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途上のシャムロック  作者: 納戸
黒血に響く凱歌
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   2

 地方同士の諍いをおさめ、スローシュ大陸の南半分を統一し、ランウェイルと言う国が生まれた。偉大なる建国王ランウェイル一世から続く都。世界中の都市のなかでも最大の人口を有し、その名声は各国に轟いている。古より続く文化と、最先端の図術技法が交わる世界の主要都市。

 古めかしく伝統的な街並みを永劫に受け継いでゆくように、道を照らす図術灯も景観を損なわぬ配慮がされていた。整然と区分けされた通りや路地は章紋歴以前からあり、脈々と続く歴史を保っている。


 首都フェリアルミス。学術都市ハスクルと並行して図術技法を取り入れていった世界最古の円形都市の他都市と大きく異なる特徴は、街の中央にその権威を誇るヴァース王宮。人工的に盛られた丘の上で、壮大な街を見下ろしている。北東に望むのは世界最長の図術建築物でもあるベルテッド水道橋。水都ラシュリアまで延々と続いており、そのサレナ大湖がたたえる豊かな水を首都へ運ぶ。


 そして、中央にあるはずの管理塔は街の東西南北に配置され、魔獣に対する絶対の守備を可能にしていた。まさしく、フェリアルミスが円形都市として完成を見た時から今に至るまで、魔獣の侵入が報告されたのはただの一度もなかった。そして、”四塔”同士の間を四つの砦が埋め、常に治安維持隊が警護を行なっている。

 その理由から、フェリアルミスの上流層は中央の王城付近と”四塔”付近。合わせて五つに分断されているのも首都ならではの特徴だった。


 道すがらは、国の中枢機能がいくつもある国内最大の都市とは思えないほど静まり返っていた。露店は軒並み店をしめ、フォネット古図書館やリリシェルエ大聖堂、翠百通りから臨むヴァース王宮などを目的に他の都市から観光で訪れる貴族もおらず、がらがらと雨上がりに水の轍をつくるのは死体を乗せた黒い天幕の馬車ばかりである。


 上月 芽の十六日。陽光は薄い雲に遮られているが、先月よりも気温はぐんと高くなった、優しい季節が訪れている。

 フェリアルミス南西。昼前だというのにほとんどひとけのない通りに、三つの足音が響く。

 レミンの一件からちょうど一週が過ぎていた。集落の住人の調整などで瞬く間に過ぎ去った時間。茶髪の男と瀟洒な青年は、ようやく所属する”派閥”へ報告に向かう。


「噂よりも、ずっとやばそうだな」

「……みたいっすね。俺もまさかここまでとは」


 首都行きの長距離列車の座席。普段なら満席かそれに準ずる様相は、空席にすり替わっていた。レミン集落の件で奔走し続けていたあいだに、フェリアルミスは目まぐるしく様変わりしている。

 シャニール人と、異国の民を利用した貴族、教会の思惑が激しく衝突し、小規模の暴動が頻発している。この火種が自然に鎮火することはないと、事情の一端に触れたものならば容易にわかるほど状況は悪化の一途を辿っていた。

 特に首都の民への影響が深刻だった。首都に本家を持つ知識人や有力な貴族は他都市へ避難を始めており、その結果経済は徐々に麻痺し始めている。最悪このままではリンドからの食料供給も止まる懸念すらあった。


「シャニール人といえば、アーシスさん」

「どうした、タルシン」

「——”凶狼”って知ってます?」


 アーシスはその単語に少しだけ頭の中を探ってから、次に音の響きから推察して返答する。


「知らねえな。新しい”獣”か?」

「そのほうがまだましだったかもしれないっすね」


 この瀟洒な青年は、よくこういうもったいつけた言い回しを好んで使う。アーシスの胡乱げな視線に気づいたタルシンはこほんと咳払いを一つしたあと、


「いやね、前からその筋じゃ結構有名な噂だったらしいんすよ。いろんな都市で強い具者を斬って回ってるシャニール人が居るって。ちょうどこの前フェリアルミスに姿を現したそうな」

