3
当主がその姿を見せるのは、きまってキリヤにとってなにか重要な出来事が起こる前触れだった。
黒髪の青年と青髪の少女を見送ったあとの、種の月の終わりごろ。
レンワイス治安維持隊の執務室、奥にある一つの窓から暖かな日が射し込める室内。
極めて規則正しく、そして複数人の大きな足音に、緋色の髪を二つに結わいた女は紙に走らせていた筆を止めた。なんの音か考える前に、過去にも聞いたことがある音だということと、それがいつなのか思い出したからである。
直近の書類を片付けていたキリヤのもとへ、唐突にその大貴族はあらわれる。扉を開けたのはその者の配下であり、入室せずに外で待機していた。
大貴族の当主。国中の民を統べる者が放つ、強大な威圧感。
「久しいな、キリヤ」
キリヤによく似た、女性にしては低い凛とした声音と口調で、その名を呼んだ。
肩ほどの長さの燃えるような赤い髪。まだ三十代でも通りそうな、若々しい出で立ち。しなやかな肉体に見た者全員にステイレル家への畏怖と敬意を抱かせるような豪奢な縁取りの施された外套を纏っている。覇気に満ち満ちた、キリヤには見慣れた姿。
——そして、キリヤの瞳を曇らせる姿でもあった。
「——母上」
カレゼア・S・ステイレル。ランウェイルの貴族を束ねる六家の一つ、ステイレル家の当主であり、キリヤの実母でもある。
カレゼアは椅子から立ち上がったキリヤを無視し、かかとで音を立てて歩み寄ると、机上をつかの間眺めてから、いくつかの資料を抜き出して読み始めた。そのさまは自らを咎めるものなどなんぴとも居ないと体現するかのようで、キリヤが止める暇さえなかった。
「及第点だな。だが残念だった」
読み終わると、言いながらばさりと書類を投げ捨てる。床に落ちたそれは、確かにキリヤが抱えていた案件の中でとりわけ重要度が高く、なおかつ処理済みのものだった。
キリヤは次の言葉を待った。ここで口を挟んでも、キリヤにとってなんの益もないと過去の経験から学んでいたからだ。
「遊びは終わりだ、キリヤ」
「遊び」
キリヤが繰り返すと、カレゼアはわずかに目を鋭くした。
「お前の今のそれは、誰にでもできる仕事だ。お前がすべきことは他にある」
漠々としていた目線を少しだけあげて、ようやくキリヤはカレゼアの顔を直視する。
「すぐに首都へ向かえ」
「しかし」
「ここには代わりの者を手配する」
有無を言わさぬ態度だった。つまりキリヤは治安維持隊長の任をとかれ、別の仕事につくということだった。貴族としてではなく一国民として軍に入ったキリヤだったが、軍属ではなくなり、貴族としての本来の役割に戻るという意味でもある。
確かに、今のキリヤの待遇は例外である。貴族、それも上級より格上ともなると士官以上の地位が約束されている。にもかかわらず、軍の下部組織である治安維持隊の配属になることなど、意図がなければありえない。
断る権利はキリヤにはなかった。もともとそういう約束が両者のあいだで結ばれていたからである。そして、それがなくともランウェイルの貴族は、自身が属する家の当主から伝えられる方針を絶対に守らなければならない。
「私は、首都でなにを」
「恐れ多くも王の膝下で、浅ましい貴族どもが姓無しを使って暴れている」
”姓無し”。つまり、シャニール人を指す単語。
カレゼアの話はキリヤの身を硬直させるには十分な言葉であったが、動揺を表に出すことはなかった。当主の前での失態はたとえ直系のキリヤとて許されないからである。
「そのような話は」
だから、短い言葉で切り返す。カレゼアはその覇気をわずかに緩めて憂え顔をつくった。
「その目で確かめてみろ。戒厳が敷かれてはいるがあの状況だ、漏れ伝わるのも時間の問題だろう」
六大貴族の当主として民の身を案ずる表情はすぐに険しくなり、闘志溢れる覇気を帯びる。
「これ以上教会と、司祭の足を舐める豚どもの好き放題にはもはやさせてはおけん」
語気を強めて吐き捨てる。心底軽蔑したような声音だった。
「赤騎隊をお前に任せる。率いて結果を出せ」
「…………」
キリヤはわずかに硬直した。六家が持つ力の印の一つ、赤騎隊を動かすというのは、まさしくステイレル家の本気の現れにほかならなかったからだ。
