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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
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   2

 砂漠越えの準備のためにヨクリが向かったのは、古巣のイヴェールだった。他の都市はもう、目立った買い物もしにくくなっていると考えたからである。

 都市間列車は割高なので手軽に使いたくはなかったが、難度の非常に高い依頼の準備に加え、退っ引きならない事情もある。背に腹は変えられなかった。


 日が昇り、朝を迎えてしばらくたった時間帯。駅を抜けて街へ降り立つと懐かしい建物が光景の奥、街と空のはざまにあった。ヨクリが過ごした基礎校だった。

 黒髪の友人の見舞い以外で都市を歩くのは、本当に基礎校を出て以来だった。施療院は大門のすぐそばにあったため、滞在という滞在もしていない。


 街並みに顔を向けると、潮風と、湿気と黴を防ぐために路肩や軒先で焚いている香木の匂いがすぐに入ってくる。石や煉瓦とシャニール様式の装飾、軒下に下がる提灯。過去を想起させる香りと景観に、言いようのない感情が芽生える。十二より前の記憶がないヨクリにとっては、イヴェールは故郷のようなものだった。


 港湾都市イヴェールはランウェイルとシャニールの文化が入り混じった独特の都市であり、建築様式や建材なども雑多かつ緻密に混在している。また、特徴的なのは動物神信仰の強かったシャニールの宗教体系とリリス教が合わさって、ランウェイルに広まっている神話の神々が擬獣化された彫像や彫細工、絵巻物などが作られ、街のあちこちに飾られているところだ。偶像を改変する姿勢にリリス教会全体は難色を示しているものの、その中には神自体を冒涜しているわけではなく、むしろ人間と宗教というものの在り方の一つとして興味を持っている司祭もいるらしい。

 地峡というには向こう側のシャニールは小さすぎるが、陸路で通るにはイヴェール南東のシャニールとランウェイルを繋ぐ双子山に挟まれたイスト渓谷を通り、国境のメヌ川を渡らねばならない。戦後はかなり警備が厳しくなり、許可のない渓谷への侵入は禁止されている。


 そして貿易の他にも漁業が盛んで、イヴェールの魚市場は世界でも指折りの食産業の名所として知られていた。漁師たちの威勢が伝播し街の音を形作っているような、心を弾ませる喧騒は他の都市ではなかなか見られない。内陸では食料の運搬技術のこともありあまり食されないが、魚食はイヴェールの平民には広く愛されており、飯時には魚料理の良い香りが料理店や民家から立ち昇ってくる。


 実際にイヴェールと旧シャニールが交易を始めるようになったのは章紋歴の制定と前後する時期である。およそ五百年の交流があったため、戦後にシャニール人が自然と居着き、また、議会も積極的にイヴェールへの移住を奨励したこともあり、イヴェール独特の混在した文化が更に発展し始めることとなった。


 両手の指で数えられるほどだが、基礎校の友二人とイヴェールの街中を歩いたことがある。それを思い出してヨクリは少しだけ寂しくなった。おそらく、もうそんなことはできないだろうから。


 郷愁に心を奪われたのもつかの間、ヨクリは思考を切り替える。中流層と上流層のあいだにある、都市内の図術用品を扱う店が並ぶ商店街へ足を運んだ。目抜き通りをひた歩き、記憶を頼りに進んで行く。色とりどりの看板は、シャニール人も訪れるためか店名の下に小さくミユニ文字でも読めるように補足されている。四年以上も経つとシャニール様式の建築物が増え、店舗などが様変わりしていることに気がついた。業者をはじめて最初の数ヶ月はイヴェールを拠点にし、この商店街へも足繁く通っていたものだ。

 往来に行き交う人の中にもシャニール人はおり、やはりというかイヴェールに限ってはそこまでヨクリが気を張らなくても済む。すれ違う人々の様子をちらと眺めつつも、ヨクリは歩いた。


 目当てだった三階建の照り屋根を見つけ、腰に下げた刀の柄頭をとんと小さく撫でる。ここはヨクリが初めて引具を購入し、具者としての装備を整えた店だった。伝統的な店構えを潜ると、記憶とそれほど変わっていない内装が視界に入ってくる。商品の配置もどうやら同じらしいので、目当ての装備を整えるために木製の階段を上り、一番上の三階へ足を運んだ。


 特に激しい戦闘を繰り広げた先日のシャニール人征伐によって、上衣も限界を迎えていた。特に暑い地方へ向かうこともあってちょうどよく、図術加工の施された戦闘用の衣服を新調することに決めていた。これから雨季に入り、サンエイクに限らず気温も上がる。薄手で丈夫な服を選ぶつもりだった。

