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途上のシャムロック  作者: 納戸
箱庭の黄昏
43/96

   2

「……別に暴れたりしないからさ、剣、しまってくれない?」


 硬直の抜けきれないヨクリに、臆面もなく金髪の少女——ミリアは猫っぽい釣り目をまたたかせながら言う。ヨクリは丸くしていた目をきつく戻し、明るい声音には答えずに背後のイリシエへ固く促した。


「イリシエ。外へ出ていなさい」

「い、いやです。どうして、剣なんて」


 さきほどのミリアが囁いた一言は聞かれていないらしかった。まずはそっちを訊ねそうなものだからだ。ヨクリは安堵しつつも、顔を背けたまま言葉を重ねる。


「こいつは罪人だ。俺とアーシスが請けた依頼のね。なにを企んでいるのか聞き出す必要がある」


 動こうとしないイリシエに、ヨクリは止める気はないという意思表示をする。


「見ていて気持ちのいいものじゃないよ」

「……わたし、お兄ちゃんから留守を預かってます」


 ヨクリは嘆息し、説得を諦めた。妹を愛しているアーシスは怒るかもしれないが、ヨクリにもアーシスや、エイネアやイリシエの安全を守る義理がある。

 そして、後回しにしていたミリアに向かっていつぞやのやり取りのように返す。


「武装を全て出せ。引具もだ」

「ほいほい」


 首をぴくりとも動かさないままもぞもぞと襤褸の外套をまさぐり、黒光りする不思議な形をしたものを置くと、ごとりという重厚な音を立てて木目のはっきりと浮き出た卓の上に影を落とした。それはヨクリの友人である、博識な青年マルスが”古物”と呼んでいた代物に間違いなさそうだった。続いて、たやすく折れそうなほど細い左腕を幾度か回し、腕輪の形状をした引具を外して同様に差し出す。炎で照らされていたとはいえ、いかんせん闇夜に紛れていたのではっきりとこれとは断定できないが、嘘をついている雰囲気はない。


「これで全部だよ」


 目線だけヨクリのほうを向けたミリア。少年めいた少女に、ヨクリは躊躇せず言い放った。


「着ているものを全て脱げ」


 外套と衣服の下になにか隠している可能性がある。ヨクリの要求に、ミリアはまたおちょくるように、


「えー、おにーさんもあんまり趣味よくな」


 唐突に途切れた言葉。原因となった、だん、という乾いた音を立てたのはヨクリである。ミリアのくすんだ金髪に左手を深く潜らせて掴み上げ、その頭を力づくで背もたれに叩き付けたのだ。木材がきしんだかと思うと、たちまちミリアはひっくり返って椅子ごと転倒する。よりいっそう大きな物音が部屋に鳴り響き、う、とミリアは呻いた。押し倒すつもりだったヨクリは挙動に合わせて体勢を膝立ちにし、背もたれを挟んだ床へ頭部を押さえつける。ヨクリの携えた白刃は皮に浅く食い込み、少女の華奢な首から一筋、つう、と真っ赤な血が垂れ、むき出しの鎖骨を避けるように滑り落ちて後頭部の裏側に消えた。


「次に()れたら右腕を斬り飛ばす」


 ほとんど馬乗りになったヨクリが下に放つ、およそ温度を感じさせない凍った声音。しん、と静寂が訪れる。


「よ、ヨクリさん……!」


 怯えた、しかしほんの少し抗議の色を滲ませた、家の主であるイリシエの呼びかけをヨクリは黙殺した。すでに勧告はした。今ヨクリの心中は黒い塊で支配されていて、とてもではないがイリシエに気遣う余裕はなかった。

 油断など毛の一本さえ入る余地はない。息をするように人を殺す危険人物をこの集落にのさばらせておくのを受容できなかった。エイネアもアーシスも不在の状況で、要求を飲まないようならヨクリのすることは一つだけだ。

 気を張っていたヨクリだったが、どこか遠いところで少女の力量に脱帽していた。無理に体に力を入れていたら、首を這う太い血管がすぱりと切れてたちまち血みどろになっていたことだろう。その判断力はかなり年上のはずのヨクリを接近戦でも追い込んだだけあって、称賛すべきものだった。


 倒され、乱れた前髪の奥にあるミリアの表情は見えない。だが、不気味に光るヨクリの双眸はひたりとミリアに据えられていた。強化図術さえ使われなければただの非力な少女であり、制圧はたやすかった。刃を立てられた白い喉がぴく、と動いたのをヨクリは察知し、右腕を僅かに自身の体に寄せて発声の障壁を取り去る。


