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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
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二話 拭えぬ騒めき

 上級魔獣討伐のために行われた業者たちの集会よりも、遡ること半月ほど前。

 暖炉の火がぱちりと爆ぜる。

 アーシスと別れ、治療を終えたヨクリは次の行動をどうするか宿で考えていた。身支度を整え、ようやく考えをまとめる時間をとることができる。レミンでの一件から都市に戻り、周囲の状況が把握できる精神を取り戻したヨクリは、少なからず動揺した。


 レンワイスに戻り、治療を終えたヨクリが真っ先に感じたのは敵意。この感覚は、嫌というほど味わってきている。シャニール人に対しての差別意識だ。だが、悪意よりも先に敵意を明確に感じたのはあまり経験のないことだった。それも、頻度が明らかに以前よりも多くなっている。

 何か理由があるはずだった。施療院を離れたヨクリは世情を知るためにいくつかの新聞や雑誌を読みふけり、得心する。

 レミンの森でタルシンが言っていた言葉。まさしくその問題が表面化しているのだ。首都を離れた貴族たちがシャニール人を警戒し、それが市井の民に伝わり、敵意に変質している。

 ヨクリにとっては他人事と斬って捨てられぬ、由々しき問題だった。このまま事態が悪化すれば、おそらく——。


(この国で生きていくことができなくなる)


 今はまだ、金を払えば用役を受けることができる。だが、首都に起きている全ての動乱にシャニール人が関わっているとなれば話はまるで変わってくるだろう。今でさえ小さな商店や宿はシャニール人の入店を断る店もあるというのにこれ以上差別の意識が強くなると、それこそジェラルド・ジェールの痕跡を辿るどころではなくなる。


 このまま、当初の予定通りジェラルドを追うか、それともシャニール人の動向を調べることに切り替えるか、二つの選択肢がヨクリにはあった。


(情報が欲しい)


 首都の貴族、教会。そして、その下についているシャニール人の組織。特にジェラルドの所属する教会と、自身の同胞であるシャニール人の組織について。

 ジェラルド・ジェール、そしてその部下レナールとテリス。リリス教会もまた、一枚岩ではないことを知っていた。


(白都エリサイを当たってみるか……でも)


 教会についての諸問題は聖地のある、スローシュ大陸極西の都市エリサイに足を運べばなにかしらの情報を得ることが期待できる。————しかし。


 基礎校を出てから、ヨクリはシャニール人の知己を作ってはいなかった。いろいろな考えや感情はあったが一番大きな理由は、シュウに対する後ろめたさや、同胞との繋がりを持つことでその想いが薄れてしまうのを恐れていたのだと、今ならはっきりと振り返ることができる。

 行動のツケを払うときがとうとうやってきたということなのだろうか。


 だが、諦めるには早すぎる。

 ヨクリだけならばまだいい。でも今はもう、ランウェイルという国に対しヨクリは確たる繋がりを作ってしまっている。


(フィリルへの不利益だけは……)


 なにかのきっかけで、少女の後見人がシャニール人であることが露呈してしまったなら。そしてそれが、最悪の状況下においてであったならば。

 そうなることだけは是が非でも避けねばならない。だから、己が築いてきたものを最大限利用する。たとえフィリルを言い訳にしているのだとしても、それさえも受け入れて。


(彼女なら)


 あの緋色の友ならば、ヨクリには手に入れようがない情報や、思いもつかない案を持っている。確信がヨクリにはあった。


(まずは、打てる手を打とう。ジェラルドについては、そのあとだ)


 決意したヨクリは手持ちの中で一番上質な紙を取り出して、手紙をしたためはじめる。多忙な貴族のことだ、事前の申し出なしにたやすく会えるとは思えない。ヨクリが置かれている現状、知りたい情報、また、今どこにいるのかをつらつらと列挙する。

