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途上のシャムロック  作者: 納戸
箱庭の黄昏
50/96

   3

 森から人影が一つ、また一つと戻ってくる。そして、明けの平原に佇む巨大な図術装置の周囲に待機していた集団へ合流した。すでに停止している図術装置。周囲にただよう翡翠の粒は、力の奔流を終えた残滓である。

 光景を満足そうに眺めたあと、その者らを率いる長は数を数えるように配下を見渡した。


「だいたい戻ってきたか」


 一団より東の方角、図術装置のさらに奥では、装置を動かしていた術者たちが負傷した兵を応急手当している。その中から一人、ジェラルドの元へ寄ってくる。軽傷のようで、間もなく治療は終わったらしい。

 ジェラルドはそいつの携えていた生首を見て、


「ザルガン、相変わらず悪趣味だな」


 と声をかけた。


「久々なもんで……へへ」

「都市内にはそのまま入るんじゃねえぞ」


 目を閉じ、半笑いでたしなめる。続いて、少し遅れて戻ってきたのは小柄な側近だった。目深に被った外套を払って、黒髪を風に靡かせる。その女の顎から流れる血を見て、


「やられたか。生きて帰ってきただけ上等だが、お前の自由は先になったな」

「申し訳ありません」


 謝罪を意に介さず、ジェラルドは話題を変えた。


「で、どうだった? 遠目だったが、ありゃシャニールとギレル、どっちだ」

「構えや挙動からはシャニールの流れを汲んだところがはっきりと見受けられましたが……」


 言い淀んだ部下のその先を継ぐように、ジェラルドは言う。


「なら、その両方ってことか。我流に近いな」


 それはそれとして、と言いつつ会話を切った男は、負傷兵たちのさらに奥を臨む。再び、何かの影が地平線に揺らめいた。悠然とジェラルドらに近づくのは、長身を黒衣に包んだ女だった。


「迎えのご到着だ」


 気温が一段下がったような気配が周囲を包んだ。その姿を見とめた者は釘付けになり、圧倒される。平然としているのは黒衣の女と、ジェラルドのみであった。


「なんだってあんたがファインの小間使いみたいなことをやってんだか」

「元々我は小間使のような生業だからの」


 会話をしつつも、細められた女の視線は図術兵器に破壊された軌跡を追っている。傍らのジェラルドは訝る様子もなく、まるで女から顔を逸らすように体ごと別のほうへ向いた。そのさまは自然な振る舞いのようでいながらも、シビの行動やそのうちに秘めた感情に心当たりがあるようでもあった。


「ま、いいさ。んじゃそのデカブツの後始末は頼んだぜ」


 ジェラルドは右腕を掲げ、兵器を親指で示した。


「言われずとも。起動技師を借受けるぞ」

「ああ」


 返答すると、男が命令を下す前に技師の集団が周囲へと集まる。ジェラルドがそのなかから見繕ってシビの下へつけた。

 ジェラルドが口頭で今後の行動に関する指示を出すと、選ばれた技師は了承ののち迅速に兵器の起動を開始した。


 その直後。


 気配を敏感に感じ取ったのは、やはり中心の二人だった。両者は同じ方向を鋭く睨んでいる。その方向には森があり、ややもせず湿り気を帯びた激しい音が聞こえ、続々と気配が姿をあらわす。


 獣の群である。


 強大な力を見せたその大型の引具が放射したエーテルに引き寄せられたということは、二人にはわかっていた。


「こっちにきやがったか」

「改良の余地があるの。ファインにはそう伝えておくとしよう」


 ジェラルドと黒髪の女は”戦術引具”の性能を交わし、


「やってきちまったもんはしゃあねえ。予定にはねえが、まああんたに任せるわ、”斬臣”」

「他愛ない」


 戦争に関わった上位の者には知られている古い渾名を呼ばれた背の高い女は、背負った長大な刀を革帯ごと外し、すらりと鞘を払い、恐ろしく流麗な刀身を煌めかせた。その刃は蒼く淡光していると見まごうほどに、風の色を反射し、曇り一つない。

 黒髪の女はざっと見渡してから目を細めて、


「面倒だの。幾人か巻き込むぞ」


 ジェラルドは負傷兵たちを一度みやった。部下たちはすでに強化図術を発動させており、動けないほどの怪我をした者を補助するように構えている。彼らを育て上げた”ジェール家当主”はそのよく調練されたさまに口元を歪めたあと、


「避けられねえ無能は俺の部下にはいねえし、要らねえ」


 了承を得た女は、まるでとりとめもない日常の仕草をするような、そんな自然な動作で刀を横凪ぎにした。刹那、ちかりと閃き、砕けたのは——展開紋陣である。瞬きよりも早く、紋陣を生成し、斬ったのだ。

 発動速度、緻密さ、”動”との兼ね合い。それは見るものが見れば畏怖に値する技倆だった。それをあらわすように、術の初動が相対的に遅く感じられるほどであった。


「散れ」


 無数の”黒い斬撃”が、周囲に現出し、すでに砕かれた紋陣——女を中心に放射される。

 想像を絶する破壊が音を追い越し、おびただしい数の”獣”の群れへと襲いかかった。





 ヨクリの心はまさしく狂乱のさなかであった。大地を木々ごと削り取ったその威力。そして、かろうじて薄く開けることができた右目で捉えた、エーテルの極光。


 途方もなく引き伸ばされた意識。


 頭の中をかき回されるように、でたらめに、そして大量に流れ込んでくる、見知らぬ光景。人、生き物。音、声。匂い。感触。


 その中のほんの一部が、やけに現実感を伴っていた。だが、睡眠の覚醒から少し経ったあとに思い出そうとした夢のように、そのいとぐちは中空に失せて、実態も霞みがかってやがて消えていく。