「……わかったよ」


 しゃがれた声だった。それを耳にした人間によれば悲哀を誘う印象を受けるかもしれないが、ヨクリは情けをかけるつもりが一切なかった。味方と敵。引くべき線はきっちりと引く。ヨクリは眼下のならず者と同じく人を手にかけることもある業者だ。しかしだからこそ己で定めた己の法は守らねばならない。曖昧にすれば必ず災禍を招く。


 応答を耳にして、ヨクリは掴んだ髪を離さずにミリアを引っ張るように腰を上げた。先ほどとは逆に、ミリアはヨクリの動きに合わせて椅子を避けつつ体を起こす。

 両者は立ち上がり、ヨクリはようやく左拳を開いて解放し、首と刃の間隔を拳一つ分開けた。ミリアはためらわず、しゅるしゅると衣服を払っていく。外套を脱ぎ、裏打ちをヨクリに晒して隠されているものを見せる。細く小さい金属の塊がいくつも張り付けられていた。


「これは」

「そいつの弾だよ。これだけじゃ投げるくらいしか役に立たないから、いーかなとおもってさ」


 古物を顎で示し、説明するミリア。ヨクリは目線で続きを命令する。靴、下衣、下着を同じくヨクリへ見せつけ、とうとう身にまとうものはひとつもなくなる。

 イリシエが息を詰める気配をヨクリは感じた。ヨクリの傷つけた首から、首輪のように血痕が一周している。立ち上がったことでふたたび流血し、ほんの僅か、膨らみかけている薄い乳房の間を通ってへこんだ腹の中央、臍のあたりで止まる。


 酷いからだだった。毛先がばらばらのくすんだ金髪は腰まで長く、頓着されていない。肋骨が浮き出た骨と皮ばかりの貧相な体躯は、慢性的な栄養不足によるものだろう。黒ずんだ汚れは湯浴みの日課がない証拠だ。痛ましさを引き立てるのは、いたるところに見受けられる青あざや腫れ、熱傷、裂傷。癒えきっていない生々しい瘡蓋や、強引に針と糸を通して出血を塞いだ痕。もちろん魔獣の爪牙や引具の利刃による外傷も多々あったが、普通に戦闘したら傷つきようがない足の指先などの箇所にも見られ、それらが拷問のあとだと悟るのに時間はかからなかった。悪質な取引をする奴隷商人の商品よりも醜い有様である。


「くるっと回ろうか? それとも、もういい?」


 裸に抵抗がないのか、ミリアは平然とヨクリへ訊いた。ヨクリは意識をミリアに向けつつも危険物が布と布の間に縫い付けられていないか手で感触を探ったり、光に透かしたりして精査したのち、衣服を返却する。

 素早く全てを着込み、元通りの格好になったミリアは椅子を起こし、また座った。


「……ミリアさん」


 口火を切ったのはイリシエだ。ヨクリとミリアは視線をそっちにやる。ヨクリは同情や哀れみ、あるいはヨクリへの糾弾の言葉が出ると思っていたが、予想は裏切られる。


「……お風呂に入ってください!!」


 爆発したように大声をあげるイリシエ。確かにミリアは垢や埃、誰のものとも知れない血で汚く、それらが渾然としたすえたスラムのようなにおいがした。ヨクリは少し考え、


「あまり勧めないな。病気を持っているかもしれないし」


 すかさず答えたのはミリアである。


「病気はないよ。そういうのはすぐに処分されちゃうって。健康第一のおシゴトだからね」


 表沙汰にできない要人の警護などもあるため、任務を”達成”し帰還できれば重傷の治癒と、感染病の検査だけは受けさせてもらえるという注釈を大雑把にするミリア。


「体が汚かったら、治るものも治りません!」


 無数の傷を気遣うよりもまえに、その不衛生さにイリシエは怒っている。イリシエにとっては衝撃的な光景だと思っていたが、意に介していなさそうな態度の理由についてつらつらと考える。ヨクリが行った残酷な振る舞いを考えないようにするための逃避行動か、あるいは、純粋な親切心からか。我ながらその思考は下賤だと内心で自嘲する。


 フィリルと出会って、他者へ感情を素直に表すことに抵抗はなくなっていたが、ヨクリの本質は未だに変わっていない。とりわけ、敵に手心を加える気はなかった。たとえそれが第三者に、醜悪に映ったとしても。