 そして書き終えたヨクリはきちんと封をし、裏に署名する。皺一つつかぬように丁寧に閉まって、外出する支度を整えた。


 宿を飛び出して図術列車に乗り込み、ステイレル家レンワイス別宅へ足を運ぶと、遠目から見てもその門は閉まっていた。そして門の前に警らの人間が佇立している。話しかけようと歩を進め——思いとどまった。その門番の顔をヨクリは知らなかったからである。


(どうする)


 ヨクリが懸念しているのは、あらぬ疑いをかけられることである。この時勢に、悶着するのは避けたい。しばし考えて一つ辻を入り屋敷の入り口を見張りながら、人が出てくるのを待った。今の頃合い——五刻を少しすぎた時間なら、人の出入りがあるということを、滞在中にヨクリは知っていた。

 読み通り、買い出しを終えた使用人が、ヨクリから見て左のほうから荷物を抱えてやってくる。顔は——ヨクリに見覚えのある人物だった。


 なるべく怪しまれないように屋敷の前で声をかけると、その女中は一瞬警戒したあと、ヨクリの顔を見て一礼をとった。おそらくキリヤの友人だということを思い出したのだろう。ヨクリは同じように頭を下げたあと、キリヤの在宅の有無を訊ねて、もうレンワイスにはいないことを知る。次に手紙を届けたいのだが、取り次ぐにはどうしたらいいか聞くと、その女中が預かってくれるということになった。


(とりあえずは、これでいい)


 やり取りを終え、ヨクリは安堵のようなため息をひとつついた。



 ——その様子を上から見ている緋色の影には、当然気づかなかった。







 その若い女中は黒髪の青年から手紙を受け取って屋敷の敷地内に入り、荷の重さに耐えながら思っていた。あの青年が屋敷に滞在し始めてから、自身の主の表情が少しだけ和らいだこと。張り詰めていた空気が優しくなり、下々の者に声をかけるようになったこと。もちろん、それ以前に不満があったわけではない。ステイレル家の使用人としての誇りがそんなことを言わせない。それでもその変化は好ましいものに、女中には映った。


 だから、そのきっかけになった青年には少なくない恩を勝手に抱いていた。巷ではシャニール人に対する警戒が強まっているのを女中も感じていたが、あの青年にはできる限りの計らいをしようとそう決めた。首都で働いている同時期にステイレル家に雇われた仲の良い女中仲間に、青年から預かった手紙と、それを主に届けて欲しいという旨を伝える手紙を送るのがいいだろうか。


 そんなことを考えていた矢先、目の前にある屋敷の扉が開かれる。

 ——姿を見せたのは、女中の仕える主よりも格上の存在。ステイレル家当主カレゼアであった。威風堂々たるその出で立ち。敬意よりも先に、身を竦ませる威圧感。


「失礼致しました」


 女中はカレゼアの進路を妨げぬよう傍に下がって、頭を垂れその姿勢を維持する。峻烈の女傑が過ぎ行くまで。

 しかし、全く女中には予想外のことが起こる。


「おい」


 頭上から声が聞こえた。この場には女中とカレゼア以外に人間はいない。つまり、話しかけられたのだ。


「は、はい」

「それはなんだ」

「夕餉の準備にございます」


 抱えた籠の中身を問われたのだと思い咄嗟に答えるが、期待された返答ではなかったようで、カレゼアは一歩女中に詰め寄った。

 そして食材の入った籠ではなく、その指先に挟んだ手紙をすっと抜き取る。当主が訊いたのは、使用人の持った一枚の手紙についてだった。


「申し訳ございません。そちらはキリヤ様のご友人から預かったものにございます」


 謝罪の言葉など求めてはいなかった。緋色の大貴族は、その手紙を両手で掴み、びりりと引き裂いた。二度、三度と紙を裂く音がして、それを放ると屑になった紙切れがひらひらと辺りに舞い散る。少しの静寂ののち、


