五話 南に臨んで
下月 芽の十六日。
——一連の首都の動乱ののち、ヨクリは二つ目のクラウスの依頼を引き受けることとし、リンド都市外のこの集合場所へと足を踏み入れていた。
ヨクリへと集中していた視線は、時間が立つとまばらになり、やがて消えた。着席を促されたヨクリはできるだけ低頭の意を示しながら手近な椅子に腰掛け、壇上に集中しつつも辺りを窺った。
(確かに、すごい業者ばかりだ)
ヨクリでも知っているような名の知れた業者ばかりがここには集っていた。そして、親しくしている人間もそのなかに入っている。見知った茶髪の後ろ姿を見て、
(アーシスもか)
と友人に気がついたあと話の続きを待った。自身が中断させてしまったのはヨクリとて察していた。療管に入って治療を行なっていた時間が思ったよりも長く、時間に遅れてしまった。遅刻を咎められなかったのはクラウスが事前に話をしてくれていたからかもしれない。そしてさらにはっきりと壇上へ目を向けて、面に出さずに驚いた。
(どうしてマルスが)
あの金髪の青年も今回の依頼にかかわっているということらしいが、あの日ファイン邸で三人顔を合わせたときはそんなそぶりは見せていなかった。どうやら、あのあとクラウスとマルスでなにがしかのやりとりが行われたらしい。
「では、依頼を降りる者は退出してもらって構わない」
口を開いたのは六大貴族ツェリッシュ家の当主ロシだった。再び、にわかに室内が緊張感に包まれていく。
(そうか)
ヨクリは得心した。集う業者のほとんどが内容を聞いてから依頼を受けるかどうか決めようとしていたらしいということ、そしてその返答が今——正確にはヨクリが到着する直前からだったということ。
「相手は上級なんでしょう。この人数と面子で、勝てる見込みはあるんですかい」
そう口火を切ったのはヨクリにとっては見覚えのある、意外な人物だった。
(ガダさん)
青髪の少女の件で知人になった派閥の頭領。ガダの隣の男もあの場に居た。あのときヨクリが目測したとおり、やはり腕の立つ男らしい。
「全くの未知だ」
クラウスはきっぱりとそう言い放った。
「だが、ここに集う者たちが力を結集させることができれば、目はある」
血鎖の頭領は図術士と睨み合うように目を合わせ続けた。しかしそれは威嚇ではなかった。虚偽があるのかどうか、また、その者の思惑。まるでそういったなにかを探っているような雰囲気だった。
それはしばらく続き、頷くように視線を切ると、
「そうですかい。なら、俺は受けますよ」
ガダはあっさりと、そしてはっきりと言い放った。まるで室内の全員に聞こえるように、声を張って堂々と。
手を挙げた血鎖の頭領に、その部下の若者が続く。
「俺も」
一拍置いてから、また別のところから意外な手が上がる。たおやかな繊手の持ち主は、薄紅髪の女だった。
「私も」
ヨクリは一息ついて、挙手した。いずれにせよ、すでに受けると決めていたことである。
「俺も受けます」
そうして挙がった四つの手はじわじわと波及し、集う全員の挙手が行われる。そこでヨクリは漠々と考えていた。ヨクリがもしシャニール人でなかったとしたら、抱えている問題が違ったとしたら、果たしてこの依頼を受けただろうかと。ここに集った具者は、ヨクリが考えていたよりもずっと高潔で志の高い者達だと思わざるをえなかった。
「——感謝する」
深々と頭を下げたのは浅黒い肌の男だった。細くしなやかな長身と野性味溢れる美しい骨格は、南部出身者の特徴だった。
(彼がホザル議長の息子か、確か名前は、ジャハだったか)
「では、具体的に話を詰めよう」
再びクラウスが前へでて、場を仕切り始める。傍のマルスへ指示を出すと、マルスは丸められた長い紙を奥の壁へ広げ、具者全員に見えるように貼り出した。サンエイク地域の簡略的な地図である。
「ダーダリオン柱廊群を通り、巨大森との境に拠点を築く」
ダーダリオン柱廊群。チャコ砂漠に広がる遺跡群のうち、サンエイク東側に広がる、柱の群が点在する地域だ。円形都市がつくられるよりもはるかに昔の、今は砂漠に埋もれてしまった古都の名残である。まだ大陸の統一がされず、南部の民が暮らしていた王国の跡。
サンエイクの東側は都市間車道も通っておらず、長らく放棄されていた区域であった。
「砂漠を跨いで資材を運ぶんですかぁ?」
弓使いのニノンが手をあげ、再び質問をする。
「そうだ。そこは討伐までの本陣になり、また君たちが依頼を達成したのち、いずれ森を抜ける道を切り拓く上でも重要な拠点となるだろう」
一見無謀に思えるが、その程度はこなせないと上級魔獣を討伐するなど不可能だとも思った。それにいくら凄腕の業者が集まっているとはいえ、即席の部隊にすぎない。むしろ準備の段階で前もって中規模の行程があるのは個々の能力や連携を把握するうえで都合がいい。