「どうしてもはいらなきゃだめ? 痛いから嫌なんだよね」

「だめです!」


 ヨクリを置き去りに、傍目からは平和なやりとりが行われていた。ヨクリは当面の危険はないと判断し、ふ、と浅く息を吐いたあと、納刀して机上の古物、腕輪型の引具を荷袋に詰め込むと、すでにけろりとしているミリアに向かって言う。


「家主は彼女だ」

「……逆らってもいいことなさそうだねぇ」


 大きなため息とともに肩を落とすミリア。イリシエは「着替えをとってきます!」と伝えてぱたぱたと上階へのぼっていった。


「わかっているとは思うけれど、あの子になにかしたら殺す」

「さすがに武器全部取り上げられて、変な真似はしないって。いまのあたしはか弱い女の子だし」


 いけしゃあしゃあとうそぶくミリアに心中を苛立たせていると、布を抱えてすぐに階下へ戻ってきたイリシエが、ミリアに衣服と綿布を渡して、


「わたし外で薪を(おこ)してきます。半刻くらいかかると思うので、くつろいでいてくださいね」


 言い残し、茶髪の少女は退出する。残されたヨクリは刀を外して卓に立てかけ、ミリアの対面に腰掛けた。左手が頭皮の脂にまみれていることに気付いたヨクリは顔をしかめる。小さく嘆息してから、また眉宇に力をこめ、口を開く。


「おい」

「あー、あたし眠いからあとにしてよ。別に逃げたりしないからさ。お湯できたら起こして」


 卓に突っ伏し、腕を枕に目を閉じるミリア。絶句したヨクリをよそに、驚くべきはやさで寝息を立て始める。その度胸や突飛さに、ヨクリは呆れを通り越して逆に感心すら覚えた。遅れてふつふつと沸いてきた怒りを上乗せし叩き起こそうと静かに席を立ったヨクリだったが、思い直す。気を遣ったからではない。先にミリアの所持品を詳しく見ておこうと考えたのだ。


 物音を立てぬように荷袋からそっと二つの塊を取り出し、一つを膝元に、もう一つを手で持ち上げ、まずは引具のほうを観察する。シリンダーの挿入口は内側に施されており、労せず引き抜けた。腕輪の形状に合わせて湾曲しており、この形のシリンダーをヨクリは見たことがなかった。淡緑色の液体は体積の半分ほどで、消費された形跡がある。施紋された紋様は装置を使わない限り判別できないので、元に戻して引具のほうは荷袋へおさめる。そこで、ヨクリははたと気付く。ミリアは、シリンダーの予備を持っていない。その理由を予定していた詰問要項に付け加え、次に膝の古物に手を伸ばした。長い直方体と短い直方体を端でくっつけたような形状をしている。ずしりと重く、ところどころに錆がまとわりついており、金属でできているとわかる。短い直方体の底が外れそうだが、外し方を知らないヨクリは触らないようにした。暴発されたら困るからだ。他には、長いほうの先端に小さな穴があり、逆のほうに突き出た金属片がある。シリンダーの挿入口は見当たらず、どうやら引具ではなさそうだった。二つの直方体が交わる角に、やはり不自然に金属片が突出している。あの夜、指を引っかけていたのはこのあたりだ。おそらくは弩でいう懸刀けんとうにあたる、弾を手動で射出させるための部位。


(なにものなんだ)


 ヨクリはミリアへの疑問を深めた。ヨクリは自身を博識だとは露ほども思っていないが、それにしたって眠りこける少女の武装に心当たりがなさすぎる。まさに全くの未知であった。


 かなり集中していたらしく、窓の外からみえる日はもうじき沈みそうだ。ヨクリは素早く古物もしまったのち、前方に「そろそろだ。起きろ」と声をかける。ミリアは意外にもすぐに目を覚まし、瞼を擦りながら顔を上げた。「あふ」とミリアが小さく欠伸をすると間よく入り口の扉が開き、イリシエが「沸きましたよー」と顔をだす。


「お湯加減調節しながらお夕飯の支度、しちゃいますね。お風呂はあちらです」


 イリシエが勝手場の桶に水を汲みながら手で示し、ミリアが扉へ向かう。ヨクリはその後ろに付いて行った。短い廊下には扉が二つあったが、手前を過ぎ、奥まで来て顎をしゃくった。