「六大貴族の威信にかけて、お前が鎮めてこい」
まさに話の終わりだと言わんばかりに、外套の胸元を握る母親に、
「母上」
思わず呟いたキリヤ自身にもその続きがわからなかったが、その引き止めるような、あるいは疑問を投げるような声を遮って、カレゼアは一言だけ告げた。
「——期待している」
側から見れば、そのときだけは互いの立場を忘れた親子の情誼であった。しかし、母が子に対して伝える励ましの言葉に、キリヤの心は凍りつく。咄嗟に嘘だと思ってしまったからである。
幼少のころより、キリヤを気にかけてくれたのは父だった。剣をすすめてくれたのも、それを見守っていてくれたのも。
母としての顔など、見たことはなかった。ただそこにあるのは誉ある貴族としての顔だけだった。そしてこの気高く、なにものも寄せ付けぬようなステイレル家の当主が自身になにかを要求したことはなかった。
十一年前までは。
「……兄上の、代わりに?」
静かにせり上がり溢れた言葉に、時がしばし止まった。
キリヤははっと母の顔を見る。失言に気づいたからだ。でも、今更とり消そうとしたところで無意味だとわかっていた。
凍りついた間を動かしたのは、秘められた強大な熱量を押さえ込んだ声音だった。キリヤがその姿を見た時には、カレゼアは胸元の手を下ろしてまっすぐに佇んていた。
「あれが死んだのは、あれが弱かったからだ。——私はお前と話をしている」
眉を鋭く釣り上げ、
「くだらぬ問答をさせるな愚か者」
一切の反論を許さない底冷えするような声に、キリヤは口を噤まざるを得なくなる。
(…………)
黙したキリヤにさらに追撃を加えるようなことはせず、カレゼアはくるりと背を向ける。
「首都についたらまた顔を出す」
今度はキリヤも反応しなかった。訪問時と全く同じ足音と立てて部屋を去るカレゼアの姿が見えなくなるまで頭を下げる。
(あいつのせいだ)
あんなことを言うつもりなんて全くなかった。先日の件が尾を引いているのだろうと、どこか客観的に自身の内面を把握する。
青髪の少女を巡る黒髪の旧友との再会は、キリヤの心を乱すには十分すぎる出来事だった。喜ぶべきなのだろうが、とうの昔に諦めていたものが急に降って湧いたようでどこか捉えどころのない印象をキリヤに与えたまま形を変えていないのだ。また、自身の愚かさを直視させるものでもあった。
一度大きなため息をついて、キリヤは気持ちを切り替えた。あとのことは母——というより、その配下が全て請け負うはずだ。ならばキリヤは首都へ出立する支度をはじめなければならない。
頭の中を整理して、必要なものを身つくろい準備をしていると、再び扉を叩く音が聞こえてくる。次の姿はキリヤを破顔させる顔ぶれだった。
入室してきたのは二人。ステイレル家特注の礼服を着込んだ若い男女である。その二人は寸分違わぬ動きで恭しくキリヤに跪いた。
「お久しぶりでございます、キリヤ様」
「いつも御身を案じておりました」
「レイス、レイラ! お前たちも来ていたのか」
男の名をレイス・サイレル、女の名をレイラ・サイレルと言う。同じ姓に夕日がかった金髪と勝気な顔立ちは、双子の証だった。ステイレル家の傍系であり、そしてこの二人がキリヤの騎士である。
厳密に言うならばランウェイルの貴族は皆国王以下王族の騎士であるが、”国王の代理”として各地を治めていた有力な貴族は、貴族騎士を持つことを国王から栄誉として賜っていた。その頃の名残で、現在では上級以上の貴族のみが騎士を持つことを許されている。
貴族騎士になるには貴族である必要はないが、国内にいる上級以上の貴族六家以上からの認可を必要としている。それゆえに、平民が貴族騎士になることはほとんどない。
再会の喜びもそこそこに、キリヤは表情を改めた。その様子に、双子の騎士は同じように身を正す。二人がここに来たということは、予めカレゼアから伝えられていた以外に考えられない。
「……首都の内情はどうなっている?」
キリヤが訊ねると、まずはレイラが返答する。
「王城付近、四塔、翠百ほか大通りとその周囲はなにも。ただ……」
光景を思い出したのか、わずかの間言い淀んで、
