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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
62/96

   3

 薄雲かかる闇空だった。木立の向こう側には、行く先を示す導のようにぽつぽつと松明の灯が揺れている。小さな嗎と、静かで整然としたいくつもの音が聞こえてくる。積まれる木箱の擦れる音、鞘から抜かれて最後の検分に移った武器の音。

 戦が始まる前に鳴る様々な音は切り開かれた森を抜けて、その拠点へと近づくヨクリの耳にも届いていた。遠目から揺らめく小さな人影と、火の粉のようなともし火を目指す。


 クラウスから提示された、約束の期日。決断したヨクリだったが、心が揺れていないわけではなかった。

 これまでの人斬りとは違う。以前のそれは確かにヨクリが決めて、引き受け遂行した依頼だった。でも。


(今回の件は、明らかに俺の意志が介在している)

 誰もが厭うことも確かにあって、ヨクリにとってはそのうちの一つが人斬りだと思っていた。

しかしまたそれさえも、ヨクリがせずとも、誰かが必ず行うというのが現実だった。人間一人が欠けたり動かなかったりしても、その想いを世界が斟酌することはなく、たゆまず回っていく。


 依頼を受けた理由。


 多分恐ろしいのだ。もし————もしヨクリを除く国内のシャニール人の誰一人声をあげるものが居なかったとしたら、それは全てのシャニール人が、本当にランウェイルの敵になってしまうということに他ならないから。

 剣に訴え、罪のない人間をも傷つけているシャニール人の潮流から抜け出る者が、ヨクリは現れて欲しいと思っているのだ。


(本当は、俺でなくても構わないんだ。でも——)


 ぱきり、とヨクリの踏みしめた小枝が折れた音は、続くはずの思考の海から現実へ引き戻すきっかけだった。何気なく視線を落としたとき、月に照らされ地を這う自身の影が見え、その違和感に唐突に気がついた。


 影の大きさと、かすかな揺らめき。


 隠しきれない人の気配を強烈に背中に感じたその瞬間には、ヨクリの体は動いていた。柄へ伸びる右手。左足を軸に、目を伏せる。


 ————鞘走り、逆巻く光条と金属音。


 迫り来る刃を、振り返りざまの抜刀の斬り上げで払ったあと、手首を返して反撃するまでがとっさにできたことだった。だが、返し技の斬り降ろしは風切り音に替わる。

 斬撃の直前に、そいつは後方へ跳躍、反撃を悟って回避行動をとったあとだったからである。

 しかし、訳もわからず奇襲を受けたヨクリよりも、そいつは驚いたように呟いた。


「……今の避けて一発かませるのかよ」


 ヨクリは右手で抜いた刀に左手を添え、声のほうへ構え直す。


 厚みのある短剣を二振り、逆手で持って佇む男が、ヨクリへ襲いかかった相手であった。細くしなやかな体の輪郭は体格をやや小さく見せるが、上背はそこそこある。

 なんの変哲も無い、というよりはむしろ都市のスラムに居そうな、みすぼらしい格好をした男だった。月明かりからの推測だが、おそらく茶褐色の上衣に同系色の下衣、腰の両側に鞘をぶら下げ、雨期のあとに訪れる強い太陽の時期に履きそうな、ほとんど生地のない履物。


 ヨクリが誰何するよりも前に、男は動いた。


「マグレかな? ……っと」


 とんとん、と地面を右足の爪先でつついて、わずかに前傾をとったかと思うと、男の姿は煙のように掻き消えた。

 ヨクリの目からは嘘偽りなく、この場から一瞬で姿を消したように見えた。

 だが違う。すでに支配領域は展開させている。稲妻のような軌道を描いて、ヨクリの正面から右後方、そして左後方へと、凄まじい速度で回り込んだのを“感知”していた。


(くっ)