 どーも、とミリアが礼を言い、脇にある編みかごにイリシエの衣服などを置いて、靴を脱いでから浴室へ入る。しばらくすると水音と、いて、とかひゃ、とか痛みを我慢する声音。あれだけぼろぼろならさぞしみることだろう。ヨクリは暗殺者が不審な行動を取っていないか耳をそばだてていたが、そんな気配はなかった。


 性別は女のはずだが、男かと思うほど早い時間——だいたい四半刻程度で入浴を終えたミリアが扉を再び開ける。石鹸の香りと湿った温風がヨクリの頬をなぶった。湯気の中から現れたのは、汚れを落とし湯で血色がよくなった体。ヨクリは常識のなさに小言を呟く。


「体を拭いて服を着ろよ」


 一歩踏み出した廊下の床に、どうやら埃や脂による変色ではなく地毛と思しき、濡れてぺたりとした灰っぽい金髪からぽたぽたと水滴がいくつも垂れ落ちていた。


「拭いてよ。髪面倒だし、いろんなとこひりひりするし」


 無駄に艶めいた唇から予想外の言葉が飛び出してくる。そんな義理はないヨクリは嘲った顔を作ってばっさりと斬った。


「自分でやれ」

「やってくんなきゃいろいろ教えてあげなーい」


 このくそがき、とヨクリは腹を立てるが、これ以上の荒事をイリシエに見せるのはヨクリとしても少しだけ憚られる。綿布を乱暴に拾い上げ、とりあえず手早く体の湿り気を拭ったのち、やけに長い髪にとりかかった。傷に触れたためすでに綿布は淡く血で汚れはじめていた。溜飲を下げるにはまるで足りないが、ヨクリは交換せずに押し付ける。


「偶然あのときスラムに居た教徒にみられてたってことになってるらしーよ」


 唐突に始まった会話だが、アーシスが教会に狙われていると聞いていたヨクリは即座に返す。イリシエに会話を盗まれないのも好都合だった。


「らしい、ってなんだ」

「あの依頼、一応正式なものだからね。難癖つけるために教会側がでっちあげたんだって」


 布教のために食料配給したり、貧民に算術や読み書きを教えに赴いたりするありがたい宣教師がいるとはヨクリも知っている。


「続けろ」

「表向きは教徒を殺った審問だけど、捕まったらたぶん生きて戻って来れないとおもうよ」 

「理由は」

「エイネア・ヴィシス」


 ごしごしと荒っぽく布を動かしていたヨクリの手がぴたりと止まる。


「不当に茶髪のおにーさんへ手をだすってことは、ヴィシスの庇護よりも上位の命令でしょ。……それに」


 もったいつけたあと、背を向けていたミリアはくるりとヨクリのほうへ体を向けて、口元を三日月に歪めた。


「あたしがどうやって情報を握ったと思う?」


 その一言に、さあっとヨクリの全身から血の気が引く。ミリアは以前、ある男の下で動いていると言っていた。まさか、裏で糸を引いているのは。


「ゲルミス、なのか」

「せいかーい! でも、直接関与してるわけじゃないみたい。あいつは都合がいいからのっかってるだけっぽい」


 ヴァスト・L・ゲルミス。六大貴族の筆頭で、国内で最強と呼び声高い具者。フィリル・エイルーンの実父。ヨクリを打ち負かした男。鮮烈な印象をヨクリのうちに刻んだヴァスト・ゲルミスの情報が、ヨクリのうちを駆け巡る。

 そんなヨクリに笑顔を崩さずに目を細くするミリア。


「教会とゲルミスの目的までは調べられなかったけど、まーヴィシスに圧力をかけるって線があやしーのかもね」


 エイネアはハト派の貴族としても高名であった。アーシスに偽の罪をでっちあげ、エイネアを無力化、あるいは傀儡にする算段か。とたんにヨクリは綿布を投げ捨て飛び退り、右手で腰に下げた刀の柄を握る。


「お前はヴィシス様も殺すのか。ランヴェル卿と同じように」

「ううん。言ったでしょ、趣味だって。殺る気ならもっとうまくやるよ」

「お前……」 


 ミリアの意図がわからずヨクリが言いよどむと、戸惑いを見越したようにくしゅ、とミリアがくしゃみを一つする。


「寒くなってきた」


 この時期に素裸は確かに冷える。ミリアが編みかごに手を伸ばそうとした時、あることに気付いたヨクリはそれを制止した。


「……ちょっと待て」

「なーに?」


 ヨクリは自身の荷袋から巻き布を取り出し、床に落ちた綿布も拾う。ヨクリの付けた首の傷が再び流血を始めていたのだ。無遠慮に近づいたヨクリは血を綿布に染み込ませたあと、慣れた手つきで首に包帯を巻く。されるがままだったミリアは、意味深な笑みをおさめ、今度は上機嫌に笑う。