「自治区周辺は……黒馬車が通らぬ日はもはやありません」
次にレイスがあとを継いだ。
「タカ派の連中が糸を引いているようです。ユラジェリーは尻尾を見せては居ませんが、その傍系のセンセスの者が度々小さな暴動の直前に目撃されております」
「ユラジェリー……」
それぞれの情報を頭に入れたキリヤは同じ六大貴族の名を呟いてから、さらに声に出して整理する。
「一時的な対外封鎖は不幸中の幸いといったところか。……いや、違う」
先月、他国からの図術研究公開の要求を無視し、その圧力に対して逆に他国人の入国を制限するという方針を進めた貴族がいた。国家間の摩擦や経済への懸念の声が多数あがっていたにもかかわらず。その六大貴族がユラジェリー家である。
ユラジェリーは脅しや裏金、暗殺など、あらゆる手を尽くしてその法案を通した。しかし物証などは一つも出ず、追求することもできない。そういった裏の道に精通した情報操作がこの国のなかでユラジェリー家が最も長けていることは、同じ六大貴族とて認めざるをえないほどであった。
(あれを強行したのはユラジェリーだ。だが——)
情報が少なすぎる。キリヤはそう感じた。
「……ひとまずこの目で確かめないことにはなんとも言えん。お前たちは私の到着までできる限り内情を探ってくれ」
その指示に、レイスとレイラはそれぞれ美しい礼をとった。
「はっ」
「御心のままに」
双子の騎士を伴って、キリヤは首都へと向かう。
当主の言うように、キリヤと繋がりの深い東の民が、本当に首都を動乱に陥れているのか確かめるために。
■
レンワイスを離れ、首都入りするのは容易であったが、親交のある貴族への挨拶や赤騎隊の編成などの貴族としての責務もあり、現地を視察することができたのは下月に入った芽の十四日になってしまった。
たしかにこれまでも嫌な予感はしていた。街の空気。民たちは六大貴族のキリヤの前では喧伝することなく隠していたが、双子の騎士からの情報などで、それは漏れ伝わってくる。
排他的な悪感情を向けられているのは、キリヤが想う二人の友の血。空を飛ぶ鳥のような目で街を眺めると、あの日別れた黒髪の青年がどれほどの辛苦を味わってきたのか、その片鱗がわかってしまうのだ。そしてその状況は、好転するどころか悪化し始めている。
その間に、動乱の気配はキリヤの肌を竦ませるほど、身近まで忍び寄ってきていた。
フェリアルミスのシャニール人自治区にて、おそらく反ランウェイル感情を強く抱く諸組織を束ねる主要人物の会合があり、そこを特別に編成されたランウェイル側の部隊が襲撃した、というのだ。
その戦は夜更けから明け方まで続き、結果としてシャニール人側の戦力を大幅に削ることができたというが——。
現地に到着すると、生命の息吹を感じさせるはずの春風は、代わりに乾いた死の臭いを運んでくる。不吉な予感がした。途中に渡った大通りでは死体を積み、暗幕の垂れ下がった黒馬車が行き交っていて、否応にも戦いの激しかった奥の様相の片鱗を悟らせるのだ。
双子の騎士他十数名を引き連れて、キリヤは歩を進める。基礎校時代にはよく見た、少しの懐かしさがあるシャニール式建築様式の施された家屋が軒を連ねる。その中の、いくつかの破壊された家屋の壁や、路面の状況に思考が回転していく。
過去のシャニール戦争時、シャニール南西の都市アルルーにおいて行われた大規模な市街戦。その資料にあったような、干渉図術の衝撃によって破砕された痕跡。
アルルーの資料のような破壊痕のほか、それとは異なる、とてつもなく鋭利なものか、それに準ずるなにかに切断されたような跡や、石材をほとんど真円に貫通した痕跡がいくつもあった。単純に強化図術で繰り出した斬撃や射撃ではこうはならない。もっと別の、異質な現象によってもたらされたものだとキリヤは推察する。
倒壊した瓦礫の向きから、それは手前から奥へ放たれたと考えるのが妥当だった。つまり、入り組んだ事情がない限りはランウェイル側の武装ということになる。
(すでに実用化されているのか、いや)
