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事の顛末をヨクリが話し終えたときにはもう十刻を過ぎ、雲を照らす淡い月光がはっきりと見て取れる時間になっていた。ヨクリの対面に座るアーシスは一旦納得した様子でヨクリが説明に心を砕いた原因——ミリアを見る。
妹であるイリシエの淹れた茶をぐっと飲み干したアーシスは、ふう、と息を吐いてからその少女に口を開いた。
「イリシエ。オヤジんとこ行って、ヨクリが居るって伝えに行ってくんねえか。オレはまだ話があるからよ」
「わかった。エイネア様はお屋敷だよね」
「おう。ついでに風呂でも借りて来い」
「うん、そうするね」
親しげなやり取りを交わしたのち、イリシエは支度をして外へ出て行った。足音が遠ざかり、間を見てアーシスが口火を切る。
「てめえの目的はなんだ」
答えなければ相応の行いをするという気迫に満ちたアーシスの声音。受けたミリアはうん、と一つ大きく頷いた。
「そろそろ話してもいっかなぁ。ヨクリに言った趣味ってのがもうホントのしょーじきなところなんだけど」
言葉を切って、
「茶髪のおにーさん。あたしを雇わない?」
アーシスの顔を覗き込むように頬杖を付いてミリアは挑戦的に言い放つ。即答しないアーシスにヨクリは目を鋭く細めた。
「思っていたよりまずそうだね」
拒絶しないということは、利点があるという意味だ。アーシスと、それにヨクリを含めた戦力では不十分らしかった。つまり、すでにアーシスとエイネアは具者数名では足りない、大規模な戦闘を想定している。
ヨクリは自身の報告をひとまず脇に置いて、イリシエが居たときには明言できなかった茶髪の男の現況について、ヨクリはミリアに説明されたことを含めた把握の擦り合わせをはじめた。人斬りの依頼が原因で教会に目をつけられていること。エイネアの弱体が狙いだということ。かいつまんだ情報しか知らないので、ややもせず終わる。
「……オレは噂の出所を詳しく知りてえところだが」
茶髪の男は金髪の少女を見遣ってから、
「そんな感じだ。正直人手が足りねえ」
「エイネア様はどこまで存じていらっしゃるんだ」
「全部話したぜ。原因はなんでもよかったらしい。お前んときがそうだったようにな」
つまり、ヨクリとアーシスが依頼を請けずともエイネアは狙われた、ということだ。フィリルの件と同じ。大きな力を持つ者がそうと決めたら過程は関係ない。結果だけが残る。
「教会はなにを企んでいる? エイネア様を排除して、タカ派の貴族と通じて。……一体、なにを」
「教会も一枚岩じゃねえんだ。タカとハトみてえに、今は二つにわかれてる」
「神子派と枢機卿派だね」
継いだのはミリアである。現在リリス教会を纏めているのはガルドラン・ツベルン枢機卿で、枢機卿の方針と、リリスの器として選定される神子を担ぐ神子派の方針が食い違っているという話が続いた。
「タカ派と組んでんのが枢機卿派だってのはもう割れてる」
「なぜ?」
ヨクリが理由を問うと、
「”リリスの右手”が、オヤジを付けねらってやがるヤツだからな」
教会は武力を有しているが、その兵は基本的には枢機卿の下で動かされる。六つの団に分けられ、”リリスの右手”はその内の一つであった。各団の総員数は五千から一万程度で、それぞれ目的が違う。
「まあ、五千の兵力全部はさすがに使ってねえが、団長がオヤジのケツを追っかけ回してんだ。やっかいだぜ」
「ジェラルド・ジェール、だったっけ。”リリスの右手”の団長って」
やはりその名を補足したのはミリアだった。ヨクリはとうとう我慢できず、
「お前、博識だな」
