瞑目して考えこんでいた。糾弾の声には心を動かさず、再び開けた目で、ただ怜悧な眼差しを返した。


「私の命を奪ったところで、ツェリッシュ家に仇なす別の貴族が利を得るだけですわ。貴方はそれがお望みなのかしら」


 その者の資質を全て暴き出すような視線だった。


「国を変えたいのではなくて?」

「どのみち俺たちにもう道はない! 刺し違えてでも貴様ら貴族を……!」


 その言葉に、ベルフーレの目が鋭くなる。そして、長広舌が始まった。


「貴方たちはそうやってすぐ自分の命を捨てることができる。さもそれが勇敢で尊い行為であるかのように、胸を張って自らの心臓にたやすく剣を突き立てるようなことをする」


 色を宿したのはその双眸のみで、紡がれる言葉は感情のない、ただ事実を述べ連ねるような抑揚だった。


「でもそれは間違いですわ。死ねばそれまで。なにも変わらない。貴方の父君の無念も貴方の悔しさも、死が連れ去っていく。そうしてわずかに残されたものも、貴方がたの居なくなった後の時勢が根こそぎ押し流し、この大地になにも齎さない。昇華されることは決してありません」


 滔々と告げられる少女の考えは、向けられた男の感情を斟酌しない正論ばかりであった。


「貴方が本当に国を変えたいと今でも思っているのなら、貴方がすべきことはここで死ぬことではありません」


 ベルフーレの意思を宿した言葉に盗賊の頭は戸惑うでも憤るでもなく、ただ沈痛に俯いた。


「俺たちに、俺にどうしろというんだ……」


 目的地を見失った彷徨える旅人のような、揺らいだ声音だった。配下の盗賊たちは、その様子に不安げに、あるいは気遣わしげな視線を送っている。

 六大貴族の末娘は、力強く宣言した。


「私たちの行いを見届けなさい」

「なに……?」


 戸惑いの声を置き去りに、ベルフーレは問う。


「貴方のお名前は?」


 盗賊の頭は感じ入るものがあったのか、少しの間を開けてから答えていた。


「……カルネロだ。カルネロ・ビルリット」

「ではカルネロ。貴方は今日から私の従者です」


 一同の時を止める発言だった。六大貴族の系譜に剣を向けた者であり、ましてやここは都市外だ。どんな目に合わせようとどこからも文句がでることはない。

 慈悲深いというような表現では足りようはずもない、異例中の異例だった。少なくともヨクリは聞いたことがない。


「そして私が、力の正しい使い方を教えて差し上げますわ」


 夕日を背に告げたその声音に、周囲の温度が下がったような薄ら寒さをヨクリは感じていた。およそ年齢にはそぐわない、選ばれた人間が持つ貫禄——覇者の風格を漂わせている。先ほどその唇から紡がれた言葉も、齢を置き去りに、全ての意味への実感が込められているような、強固な土台に支えられた響きを持っていた。


 凍りついた時からいち早く解放されたのは血鎖の頭領だった。


「許すってことですかい?」

「いけませんかしら」


 いくらなんでも、とヨクリも思った。しかし異を唱えられる立場にはいない。おそらくクラウスですら、ベルフーレの決定を覆すことはできないだろう。ガダもヨクリと同じ考えなのか、後頭部をぼりぼり掻いて押し黙った。

 ベルフーレの顔は、今度は盗賊たちではなく、ヨクリら具者たちへ向けられる。


「この地に長け、戦いの心得もある人材ですし、人手はいくらあっても足りませんもの。彼らを罰するよりも、そのほうが私たち——ひいてはこの国にとっての利が多いでしょう。ならば、そうしない理由がありましょうか」


 再び盗賊らに向き直って、


「あなたがたも、異論はありませんわね」


 半ば死を覚悟していたのか、望外の出来事にカルネロは言葉を詰まらせたままだった。

 ——こうしてベルフーレの一声で、予定外に起きた一つの小さな事件は幕を閉じた。

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