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途上のシャムロック  作者: 納戸
箱庭の黄昏
47/96

   3

 二刻よりも少し前、深夜と明け方のはざま。集会所の入り口で、集合時刻より早く準備の終わったヨクリは佇立し、静かに時を待っていた。


 星を覆い隠す雲は去る気配を見せないが、しかし日をまたいだ頃に雨は止んでいた。今は少しの霧が立ち込め、大雨の残滓を残している。月影や曙光に代わり、雨上がりに集落の夜警が灯した篝火がゆらめきながら周囲を照らしている。ずしりと水気を持つ空気。ヨクリがほうと息を吐くと、気温を感じさせる白が口から漏れ出る。


 腰に下がる重みは普段は意識の外であるが、今はやけに明確に感じる。わずかに張り詰めていると自覚し、ヨクリはそれを受け入れた。似たような心持ちを管理塔の上で経験している。そのときに、こうなった以上は進むしかないということを知った。


 すでに泥のついた靴で地面をゆるく蹴ると、なんの抵抗もなくつま先まで埋まる。雨を吸った地面は泥濘んでおり、おそらく周囲一帯の状況は同じだと容易に予想できる。


(徒歩で行ける距離だと、どこへ行っても同じだな)


 戦闘にならない可能性は今は無視し、ヨクリは懸念する。アーシス、それとタルシン以外の練度さえわからないヨクリには、雨後の野外というこの環境は大きな不安材料の一つになった。


 思考が嫌な方向へ引っ張られそうになったヨクリの耳に、水っぽい足音と金属の擦れる音がいくつも届いてきた。入り口の炎に照らされた顔は五つ。いずれも待ち人たちに相違ない。

 集った五人全員がヨクリと同じように上腕の半ばほどの丈の外套を羽織っている。手を挙げたタルシンは腰に片手剣と、左腕に括り付けた小盾という武装だが、平時、瀟洒(しょうしゃ)にゆるめる口元は真っ直ぐ結ばれ、詰めた気が見て取れる。


(緊張は宵越し、か)


 よくない兆候だと思いつつ、ヨクリは続けて他の様子を探る。

 茶髪の男の隣でヨクリを鋭くねめつけるウェル。金属鋲のついた皮鎧を、動きに合わせて揺れる外套からちらつかせている。タルシンのものよりも僅かに大振りな片手剣は、重心を安定させるために二つの革帯で腰に留められていた。


 その隣、ほとんど初顔のカル。薄茶の短髪。上背は大柄なアーシスよりも更に高かったが、細身である。カルと小さく会話しているアイビスはヨクリよりも背が高く、快活そうな肩までの金髪に、日に焼けた肌。

 アーシス以外の全員が片手から片手半剣という標準的なランウェイルの具者の武装である。

 

「早かったな」


 右手に火の灯っていない松明を携えたアーシスが声をかけ、そしてヨクリと同じように地を蹴り感触を確かめた。


「しかし、最悪だなこりゃあ」


「霧は森を抜けたら、多少は晴れるかも。でも、下はどうしようもないね。足元が茂っていればいくらかはましだろうけれど」


 答えたヨクリにアーシスは頷いて同調し、顔を上げて皆を見渡した。


「全員、準備できてるか」


 各々茶髪の男に反応を送り、確認したアーシスは、松明を傍らの篝に近づけて貰い火し、一歩踏み出す。


「行くぜ」


 静寂に包まれる集落を抜け、レミン森林の北部へ足を進めた。

 踏み入り、ひとしきり森の中を歩くと、枝葉が服のあちこちに擦れてみるみるうちに湿る。外套と、靴や裾はずぶ濡れである。集落の外は手入れが行き届いておらず、欝蒼とした樹林の中に、病葉(わくらば)や腐った木々がちらほらと見て取れる。