 闇夜に二度目の剣戟が響き渡る。

 一拍遅れてヨクリが紙一重で防御に成功すると、再び男は一転して緩く跳躍し、また距離をとった。

 その加減速を自在に使いこなすさまに、ヨクリの背筋は粟立った。

 男は、完全に自身の身体能力を掌握している。ヨクリは決して油断していたわけではない。初手の見事な気配を絶った奇襲から警戒を強めていたくらいであったが、それでも反応するのがやっとの、臓腑を凍りつかせる身のこなし。


「——やるねぇ」


 相手もまた感嘆を含んだ声でヨクリを見据えたあと、ヨクリに訊ねた。


「おたくさんが、“凶狼”?」


 初めて耳にした音の響きだった。ヨクリはそれが一体何のことなのかわからず、男の反応をうかがった。


「刀を下げた姓無しってだけじゃ掃いて捨てるほどいるけど、俺の剣を二度も躱せるやつだからね」


 そこで、それが人を指した言葉だと理解する。


「警戒するようにウォルさんから言われてたんだけど」

「……人違いだよ」


 おそらく聞く耳を持ってはもらえないだろうが、ヨクリは一応弁明した。そして、やはりと言うべきか男はなおざりに言葉を返す。


「まあいいやどっちでも。今ここに来た姓無しってだけで、状況的に怪しすぎっしょ」


 余裕のある笑みを崩さぬまま、しかし夜闇にもわかる、爛々としたどう猛な光を瞳に宿した。

 クラウスが事前に通達していなかったのか、あるいは指示が行き届かないほど込み入った現場になっているのかはわからなかったが、避けられない戦闘であるのはわかった。


(こんなことばかりだ、くそ)


 ヨクリは噛みしめるように毒づいて、眉宇に力を込めた。

 理由の見えぬくだらない諍いで、意義もなく命を落とすわけにはいかない。


(——冗談じゃない)


 暗い情念を含んだ決意はヨクリの意識を戦闘のみへと完全に切り替え、男の世界の早さに追いつかせる。

 再び始まった、目ではとても捉えきれない攻撃に対しヨクリは“感知”がもたらす情報を頼り男が背後に回り込むのを予測し、今度は完全に合わせた。


 弾いた短剣は獲物の命脈を断つに足る確かな力を秘めていたが、それでもヴァスト・ゲルミスやジェラルド・ジェールの繰り出す攻撃のような重さはない。力に任せて振り切った腕を返して、男に袈裟懸けを試みる。そしてその攻撃をやり過ごすために男が後方に跳躍する回避行動さえも計算に入れていた。躱された斬撃の勢いをそのままに男に向かって突進。跳躍の中間、宙に浮いたその体へ、直前の軌道をなぞるように逆袈裟に斬りつける。


 しかし捉えたはずの男の体が宙空で加速し、ヨクリの放った刃は身を捩ってすり抜けられた。そしてヨクリの予測よりも体を捻った方向に流れ、右後方へ男は鮮やかに着地する。


(躱された……!?)


 たとえ図術を使っていたとしても、ヨクリが自身に向けて術を行使したような、なんらかの外的要因がない限り人間が空中で加速したりはしない。宙で自在に加減速できるような図術が発見され、さらに一人の人間が扱えるように小型化されているなら、文明はとうの昔に空を支配していておかしくないからだ。

 つまりこの男はその身のこなしだけで、あたかも空中で加速しているように錯覚させたのだ。動きの始終を認識する間や、態勢を整える足さばきの鮮やかさでもって。


 さらに言及するならば、男の動きには教書に記載されているような体術の型がない。あの金髪の暗殺者のように、死に体から痛点を穿つ最適の一撃を繰り出してくる。そして、その一連の所作は記憶の中のミリアよりも明らかに洗練されていた。


(やはり達人だ、こいつ)


 男の技量に舌を巻きつつ、戦闘は続いていた。直前の攻防と全く同じく、雷光のような速さで持ってヨクリの背後に回り込む男に、予測を行動に移すヨクリ。

 だが、その後の展開が違った。男は短剣で攻撃にまわらずに、ヨクリが合わせようとしていた防御を釣り出した。


(ぐっ)