「あたしが天才だってのはヨクリももちろん知っているだろうけど、まー仕事が仕事だからね。いろいろ仕入れとかないと首まわんないんだよ」
(なにがもちろんなんだ)
得意顔をしつつ、付け足すミリア。知識と才能はそのまま置き換えられるものではない。しかしこの年齢であの動きを修められるのは凡人では断じて不可能だから、釈然とはしないが横やりを入れない。着目点がずれているのを解説する手間を惜しんだのだ。
「それで、そのジェラルド卿、でいいのかな。彼は、ここを目指しているんだよね」
エイネアとアーシスがレミン集落へ帰還したというのは、つまりそういうことだと予測したヨクリに、アーシスは固く頷いた。
「都市へ出向いたのは自衛のために具者を集めるためっていう認識であっているかい」
「おう、今は集会所に居るぜ。……ただ、”暁鷹”の四人と合わせて十三しか集まらなかったのが痛え」
「集まった人たちはどの位の技量だい」
アーシスは言葉を詰まらせつつ答える。
「……正直、全員オレより弱ぇ」
十三人。ヨクリとアーシスを含めて、十五人。相手が二十人程度の少数精鋭で攻めてくるのだとしても、こちらの練度を考えると——絶望的だった。
正規の教会兵は教学校で兵士課程を終えている。教学校には神に仕えるという明確な目的が存在するため基礎校よりも修学に貪欲で志の高い生徒が多い。更に団長の側近ともなると、その実力は上等校卒業者に匹敵すると考えてよい。国内に掃いて捨てるほどいる、有象無象の業者とはまさしく格が違うのだ。
それに少数精鋭で攻めて来るという保証はどこにもない。国内で闇雲に武力を行使する意味が”リリスの右手”にわからないはずもなかろうが、しかしここは都市外で、法の外だった。可能性は零ではない。
「ジェール家は上級貴族で代々武家だったはずだし、こりゃきびしーねぇ」
ミリアは知識をひけらかしながらへらへらと笑う。ヨクリはその話を頭の片隅に入れつつ、
「じゃあ顔合わせしなくちゃ、ね」
ヨクリはそれでも、協力の姿勢を取った。アーシスは虚を突かれたような顔をしたあと、
「お前が首突っ込む理由はねぇだろ」
「君を焚き付けたのは俺だよ」
「さっきも言ったろ。どう転んでもこうなってた」
ヨクリはアーシスに正論で諭され、首巻きを引き寄せて口元を隠し、呟く。
「……いつでも、誰にでもそうするわけじゃなくて、君が友達だから」
「……そういう言い方は、ずりぃだろ」
唇を噛んで拗ねる茶髪の男に、ヨクリは顎を持ち上げて大きく息を吸って、
「俺がずるくなかったことなんて一度もないよ。フィリルの件でも君はすごく親身になってくれた。俺は恩は返したいし、友人の力になりたい。この前の俺がそうだったから経験者として言わせてもらうと、使えるものは使ったほうがいい。でないと、切り抜けられないところが出てくる」
長広舌を終えると、アーシスのきつく目を閉じる姿があった。
「あぁ、くそ」
今度はアーシスが照れ隠しする番だった。悪態をついたあと頭をわしゃわしゃと掻いて、大きく頷いた。
「わかった。オレはレミンが好きだ。壊されたくねぇ。……だから、手ぇ、貸してくれ」
「ああ」
ヨクリが口元を緩めて了承すると、アーシスはすまなそうな笑顔をヨクリに向けたのち、表情を引き戻して成り行きを静観していた金髪の少女に視線をやった。ミリアは品定めするように再び言いつのる。
「腕利き、欲しくない? ヨクリが入ってあたしも入れば、戦力ましましだよん」
アーシスは鋭く語気を強めて、
「オレんとこの派閥荒らしといて、ずいぶんな根性じゃねえか」
「殺したのはあたしじゃないし、今はもう依頼は終わってるよね。それがどういう意味か、おにーさんだって知ってるでしょ?」