 方角や”獣”の出現を注意しつつ、アーシスを先頭に一同が続く。歩きながら、アーシスは後ろを軽く振り返ってヨクリのほうへ目を合わせた。


「そういやラッセ、どうだ」


 歩みに合わせて代わる代わる、松明の灯火に木のうろが暴かれ、そして過ぎてゆく。ヨクリは警戒を解かずに、アーシスの世間話に乗った。


「ああ、筋はすごくいいよ。体力があるし、なにより熱心にやってくれている」


 左右に視線を振りながら木陰を確認しつつ口角を上げて答えると、


「お前、そういうの向いてるんじゃねえか?」


 人に戦い方を教える職、ということだろう。ヨクリは考えてもみなかった茶髪の男の返しに虚を突かれ、返事が遅れた。声が途切れ、茂みを踏む足音が明確になる。自発的に行ったことではなく、フィリルのときも、今回のラッセだって、ヨクリは状況に流されたり打算の上だったりと、褒められた動機ではなかった。内心で問い直してもやはり評価は変わらず、苦笑いを浮かべる。


「とてもじゃないけれど、そんな風には思えないよ」


 そんなヨクリにアーシスは緩く微笑み、再び正面を向いて、


「手紙読んだ限りじゃ、嬢ちゃんとも仲良くなってるみてえだしな」


 明かりで獣道を照らしながら続ける。


「ま、なんだかんだあったから、そりゃそうだろと言われちまえばそうなんだけどよ」


 ヨクリも同じようなことを思っていた。あのとき少女を管理塔から連れ戻したのがヨクリ自身でなくほかの誰かだったならば、きっと、フィリルはその誰かに心を許していただろう、と。


「……すげえ安心するんだぜ。誰かがそばに居てくれるのってのは」


 アーシスのわずかに湿った言葉にヨクリがなにかを感じ入るよりもはやく、その緩く沈んだ気を切り裂くように声を発したのは、集合後一度も口を開かなかったウェルであった。


「てめえの御同朋が首都でやらかしてることなんてどうでもいいってか」


 敵意のある言葉だった。ヨクリがウェルの方向に目をやると、値踏みするようなまなざしで目線を合わせてくる。


「フェリアルミスじゃ教会の派閥争いが激化してるって話だぜ。タカとハトで、殺しで食ってるやつらを雇って有力者を潰し合ってる」


 言葉を切って、ウェルは口元を歪める。嘲った顔をし、続けた。


「いいように使われてるクズのほとんどがてめえと同じ”姓無し”だ」


 ヨクリは完全に虚を突かれ、ぴたりと立ち尽くす。遅れてヨクリの動揺が伝わり、一同も歩みが止まる。戸惑い、眉をひそめてウェルを見遣ったとき、後方から遠慮がちに補足をつける声。タルシンのものである。


「……そういう話とは聞いているっす。あんまり大きな声じゃ言えませんが、”蜂起”のあと、円形都市建設に貢献した首都議会が台頭して、王権がほとんど飾りになってもうずいぶん経ちますし。国王認可の貴族の数は減る一方っすけど、逆に教会の力は強まってますからね。諸侯も教会の内部事情にはかなり注視しているらしいっすよ」


 軽く背景に触れてから、本筋に入る。


「まあほとんど後ろ盾の貴族同士の殺しあいになってて、とくに翠百通りの裏手なんかは夜は滅茶苦茶危ないとか。……揉めてる場所が陛下のお膝元なもんで、外様のシャニール人は扱いやすいんじゃ」


 長々と説明していたタルシンだが、失言に気づいて一瞬硬直したあと、


「っと、すみません……」


「いや、大丈夫」


 反射的に答えると、気まずそうにタルシンはヨクリから目線を外した。


「”姓無し”どもがこの国に来てからろくなことになりゃしねえ。てめえらが基礎校でマトモな生活送ってた裏で、どれだけの人間がその環境にすらたどり着けねえでいるか知ろうともしねえんだろうよ」


「そろそろやめないか、ウェル」


 男の苦言を諌めたのは事態を静観していたカルで、柔和そうな細目に力がこもっていた。さらにカルを援護するようにアイビスが口を開く。


「あんた、ちょっと見苦しいよ。自分が敵打ちたかったのはわかるけど、ヨクリやアーシスに当たったってなにもかわらない。なにも帰ってこないんだ」


 ヨクリはアイビスの台詞から、ウェルがことさらヨクリに当たる原因のうちの一つを見出した。ヨクリとアーシス、二人をひとくくりにまとめたのはあの——ミリアが関与していた貴族殺しにまつわったことだと推察できる。”暁鷹”の一員が斬られたという情報と照らし合わせると、ウェルが敵意をむき出しにするのは、その者の仇討ちを強く願っており、ヨクリらがその機会を奪ったからだと結論づけるのに時間はいらなかった。