 白の着衣に抜刀の阻害にならない股上ほどの長さの、頭も覆える砂よけの外套を羽織る。下は以前と同じ型のものを新品と取り替えた。無事だった革帯などはそのままに、装備を整える。


 具者の最重要武具である引具をどうするか、ヨクリはわずかに逡巡した。なぜなら今使っているものは基礎校を出たとほぼ同時期に購入したものであるから、だいぶ型が落ちてしまっている。日々改良されている引具は、大きな構造——二つの干渉図術と“抗盾”、強化図術という枠は変わらないものの、反応速度の向上や軽量化が進み、最新のものはかなり使い勝手が進歩しているらしいからだ。


 だが、一通り探しては見たが今ヨクリが使っているものと同型かつ、性能が更新された引具はこの店には売っていなかった。これは後になってから知ったことだが、刀の形状をした引具は終戦後に記念として新しく作られた型が多く、その後図術技師にはそれほど定着しなかったという。つまり年々数は減っているというわけだ。

 店主にも訊ねて見たところ、作られるようになった由来に加えて、最近のシャニール人にまつわる事件があり、生産の自粛や、それを見越した購入などがあり常に品薄の状態らしい。

 和平の象徴や同郷への畏敬などのなにがしかの主張ではなく、同胞の友人であるシュウから教わったシャニール式の剣術があったから刀を選んだつもりのヨクリだったが、基礎校でギレル式の剣も学んではいたのでここにきてもう少し考えて購入すべきだったと反省していた。また一方で、血がさせたのかどうかは定かではないが手に取った瞬間から体に馴染む感覚があったので、別の引具を選んでいた場合ここまで命を失わずに済んだか怪しい。行き着くところは同じだったような気もしていた。


 少し悩んで似たような片刃直剣の型の引具を手に取り、重さと感覚を確かめながら、そしてまた一つのことを思い当たる。


(そう言えば、あのときに使われていた引具は従来のものとは違っていた)


 先日のシャニール人征伐の際にあった、青髪の少女が持っているそれと同じ仕組みを持った引具。


 エーテルそのものを打ち出しているような、擬似的に物理現象を作り出して攻撃を行う今までのそれとは理論から異なる図術。ヨクリはそれを見て直感していた。あるいはその未知の技術に、古い図術は淘汰されるかもしれないと。実戦投入されたあの引具は紋陣の展開から発動までが、他のそれと比較しても半分程度の時間しかかかっていなかった。戦場で間近に見たあらゆるものを分解、切断する特異な破壊力も戦闘用としては申し分ない。また、効能や範囲も従来のそれよりも遥かに分かりやすく、具者を指揮する集団の長にとっては作戦の立案がしやすいだろう。単一化される利点はヨクリがざっと考えただけでもかなり多かった。

 同じようにそれとなく探してはみたが、やはりまだ出回ってはいないようだった。


(まだ行けるよな……)


 柄頭に目をやって、そいつに語りかけるように心中で呟いていた。ここまでくると流石に愛着が湧いてしまっている。

 結局ぴんとくる引具も見当たらず、ヨクリは引具の新調をしぶしぶ諦めて店をあとにした。

 敷地の外にでると、人影が佇立していた。通り過ぎようとして、しかしヨクリは足を止めた。振り返ってその顔を見た瞬間に、苦虫を噛み潰したような表情になったことを自覚する。


「やっほ」

「……お前か」


 外でヨクリを待っていたのは金髪の暗殺者だった。待ち合わせをしていたわけではない。目を切って、ヨクリは歩き出した。


「いやー探しちゃったよ」


 ヨクリの渋面など意に介さず、ミリアは隣へ並び、歩調を合わせた。ヨクリは大きなため息を一度ついて、そいつの顔を横目で見る。


「で、なんでこの依頼に加わっているんだ」


 とりあえず訊きたかったことを訊ねると、


「そりゃ、エイネア様との約束があるし」


 どうやってと質問を重ねようとして、ヨクリは開けかけた口を結んだ。どうせ聞いたところでなんの役にも立たないし、身のある返答も返ってはこないだろうから。

 ミリアはその様子を、正しく了察せずに少し曲解をしたようだった。


「それとも、あたしがこの依頼に加わるのがそんなに気に入らない?」


 その言葉にヨクリは不意を突かれた。確かに金髪の暗殺者はヨクリにとっては親しくしたくはない手合いだったが、具者としての実力はヨクリも知るところだ。不本意とはいえ、レミンの件で同じ依頼をこなしたこともある。