派閥に所属したことがないヨクリにも殺人の話は依頼管理所や酒場で耳にする機会がある。ミリアの言い回しに引っかかる部分があり、記憶のうちからたぐり寄せるのにさほど苦労しなかった。
諍いがあり、法の行き届かない都市外で人を斬る際には、直接の原因をもたらした人物以外に報復してはならない。
”仇討ちの不文律”。この取り決めは巻き込まれる周囲よりもむしろ、派閥内の秩序を保つためにある。情の厚い——割り切れない構成員が関係性の薄い者にまで報復することを避け、勝手な行動を抑制する理由で自然に広まった。
つまり、今回の場合”暁鷹”の人間を殺害した犯人はヨクリがすでに斬っているので、ミリアはその対象にはならない。
しかしながら、こうも面と向かって言い放てる度胸がヨクリには信じがたかった。アーシスが不文律を守る人間かどうか知らないはずだからだ。ここまでくると本当に命知らずなだけの子供にも見える。
「……いくらだ」
「金貨二十で、最後まで」
それは妥当な金額にも聞こえるし、高過ぎるようにも聞こえた。ヨクリがそう感じたのは依頼の難度とミリアの信頼度が理由だった。アーシスは瞑目してしばし長考するような仕草をとってから、
「十六だ。依頼じゃねえが、全員それで受けてもらってる」
「いいよ」
茶髪の男は暗殺者を雇うことに決めたらしい。
ヨクリはこの金髪の少女を信用していない。だが、抱主はアーシスだ。ヨクリにとっての集落の重要人物が戻ってきた今、意見を求められた時にだけ発言する心持ちであった。
「ああそれと、オレを兄と呼んでいいのはイリシエだけだ。名前で呼べや」
「それじゃ、アーシスって呼ぶよ」
茶髪の男の、妹への深い情愛を感じさせるやり取りがあり、
「んじゃ行くか」
話がまとまり、アーシスは二人を促した。ヨクリらは従い、家の外へ出る。この時間になると、出歩く人間は激減していた。日が沈むとまだまだ寒く、漏れ出る吐息は白い。住居の鎧戸から覗かせる燭などの人工照明や、集落内にいくつもある篝の輻射で辺りは仄かに明るかった。
(嫌な感じがするな)
ヨクリは指を擦り、湿気を読み取った。薄いが、雲も空を覆っている。このまま天候が崩れれば雨が振りそうだった。
伸びた三つの影が向かった先は集会所である。依頼管理所の待合室程度の広さがあり、様々な打ち合わせに用いられる。建物の周りに生えていたはずであろう雑草はほとんど刈り取られており、普段から使われているのがわかる。
先頭のアーシスが扉を開けると、個々別々にくつろいでいた業者たちは一斉に姿勢を正した。だだ広い空間に長机が二つ扉から見て縦に並べられ、中央に大きな長方形を作るようにぴったりと寄せられている。八つずつ、計十六の椅子が配置され、業者たちは気の向くままに座っているようだ。それぞれの腰、あるいは近くに立てかけられた引具や身にまとう装備が、素朴なはずの室内を物騒な雰囲気で埋めている。
ヨクリ、ミリアが入室すると、右中央、一人の男がゆっくりと頬杖をついて口を開く。
「ガキ連れてくんなよ、アーシス」
腰に下げているのは両刃の、ランウェイルでは一般的な片手剣。埃っぽい外套の上から胸と右肩に、傷が多数刻まれた皮鎧をつけ、業者として一端の風格を感じさせる様相である。赤っぽい茶髪は短く、無造作にくしゃくしゃとしている。上背はおそらくアーシスと同じくらいで、浅黒い肌は若々しさをみなぎらせている。彫りの深い目元に納まるのは、金色を輝かせる強気の瞳。
「アンタよりは強いよ?」
アーシスが反応するより早く、前に居たヨクリらを押しのけて売り言葉を買ったのはミリアだった。室内全ての視線が一気にこちらへ向けられるのを悟り、ヨクリはこめかみに手を当て、面倒なことになったと呆れた。