「そいつが」

「そう。”凶狼”。姿見たやつは途端斬られちまうもんなんで、最近まで酒場での与太話くらいの眉唾だったんすけど」


 ほら、シャニール人にまつわるあれっすから、と含んだ言い方で言葉を切って、


「なんでも維持隊よりも上位の部署が大刀を背負ったシャニール人を警戒してるみたいで、いよいよマジ話なんじゃないかって。俺も馬車を手配したときに小耳に挟んだ程度なんで、もうちょっと調べて見たい感じっすね」


 身の安全を考えての調査、というよりは純粋な好奇心から来た発言に思える。アーシスは情報を頭の隅に留めて、


「シャニール人が都市から出るのは大変そうだな。オレらどころじゃなさそうだ」

「あたしたちも、入るのに結構苦労したもんね」


 答えたのは足音の三つめ、金髪の暗殺者。

 入都の管理が平時と比較にならぬ厳格さに徹底されていた。おそらく、普通の業者番号では弾かれる。アーシスの所属する派閥”暁鷹”が首都に本部を置いていなければとてもではないが立ち入れなかっただろう。驚いたことといえばもう一つ。


 ミリアである。


 暗殺者の持っていた管理札は特にその人間の信用がなければ持つことができないと言われている。アーシスも現物を見るのは初めてだった。なぜミリアが管理札を持っているのか。——エイネア・ヴィシスである。

 アーシスの後見人が、ミリアに管理札を発行したのだ。それが先に少女が言っていた”仕事”の続きに繋がる。アーシスらへ協力することを条件に、少女はあらゆる都市での活動と、その身分を保証されたということだった。


『まあそういうことだから、今後ともヨロシク』


 というのが、リンドへ入都した際に説明され、最後に言ったミリアの弁である。


(オヤジはなんで、オレに協力しろなんて……)


 ——そして。


 いったいなにに際しての協力なのだろうか。リンドからフェリアルミスへの道すがら、アーシスはずっとそのことを考えていた。そしてエイネアだけでなく、リンドに置いてきた最愛の妹も、


『お兄ちゃんのやることを、ちゃんとやって、そしたら無事に帰ってきてね』


 失意と深い悲しみが滲んだ不器用な笑顔とともに、別れの言葉としてアーシスに告げた。


(オレのやること。やらなきゃならねえことってなんだ)


 また、あまり慣れない思考の海に引き摺り込まれてゆく。


(大事なもんを守れなかったオレにできることなんて、あるのか)


 何度考えを巡らせても、わからない。人一人ができることに限界があるのをアーシスは知っていた。自身の価値も、正しく理解しているつもりだった。だからこそ、ヴィシスという庇護から離れたただのアーシスが、アーシスだけが成し遂げられることを探すのは、雲を掴むような話にしか思えなかった。


「アーシス」


 再び後悔と己への失望に苛まれようとしたとき、アーシスの耳を静かに叩いた音があった。その声に立ち止まると、隣のタルシンも合わせて足を止める。


「またしわ寄ってるよ。ここ」


 一歩踏み出し二人の前に出る。ぱしゃりと水たまりが跳ね、くるりと振り返りながらミリアが自分の眉間を指差して言う。


「ゆっくり行こうよゆっくりさ」

「……お前はどうなんだ。お前にだってやることがあるんじゃねえのか」

「さぁね」


 アーシスの問いかけを軽くはぐらかして、


「ただまぁ、今はアーシスに付き合うってことで」


 ひひ、と挑戦的にミリアは笑った。


「あんま考えすぎてもしょうがないしさ。とりあえず目の前のこと片付けてからにしよ」


 その台詞に、毒気を抜かれたアーシスは肩を落としてため息混じりにぽつりとこぼした。


「……気楽なもんだ」


 ぱちぱちと目を瞬かせてから、ミリアは再び口元に弧を作る。今度は含みのある、静かな笑みだった。

「……ところが意外と、それが大変だったりするんだよね。あたしの話だけどさ」

 

 ——最後のミリアの言葉は、的中することになる。





 フェリアルミス南西五番街。中央通りを一本奥へ入ると、中規模の商業区が姿を現す。辺りの住人が必要な生活用品や食料を確保する営みに密着した区画ゆえ、非常時にもさすがにちらほら行き交う人々がいた。この辺りはシャニール人自治区とかなり距離があると言うのも理由の一つかもしれない。


 その一角、”暁鷹”が経営している小さな酒場。アーシスとタルシンは裏手に周り、扉を開けて地下へ続く階段を降りる。石と黴の臭い。小雨の降った今日の天気は、ずしりと重たい空気を孕んでいた。