「冷血な女と誹るか」


 呆然とした女中に、当主は直截的に問うた。女中は間髪いれずに再び頭を下げ、答える。


「滅相もございません」

「よい」


 ほんのわずかに口角を上げたあと、紙片に目をやりながらカレゼアは言う。


「私はなにも、この手紙の者の資質を問うているわけではない。あれの目がそこまで曇っているとも思わない」


 言葉を切って、


「あれが私に認めさせたイヴェールに眠る奴隷もまたそうだ。当時はそうせねば、あれは心を保てなかったのだろう」


 主が計らった、寝たきりのシャニール人。彼女を奴隷として引き取った形で面倒をみていることは、主のもとで数年勤めたものならば知っていることだった。


「だが、もはやそういう問題ではないのだ。————”姓無し”であるということ。お前もその者と初めて相対したとき、思っただろう」


 カレゼアはその光景を見てきたかのように言い当てた。まさしく、その女中が黒髪の青年を見て、最初に抱いたのが警戒心であったからだ。


「十年かけてあれを表に出し続け、民に浸透させてきた。その積み重ねを壊す要因は全て取り除く」


 次の言葉は、憂え混じりのため息のようにも聞こえた。


「ただそれだけだ」


 一つ風が吹いて紙片を飛ばすと、カレゼアは女中に目を向ける。


「顔をあげろ」


 ひり付くような視線を正面から受け止めるのは勇気のいることだったが、やおら言われた通りに首を持ち上げる。すると、


「お前、名はなんという」


 訊ねられ、女中は戸惑いつつも答える。


「サラと申します」

「——ちょうどいい。サラ、お前も首都へ向かえ。そしてそこの使用人全てに私の意向を伝えろ。手配は私がしておく」


 当主は言葉を切って、


「特に大事な時期だ。徹底させろ」


 言葉には、ひとかけらの温もりもなかった。そしてまた、正しさのみで紡がれた当主の言葉に、サラは疑問や疑念を挟む余地などなかった。


 やり取りを終えたカレゼアの去り際は、もうサラのことなど路傍の石ほどにしか思っていないような無機質さを持って、サラがやってきた方向——屋敷の門へ堂々と歩く姿だけだった。合わせたように門の方からがらがらという車輪の音と、馬の小さな嗎がきこえてくる。肩越しに様子を伺うと、下車した二人の貴族がカレゼアを恭しく迎えているところだった。


 ただ一つはっきりしたのは、サラが直前に考えていたことは全て無駄になったということだった。主人への小さな忠誠も、黒髪の青年へのわずかの感謝も。全て緋色の嵐が吹き飛ばし、最初から存在していなかったかのように、跡形もなく何も残さない。

 でも、サラにはどうすることもできなかった。それがこの国の掟だったからだ。もはやできるのは、空を見上げ、心のうちで祈ることだけであった。


(女神リリス。どうか。どうか、あの青年に幸運をもたらさんことを)







 レンワイスを東奔西走、次にヨクリが向かったのはファインの屋敷である。——レミンで起きたことを伝えるのは友人としての義理だと思ったのと、できるだけ早いうちに、集められるだけの情報は集めておきたかったからだ。フィリルへの配慮と、そしてヨクリがこれからやろうとしていること。その理由を明かす決意も、ヨクリはしていた。


 ——していたはずなのだが。 


 屋敷の周辺までくると、妙な気配を感じる。その視線はシャニール人への蔑視ではなく、それとは別のなにかだった。ヨクリに対してというよりはその領域全体に向けられたものであり、視線の主を探すことも困難だった。不都合があるわけでもないので、頭の隅でひっかかったままヨクリはマルスの家に到着する。

 扉飾りを叩いて来訪を告げると、なんと顔を出したのはマルス本人だった。ヨクリの顔を見るや眼鏡の奥の瞳を丸くして、動きを止める。


「…………」

「久しぶり……って、汗がすごいよ」


 挨拶半分にヨクリは突っ込んだ。使用人ではなくマルスが応対したことにもであるが、それよりもそのマルスの様子が異様だった。運動による汗ではない、脂汗を額にびっしりと浮かべ、見るからに慌てた様相である。