「今のあんたの姿、あの子に見せられるのかい。もっと胸張れる生き方しな」


 アイビスの言葉が突き刺さったのか、ウェルは眉間をきつく寄せて怒りをあらわにする。


「あいつはのことは関係ねえ。くだらねえこと言ってるとてめえらからぶっ殺すぞ」


「冗談でもそういうことを口に出すな。くだらないことを言い出したのはお前だろう、ウェル」


 それまでとは明らかに異なる、激しい感情の混じったカルの語調。両者はしばしにらみ合い、そして根負けしたのはウェルのほうだった。


「……ちっ」


 ウェルは舌打ちまじりにカルから目をそらし、その後一際強くヨクリを眼光で射抜いてから止まっていた一同を急かすように足早に歩き出した。各々動き出し、追従する。しかし、ヨクリの受けた衝撃は消えない。


(フェリアルミスで、シャニール人が)


 ヨクリは考える。そもそも、様々な背景から、ランウェイル本土に流入したシャニール人はそう多くはない。いくら国内で蔑視されるシャニール人であったとしても、こんな大それた噂が立つほどに目立つだろうか。


(組織的に動いているのかもしれない)


 嫌な予感が脳裏をよぎった。フェリアルミスのシャニール人はどんな目的で集まり、なにを為そうとしているのか。そして、ヨクリの考えにたどり着く者は少なくないであろう、というところも。

 腰に下げた引具の重みが、さらに増したような気がした。


(いけない)


 そこでヨクリははたと我に返った。大事であったとしても、今は気を取られている場合ではない。


 やりとりからしばし経ち、あと少しで森を抜けるところで、先頭を行く茶髪の男は後ろに手をかざして一同を制止し、松明を地面に放った。雨後が幸いし、幾度か足で転がすと炎はあっさりと消える。一気に闇が立ち込めるが、茶髪の男は粛々と腰の皮帯に装着されている投刃のうちの一つを外し、そいつでもって鎮火した松明の先端、木油を染み込ませた布を裂く。最後に外套の裾で油を拭ってから刃を腰に戻し、切り離した布に、つま先で土を念入りにかけた。


「うっし。んじゃ、慎重にな」


 消火作業を終えたアーシスが用心の声を上げ、明かりの灯っていた地点を目指す。

 木々を分け入り、その密度がだんだんと薄くなっていくにつれて辺りが明るくなっていく。森中では茂る枝葉に遮られていて気がつかなかったが、日が昇り始めたようだった。


 そして、とうとうレミン森林を抜けた。


 ぶち抜いたように、視界が一気に広がる。ただただ眼前を埋め尽くす草原と、右手にはすでに薄くなっていた雲間から覗く朝日。ざあ、と北から湿った寒風が吹き抜けると、芽生えたばかりの若草が揺れ、一様に波打って東の光に照らされる。

 ヨクリが風と、まばゆい曙光に刀を携えたままの右腕を掲げて顔をかばった時。


 距離にしておよそ三十歩のところで、ちかり、ちかりと、自然の光とは異なる瞬きを見た。

 図術の輝き。エーテルの光。ヨクリらを囲う攻撃の印が、四つ。続けざまに、その下辺りから影が伸びる。


「術者……!」


 呟きとともに、ヨクリは反射的に右手の刀を両手に構えなおし、そして悟った。

 これから行われるのは、戦後はほとんど起こらない、法や治安などの様々な規制により起こりえない戦闘。

 しかし、集落の揺らぎを感じたヨクリが半ば覚悟していた戦闘。


 ——集団図術戦である。


「くそっ!」


 とっさのことに反応できたのは、アーシスとヨクリの二人だけであった。ヨクリの左隣にいたアーシスは両腕を構えつつ後方へ飛び退る。


「間に合えっ……‼︎」


 ヨクリは茶髪の男の挙動を見届けると、すぐさま引具に集中、一歩進んだあと、前方へ図術を開放した。体を半身にし、喉元へ切っ先を突きつけたような構え。刃の先端から薄緑の光幕が円錐状に展開されたのと、無数の”氷錐”がヨクリら目掛けて襲いかかったのは、ほとんど同時だった。