 愚直に背後を取り続けるだけの男であるはずがないというのはヨクリとてこれまでの打ち合いでわかっていたが、それでも身のこなしの鮮やかさが虚を実と錯覚させるほどに凄まじく、囮だと頭で読みきっていても体が反応してしまうのだ。


 空を切り、泳いだ体に刃が迫り、ヨクリは大きく目を見開いた。

 刀での防御は間に合わない——と思考するよりも前に、大きく右へ、上体ごと首を捻った反射の回避行動を取っていた。そのまま地面へ倒れこむように右手を刀を持ったまま体の下へやり、受け身の姿勢で一回転し、さらに後退しながら跳ね起きる。

 一切の無駄がない軌跡でもって繰り出された一撃は完全にかわすことができず、左の頬を掠めて一筋の傷が刻まれる。


「今度こそ殺ったと思ったんだけどなぁ……」


 吐息混じりの気合いのあと、


「——本気も本気だ」


 一層寒々しさが増したような気配。言葉通り、余裕めいた笑みを含んでいた男の顔から表情が消える。

 頬を流れる血に構わずヨクリもまた集中しようと刀を握り直したそのとき。


「そこまでだ」


 戦闘の埒外から中断の声がヨクリの耳に届く。短剣の男の背後、ゆらりと伸びる大きな影。


「やめろ、ガルザマ。彼はこちら側の人間だ」

「げ……ウォルさん……」


 ガルザマと呼ばれた短剣の男は、その声と足音に肩越しで振り返った。計ったかどうかはわからなかったがバツの悪そうなその声色は諍いの終わりを表す合図になった。敵意の空気が霧散し、ヨクリの耳はゆるく吹く風と木の葉の擦れる音を再び認識しはじめる。

 そして闖入者が強化図術を解いたのを見て、ガルザマがそれに合わせる。見届けたヨクリもまた同様に全ての戦闘体勢を解除した。


「いやでも、やつかもしれないっしょ? 姓無しだし」


 ガルザマのわたわたとした言い分を男は真っ向から否定する。


「“凶狼”は私よりも背が高い。もっというなら、その男が背負っているのは大刀だ。彼のようなごく普通の大きさではない」


 男は嘆息してから、


「この男が失礼をした」


 巨躯をゆるりと下げ、静かな瞳でヨクリを見た。


「私はウォルナルフ・コロゥ。君がヨクリだろう。話はクラウス様から伺っている」

「はい」


 自己紹介に、ヨクリは内心で大きく動揺したが幸い声には現れなかった。


(ウォルナルフ・コロゥだって……!?)


 ヨクリはその男の名を知っていた。

 おそらく、ヨクリだけではない。ヨクリの同世代以降で、ある程度机へ真面目に向かっていた者なら名を見聞きしたことがあるはずだ。


 ヨクリははっきりと覚えている。まだ学徒だったころに、一度教書の内容が刷新されたことを。なぜかというと対人図術戦が初めて行われたシャニール戦争を経て、その技術が格段に進歩したからである。従来の魔獣相手だけではなく、対人間用に考案された戦術、人数における図術起動の適切な間、有用な地形、陣形。それらが簡潔かつ明瞭に人から人へ言い伝えられるほど成熟し、教書に加筆されるに至ったのである。


 そして、その様々な対人技法において複数回に渡り登場する名が、ウォルナルフ・コロゥであった。

 生ける伝説と呼ぶには流石にいささか大仰ではあるが、シャニール戦争において功績をあげた、存命の、傑出した人物であると言うのは間違いない。


(この男が……)


 記憶のうちにある、ヴァスト・ゲルミスに相当する大柄な体格。男の性格を表すような整髪油で丁寧に整えられた短髪。彫りの深い顔に眉がほとんどない、威圧感のある男だった。教書からはゲルミスと同じ齢だったはずだが、四十代と呼ぶには未だ若さを保った印象を受ける。