 よくよくマルスの服装をみると、いつも見かける普段着ではなく、なにやら上等そうな装いにめかし込んでいた。これは屋敷の中ですでになにかが起きているか、これからどこかに向かうかのどちらかだろう。ヨクリが手を貸せることだとも思えない。


「話……がしたかったんだけれど」


 と、マルスを訪ねた理由を述べたあと、


「邪魔しちゃったみたいだね……ごめん、出直す」「いいや! これ以上ないくらい良い間だよヨクリ!」


 と、時間を改める旨を伝えようとしたその言葉をマルスは食い気味に遮った。


「え? なに……」


 第一声の調子がいつになく大きい。明らかに常軌を逸している金髪の友人に、ヨクリは身構える。


「いいから来てくれ! ……僕だけではとても間が持たん……」

「え? なになに?」


 むんずと腕を捕まれ、屋敷の中に引きずり込まれる。状況のわからぬまま連れられ、応接間のある廊下までくると、マルスは急に立ち止まった。勢いにつんのめりそうになり、ヨクリは慌てて体勢を立て直す。


「……今、二人来客がいるんだ」

「へ、へえ。誰?」


 どうやらその来客にマルスはやられてしまっているらしい。ヨクリがその人物が何者か訊ねると、全く予想外の情報が入ってくる。


「僕の……婚約者だ」

「婚約者ぁ!?」


 ヨクリが驚いて素っ頓狂な声をあげると、


「馬鹿、声が大きい!」


 マルスが器用に小声で怒鳴る。窘められて詫びを入れながら、


「ご、ごめん……お、おめでとう?」


 未だ事態の飲み込めないヨクリの祝福に、マルスは苦虫をかみつぶしたような顔をする。


「…………」


 そんなに睨まれてもヨクリにはどうしようもない。


「いや、全然わからないって……。で、もう一人は? 親族の方?」

「その妹君だ」


 断片的な情報だけを開示するマルスに、


「やっぱり全然わからないけれど、ひょっとして、マルスがそんなに気を使うくらい格上の家だったりするのかい?」

「…………」


 視線を右往左往させる金髪の青年に、ヨクリは訝りながら名を呼ぶ。


「……マルス?」


 観念したように、マルスは口をもごもごさせながら白状した。


「僕の婚約者は…………ツェリッシュ家の長女だ」


 聞いた瞬間、時が止まった。


「…………」

「…………」


 ヨクリがマルスを見つめると、マルスもまた、ヨクリを見つめていた。青年の眼鏡に、自身の間の抜けた表情が反射する。

 わずかの静止を倍返しで取り立てるようにヨクリの思考が早回しになって、即断に至らせる。


「ごめん、邪魔したね。日を改めさせてもらうよ」

「待て待て! 僕一人では何を話せば良いのかわからないんだ!」


 踵を返そうとしたヨクリに、マルスが追いすがった。


「いや、勘弁してよどう考えても俺場違いじゃないか! こんな小汚い格好で六大貴族の前に出ろっていうの!」


 金髪の青年は正装をしているが、当然ヨクリは普段着がわりの業者用の服のままである。


「後生だ! 君はステイレル卿と仲がいいだろう!?」

「それとこれとは全然違うでしょ! あれはキリヤが例外なだけだって!」


 むきになった両者とも、しかしやはり小声である。だが、そんなやり取りを廊下でやっていれば、いくら音を殺しても気づかれるに決まっていた。がちゃりと応接間の扉が開き、金髪の女性が顔を覗かせる。


「マルス様? どうかなさいまして?」


 手をひらひらと優雅に振りながら、こちらに呼びかけてくる。マルスがぱっとヨクリを掴んだ手を離すと、ヨクリは観念して、心中で深いため息をついた。

 そうして大貴族の元へ連行されたヨクリは居住まいを正す。


(ふざけるなくそ)