 さすがに部外者というよりは、”暁鷹”そのものに因縁のあるミリアを連れて本部に入るわけにはいかず、報告が終わり次第最寄りの依頼管理所で落ち合う算段になっている。


 暗い天井からぽたりと雨粒が落ちてきて、タルシンに当たった。青年はびくりと体を震わせたあと、つむじを撫で付けてぼやく。


「いい加減直さないんすかね、雨漏り」

「あの人、ケチだからな」


 笑って言いながらも、アーシスとて本気でそう思っているわけではない。人や情報が集まりやすく、上質であるという利点は多大ではあったが、そもそも地価の高い首都に本部を置いていること自体が金食い虫なのだ。多少の節制はやむなしである。 

 二度折り返し、今度は長い一本道の地下通路を行く。等間隔に、両脇に松明のともし火が照らされている。


 フェリアルミスは管理塔などのエーテル技術が発達するより前からこの場所にある、古より続く都市である。その名残で、都市の地下はこういった通路が多数存在していた。使われていないものや、改修や埋め立てによって潰されたもの、現在の都市外へ直通する恐ろしく規模の大きいものなどが数え切れないほどあるという。古くは外敵の襲撃や有事の際に高貴な者の逃走経路として使われていたらしい。地上の美しい景観とは別種の、大国の複雑に絡み合う内政や、動乱に満ちた歴史を感じさせる一面が地下に表れていた。地盤が非常に安定しているフェリアルミス特有の交通網の変遷である。そしてこの地下道は、中央の王城や、東西南北にそれぞれ佇立する、フェリアルミスを守護する”四塔”に近づくにつれ減少していき、都市の上流層には全く存在しなくなる。術金属の建造物が建てられた際に、地下にエーテルの導線を引くために埋められていったのだ。


 石を踏む二つの足音が反響し、通路に鈍く響く。突き当たりの扉を開けると、飾鈴がちりんと鳴った。

 狭く入り組んだ入り口とは反対に、室内の構造はとても単純だった。ゆうに二十人が話し合えるほどの長方形をした広間を中心に、入り口から見て、部屋を挟む両辺にそれぞれ二つ、奥に一つの扉。だが、内装は雑然としていた。各地の詳細な地図が壁面にぺたぺたと張り巡らされ、殴り書きされた備忘、魔獣の生態図やその他書類などが部屋の構造を縮小した形の大きな卓に大量に積まれ、並べられている。


 アーシスが訪れた時によく見る顔がなく、どうやら”暁鷹”の構成員はほとんど出払っているようだった。統領室以外の扉から、仲間を出迎える姿も現れない。タルシンとともに部屋の奥へと足を向ける。

 最奥の、”暁鷹”統領室。その扉を開けると、目の前は長い本棚になっていた。部屋の左右に書類がいやというほど積まれ、付箋がぴょこぴょこはみ出ている。しかしどれも管理はされているようで、埃は堆積していなかった。崩れかけそうな山を触らぬように本棚の脇を慎重にすすむ。一人分の空間しかなく、タルシンとアーシスは左右に別れて進んだ。


 統領室とは名ばかりの、倉庫のような体裁である。部屋の奥まで進むと、ランプに照らされた卓上の角が見えた。奥に座るのは、アーシスとはさほど変わらぬ年齢に見える外見をした男である。

 短めの金髪に、机に向かうよりも外で体を動かすほうが得意そうな軽装。両の拳には手甲型の引具が嵌められていた。


 術金属を限りなく単純に加工し、軽量化を図っている。左右両方に術金属が使われ、引具としての機能を分散させた形状は”図術士”ザルフォールの案が原型らしい。肉体を経由してエーテルが流れるためより感覚的な操作感になるが、代わりにどちらか片方を失うと性能が極端に落ちる。