 戦闘用の軍外套をさらに仕立てたような出で立ち。いくつもの戦場を経験したことを表す細かな痛みは端々に見受けられるが、ほつれや破れなどの損傷はなく良く手入れされていることがわかる。


「済まないな、こちらの手違いだ」


 投げかけられたヨクリへの言葉は、ランウェイルに轟く名と男の強面の様相とは対照的な、聞くもの心拍に直接共鳴するような、落ち着いた低い声音だった。


「ガルザマ。なぜ俺に報告しなかった」

「いや、姓無しが味方にいるなんて聞いてねーすわ」


 微妙に礼を払っているようにも思える口調と態度は、ウォルナルフとガルザマと呼ばれた男の間にある微かな上下関係をヨクリに悟らせる。


「……お前が先の会合をすっぽかしたからだろう」


 ため息だけで済ませたのも、二人が知己だということを暗に示唆していた。


 ウォルナルフは表情を改めたあとヨクリに向き直って、


「こいつはこういう男だ。悪意はあるが、悪気はない」


 親指でガルザマを指して言った。


「だからまともに取り合うだけ徒労になる。覚えておくといい」


 ヨクリがちらとガルザマを見ると、視線に気づいた男はにこりと笑って軽く片手を掲げた。そのさまにヨクリは目を切って、なるほど、と得心する。


「で、ガルザマ。どうだった」

「なんすか? ……ああ、やっぱりもう一人の気配はウォルさんだったんすね」


 ガルザマは思い当たったように呟いたあと、


「しばらく止めに入らなかったのはそういうことか。……俺ばっか悪く言うけど、ウォルさんもかなり悪意あるじゃんよ」

「技量のほども聞いてはいるが、実際に見てみないことにはな」

「見たままびしっと文句ないっしょ。俺と切り結べるなら十分十分」


 黙して会話を聞いていたヨクリは事態をなんとなく飲み込んだ。つまり、この諍いの早い段階でウォルナルフは近辺に到着していたが、ヨクリの力を見るためにわざとしばらく静観していたらしい、ということだった。


 ——どうやら、ヨクリにとっては癖のある連中揃いのようである。


(こいつは気づいていたのか……)


 声をかけられるまでウォルナルフの存在にヨクリは全く気がつかなかった。ガルザマの洞察力が優れているのか、ウォルナルフの隠遁が優れていたのか、あるいはヨクリが戦いに集中しすぎていたのか。

 ヨクリはふ、と息を切って、下げた刀を納刀する。ウォルナルフは一連の所作を見届けたあと、


「ファイン様のところまで案内しよう」


 手招きするウォルナルフにヨクリは追従し、戦の準備が行われている陣地内に入る。即席の野営地のような体裁。しかし大地に深々と根を張る大樹の幹と枝の関係にも似た一つの秩序が正しく機能しているようなぴんと張り詰めた整然さを擁していた。篝火と馬、口取り、幾人もの業者、天幕を横切ると、一つのものがヨクリの興味を引いた。


 入念に調整された、木箱に立てかけられた引具たちである。武具本来の形状からほとんど逸脱しない完成された引具とは違う、どこか発展途上にも見える、別の装置が露出したような外見。


「この引具……なにか違う」

「今回の戦で試すそうだ」


 後付けされたような図術的な仕組みは、ヨクリの知るフィリルのそれと酷似していた。


「威力を実験する代わりに人員の手筈を円滑に進められたということらしい。よくある話だ」


 おおよその経緯は推察していたが、やはり国軍とは別に組織された集団であるということの断片を拾い上げる。この引具もやはり、ヨクリにこの件を持ちかけた人物が手がけたものなのだろうか。