「あ?」
男は眉をぴくりと震わせる。一度ミリアを睨みつけてから、取り合わずにアーシスに再び視線をやって、仰け反るように背もたれへ体を預ける。胸元の皮鎧に打ち込まれたくすんだ金属鋲が、暖光を鈍く反射した。
「なんの冗談だよ」
「……お前の意見はその通りだと思うが、二人とも腕は立つぜ、ウェル」
「はっ」
ウェルと呼ばれた業者は不愉快そうに鼻を鳴らし、独り言のようにうそぶく。
「”暁鷹”も偉そうに集落救済とかのたまっておいてこのざまとは、笑えてくるな」
「嘘はついてねえぞ」
「別にてめえの目を疑ってるわけじゃねえよ。ただの陰口だ」
アーシスと言葉を交わしたあと、ウェルはがたりと無造作に席を立ち、ヨクリらのほうまで詰め寄った。値踏みするように見上げるミリアを一瞥してから、その双眸でヨクリを睥睨する。視線を察知したヨクリは前に居たアーシスの横へ並ぶ。
「……で? クソ”姓無し”はどういうつもりで首突っ込んでんだ?」
悪意を隠さず、蔑称を口にするウェル。子供のミリアも気に入らないようだが、シャニール人であるヨクリのほうが癪に障るらしい。口を挟もうとするアーシスを目で制したあと、ヨクリは顎を上げて赤茶髪の業者に向き合う。
「あなたたちと同じ理由だと思う」
「ぶっ殺されてえのか」
およそ滅多に人へ向けられない、底冷えする声音だった。そんな暴言に慣れていたヨクリは動揺を見せず、静かに次の言葉を待つ。
「すねかじりが、他と同じ扱いをされると思うな。てめえら姓無しがこのクソくだらねえ仕事を受けるなんてありえねえ。なにが魂胆だ」
ヨクリがミリアへ抱く感情と同様に、ウェルもヨクリが信用ならない、ということだろう。
「彼への義理立てだよ。それ以外はない」
ヨクリはアーシスのほうを手振りで示し、答える。
「馬鹿かてめえ。それが信じられねえんだよ。シャニール人はてめえのことだけ考え、行動する人種だって俺は嫌ほど知ってんだ」
水掛け論だ。ヨクリはウェルに信用されなくてもなにも問題ないと考えているが、凪いだ海のように気持ちを平坦に保ちつつ誠実に返す。
「ただ食って生きるだけなら、豚でもできる」
「くく」
赤茶の男は嘲笑する。次の台詞は強烈だった。
「お前、この国で自分が人間だとでも思ってんのか?」
さすがにこの発言はヨクリも捨て置けず、刹那的に殺意が沸く。はからず拳を握るが、皮膚の擦れる小さな音はさらに大きな音にかき消された。
アーシスが後方の壁に拳槌を叩き付けたのだ。その衝撃に、天井から埃がぱらぱらと落ちてくる。
「よう、ウェル」
呼びかけた茶髪の男の声は、怒りで満ちていた。話が進まないことへの苛立ちなのか、ヨクリを侮辱されたことへの憤激なのか。後者であればなにより嬉しいと、ヨクリはどこか遠くで思う。
「”暁鷹”とここはちげえぞ。飽くまで主導はオヤジで、オレはその代理だ。そろそろ黙れ」
「俺はこのクソどもと肩並べて戦うのはゴメンだって言ってんだよ」
食い下がるウェルに、アーシスは一歩詰め寄った。二人の距離はほとんど間隔がなくなる。
「従えねえなら、ケツまくって都市に戻るか」
低い声で釘を刺すアーシス。両者の眸子がかち合っている間、室内は息を飲む呼吸音で支配されていた。
ウェルはちっと舌打ちを一つ鳴らしてヨクリを一睨みしたあと、もと居た椅子へ戻る。
アーシスは小さく嘆息してから、左側の中央へ向かい、ウェルの対面へ腰掛けた。張りつめていた空気が少し和らいだのを見計らい、ヨクリは無愛想にミリアに目配せして、空いている左奥の座席に着く。当たり前のように隣に座ったミリアは、お疲れと小声でヨクリに耳打ちし、やはり笑顔を浮かべていた。