 日の出前、燭台の灯火が消えた暗中。ひとけのない清掃の行き届いた廊下に、一つの足音が響いている。

 髪を揺らし、口元を緩く歪める小さな姿。ミリアである。イリシエから借り受けた服の上から、襤褸同然の外套を羽織っている。ミリアは適当に理由をでっちあげて目付役のカシスとテレグを撒いたあと、単身集落で一番大きな建物である貴族の屋敷に入り、その主の元へ向かっていた。

 ほとんどの人間が出払っており、門から入り口、屋敷の中全てが静けさで満ちていた。ミリアは三階へ続く階段をのぼり、一人呟く。


「なんだかんだでツメが甘いっていうか、ぬるいよね」


 つり目がちの大きな瞳を細めてほくそ笑むように鼻を鳴らし、


「ま、確かにこの期に及んであたしが変な真似するってのも、ヨクリにしちゃ薄いだろうけど」


 最上階は短い回廊と、突き当たりに一つの扉。その縁から、辺りを埋め尽くす深い闇に抗うように、光が漏れ出ている。金髪の少女はゆらりと進み、その扉を開けた。蝶番が軋み、音を立てる。部屋の奥に佇む人影を見遣って呼びかけた。


「エイネア様、でいっかな」


 ひたと窓の外を見据える、白髪の貴族。その表情は様々な色を含んでいた。思いやるような、あるいは諦めたような。そうして一度まぶたを閉じてから、エイネアは声のするほうへ首を傾け、遅れて体をあわせた。


「……ミリアさんですか。どうしてこちらへ?」


 こうして二人が言葉を交わすのは初めてのことであった。ミリアは微笑を浮かべたまま扉の近くから一歩踏み入り、


「聞きたいことと、相談したいことがあってね」


 白髪の貴族は半身をゆっくり、しかししっかりと金髪の少女へ向け、姿勢をととのえる。ミリアは了承を確認して、はっきりと告げた。


「この戦いの終わりってどこ?」


 しん、と会話が途切れた。エイネアは睫毛を伏せ、しばしののちに再びミリアを見る。


「……貴女は聡明ですね」


 金髪の少女の洞察力を称えたあと、


「時が満ちてしまったということなのでしょう。……貴方は終わりを見てみたいと思いますか」


 逆に問うと、ミリアは興味を失ったように首を振って答える。


「どっちでもいいよ。でも——」

「わかっています。私にできることはするつもりですよ」


 その先をミリアが口出しする前に、エイネアは力強く頷いて返した。すると、今度は少女のほうがエイネアの心中を察する。


「……そっか。大変だね」


「身から出た錆のようなものです」


 自嘲めいた言葉だった。そして、今の言葉について言及するのを避けるように、エイネアは素早く切り替えていた。


「では、貴女の心のうちを聞かせてください」


 問いというよりはほとんど前置きだった。一拍置いて、エイネアはさらに重ねる。


「貴女は、貴族の出ですね?」


 弧を描いた唇がまっすぐに結ばれる。ここまで笑みを崩さなかったミリアの表情がはじめて変化するが、それは一瞬のことであった。すぐに普段浮かべる緩い笑みにすり替わる。


「……そだよ。いろいろちゃんとできるようになってから調べたんだ。だから間違いない」


「ならば」


 白髪の貴族が言葉を継ぐよりはやく、ミリアはううんと遮って、


「別に、家をどうこうしようとは思ってないよ。もうほとんど覚えてないし、そういうこと考える前にお腹が空くんだ。だから、それはもうやだなって」


 感情の読めない貼り付けた笑顔だったが、言葉は部屋によく響いた。少しのしじまが訪れる。白髪の貴族は少女の瞳の奥を探るように目線を合わせ、やがて外した。


「……そうですか。よくわかりました」


 両者の探り合いはその言葉で幕を降ろす。


「じゃあ、最後に相談」


「ええ。どうぞ」


 エイネアの準備を見たミリアは、ゆっくりと口を開いた。

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