 そこまで考えたとき、天幕の影から現れた男がいた。ヨクリが気づくのと同時に、男は声を上げる。


「————私ではないよ」

「クラウス様」


 ウォルナルフがその姿をみとめて頭をさげる。それに簡単に答えてから、クラウスは再びヨクリに向き直った。挨拶よりも先に、見透かすように言う。


「ヨクリくん。きみはその引具を見て私を連想しただろうが、しかしそれは間違いだ」


 クラウスはヨクリの想像を断定し、さらに否定したあとに続ける。


「真理は偏在するわけではない。君の知らないところでいくつもの真理が、幾人もの人間によって見出されている」


 心の内を見透かされている、と思いつつも、しかしヨクリはその一方でクラウスの言葉の奥に潜む虚を見出したような気がしていた。その言い分全てが本当ではない、と。


「ともあれ、よく来てくれた。嬉しいよ」


 ウォルナルフから先頭を引き継ぐようにクラウスが案内したのは、一帯で最も大きな天幕だった。


 踏み入れた瞬間に、ヨクリが感じたのはそこに集った人間たちの異質さだった。今の社会から横道にそれたような、貴族、軍や業者のいずれとも異なった気配。醸す空気や佇まいは、全ての国民を戦闘技術の巧遅で振り分けたとしたならば、天幕の具者全員が自身と同じ位に座すであろうとヨクリはすぐにわかった。

 前線には立たないクラウスを除くと、ヨクリら三人のほか、男一人女三人の計七名が集まっていることになる。


 ほとんど名を告げるだけの簡単な自己紹介を終えると、話は本題に入る。


「ツェリッシュ様やファイン様が集めたのは、これで全員?」


 依頼主ではなくウォルナルフへ訊いたのは、髪の長さも分からないほど外套を目深に被った、モニカという名の陰気な女だった。両手の手袋にはおもてで見たような図術装置のようなものが装着されている。それはおそらくヨクリの知らない戦闘用の引具だろう。


「ああ。ヨクリ君で最後だ」

「……姓無しか」


 挙動を阻害しないように、特に関節周りなどの装甲を極力排した金属鎧を身につけた、金髪の男サロイスが呟く。


(貴族)


 ヨクリもまた端的に内心でサロイスの第一の特徴を単語で浮かべた。剣盾と鎧は使い込まれているが、下に着込む衣服などの身なりは明らかに洗練されている。しかしだからというべきか、より一層の、無法とは一線を画する異端を意識せざるをえない。一朝一夕で身につけられる雰囲気ではないからだ。

 視線の先がヨクリ————シャニール人へと一点に向けられているのを感じる。一度瞑目し、わずかに眉宇に力を込めてそれを堪え、目を開く。


 その天幕内のさまを意に介していないように、クラウスは中央にある大きな机へ無造作に歩み寄ると、丸めてあった地図を伸ばし広げた。一見するにその地図はとても古いもののように思える。風化で色は落ち、ところどころ墨がかすれ、また新しく上から書き加えられるなど、修繕のあとも見受けられた。


「では概要をさらおう」


 その声に一同は切り替わったように表情を引き締めた。


 クラウスは地図上に指を置いて話し始めた。

 反ランウェイル側は一つの意志の下に結束されているわけではなく、様々な思惑があり小規模から中規模の組織が寄り集まった勢力であること。その中でも一番影響力が高いのがリマニと呼ばれる男が率いている集団であること。また、反ランウェイル側を支援する母体があり、シャニール人のみにとどまらない、ランウェイル人もその勢力に加わっていること。

 すでにフェリアルミスのシャニール自治区へ通じる道の監視が始まっており、いくつかの部隊に別け、会合が行われる場所の近辺に潜伏させていること。


「私たちだけ分けられた意味はなんでしょう」


 モニカの問いに、クラウスは考えるようなそぶりをほんの僅かにみせたあと、


「おそらく、今回の戦だけでは収まらないだろう。もちろん君たちがこの後に起こるであろう動乱に必ず加わらねばならない義務などないが」


 迂遠な言い回しを、ウォルナルフが端的に補足した。


「クラウス様直轄の部隊、その雛形が我々ということだ」


 なんらかの基準によって選定されたのがここに集う具者である、という予想をヨクリは立てていた。その一番の目的を今ここで問うたところでおそらく返答はないだろうということも。