 アーシスと同じ型の引具を使うその男がこの派閥の統領である。

 レド・アルセア。首都フェリアルミスにおいては派閥の長としてだけではなく、凄腕の具者としても高名であった。


「おう、お前らか」


 レドはアーシスらを一瞥してから、再び筆を走らせる。


「ちょっと待ってろ、すぐ終わらせる」


 書簡のやりとりは頻繁に行なっていたが、こうして対面するのは久方ぶりのことであった。アーシスはレドが作書している机の上を見て、


「……また増えてねえか?」

「いくら言っても片付けないのよ」


 呆れた口調で答えるのは副統領のペンネ・コクランという女である。レドとペンネの二人は”暁鷹”結成よりも前からの知り合いらしい。机上はレドの領分なのか全く手がつけられない状態だが、副統領の性格なのか、本棚より奥の空間は比較的整頓されている。レドの後ろに積んである椅子を二つ用意して、アーシスらに座るよう進め、


「お茶を用意してくるわね」

「悪いな」


 レドの答えを聞いてから、部屋から出て行く。


 しばし待っていると、かちゃかちゃと食器の音が聞こえてくる。ペンネが戻って茶の準備が終わると、ちょうど統領の筆が止まった。羽筆をインク瓶に突っ込んで首を回してばきぼきと骨を鳴らしたあとレドは一口カップを啜り、


「待たせたな。じゃあ、報告を聞くぜ」

「……ああ」


 アーシスは意を決して口を開き、滔々と語り始めた。

 レミンで起きたこと。被害の状況、その後の処理。全てを語り終えた頃にはカップの中身はぬるくなっていた。


「——なるほどな。いきさつはわかった」


 レドはため息を一つついて、


「……しかしジェール家とはな。またやっかいな話になってる」

「すまねえ、レドさん」


 アーシスが頭を下げると、レドは首を横に振る。


「ヴィシス様とお前の依頼を、俺たち”暁鷹”が請けた。それだけのことだ。お前が謝ることじゃねえよ」


 言い切った口調には、”派閥”としての信念が宿っていた。そしてまた、相反するような部下への想いがぽつりと漏れる。


「まあでも、そうか。三人がな」


 少しだけ声を落としたあとそれを振り払うように、


「ここもちっと広くなっちまうな」

「誰かが散らかして回るから、まだ狭いわよ」


 空気を変えたい統領の意向を汲むように副統領が応じ、冗談混じりのやりとりになる。


「ちげえねえ」


 アーシスから見て、やはり二人の相性はとても良いように思える。おおざっぱなレドと、神経質なペンネ。対照的な性格だが二人とも心優しく、波長はあっていた。

 鋭く怜悧に収まるつり目がちの瞳は、しばしば柔らかく砕けた、人当たりのいい表情へ変化する。それがレドの長所だとアーシスは思っていたし、他の構成員も同じように感じているだろう。

 レドは少し笑ったあと、間を挟むようにカップを舐めて今度は”暁鷹”の内情を二人に告げる。


「ひとまず、お前ら二人に”暁鷹”としての直近の仕事はねえ。——こういう状況だ、俺たちもうまく立ち回らねえとな」


 はー、と大きなため息をついて、おどけたように言う。


「集落助ける前に俺らがくたばってもしまらねえし」


 そこでアーシスは、不在の理由を遠回りに訊ねた。


「がらがらなんだが、結構キツイのか?」

「んなこたねえよ」


 レドは即答してから、付け加える。


「ただ、早めに手を打っておかなきゃならねえものもあるってことだ。人の集まりだしな」


 首都の騒動は日に日に激しさを増していた。フェリアルミスに限定しても数多存在する派閥同士の横の繋がり、さらに縦の貴族の繋がり。

 統領として調整しなければならないことが多いのだろう。エイネアの側にいたアーシスにはよく理解できた。国も都市も派閥も、突き詰めれば結局のところ一人一人なのだ。


 近況をざっくりと伝えた統領は、二人の今後について質問を始める。


「で、どうすんだアーシス。(やっこ)さんを追うのか」


 アーシスは拳を握りしめた。そして葛藤を吐き出すように答える。


「……まだわからねえんだ。悔しさはある。心が萎えたわけじゃねえ。——でも、オヤジはなにも言わなかったんだ。オレに」


 一度言葉を切って、


「別の何かを、オレにしてほしいんじゃねえか。そんなふうに思っててよ。だから……」


 とどのつまり、そこにアーシスの意思は介在していない。それはアーシス自身にもわかっていた。なにもかもを忘れてただ感情のままに進むのであれば、黒髪の友がそうしてくれているように迷わずジェラルドにその代償を払わせる努力をしていただろう。だが、それはアーシスがエイネアから教わったことを蔑ろにする行為だった。