 光がおさまってから、どのくらい経ったのか検討もつかなかった。唐突にヨクリの意識は引き戻され、


(なん、だ。今のは)


 呆然としていたが、しかし思い出す。


(そうだ)


 エーテルの光に襲われたのだ。やっと目の前の状況が頭に入ってくる。ヨクリの一歩先は、えぐり取られた地面が広がり、その範囲はおそらく威力と規模を表していた。

 ヨクリの覚醒に呼応するように、破壊の痕跡はさらに崩壊を始めた。雨で粘性を帯びた大地の土はうごめくように形を変え、射線のぎりぎり内側に佇んでいた、半ばまで削り取られた樹木は、めきめきと湿った音を立てながら倒壊していく。その大きな音はまるで森自身が、つけられた傷に呻いているようだった。


 強烈な破壊力であった。そして、さらにその直前の状況を振り返る。光は時間の感覚をヨクリから奪い去っていたが、自我を取り戻したすぐあとに、エーテルによって破壊された森の二次的崩壊が始まったから、一瞬よりも短い間しか経っていないはずだと、一つずつ冷静に判断する。


「……あれ」


 ヨクリは、一人ではなかった。口論になり、一触即発だった相手が、目の前にいたはずだ。しかし正面には破壊の爪痕が広がるばかりである。


 なにかの感触が、左手にあった。ゆっくりと顔を下げる。

 左手は、”それ”を掴んでいた。ヨクリは反射的に、離す。

 ぼとりと落ちたのは、人間の、肘から先。


「……ウェルさん?」


 ヨクリは呼びかける。返事はない。


「ウェル!!」


 叫びは虚しく、森のなかをこだました。

 エーテルの光は、ヨクリの正面を走っていたのだ。つまり、ウェルがどうなったのかは言うまでもなかった。

 放心し棒立ちしていたのはいっときの間のことか、それとも半刻ほどか判別はつかなかったが、のそりと腕を拾い上げる。


(……戻らなくちゃ)


 ヨクリはうつろな足取りで集落へ引き返した。案内人はいらなかった。なぜなら、地図上で引いた線が現実にあらわれたかのように、視界を遮る木々は無機質にぶち抜かれていたからだ。このまま破壊のあとを辿っていけば、集落へ着くはずだろうと、妙に論理的に頭は回る。ヨクリは、どうかこの目印が”途中で途切れますように”と、心の何処かで念じた。


 アーシスは、タルシンは、アイビスは無事なのか。歩きながら仲間たちの身を案じた。ぬかるんだ地面に足跡をつけながら、ヨクリはひたすらに集落を目指した。携えた腕の重みを感じると、激しく負傷した背中よりも、直前まで光を見つめた右目がずきずきと痛んだ。


 どれほど歩いたのか簡単な見積もりさえできない心中のまま、ヨクリはようやくと言っていいのかどうかはわからなかったが、見覚えのあるところまでやってきた。


 無惨な光景だった。みずみずしい緑はなく、木々は根本だけを残し、そこから先はぽっかりと消失していた。最初から存在しなかったかのように。

 たどり着いた先——レミン集落の生命線である、果樹園の様相。ただ、ヨクリにとって幸いだったのは、打ち出された光の線と果樹園を結ぶと、集落の居住区には掠らないという事実である。


(みんな無事か。……よかった)


 少しだけ気持ちが上向き、集落のほうへ進む。

 そして。

 破壊の線の、すぐ隣。積まれかけた木箱と、刈られ、ひとまとめにされた雑草。作業の半ばと思われた光景のそばに、なにかが落ちていた。


 視界に入った瞬間に、とっさに顔を背けた。

 しかし、逸らした目線とは裏腹に足はそちらに近づいていき、どんどんそのなにかが詳細になっていく。


 さらにちょうど真上を覆った雲が裂け、光が差し込んでくる。

 なにが起こったのかを突きつけるように。


 赤い。動く気配はなく、”うつ伏せに横たわっている”。そこでヨクリは、そのなにかが人であるときちんと理解した。ただ、その人には右半身がない。周囲の光景と同じように、はじめからなかったように。その周りは血で染まりきっていて、臓腑がこぼれ出ていた。


 ——小柄な、レミン集落ではよく見覚えのある背格好だった。


 全身の力が独りでに抜け、携えていた引具と、同僚の腕を地へと落とす。それには気づかぬままへたりこむようにしゃがむと、震える両腕でその半身を起こし、ヨクリはゆっくりとその顔を確認した。


『朝の集落の手伝いでも、全然疲れなくなってきたし』


 そんな声が、ヨクリの頭にこだました。

 誰も知らないところで、戦いもなく、ただ息を引き取っていたのは、ラッセだった。


 なにかがヨクリの耳を強く叩いている。呆然としていたヨクリはようやく気がついた。震えているのは自身の喉であった。


 ヨクリは我を忘れて、絶叫していた。


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