 めいめいが同じようなことを思ったのか、次の質問はなかった。

 ひとしきり反応をみたあと、クラウスは作戦開始の声をあげた。


「では、手筈通りに頼む」





 天幕に集った業者は三つの部隊にわけられ、ヨクリとガルザマは先導するウォルナルフの後ろをついていく。陣地の外れには数台の馬車がとまっており、馬車たちは一見すると商隊が抱えるそれに扮した外観をしていた。ウォルナルフがヨクリらを手で制し、先に乗り込んだ。少しの物音ののちに馬車の頭から顔を出して御者と打ち合わせをしている。


 そのかんヨクリが目をやったのはちょうど陣地と森の境に立てられた篝火の近く。そこには松明に照らされた集団がいた。距離のあるヨクリの立っている場所からでも、その様相がわかる。とても若い。さすがにフィリルよりは年齢が上だろうが、おそらくは基礎校を卒業する年齢にすら至っていない少年たち。


「“騙され部隊”だねぇ」

「騙され部隊?」


 目線を読んで、ヨクリが声には出さなかった疑問についてガルザマが答えると、ヨクリは単語を繰り返すように追求した。


「そうそう。一応は都市の民だけど、住んでるところが小競り合いしてる区画にめっちゃ近いらしくてさ。そいで、適当な貴族がそいつらを手練手管で引っ張ってきて即席の部隊にしたって話」


 対人の訓練どころか、引具を振るった戦いすら覚束なそうな一団だった。佇まいや表情からもそれは滲み出ている。

 おそらく基礎校への入学をしていない子供達だろう。中流層の商家の家系や、それに類する戦いとは無縁の者たち。


「それは……」


 ヨクリの言わんとするところをガルザマは察し、


「ま、だろうね。今回の規模がどんくらいになんのかは俺にもわからんけど、半分生き残ったら上等なんじゃない」


 その計算はおよそ正しいものだった。

 そんなものは理想論だと吐き捨てても、定義としては具者はそういう平和を生きる人々のために、代わって力を使う人間ではないのか。


(本末転倒だ)


 どこへ向けたものともしれない侮蔑がヨクリのうちで生まれ、それを吐き出すようにヨクリは浅くため息をついた。

 集団を見ないように目を逸らし馬車の方へ向けると、ウォルナルフがこちらへ手を上げているのが見えて、ヨクリら目配せしてからはその大きな影へと近づいた。

 馬車内に乗り込んだ三人。ウォルナルフの指揮下に入ったヨクリは現地で行う具体的な指示を待っていたが、しかし流れていた沈黙を破ったのは飄々とした短剣使いだった。


「で、ウォルさんの見立ては実際はどうなんすか?」

「どうとは?」


 ウォルナルフが聞き返すと、ガルザマはしびれを切らしたように言う。


「だからーこっちが有利なのかって話」

「単純に勝敗の算段を立てるだけなら言うまでもない」


 そう答えつつも、ウォルナルフは次の言葉で断言を避けた。


「が、私も味方全員の戦力を把握しているわけではない」

「出たとこ勝負ってこと?」


 身も蓋もないガルザマの言葉に顔をわずかに顰めさせて、


「練度は明らかにこちらのほうが高いだろう」


 多くはクラウスやツッリッシュの目利きの元に辿られたつてで、金に飽かして勧誘した在野の業者たちであるから、実力のほどは保証されているといってよい。シャニール側にも手練れがいる可能性はないとは言い切れないが、両軍の背景にある戦前の教育水準からすればその読みはまず妥当と判断してよかった。