 ヨクリはひたすらに、文字通り頭を下げながら内心でマルスに文句を言った。冗談ではない。


(なんで俺が貴族と——それも六大貴族のツェリッシュと相席しなくちゃいけないんだ)


 なんの拷問だとヨクリは思った。比喩抜きで天と地ほどの身分差がある。冗談ではなく魔獣に囲まれているほうがよほどマシだった。


「こちら、僕の基礎校時代からの友人のヨクリです」


 そんなヨクリの胸中を知ってか知らずか、しゃあしゃあとヨクリを二人に紹介するマルス。そうされては反応しないわけにもいかず、頭をあげる。


「ヨクリと申します。斯様な身の上ではありますが、マルス様と親しくさせていただいております」


 友人の顔を潰すのも後ろめたいので、ひたすらに頭を回転させて全力で礼を払おうと務めていた。そんなヨクリを見据えるのは二つの双眸。どちらも、見目麗しい女性である。


「ご歓談に水を差すような真似をしてしまい、汗顔の至りで」

「ふふふ」


 閉じられた扇子を口元に、優雅に微笑んだのは背の低い少女であった。


「そのようにご丁寧になさらなくても。楽にしていただいて構いませんわ、ヨクリさん」

「は」


 年はおそらくフィリルと同じ頃合いだろう。しかし威厳のある態度は年相応とは思えない老獪さを秘めていて、恐ろしいほど堂に入っていた。


「私はベルフーレ。以後お見知り置きを、ヨクリさん」


 上下一体の優雅な服を指先で持ち上げ、裾の襞を美しく見せながら礼をとってヨクリに挨拶したのは、おそらく妹と思われるベルフーレだった。ただの子供ではないと、ヨクリはようやく気づく。流麗さのなかに潜む、研ぎ澄まされた刃のような鋭さ。地位のことではなく、そのたたずまいにはあの緋色の貴族と同じ、強者の気配を漂わせているのだ。

 平たく言えば、戦闘能力に長けた者である可能性が高い、ということである。そんな分析を見透かしているように、ヨクリへ微笑みを向ける。


 次に声をあげたのは、マルスの婚約者と思しき美しい女。それ一着でヨクリの手持ちの衣類全てを買えそうなほど値の張るであろう、妹と似た礼装。薄っすら色の入った、紅の差された唇が開く。


「私はプリメラと申します。マルス様のご友人であるなら、私も仲良くさせていただかねばなりませんね」

「勿体無いお言葉です」


 妹と寸分たがわぬ姿勢で、貴族の振る舞いを見せつける。だが、こちらはただ柔らかく美しいばかりで、刃の気配は感じられなかった。おおらかでのんびりとした、まさしく箱入りの貴族の娘という姿である。


 気を払いながら応答しつつ、室内には大貴族の末裔二人と金髪の青年、そしてヨクリの四人しかいないことを訝った。卓上に並べられた高級そうな菓子と茶道具、カップに注がれた芳醇な色の茶と応接間の奥にある勝手場から聞こえてくる物音が、女中の存在を知らせているが、しかしそれだけである。

 ツェリッシュ家の直系の外出に、護衛の一人もつけないのはいったいどういうことなのだろうか。緋色の友人のように自身が武の達人だから、というのはベルフーレはともかくプリメラは当てはまらない。