(そうだ。オレは、貴族が嫌いだった)


 幼かった昔も、そして力を手に入れたと思っていた今も、ずっと翻弄され続けている。乾いた革が擦れる、拳を握りしめた音がする。

 ただ憎むだけなら、アーシスにとってはわかりやすかった。でもそうではないから、こうして深い懊悩に身を包まれているのだ。


(オヤジたちは違った。だからオレは)


 あの日手を差し伸べてくれたエイネアや、エイネアと交流のあった貴族、ヨクリに紹介された金髪の青年は確かに想ってくれていたのだ。

 相反する貴族への感情と、自身に抱いた失望。その全てが綯交ぜになって、アーシスを霧の中へ置き去りにしている。

 それでも。アーシスは少年の墓の前での想いを嘘にはできなかった。


「探さなくちゃならねえ」


 決意を口にした茶髪の男の様子にレドはなるほどな、と小さく息をついた。


「ヴィシスの旦那にはクソほど世話になったから俺も協力してやりてえが」


 そして、次にアーシスの隣に目を向ける。


「タルシンよ」


 名前を呼んでその瞳を見据える。タルシンは僅かに視線を彷徨わせたあと、後ろめたさを隠すように眉を下げて統領と視線を合わせた。


「まず言っとくが、責める気はこれっぽっちもねえ。ねえが」


 そう前置きして、


「それでなにかを得られたか。お前、これでいいのか」


 机上で手を組み、真剣な表情で統領は部下へ訊ねる。タルシンは凍りついた。

 沈黙は少しの間続いて、ようやくタルシンが口を開いた。


「……仲間を、守れませんでした。俺は……」


 沈んだ声音にレドはかーっと頭を掻いて、


「最初に言ったろそうじゃねえよ。まあ、人間相手にどんぱちやることのほうが珍しいが、わかったことあんだろ」


 眼光鋭くタルシンの双眸を見据える。レドのそれは臆病を殺す、逃げることを許さない瞳だった。傍目で自身の統領の人の上に立つ者の資質を、アーシスは感じていた。


「ずっとこんな思いをしながらやってくんだぜ。俺が殺した、あいつが死んだって。そんな世界だ」


 タルシンに向けられたその言葉は、隣にいるアーシスにも突き刺さった。


「もう一度聞くぜ。——お前は、それでいいのか?」


 返答は、なかった。


 レドはタルシンの身の上を知っていた。アーシスも、立ち居振る舞いから表れているようにこの瀟洒な男が貴族の出だと言うことは耳に挟んでいるが、頑なに姓を名乗ろうとしないところから、おそらくは家名が国中に広く知れ渡っているかなりの名家の血筋だと踏んでいた。


 タルシンもまた、なにかを求めている。たぶん、アーシスがそれを探し始めるよりも早い時期から——ともすれば”暁鷹”に入るよりも前から。そんな風に茶髪の男は感じた。

 それぞれ混迷の時を迎えている部下二人を、レドは静かな瞳で見据えていた。長く続くかに思えた沈黙は女性の声に破られる。


「レド、二人に届いていたものがあるでしょう」


 落ち着くのを見計らっていたのか、ペンネがちょうど良い拍子でレドに思い出させる。


「——おお、そうだったな」


 紙の山に手を突っ込んで、二枚の封筒を取り出す。間違うどころか恐ろしいことに、皺一つない。レド曰く『どこになにがあるかは、その隣になにがあるか覚えておけばなんも問題ねえ』ということらしい。確かに几帳面と言うには程遠いレド寄りの性格のアーシスだったが、しかしその言い分はさっぱりわからなかった。


「アーシス、タルシン。お前ら二人宛てに愉快な招待状が届いてるぜ」


 伸ばされた手の物を受け取る。エイネアの机上で見たものと似た、上等な品質の紙であることが手触りと見た目からわかった。


「まず、こいつを考えるのも悪くねえと思うわ」


 中身を知っているようなレドの言葉に封筒を裏返すと、署名が記されている。アーシスはその人名を知っていた。

 男は黒髪の青年との繋がりで知己の間柄となったマルス・ファインの伯父であり、ファイン家当主。

 国で三人しかいない”図術士”の称号を持つ男。


 アーシスらに書状を送った者の名は——クラウス・ファインその人である。

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