「潮を読んでファイン様やツェリッシュ様に利しようと目論む輩もいるが」


 ガルザマの言う“騙され部隊”の発足人たちだろう。耳聡く聞きつけた貴族がツェリッシュ家や図術士と繋がりをつくるために用意した付け焼き刃の具者たち。

 自国の首都が脅かされているにもかかわらず、ただ私欲のために動く連中がいる。 

 先の戦争でも似たようなことがあったのだろうか。だとしたら————


 ————そこまで考えて、ヨクリは小さく頭を振って思考を散らした。戦の前に考えることではないからだ。しかし、


「……嫌な感じだ」


 思考のかけらがひとりでに口から漏れる。感じた視線の先に顔をやると、ガルザマが目を丸くしていた。


「姓無しちゃんでもそういうこと考えるのね」


 発言の意味がよく飲み込めずにヨクリは次の言葉を待った。


「いや優しいのねと思ってさ。俺なんてぶっちゃけ騙され連中がどうなろうがあんまし興味ないし」


 あっけらかんというガルザマに毒気を抜かれつつも、ヨクリはどちらともつかない声を返す。


「……別に、そう言うわけじゃない。ただ、どういう人間が今この状況を作り出しているのか興味があるだけだよ」


 ヨクリの答えに割り込んできたのはウォルナルフだった。


「私は君に興味があるがね。どうやってクラウス様から勧誘を受けたのか。そしてなぜ君がそれを了承したのか」


 痛いところを突かれたヨクリは反射的にウォルナルフの顔を見た。そして明言を避けるように、


「……俺は俺にできることをしようと思っているだけです」


 と遠回しに答えた。しかしガルザマは納得しなかったようで、直截的にヨクリへと言葉をぶつける。


「間者かどうかを疑ってるってことよ」


 おいガルザマ、と嗜める声をウォルナルフはあげる。ヨクリが弾劾にも似た言葉を発したその男の顔を見ると、しかし侮蔑や嫌悪といった気配はなくその表情はまっすぐで、ただ真偽を問うためのものだった。正しい言葉には、同じく正しい言葉で返さなければいけない。


「……恥知らずにはなりたくないんだ。突き詰めたら、それだけなのかもしれない」


 絞り出すようにヨクリは言った。


「だから」「よせ」


 ガルザマの追求を、ウォルナルフが今度はきつく遮った。


「よくわかった」


 今度はウォルナルフがヨクリの顔を正面から見る。


「なにがいいんすかウォルさん」

「お前が話すとややこしくなる」


 それ以上は付き合わないという姿勢をガルザマに見せるようにウォルナルフは大きなため息をついた。そしておもむろに立ち上がってから馬車内に積まれていた一つの木箱を開け、中を覗いていた。ヨクリはウォルナルフの行動よりもその脇、立てかけられた長大な引具に目を惹きつけられる。金髪の暗殺者が携えていた古物にも似た構造をしているが、筒がかなり長い。図術装置らしきものも装着されていることがわかる。そうやって観察をしていると、ウォルナルフは箱の中身をヨクリとガルザマへ差し向けた。


「話通りこれを着てくれ」


 ウォルナルフと同じ、白を基調とした意匠の外套だった。味方全員着用が義務付けられているらしく、ヨクリはそれを受け取るとすぐに羽織った。ガルザマも同じように手渡されたが、しかめ面で「こういうの趣味じゃないんだけどなー」と文句を言いつつヨクリに習うように袖を通す。


 胸元の留め具を調整しながら、ヨクリはウォルナルフへ尋ねた。


「具体的に、俺はどんな役割でなにをすればいいんですか」

「簡単だ。戦いにおいては、戦線と後方を繋ぐ連絡役が必ずいる。私たちの請け負う区域では、事前の情報だと四人。詳細な指示はここにある」


 懐から取り出した紙の切れ端をヨクリへ差し向けながら、


「きみはそいつらを探し出して無力化してくれればいい。終わり次第警戒しつつ前線へ出てくれ」


 侵入経路などの注釈を交えつつウォルナルフが説明する。また、ヨクリを含め集まった具者全員ぶんの護印を登録するのは手順や引具の性能諸々の都合で不可能であるため、前線では特殊な密集陣形をとるなど、具体的な戦術についても解説を受けた。さらに、念のため三人同士の護印を済ませておく。