エーテルの新しい用途。ある図術学者によってその技術が確立されたという情報は、一般にも開示されて間もない。巷を——とりわけ軍や業者など、戦闘に関わる者を賑わした直近の大きな話題だった。それを含めた様々な要因についてキリヤには心当たりがあったが、はっきりと思いかけたあと頭に刻み込む。裏をとる必要があるからだ。
——目的地ではない通り道でさえこの被害の規模ならば、おそらく中心は数人どころではなく、数十人がぶつかり合う乱戦になっていたと想像に難くなかった。
歩みを止めずに周囲の状況を目に入れていると、次に気を引いたのは切断され、ひび割れた彫り物だった。狼のような生き物を象っている。キリヤはこれがなんなのか知っていた。
(異教とはいえ、神をこうも踏みにじるとは……)
この狼は豊穣と闘争を司るシャニールの神である。無残に破壊された依り代は、その信仰を捧げたものの末路を表しているように思えてならなかった。
黒馬車が十字路の左手から顔を覗かせて、キリヤが率いる集団の横を、一台また横切った。方角的に、目的地は東一番街。リリシェルエ大聖堂の地下墓地に埋葬されるのではないかとキリヤは予想する。
運ばれてくる死を辿るように黒馬車がきた道を進んでいく。先ほどよりも一段色が霞んだのは気のせいではない。おそらく現地では、未だに砂塵が収まらずに立ち込めているのだ。
そして、辻を曲がると予想をはるかに超えた破壊が広がっていた。
——キリヤは眼前の光景を、すぐに飲み込むことができなかった。
「馬鹿な……」
呆然と呟く。
「ここは、ランウェイルの中心の都だぞ」
激しい、とても激しい戦闘のあとだった。
瓦礫。血だまり。燻った炎。未だかすかに立ち込める灰混じりの砂煙。ひときわ大きな倒壊した家屋は襲撃された会合場所だった。その周囲も混沌に満ちている。
破壊の爪痕はどれもが真新しいもので、そしてキリヤにとっては縁遠いものでもあった。
一際感じられるエーテルと腐臭の混じった匂いは、熾烈な図術戦の証。
世界で最強の国力を誇るランウェイルの、玉座と首都議会があるフェリアルミス。その街外れの有様が、この光景だとはキリヤには信じられなかった。
未だ周囲は騒然としていて、調査や現場の保持、遺体を整理する軍の人間でひしめいている。すでにシャニール人の姿は、ただの一人も見当たらなかった————
————いや。
キリヤは気づいた。視界の端。
大きく崩れた家屋の隙間から、棒のようなものが飛び出ている。東の民が愛用してきた、黒い衣服を着込んでいたであろうそれは、息絶えた人間の腕だった。
その瞬間、遠くのほうで教会の鐘が鳴り響いた。空を高く貫く音だった。
「なんだ、これは……!」
——目の前の光景は、始まりだった。
否、それも違う。たぶん、キリヤにとっては始まったように見えているだけなのだ。ランウェイルが先送りにしてきた大きな問題がとうとう表面化し、わかりやすい結果となって現れたにすぎない。
端緒の光景ですら、この凄惨な様相であるのならば。
後に起こる出来事によって流れ出る血の量を、キリヤは想像せずにはいられなかった。
終
日が昇る直前の空。人々に光を届けるために東雲を優しく流しているような、少しの風が吹いている。
中心に、一つの篝火がゆらゆらと燃えていた。下に積もった灰と小さくなった種火が、灯されてからどれだけの時間が経ったかを伝えている。破壊された果樹園を少し入ったところにある、切り出されたままに名が刻まれた、十に満たない墓標がたてられた共同墓地。木の杭と麻紐の柵に囲われている。
そのうちの、特に新しい墓標。縄で組み上げられた木が突き立てられているだけの、出来合いの簡素な墓。
アーシスは一人、その場でなにかを深く考えるように佇んでいた。炎に照らされた表情。まなざしはその墓に向けられていた。
褪せない疲労と悲哀が眉宇に刻まれていたが、しかしそれだけではなかった。背筋は伸ばされ、その瞳や佇まいに、小さな炎が灯っている。
集落の方角から草を踏み分ける音がした。アーシスがそのほうを向くと、現れたのは黒髪の青年だった。
「起き上がって平気なのかよ」
「日が昇ったら、都市に戻って施療院に行くよ」
ヨクリの背中の負傷が動き回れるくらいには治癒した数日のうちに、タルシンが馬車を手配してくれていた。千々に乱れる感情を抜きにしても、アーシスもまた、都市に戻ってやらなければならないことが山のようにあった。