「あらおにーさん、やさしーんだ」

「イリシエの服を俺が付けた傷で汚したくないだけだ。それと、ヨクリでいい。とってつけたように礼を払われるのも、お前に兄呼ばわりされるのも気持ちが悪い」


 手当を終えたヨクリの辛辣な応答に、なぜかミリアは愉快そうに、


「わかったよ、ヨ、ク、リ」


 驚くほど自然にヨクリの襟元を引き寄せ、体をさらに密着させながら囁く。ヨクリはほとんど突き飛ばすように距離を取って明確な拒絶をしたが、ミリアは笑ったまま軽やかに勢いを殺し、衣服を手に取ってようやく着込みはじめる。もぞもぞと上衣に顔を突っ込みながらミリアは話題を変えた。


「あの男、あれから結構泡食ってたよ。平気な顔してたけどいろんなところに連絡とっててさ」


 フィリルの話だとヨクリは予測した。ミリアと対面するのは二度目であり、明確に形容せずやりとりできる話題は先日の件以外にないからだ。

 ミリアは、赤毛のお姉さんが六大貴族だって知らなかったけど、と前置きしながら、


「うまくやったよね。どうやってステイレルを言いくるめたの? オトナの関係ってやつ?」


 一瞬にして心が波立つ。ヨクリの目の前は赤く塗りつぶされ、右腕がびくりと一度震える。


「そのたぐいの台詞をもう一度ほざいてみろ」


 うなり声にも似た忠告。水際で暴力を押しとどめていたヨクリの内心を察したのか、ミリアは次の言葉に謝罪を乗せる。


「ごめんごめん、怒んないでよ。あたしさ、ヨクリに期待してるんだ」


 意外な言葉尻に、ヨクリの激しい怒りは疑問でかき消された。


「お前が俺になにを期待するっていうんだ」

「あの男の、負ける姿」


 衣服を借り受け、すでにいっぱしの町人に見える風体になったミリアは服に詰まった長い髪を両手で払い、端的に答えた。水気の残った金糸が暖色を反射させつつふわりと揺れる。


「俺はゲルミスに勝ったわけじゃない。手も足も出なかった」

「いやいや、その筋じゃ結構話題になってたよ? あのゲルミスが一杯食わされたってさ」


 曲解された事実が不服だったヨクリは訂正するが、まあとにかく、とミリアはヨクリの二の句を封じ、


「六大貴族に関わっちゃったら、これからさきヨクリも”そういうこと”に付き合わされるよ。否応なくね」


 再び意味深に睫毛を伏せたミリアの表情に、ヨクリは言葉を継げなかった。

 唐突に、扉の向こうから「お夕飯、できましたよー」とイリシエの声が聞こえてくる。ミリアはヨクリの隣をすり抜けながら「よっぽど、気をつけなよ」と残した。ヨクリは宣告を捨て置き、石鹸の残り香を追って居間へ向かう。


 イリシエのもとへ戻ると、入浴の気配に遮られていた料理の匂いがはっきりと感じられる。食卓には固麺麭(パン)、鮮やかな赤茶色をした煮込み(シチュー)、そして小振りながらも根菜が添えられた鶏の香草焼きが人数分並んでいる。すでに通路側の扉に一番近い椅子にはミリアが、その対面にはイリシエが腰掛けていた。

 ヨクリは目を丸くしてから、桶で手を洗ったあとミリアの隣、入り口からみて左側の椅子に座り、イリシエに訊ねる。


「なんか、豪華だね? ”濁り”もあるし」


 肉は都市によって価格が大きく異なる食材で、生産が確立されていない都市では高価である。当然外では手に入りにくく、集落においては祝い事の席くらいでしか振る舞われない。加えて、煮込み——”濁り”とよばれる透明度の低い汁物は使う食材が多く時間もかかるので、品書きに名を連ねるのは都市内でも服装規定がある店などに限られる。