アーシスの怒気にヨクリの芽生えた感情はくじかれており、今は平静そのものだった。
茶髪の男は全員の顔を見渡して、「よく集まってくれた」と声を張って呼びかけ、
「時間も時間だ。手短に話すぜ」
今後の予定を切り出す。滔々と続いたアーシスの説明は、普段のいい加減さが驚くほど見当たらず、丁寧かつ明快だった。
まず、エイネアが集落の住人全員の入都許可及び滞在許可を取得したという情報から始まる。
依頼管理所で業者登録されておらず、都市に住所がない人間は基本的に都市へ入ることはできない。アーシスのほうを興味深そうに見つめる隣のミリアのような犯罪者の流入を防ぐためや、過密な円形都市の人口の増大を抑える目的である。とくに後者は深刻で、入都管理以外にも法的に出産数の制限を設けている都市もある。
二百人近い数の入都許可を発行させたエイネアの辣腕にヨクリは内心で脱帽していが、しかし、だからこそ業者の確保が後回しになり、この心もとない人数になったのだろうと、話を聞いてそう推察した。
次に、明後日——はやければ明日、住人の移送を開始するとアーシスは言う。明日住人に集落の危機についてエイネアから公報があり、身軽な者から都市へ移動させる。当然拠点までは魔獣の危険があるから、ヨクリら業者の任務はその護衛である。三人一組で、依頼達成率や年齢、位で判断し、戦力を均等に分散させる旨が注釈として加えられた。
最後に、明日から二週、レミン集落の防衛の知らせがあった。これはここに集まった業者全員が認識しているようだった。二週なにごとも起こらなければ解散、という詳説があったが、おそらくその期間内にエイネアが手を打つのだろうとヨクリは判断する。
途中いくつかの細かな質疑応答を挟み、四半刻ほどで会議は終わる。業者たちが席を立つと、それぞれ着用する軽鎧の金属などが所作によって擦過し、物々しい音がいちどきに鳴る。集った業者の寝床は定期的に訪れる行商のために作られた小さな宿場や、エイネアの屋敷の一室などである。割り振りはもう済んでいるらしく、誰一人としてアーシスに訊ねず、淀みない足取りで集会所を出て行った。
室内に残ったのはくたびれたように伸びをするアーシスと、隣のミリア。それにアーシスの対面に座していた先ほど因縁をつけてきたウェルと、入り口から向かって、奥の右隅——ヨクリの正面にもう一人。ヨクリはようやく、その顔に見覚えがあることに気付いた。
金髪の、おどおどした印象で依頼中も俯いていた女。背はヨクリよりも僅かに低く、全体的に頼りない。
およそ一月半ほど前。六大貴族の友人と再会を果たしたあの日、ヨクリが治安維持隊に拿捕された原因は依頼管理所の報酬を受けとる際に厳しく定められている”均等分配の法”を破ったからである。その切っ掛けを作ったのがこの。
「……テリスさん、だったっけ」
姓までは思い出せなかったが、正面の女ははい、と小さな声で返答した。驚いた様子もないのは、ヨクリよりも先に互いが顔見知りだと思い当たっていたからであろう。しかし目を合わせないテリスにヨクリは訝り、そして得心した。
なにも事情を知らない女からすれば、ヨクリはテリスのせいで維持隊に目をつけられ、経歴に傷がついたのだ。ゆえに、糾弾されてもおかしくないと考えているはずだった。ヨクリは取り敢えず挨拶とともに、
「久し振り。あのあと、どうなった?」
「……お久しぶりです。私は初めての依頼だったってこともあって、その、厳重注意で済みました」