 それらがちょうど終わるころ、


「この外套、東の高いやつじゃない? 全員に配るなら、もっと安いのでもよかったんじゃ」


 ガルザマが視線を落とし、自身の着用している外套をしげしげと眺めながら言うと、ウォルナルフは答える。


「この時期の東雲は足が速いからな」


 雨期に酷い嵐や豪雨に見舞われるリヴァ海沿いの諸都市で用いられる、撥水性の高い素材で作られた外套である。


「さすが用心深くていらっしゃる」


 ウォルナルフの答えにガルザマは肩をすくめた。

 そして馬車が動き出し、再び車内は沈黙で埋め尽くされる。


(騙され部隊、か)


 ヨクリよりもきっと選択の余地がない者たちだろうとは容易に想像がついた。そのことについて考えようとわずかに顔を俯かせると、ガルザマによって刻まれた頬の傷が疼いた。


(いや、終わったあとだ)


 それがヨクリを余計な思考へはまっていくのを防ぎ、感謝というわけではないが、ヨクリはガルザマの顔を盗み見る。同年代ではおよそ見たことがない技量の持ち主。あの緋色の友人と同等かそれ以上の俊敏さを身につけた男。


(彼がどうして戦っているのかも、今はいい)


 そうやって疑問を先送りにすることができた。


 打ち合わせが終わると自然と車内は無言に包まれ、しばしの間馬車に揺られる。そして小さな馬の嗎とともに止まった先は、首都フェリアルミスの外周を囲む巨大な遮壁の目の前だった。外側から最もシャニール人自治区の会合場所に近い地点である。

 ヨクリが馬車から降り立つと、風が吹いて外套を揺らした。馬車の二人はヨクリのあとから侵入し、別の地点で待機する手筈になっている。事前に侵入している別の部隊がすでに行ってはいるだろうが、不測の事態における後続の安全確保もヨクリの仕事らしかった。


(これか)


 ヨクリが確認した先にあったのは、遮壁に穿たれている穴である。スラムやシャニール人自治区に存在する、不法に入都するために内側から掘り進められた非公式の出入り口。普段は内側から繕って見えないように他の壁と同じように偽装されており、夜更けの人目につかない時間を見計らって使われているようだった。

 それが今は解放されている。ヨクリはふ、と小さく息をついてから歩き出す。


 内容に不満はない。どうせ深く問うても応えが返ってくるはずもない、まさしく詮無いことだった。それは業者として依頼をこなしているときでも変わらない、ヨクリがこの国から与えられた役割だった。


(今は、ただ)


 そう。ヨクリにできるのは与えられた役割をこなしながら一つでも多く情報のかけらを拾うことだけだ。腹をくくってヨクリは穿たれた闇の中へ身を投げ込むように駆け出した。





 黒髪の青年が馬車から降り立ったあとに、ガルザマは同じく馬車に残っているウォルナルフに訊いていた。


「さっきの指示、あれでいいんすか?」


 気怠げでありながらも、瞳は興味深そうに瞬いた。


「めちゃくちゃ曖昧だと思うんだけど」


 問われたほうはわずかの間ののちにきっぱりと返答する。


「いや、これでいい」

「……なにが?」


 結論を追求すると、ウォルナルフは端的に答える。


「彼はお前や私とは違う、ということだ」


 ウォルナルフの言い回しにガルザマはため息をついてから、話の方向を変える。


「それにしたって本当に信用していいんすかね、あの姓無しちゃん」

「彼の言ったことが真実かどうかもすぐにわかるさ。戦場はそういうところだ」


 そこでうんざりした様子で肩を落とした。


「…………偉そうに話しちゃってさ。あーあ、ウォルさんはいつもそうだ」

「年長者の特権だからな。悪く思うな」


 ガルザマの悪態にも飄々と答えたあと、ウォルナルフはわずかに口角を上げた。


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