「そ、そうですか?」


 露骨に慌てながらイリシエが返答する。ヨクリは口元をほころばせ、深く追求はしなかった。


「どうぞ、召し上がってください」


 イリシエに進められ、料理に食器を伸ばす。煮込みも香草焼きもよく味がついていて非常に美味であった。仕込みをはじめてから半刻ほどだろうから、驚くべき手腕だ。


「お前、がっつきすぎだろ」


 ヨクリが半目でたしなめたのはミリアである。食事の規範もへったくれもなく、麺麭を左手、食器を右手にむんずと掴んで息つく暇もなくかっこんでいる。


「あっえ、おいいうえ、あんあ、いえおおういおいあうい」

「飲み込んでから喋れよ」


 なにを言っているのかさっぱりわからない。ヨクリは放っておくことに決め、自身の食事を進めた。


「ヨクリさん、おいしいですか?」

「うん。俺にはもったいないくらいだよ」


 キリヤの屋敷で食べたものも文句なしに絶品であったが、イリシエの作る料理は体が芯から温まるような優しさを感じる。


「よかった」


 イリシエは満面の笑みで喜んだ。ヨクリは首を傾げながら、


「イリシエの料理、まずいなんていったことないけれど」

「それもそうですけど、ヨクリさん、ミリアさんと仲直りしてくれたみたいだから」


 ヨクリは眉をひそめつつ、「ちがう」と否定するが、ごくりと口の中のものを飲み込んだミリアがおどけて「ちょーなかよしだよ。隣に座ってくれてるしね、ヨクリ」と肯定するものだから、イリシエの笑みはますます深くなる。


(隣に座ったのはこいつが変な行動をとらないか監視するためだし、仲直りっていうか、そもそも罪人に優しくしてなんの得があるんだ)


 つらつらと纏まらない弁解を頭の中で巡らせていたが、ヨクリは全て香ばしい香りとともに喉へ流し込む。食事が終われば尋問を再開するわけだから、今険悪にさせてイリシエを悲しませることはすべきじゃないと判断した上での黙秘である。

 しかし、そのイリシエは家内で刃傷沙汰があったにもかかわらず今はにこにことしている。出会った当初も感じていたが、兄同様に、ヨクリには友人の妹もどこか浮世離れした価値観を持っているような気がしてならない。


 ちらりと窓の外を見ると、空はもう夜の帳が降りている。ヨクリは対面のイリシエに重要な事柄を素早く訊いた。


「アーシス、いつ帰ってくるの?」

「うーん、家を出たのが一週前くらいで、そろそろ帰ってくると思うんですけど」

「どこへ、なんの用だか聞いていたりするかい?」

「人がたくさん必要だとかで、エイネア様と一緒に都市へ発たれましたよ」


 危機感の希薄な返答。ヨクリは手を止めずに食べ物を嚥下しながら、悟られないように思考をはじめる。


(人集めか。教会への対策だとすると、業者か、エイネア様の知人か。そもそもエイネア様は事の始まり全てを存じているのだろうか)


 ミリアの話を言うままに信じたわけではないが、納得できる部分もある。しかしアーシスの帰宅を待たないとどうしようもないなと、やはり後回しにしようとしたその時、外から靴音が近づいてきたのをヨクリは敏感に察知した。すぐに扉が幾度か叩かれ、イリシエが応答してぎい、と開かれる。


「帰ったぞー」

「お帰りなさい、お兄ちゃん」


 僅かに砂埃を頬に付けた長身の男が姿を現す。依頼を通じて知り合ったヨクリの友人、アーシス・イリスである。男の形姿(なりかたち)や挙置に損傷の気配は感じられず、ヨクリはひとまずほっとする。アーシスは入り口で茶の外套を叩いたのち、くんくんと鼻をならして、


「なんかすげえうまそうな匂いすんな。誰か来てんのか……って」


 ヨクリと、それに金髪の少女ミリアの姿を目にした瞬間、アーシスの端正な顔がぐるぐるとめまぐるしく変化する。


(一瞬怒ったな)


 ミリアの所業と、ヨクリが付いていながらなぜやすやすと進入を許したのか、という怒り。そして理由もなくヨクリがそうしているわけはないだろうと想像をし、矛をおさめた。そんなところだろうとヨクリは推察した。


「オレもうなにがなんだかわかんねえんだけど」

「久し振り、アーシス。そうだろうとは思うけれど、とりあえず入りなよ。お互い積もる話があるしね」


 家主にたいしての台詞ではないなと頭の片隅で考えながらも、アーシスへ促す。茶髪の男は外套を脱いで妹に預け、空白の椅子——戸惑いの元凶であるミリアの対面にどかっと座った。

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