 そんなヨクリの胸中を見透かしたように、妹のほうが説明する。


「護衛をつけていない訳ではありませんのよ」


 ふふ、と笑って、


「家の周囲に、少しばかり人を置きましたの」


 ヨクリは合点がいった。あの妙な気配はツェリッシュ家の護衛だったということである。気配の根源をヨクリに悟らせないその技量は感服するほかない。


「お忍びですしね」


 ベルフーレがヨクリから視線を外してマルスへ微笑みを向けると、金髪の青年はなんとも微妙な笑みを返していた。

 そして、ゆったりとした様子で小さく手を合わせ、プリメラが口を開く。


「マルス様はどうしてヨクリ様とお知り合いになられたのですか?」

「ああ、それはですね……」


 プリメラに訊ねられ、マルスが、ヨクリと知己の間柄になった経緯を話し始めた。

 屋敷を訪ねてからこちら、ヨクリはようやく思考をまとめる隙を見つける。


 考えて見るとかなり妙な話だ。押しも押されぬ大富豪、六大貴族のツェリッシュ家長女と、確かに図術士を擁するものの、没落した貴族のファイン家の分家の長男が婚姻を結ぶとは、いったいどういう意図があってのことなのだろうか。


(確かツェリッシュ家の子供は全員女性だったって話があったけれど)


 それでも、後継の筆頭はおそらく長女。つまり、マルスの婚約者ということになる——はずだ。

 マルスとプリメラが話に花を咲かせているあいだに、射抜くような視線をヨクリは感じ取った。ほんのわずかに含まれた害意。そのほうには微笑を浮かべたままのベルフーレ。


「ところで、ヨクリさんは大層腕のたつお方だとか」

「は、いえそのようなことは」


 マルスが話したのだろうか。出し抜けの言葉にヨクリは否定の意思を示すが、返ってきたのは予想外の反応だった。


「ご謙遜を。————あのゲルミス閣下に土をつけたと聞いておりますのよ」

「————」


 ヨクリは息を詰め、弾かれたようにマルスの顔を見る。マルスとプリメラの会話も止まり、金髪の青年は遅れて二人に気づかれぬくらいゆるく首を横に振った。よくよく考えれば、ヨクリの情報の出どころがマルスであるはずがない。


「ふふ」


 扇を口元に、ヨクリのさまを眺めて微笑むベルフーレ。


「私も、戦いには多少の心得がありますわ」


 前置きして、


「貴族分校に席を置かせていただいております。あなたの少女と同じ」


 今度こそ、正確にヨクリの弱点を射抜いた。にわかに、室内に緊張が走る。硬直したヨクリを諌めるように、


「ヨクリ……!」


 金髪の青年の声にはっとする。部屋にいる全員がヨクリを見ていた。強張った体とわずかに寄せられた眉宇は、知らずにヨクリが怒気を放っていた証だった。

 ヨクリの無礼をベルフーレは上機嫌に受け止めて、


「私は知っているだけですわ。それをどうこうするつもりも、今の所はございませんの。ステイレル家と敵対するもの面白くありませんしね」


 ただ、貴方に”それ”を伝えておこうと思っただけですわ、と最後に付け足した。

 その意図が、ヨクリには全くわからなかった。

 ヨクリの警戒をあざ笑うようにベルフーレはまた、ヨクリを混迷に突き落とす言葉を投げかける。


「一つ、予言をいたしましょう」


 表情を全く変えぬまま、


「貴方はこの後、重大な選択を迫られることになります」


 ヨクリが言葉の意味を咀嚼するよりも前に、ベルフーレは重ねて告げた。


「貴方にとって、とても大切な選択を」


 マルスがなにか知っているかもしれないと一瞬考えるが、そもそもヨクリは一報もなくファイン邸を訪ねたのだ。それはありえない。

 だからヨクリには聞き返すことしかできなかった。


「それは、どういう意味でしょう」

「予言です。外れたら笑ってくださいな」


 鈴を転がすようにころころと笑うベルフーレが、ヨクリには不気味に映った。考えていることが一つもわからない、未知に相対した時の感覚。ゲルミスとも違う、強大で異質な力に飲み込まれていくような気味の悪い寒気がヨクリを埋め尽くしたとき、応接間の扉が開いた。


「————これは賑やかだな」


 そう言いながら姿を見せたのはこの家の主、クラウス・ファインである。

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