なるほど、とヨクリは心中で頷く。持ちかけ法を破ったのはテリスで、通常であれば罰金を取られるか禁固されるのだが、キリヤが糸を引いていたので、落としどころとしては妥当だった。ヨクリだけ別室で、テリスがほとんど無罪だったということは、全員が罪に問われなかったのだろう。
「まあ、俺も似たようなものだよ」
ヨクリは嘘をついてから、
「あれに懲りたらもうやめたほうがいい」
「怒っていないんですか」
「結果的にはなにもなかったし」
ヨクリはふ、と息を吐いてから、
「それじゃ、今回もよろしく」
「は、はい。こちらこそ」
旧交を温めるほど親密なわけでもないので、そうやって会話を打ち切った。テリスは立ち上がり、ヨクリとアーシスに一礼したのち、業者のあとを追って扉の外へ出てゆく。ミリアが「なになに、どういう関係?」とまたささめくが、ヨクリは黙殺してアーシスのほうをみやった。呼びかけようとした時、
「女とおしゃべりする余裕はあるってか。いい気なもんだ」
悪態をついたのはやはりウェルであった。冷たい眼光をしばしの間ヨクリに向けて、赤茶髪の業者はアーシスに咎められるより前に退出していった。
詰まった言葉を、ヨクリは大きなため息にかえた。
「あーいう感じなんだねえ。ヨクリも大変だね」
「見世物じゃない」
あっけらかんと言い放ったミリアに往来の喧嘩で使われるような常套句を返すと、アーシスがはっきりと頭を下げた。
「悪ぃな、ヨクリ」
「いいよ。慣れている」
ヨクリにとってはそれが正直なところだった。アーシスが謝罪する必要はないし、ヨクリも茶髪の男の快活さを知っている。誰も悪くない。そんなヨクリの態度をアーシスは察したのか、話題を変える。
「知り合いだったのか」
「うん。ほらキリヤに捕まったときの」
「ああ。あの娘、強えのか?」
「いや、正直だめだね。前は、しょうがないから運び屋やってもらっていたよ」
そりゃ残念さん、とアーシスは肩をすくめた。そして、その会話からヨクリはまた別の事柄を思い出す。
レミンへ来る前に管理所で見た依頼の件だ。どこかの貴族が腕利きの業者をかき集めているという内容だった。つまり、レミンに居る業者は、状況的に見ても質が落ちる。更に厳しくなったなとヨクリは評価を下げた。
アーシスは立ち上がって部屋の奥から順繰り燭台に灯った火を消して扉のほうへ戻り、
「帰るか」
「俺は君の家でいいのかな」
「おうよ」
ヨクリが一応訊くと、茶髪の男は肯定とともに扉を開け、入り口の明かりも落とす。
「あたしは?」
辺りの木々を擦れ合わせる風と、燭台に焼べられた香木を炭に変えてゆく火。帰路につきながら問うミリアに、アーシスがうーんと頭を悩ませ、それを見たヨクリが提案する。
「監視のために他人に説明するのも面倒だし、アーシスさえよければ俺と同室でいいと思う。錠と鎖で寝台に繋いでおけばまあ大丈夫でしょ」
”暁鷹”にかかわりが深いこのレミンで、事情の知らない人間にミリアの話をするにはかなり骨が折れる。自分が見張っていれば問題はないと、ヨクリは考えていた。
「んじゃ、それで」
「りょーかいりょーかい」
ヨクリは胡乱げな半目をなぜか弾んだ声音で了承するミリアに送りながら、
「一応、イリシエに包丁とかの刃物をこいつの手の届かない場所に閉まっておくように言っておこう」
「子供扱いじゃん!」
「子供だろ」
なげやりな会話を交わしていると、アーシスは不思議そうなまなざしてヨクリに言う。
「なんか仲いいなぁ、お前ら。意外だぜ」
含みのない真っ直ぐな問いに、
「真面目に相手をするのが馬鹿らしいだけだよ」
ヨクリは言葉を切って、逆に訊きかえす。
「それより君こそ、こいつ、平気なの?」