拠点の周囲の森林もある程度踏み入り、水源の確保なども必要だろう。おそらくは資材や拠点を護衛する部隊と斥候隊とをわけ、強固な拠点の確保と上級魔獣の調査とを平行して進める算段だろう。
「では一週後の二十三日未明、サンエイク東門に集合することとし、この場は閉じる。各人の健闘を祈る」
クラウスに促され、六大貴族ツェリッシュ家の当主が大きく宣言した。
「諸君らの奮闘で、落日都市に日はまた昇る」
ロシが締めくくり、具者たちがいちどきに立ち上がって跪く。そうしてその場は解散となった。
ツェリッシュ家とクラウスがこの場を後にし、マルスとジャハはしばし残るようだった。退出の際、顔を伏せているヨクリとすれ違ったベルフーレが思わせぶりに目配せしたのにヨクリは気配で気づいて、
(ベルフーレ様はどこまで予想していたんだ)
ファイン家での言葉。長女や次女よりも末のベルフーレが実権を握っていくのではとヨクリに思わせるほどの先を見通す力。それは今までヨクリが出会ってきた他のどの貴族とも異なる力だった。
場を支配していた貴族たちが去ると、すぐにこの場を離れて準備に取り掛かる者と、残って情報を掻き集めようとする者の二手に別れていた。少しずつ大きくなっていく室内の声量。
立ち上がろうとするヨクリに近づいてくる影があった。ヨクリもよく知る茶髪の男だった。
「……アーシス」
「ヨクリ」
半月以上ぶりの再会だった。部屋で見かけてから、顔を合わせるまで先送りにしていたことをヨクリはその場で素直に決めることができた。無用な心配をかけることもない。以前通りの調子で付き合っていけばいい、と。
また、レミンの一件についてはおそらく、時がくれば嫌でも話すことになるだろう。ジェラルド・ジェールを追い詰めたその時に。
「遅刻だぞ」
「……療管に入って出られなかったんだよ」
ヨクリは反射的に唇を尖らせて返答した。するとアーシスは胡乱げな目で追求を始めた。
「……またなんかやらかしたのか」
「ああ、いや」
うかつに口を滑らせてしまい、しまったとヨクリは思った。なんと説明したものか悩もうとしたそのとき、ヨクリへ柔らかい声がかかった。
「お久しぶりです、ヨクリさん」
ヨクリは目をわずかに見開いて、
「ミニオットさん」
施療院の認可紋の帽子と薄紅髪の女性を目にしたヨクリは、応答する。およそ人付き合いのよくないヨクリも顔を直に合わせ、行動を共にしたことがある人物だった。確か、ヨクリより一つか二つ年上だったような気がする。
「貴女も今回の依頼に参加していたんですか」
ヨクリは内心で助かったと思いつつ姓を呼ぶと、もう、とその女性は眉を下げて、
「メディリカとお呼びくださいと、前にも申し上げましたのに」
にこやかにヨクリへと言うメディリカ。横で見ていたアーシスは目を丸くしてヨクリへ訊いた。
「知り合いなのか」
「昔、依頼で何度か」
「三度、ご一緒させていただきました」
曖昧なヨクリへ正確に返すメディリカ。ヨクリが依頼で複数回顔を合わせる業者は少ない。が、メディリカはその例外の一人だった。“断らない女”の異名はヨクリも耳に挟んだことがあり、ヨクリが業者を始めてから二年ほどが経過した頃から女の噂が広まり始めたのを覚えている。そこで、ちょうどその時期に始めて依頼で顔を合わせたのを思い出した。そのときは取り立てるようなこともなく依頼を終えて解散したはずだったが——。
「…………」
ヨクリの内心を見透かしているのかいないのか、ただ真っ直ぐ見据えて薄く笑んだままのメディリカに、思い出す。
(そういえばこの人、苦手だったな……)
腹の底が全く読めない、希少とも言える業者の“治癒者”。その技術を持つ人間は施療院や上流層の図術技師になるのがほとんどで、なぜ危険な都市外へと好んで仕事を求めるのかも理解の範疇の外だった。しかしそのことを鼻にかける様子は一切見当たらず、むしろ誰に対しても平等で慇懃すぎるほど人当たりは良い。見目麗しいさまや、戦場での献身的な振る舞いに、メディリカに憧れる業者は山ほどいるとも言われている。
(そもそもシャニール人の俺にわざわざ笑いかけてくるのも変だ——じゃない。それは行き過ぎだ)
反射的にそう思い、しかし内心でそれを嗜める。そこまでいくとそれはもう被害妄想の類だろうと。やはり先日の件が尾を引いているのを自覚せざるを得なかった。
(……それはおいておくとして、なんで俺のところに挨拶にくるんだ。彼女ならこの場でも知り合いは山ほどいそうなものだけれど……アーシスとは初対面だからだろうか?)