一つのやり取りののち、すこしの静けさが二人の間を訪れた。アーシスと同じように、ヨクリもまた、少年の墓を眺めていたからである。
しばらく穏やかな時間が流れる。アーシスはちいさく息を吸ったあと、ヨクリへ訊ねた。
「……お前は、戻ったらどうすんだ」
「今の所は、教会について調べるつもりだよ」
先日の会話通りに、黒髪の青年はジェラルドの動向を探るつもりだった。
「……なあ」
アーシスは小さく呼びかけて、
「オレは、どうすりゃいいと思う」
敗北が決定したあの瞬間に無意識のうちに呟いた言葉を、今度は自我を持って、黒髪の青年へ向かって口にする。
「わかんねえんだ。……レミンは、もう。オレがレミンにしてやれることは消えちまった」
重要な財源であるパナの果樹園はほとんどがあの兵器によってなぎ倒され、レミン集落の再建はほぼ不可能だった。よしんば果樹園の復元がうまくいったとしても、また同じことが起こるだけだろうと、アーシスにもわかっていた。
こんな事態になってからようやく気づいたが、まさしくレミンはアーシスの全てだったのだ。エイネアの下で生きるようになって、為すことができた成果そのものだった。標を失い、どこへ向かえばいいのかわからない。
また小さな間が空いて、考えがまとまったことを伝えるようにアーシスの目を見据え、ヨクリは静かに語り出した。
「アーシスの望んでいることがなんなのか、俺にはわからない。でも、俺はウェルさんやラッセが死んで、あの男と戦う前に決めたんだ」
言葉を切って、
「とてもたくさんのことがあった。君と会ったのもそうだし、フィリルやキリヤのこともそうだ」
思い返すように瞑目したあと、ヨクリは再び瞼を開く。
「俺はきっと探しているんだ。俺がなにをすべきなのかを。このまま業者としてただ生きていければそれでいいとは、もう思えなくなってしまった」
代わりの言葉は、アーシスのことではなかった。静かに、その内心をアーシスへ吐露する。
「ラッセたちのためとは言わない。でも同じように今苦境に立たされている人たちの風除けになるものが俺に見つけられるのなら、俺はそれを探してみたい」
ヨクリは変わった。アーシスははっきりとそう思う。
あの青髪の少女と出会う前、この青年は意志が希薄だったのだ。もちろん依頼で組んだ時はこれ以上はないほど頼りにしていたが、そこには青年の磨かれた技術と役割を完遂する姿勢だけがただあって、同じように依頼を共にした業者の一人が命を落としてもその死を悼みはしなかった。ヨクリなりの考えがあって、意図的に心を動かさぬように努めてきたのだろうとは想像がつくが、今は違う。
業者が抱き続けていると少なくない害がある、死を見つめるということをしている。この国に暮らす弱者のその先を案じているのだ。
「たぶん、俺とアーシス、同じじゃなくてもいいんだ」
その声を聞いたとき、アーシスは様々な感情に襲われた。
ランウェイルで不遇にあるシャニール人という枷に嵌められている青年が、今のアーシスよりもはるかに高い志を持ち始めたということへの敬意。また、同じところからくるヨクリに持った劣等感、自分への疑念と失望。
——そして、心に小さな火が灯る、渇望の始まりを。
なにかを求める飢えが、アーシスを急かす。アーシスもまた、始めなければならなかった。今までのままではいられない。
「オレはもう、たくさんだ。こんな目にあうのは。誰かがこんな目にあうのも」
吐き捨てられた声の先を、黒髪の青年は待っていた。アーシスの瞳に宿る光が、続く言葉を予期させていたからだ。
「だからよ、オレもこのままじゃ終われねえ」
決意の音がなったとき、風にさざめく木々の中、空の向こうから登ってくる曙光が、アーシスとヨクリを照らした。
「行こう」
黒髪の青年が呼びかけると、茶髪の青年は硬く頷いて、拳を握りしめた。
小さな墓の前で、二人は世界を見据え始めた。歩みの先にある激動を、しかし二人はまだ知らず。
たとえ進む道が別れていたとしても、それでも今この場で心を揺らし、そして誓ったことは嘘にはならないはずだった。