「……よくわかんねえ。いろいろありすぎてるし、今は猫の手でも借りてえからな。このチビ見てると、ただのガキって感じで気が抜けるんだわ」
アーシスはその金髪のほうに目を細めて「てめえはどうなんだ」
「あたしは、あたしより強い人間にはなるべく逆らわないようにしてるんだ。ヨクリとアーシスはあたしに勝ってるし」
互いに対する評価を言い合う形になった。もちろん額面通りではなく、内懐では全員種々に思考しているはずだった。今は敵対する利が少ないから、こうして協力している。
強者に従うと言いながらも、先刻のミリアの自叙にはゲルミスに叛意を抱いているようなふしがあった。全てを真実だと断定はしないが、ヨクリには考慮に値するような気がしていた。それが警戒を保ちつつも態度を軟化させる原因になっていたのだ。
だが、やはりミリアの出自や目的には不透明な部分が多過ぎる。ここで考えても仕方のないことだが、集落の件がなんらかの決着をみたときに、改めてうやむやになった詳細を問いつめようとヨクリは決めた。
屋敷の敷地内に踏み入ると、入り口から扉へ一直線に向かう敷石にはいくつかの土くれが付着していて、人通りの気配を残している。途中でそれたヨクリらは再びアーシスの住まいへ戻った。窓から漏れている明かりは茶髪の男の妹がすでに帰宅している証拠である。
扉を開けると、「おかえりなさい」というイリシエの声。勝手場で皿などの食器を洗っていたようで、前掛けで濡れ手を拭いながら出迎える。各々返答したのち、アーシスが素早くヨクリと、それからミリアが泊まることを伝えると、イリシエの顔色が変わった。
「ヨクリさんとミリアさん、ど、同室なんですか!」
「用心のためだよ」
ヨクリがさっと註釈するが、イリシエはあわわとうろたえて、
「そこまで仲良くなってるなんて……」
アーシスは部屋の隅にある、雑貨を入れる木箱を開けて何かを探しているようで、ミリアは面白がるように口元を歪めているだけだった。
「だから、用心のためだよ」
再度同じ台詞で弁明するヨクリにイリシエは取り合わず、今度はむーっと頬を膨らませた。アーシスは探し物を見つけ、ヨクリのほうに近づいてくる。
「……いいです、もう」
拗ねたイリシエの口調にヨクリは困った顔をアーシスに向けるが、茶髪の男は肩をすくめるだけだった。ん、とヨクリは小さく喉を鳴らしてから、
「時間も時間だし、エイネア様のところへは明日行くよ。休んでもいいかな」
「上、適当に使ってくれや」
アーシスは頷いて、携えていた麻袋をヨクリに手渡しながら顎をしゃくって階段のほうを示した。ずしりと重い感触にヨクリは得心しつつ、ミリアを促し上階へあがる。
短い廊下をすぎ、何度か使ったことのある部屋の扉を開ける。薄闇に包まれた室内は、向かって正面に小さな窓が一つあり、右隅に夜具。ヨクリは寝具の対角に荷袋と引具を置き、そのまま革帯と上着を脱いで楽な格好になる。次に麻袋の口を解いて、中から鎖と錠を取り出し、輪を作って寝具の足にかけ、ミリアの両腕へ巻き付けて錠をする。長さと耐久力を確認したのち、鍵を荷袋へ押し込めて寝具に腰を下ろす金髪の少女へ言う。
「寝るぞ」
「うんうん」
ヨクリはいっとき逡巡するが、毛布を使わず寝るには寒過ぎるし、ヨクリが床なのは釈然としない。考えるのが面倒になったヨクリは靴を脱いで夜具の上、壁側にミリアを押しやり、入り口側に潜り込む。
「おー、あったかいねえ」
「うるさい。寝ろ」
はしゃいだ声を一蹴しつつ体の下にあった鎖を頭のほうへのけて、目を閉じる。
(明日からまた忙しくなりそうだ)
長い一日がようやく終わる。
今後の仕事を計算しつつ、ヨクリはまどろみが訪れるのを待った。