「……いや」


 ヨクリは一度言葉を切って、


「いいんじゃないか。……そのほうが、よっぽど正しいと俺は思う」


 ヨクリは目線を切って俯きがちに答えていた。なぜそう答えたのかは、ヨクリにもよくわからなかった。


「……ふーん」


 無関心とも興味深そうともとれる意味深な相槌をミリアは打った。

 ヨクリがシャニール人征伐に加わっていたことをミリアは知っているのだろうか。ヨクリはちらと考えて、いや、知らないはずがないと質問するよりも前に結論づけていた。そのことについて言及されないのが、逆に不気味だった。


「ま、いいや」


 少女は今度こそ興味を失ったようにさらりと流す。そして、先ほどと同じようにヨクリへ付いてくる。ヨクリは少しだけ逡巡したが、


(どうせ言ってもきかないだろうしな)


 他の人間ならいざ知らず、こいつなら別に構わないかと、口には出さずに同行を許可していた。


「というか、なんで俺をわざわざ待ち伏せていたんだ」


 ヨクリが話を切り出すと、ミリアはにっこりと口に弧を作った。


「あたし、砂漠初めてなんだよねえ」

「それが?」

「なにが要るのかわかんないから、装備を見繕ってほしいなあって」

(なんで俺がそんなことをしなくちゃいけないんだ)


 ミリアの頼みに、ヨクリは顔を顰めた。つい先ほど自身の装備を新調したばかりで、二度手間のようなものだったからというのもあって、感情が表情に出る。それに加えて、この暗殺者の使う武具はかなり特殊なものだった。


(こいつといると、顔の皺が取れなくなりそうだ)


 内心で愚痴をこぼしてから、


「古物なんて、俺は全くわからないぞ」

「そっちは大丈夫。もう終わってるから」


 ということは、ヨクリが選んだような、単純に砂漠を越えるための服装や必需品の面倒を見ろ、と。言いたいのはそんなところだろう。

 最後にもう一つ、ヨクリは質問をする。


「なんで俺なんだよ。アーシスでも、他の業者でもいいだろ」


 茶髪の友人に面倒を押し付けようとするあんまりな言い草だった。ミリアはうーんと唸ったあと、


「他の人に頼むと面倒だし、アーシスはほら、“断らない女”と一緒じゃん?」


 別に構わないだろう、と言いかけてヨクリは少し考えた。ああいうあだ名が付いているというのはつまり、顔がとても広いということだ。


「素性がバレるのはちょっとね」


 その情報網は侮れない。依頼が始まったあとならば、ミリアに関する情報も都市にいる知人に聞くことはできないだろうし、都市外から帰還させるのも難しくなる。一応の納得を手に入れたヨクリは顎で促して、会話を打ち切った。

 それから一刻ほどミリアの身支度に付き合い、区画を歩き回って少女の装備も整えさせる。ミリアがイヴェールの目新しいものにいちいち反応して遅々として進まなかったが、なんとか一通り終わると、出し抜けに金髪の少女はヨクリに笑いかけた。


「お腹すいたね!」


 日は高く上り、そろそろ昼時に差しかかろうとしていた。ミリアが言ったように、確かにヨクリも腹の虫が騒ぎ始めている。


「どこかおすすめある? すごいいい匂いもしてきたし」

「……自分の分は自分で払えよ」

「ちぇー」


 ヨクリの言葉に唇を尖らせたのもつかの間、食事の同行の許可が降りたことにミリアは破顔する。また、ヨクリは浅くため息をついた。


 再び記憶を辿って、手頃な値段で味のいい店を探す。店頭までくると、素晴らしい香りが鼻をくすぐり、たまらない。一階建の、ちょうど依頼管理所くらいの敷地の広さ。大きく取り付けられた格子状の窓枠の向こうから、賑わいと舌鼓を打つ人々の様子が窺える。


「うはー」


 目を輝かせて看板を見るミリア。ヨクリも自然と足早になり、入り口をくぐると外観よりも店内は広く、団体用の奥の座敷と二人から四人がけの席がいくつもあった。適当な場所に陣取ると、品書きに目を通して食事を選び始める。


 待っているあいだ、意識せずとも厨房の方角から油の弾ける音や菜を切る小気味良い音が聞こえてきて、店内を漂う香りと合間って空腹を忙しなく刺激される。誤魔化すように水を煽り、連れの様子を窺うと机を挟んだ向こう側に座るミリアはゆらゆらと体を動かして待ちきれない心を隠そうともしていなかった。

 ややあって、注文した料理が運ばれてくる。分厚くもちもちした、発酵させた皮で具を包んだ蒸し料理。香辛料と一緒に厚い葉でくるんだ蒸し焼きや、麦粉と乳脂で揚げ焼きされた魚料理の数々。菜の和え物や汁物などの副食も並べられた。調理の手法も両文化が混ざり、それが独特な食卓を作って光景も面白い。さすがに日中ゆえに注文しなかったがイヴェールの料理店は日が落ちると様々な酒も並び、目移りする品揃えが楽しめる。