再び横目でメディリカを見るが、やはり柔らかい空気をそのままヨクリへ向けるだけであった。
(まあいい。どうせ正解なんてわからない)
ヨクリは思考を切り替え、また考え出す。
「きみやミニ——メディリカさんがいるのは俺も納得だ。でも、どうして」
会うたび言われるのも面倒だと、ヨクリが薄紅髪の治癒者の名を改めて呼び直してから壇上のマルスを半目で見ると、アーシスはその意図を察したように、
「そりゃオレも思ってたさ。なんでマルスや……タルシンもなんだろうな」
「君の付き添いとかではなく?」
「ああ。きっちりオレ宛とタルシン宛、二通“暁鷹”に届いてやがったぜ」
なるほど、とヨクリは首を縦に振った。どうやら先日選ばれた天幕内に集められた具者とはまた異なったなんらかの選考基準があるらしかった。名前が挙がった二人のほかにもちらほらと、単純な戦闘技術の面だけなら見劣りする具者が見受けられたからだ。例えばマルスは、干渉図術を使わせれば熟練の具者に引けをとらないほどの確かな腕前を持っているが、あくまで図術技師。都市外へ出て本格的な戦闘ができるほどその方面には明るくないのは、フィリルの件でもはっきりしていることだった。さらに言うならば——
「……あの、お知り合いですよね?」
メディリカが困ったように眉を下げて微笑を浮かべながら手を差した方向を見ると、ひらひらと手を振り笑顔を向ける金髪の暗殺者の姿があった。
「なんであいつまでいるんだ」
「オレが連れてきたわけじゃねーぞ」
どういう絡繰りか。そもそもミリアは業者番号すら持っているのかどうか怪しい。
「……いや、もうあいつのことを考えるのはよそう」
「……だな」
ヨクリとアーシスは無視を決め込むことにした。アーシスは話題を変えて、
「それで? 紹介してくれよヨクリ」
メディリカのほうをみる。
「いや、俺が出張って彼女を紹介するほど仲がいいわけじゃないよ」
さすがにメディリカにも迷惑がかかるだろうと気を遣ったつもりだったが、
「あら」
メディリカはいたずらっぽく微笑んで、
「私は是非親しくさせていただきたいと思っていますのに」
ヨクリが眉尻を下げて冗談を受け流すと、メディリカはアーシスへ、
「メディリカ・ミニオットと申します。“暁鷹”のアーシスさんのご噂は予々聞き及んでおりますわ」
「そっちこそ。あんたはめちゃくちゃ有名だからな。なんたって」
「アーシス」
その先を言うのは失礼だとヨクリが嗜めるが、
「いえ、私もさすがに知っています。“断らない女”、でしょう?」
「ああっと……」
くすくす笑うメディリカに、アーシスは頭を掻いてばつが悪そうにする。ヨクリは気を遣って、さりげなく話題を逸らした。
「俺としては、二人が知り合いじゃなかったのが意外なくらいだけれどね」
ヨクリのような人間に好んで関わろうとする人柄である。共通点が多そうな気がしていたのだが、と。
「それは巡り合わせでしょうね」
「“暁鷹”の依頼はあんま他の連中は関わりたがらねえからな」
レミンの一件でも暁鷹以外の業者たちは不利な形勢とみるや、依頼から降りていった。アーシスの言う通り、基本的に業者は利己主義的な側面が強いのだ。アーシスや暁鷹のような他人の救済のために動く者は少ない。だから今回の依頼を断る者がいてもおかしくはなかったが、室内全員の手が挙がったのはヨクリにも意外だった。
「ともあれ、よろしくお願いいたします」
「おう。よろしくな」
二人はにこやかに挨拶を交わす。
「お二人はこれからどうなさるおつもりなんですか?」
ヨクリは質問の意図を汲むためにわずかに逡巡したあと、
「備品の調達ですか?」
水や食料などはツェリッシュ家が手配してくれるらしいが、道中消費するエーテルや服装などを面倒見てくれるわけはない。
予想した答えを言うと、メディリカは笑みを深くして頷いた。
「ええ。宜しければご一緒させて頂こうかと」
「オレは構わねえぜ。ヨクリも平気だろ?」
ヨクリは一瞬言葉に詰まって、考えるよりも前に咄嗟に断っていた。
「いや、俺は」
否定の言葉が出てくるとは思わなかったのか、アーシスは目を丸くした。
「なんかあんのか?」
「……まあね」
「ならしょうがねえな。おーい、タルシン」
頷いて、あっさり引き下がると、別の業者と話し込んでいたタルシンに声をかける。アーシスのこういうところがヨクリは好きだった。
ヨクリが一歩引いて二人から離れると、メディリカはなにかを言いかけるように口を開こうとして、しかし笑顔で会釈した。わずかに引っかかったが、気に留めずにヨクリは身を返す。
部屋を出る前に、壇上のほうをちらりと窺うが、未だマルスはジャハと打ち合わせをしている。クラウスの部屋で会話したあとなにがあったのかマルスに話を聞きたかったが、そうも行かないようだ。
ならば仕方ないと短く息をついて、ヨクリは一人出口へと向かった。