 どう考えても敬虔なリリス教徒ではない二人は特に祈ることもなく食事を始める。揚げ焼きに手を伸ばし、ざくりと切って口に運ぶと、衣の歯ざわりと香りが最高に美味だった。ミリアはまず皮蒸しを手づかみでかぶりつきはじめ、それから止まることなく手と口を動かし続けている。食事が進むと、腹に余裕が生まれたのかミリアが切り出した。


「ほひは、はふははほ」

「……」


 食べ物っぽい声に、ヨクリは眉を顰めてから食器を置いて自身の口元を無言で指差した。それをみたミリアは素早くもぐもぐさせると、ごくりと一つ大きく喉を鳴らして飲み込んだ。喉を詰まらせそうだ。


「そいや、ガルザマと一緒に戦ったんだって?」


 ここであの話をするか、という不意打ちに加え、まさかその名が出るとはヨクリも予想しておらず、幾度か瞳を瞬かせた。自治区で肩を並べた茶髪の短剣使い。頼もしさと妙な親近感を覚えた男。


「……知り合いなのか?」

「いや? あたしは会ったことないけど、有名だからね」

「そうなのか……いや、そうか」


 咄嗟に出た疑問のような声音は、納得にかわって締められる。あれほどの手練れが噂にならないわけがない。再び料理を口に運ぼうとして——


「——“殺し”専門のね」


 ミリアの言葉に、ヨクリは息を詰まらせた。わざわざ強調するのは、その相手が魔獣ではなく人間であるということの表れだった。

 店内を包んでいた喧騒が一気に静まり返ったような錯覚。手を戻し、


「……殺しの依頼を業者として受けているわけではなく、か」


 うーん、とヨクリの問いに少し考えるそぶりを見せたあと、水を一口煽った。


「あたしも詳しくは知らないけど、大体は管理所に降りてくる前の話みたいだね。あたしみたいに都市をまたいじゃうと、上の人たちは依頼にして業者にも協力してもらうしかないけど」


 ミリアは手をとめずに食事を続けながら、咀嚼の合間を縫って説明していく。


「いろんな事情で管理所を通せないか、通したくないときにガルザマみたいな連中が仕事をするって感じかな」


 そういう裏事情を説得力のありそうな人間が語ると、事情に疎いヨクリにも確かにいろいろと考察できることが生まれてくる。

 殺しの依頼を業者に発注するということは、とどのつまり治安維持隊だけでは手に負えない場合だということだ。管轄する維持隊の面子も悪くなる。この金髪の暗殺者の場合は、被害者がランヴェル卿ほどの貴族だったというのもあるだろう。


「興味あるなら紹介しよっか?」


 人斬りの仕事を、と言外に述べるミリアに、


「別に俺は、好んで人斬りを受けているわけじゃない」

「あたしにはそうは見えないけどなあ」


 ヨクリは心がささくれ立つのを感じた。


 そうだ。ヨクリは自身の意志で人を斬った。その通りだ。結局レミン集落でミリアが言った通りになった。正しいこと——法と人斬りとを究極的に突き詰めれば、ヨクリ自身が裁かれないからこそ人を斬ったのだ。

 あのときヨクリはこの少女は狂っていると心中で断じたが、側から見ればヨクリもミリアも同じ穴の狢だ。自己を肯定するために人を斬っていることに変わりはない。


 そしてヨクリは、なにかや誰かのためではなく、自分のために剣を取った。業者の尊厳を踏みにじったテリスやレナールに抱いた殺意も、シャニール人を斬ろうと決めたことも、結局のところ同じなのだ。それはとあるきっかけでそうなったのではなく、生来持っていた性質だった。とどのつまり目的のためならば、流血を伴う手段さえ厭わない。ヨクリが嫌い、悪口を向けた者たちとなにもかわらない。


 本当に正しかったのかどうか揺らぎそうになる心を、努めて落ち着けようとする。もう選んでしまった。なにを言い、考え、見聞きしたところで賽は投げられたあとだ。

 そして、あの戦場で起きたこと、引き起こした者の言葉を思い出すと、仮にあの戦いに加わらなかったとしても、やはりヨクリはいつかその思想に抗うだろうと。それになにより、ファイン家で自身が発した言葉は、偽らざる本音だった。

 そこまで考えたあと、ヨクリは沈黙を貫いていた。ない交ぜになった全てを表現できる言葉を持ち合わせていなかった。答えようがなかったのだ。


 かわりに食事を再開するが、砂を噛んでいるように味がしなかった。


 対面から音がしなくなり、ヨクリの様子をただじっと見つめているミリアにも、ヨクリは気がつかなかった。

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