二話 蚕食する祈り
前方だけではなく左右を遮る木々が消え、森を完全に抜けると、占星術師が用いるような心が落ち着く不思議な香りとともに、霞んでいた遠くの建物がはっきりと見えてくる。目立つのは一番近くにある弓状の建造物——門と、いくつもあるやぐらだ。民家などはぎゅうぎゅうに詰められた円形都市とは違い、一軒一軒にかなり間隔がある。
この周囲で採れる芯の詰まった樹木で造られた拱門は、集落の入り口である。円形都市で専門に彫り、加工をする石工や彫師とは技術的には比べるべくもないが、それでも暖かみのある彫刻が施されていて、おおらかな住人の性質を表しているようだった。
ヨクリは図術を全て解除し抜き身の刀を鞘に納め、革帯に装着してから歩み寄る。
拱門の両端にはいかにも見張り然とした格好の少年が二人、目をとがらせて周囲を警戒している。年のころは十五、六だろうか。ヨクリからすれば装備も粗末で、腰に下げた剣は今よりも世代の古い、基礎校で使う修練用の引具だとわかる。だが、それがここでは当たり前だった。人手や物資が慢性的に足りぬのだ。きちんと”獣”に対処できる成人の具者は沼で魚介を獲る漁師や、食料品やエーテルなどの備蓄品を補充しに円形都市へ赴く倉庫番の護衛で忙しい。
集落では働ける人間は両手の指で余る年頃の子どもでも率先して仕事を見つけ、周りを助けていた。身重な妊婦も体の負担にならぬように横になりながらも編み物をしているし、老人は力仕事の代わりにこどもに読み書きを教えたり、集落で必要な知識を授けたりしている。
集落の名に由来する、レミン森林の東部。人工的に木々が伐採され拓けたこの場所が、レミン集落だ。食用になる菜や果実が豊富で、大陸のほぼ中央に位置するため気候も他の地域より温暖である。人口は二百人を割る程度で、集落の北部に高い建物——アーシスの父親代わりであるエイネア・ヴィシスの屋敷がある。水源は井戸と近くの沼で、浄水設備は存在しない。小さいながらも農耕場があり、卵や乳を採取したり、菜や麦を育てたりして食料事情を豊かにする工夫が見られる。
これは全ての集落に言える事情だが、集落ができる上で欠かせない条件がいくつかある。水源と、円形都市や拠点への交通手段。そして安定に重要なのは、”特産品”である。具体的に言うと、集落とはいえ護衛用の引具や具者は必須で、つまりエーテルを消費する。ゆえに都市でしか入手できないエーテルや、どうしても集落で賄いきれない食料などを買うための路銀は必要になる。
レミン集落では、”特産品”として、糖度の高い果実や育成の難しい香草を採取して売ることで、その金を捻出している。国内は魔獣の発生によって肉食動物のほか、果物や食用になる植物を食べる草食動物も激減しており、人の手の入らない天然の畑や果樹園が存在するのだ。
レミン集落の”果樹園”のように、ほかにも鉄や銀などの鉱物が採れる鉱山や、上質な川魚が採れる川沿いを中心に発展している集落がある。逆説的に、それらは様々な理由で円形都市での生産が難しく、全て高値で取引されている。
ヨクリが拱門のすぐ側までくると、二人の見張りは各々の引具の柄に手を当て、誰何をした。
「何者だ」
声変わりをしてそう時期が経っていない、あまりこなれていない少年の声音。だが印象は固く、ヨクリはその一言でなにかよくないことがここで起こっていると確信した。普段はこんなにぴりぴりとした態度を人に向けたりはしないからである。ヨクリは少し考え、相手は自身よりもかなり年下だが一応礼を払うことにした。
「アーシス・イリスの知人です。彼をたずねに足を運んだのですが」
「アーシスさんは外出中だ」
右手の、目元が涼しい賢そうな少年が答える。
「中で待っても?」
「だめだ。身元を証明できる人は他にいないか」
アーシスが不在となると、おそらくはエイネアも期待が薄そうだった。ヨクリはあとひとり、自分をよく知る人物の名を伝える。
「なら、イリシエに口添えして頂ければ」
その名前を口にした瞬間、左手の、頬に細かい生傷がついた気の強そうなほうがあからさまにむっとした顔をした。あからさまな警戒にヨクリは考える。
(そういや、たぶん彼らと歳が近いか)
集落の住人はみなが顔見知りで、同年代ならかなり近しい関係になる。ヨクリの外見は少年たちとあまりかわらないように見えるから、ひょっとすると邪推されているのかもしれなかった。
イリシエ、というのはアーシスの妹の名前である。アーシスと知り合って間もなくレミン集落に赴き、それからイリシエには世話になっていた。基本的に集落では、アーシスの家で宿泊するからだ。
左手の少年は右手の少年を押しのけ、ヨクリに詰め寄った。右手の少年ははあ、と困り顔で小さく肩を落とす。相方の行動にどことなく慣れていそうな雰囲気があった。
「……武器を預かる。ついて来い」
「えっと、イリシエは」「黙ってついて来いっ!!」
被せ気味に怒鳴る左手の少年。言葉を切られたヨクリだが、素直に従う。
(さっさと事情を訊きたいところだけれど)
そうもいかないらしい。ヨクリは革帯から鞘ごと刀を外して少年に手渡した。すると想像よりも重量があったのか、がくん、と少年の体が引っ張られ、赤っぽい茶髪が弾む。
(落とさないでくれよ)
少年たちの引具は基礎校でヨクリが使っていたものよりも古い。比べて、ヨクリの刀は修練を積んだ者が使う専門の引具だ。鞘も鉄製であるから、倍は重いだろう。
なんとか持ちこたえて先導をはじめた少年のあとを静かに歩く。時折すれ違う集落の人々には怪訝そうな目で観察されるが、ヨクリは黙殺し態度に表れぬように努める。
ヨクリに向けられる視線には二種類あり、一つはさっきのようなただ訝る意識。もう一つは突き刺すような警戒の瞳。穏やかな雰囲気の中にある、わずかに張りつめた空気をヨクリは敏感に察知した。
(なにかを知らされている人間とそうでない人間、二通りってことか)
ヨクリは頭のすみで思案しつつ歩みを続ける。
建物の影から見え隠れする、森と集落の境界を描くように置かれた篝は、夜に火をともして視界を明瞭にしつつ、魔獣の嫌う香を焚くことで住居への襲撃を防ぐ役割を果たす。この集落独特の匂いはこの香であり、円形都市の象徴とも言える管理塔などの図術防衛設備の代役だ。しかしながらこの付近に出現する魔獣の性質は深く調べ上げられているらしく、香の精度はかなり高かった。幾度かヨクリもレミン集落に滞在しているが、夜に奇襲をうけたことはない。
舗装のされていない道を行き、見るからに住人たちが知恵を絞って造り上げたものだとわかる、僅かにいびつな住居の横を通り抜け、ようやく招かれたのはとても古びた小屋だった。一応、他の建物とは別で木材ではなく石材で建造されている。
錆び付いた扉に四苦八苦し、ようやく開けた少年はあごでヨクリを促す。ヨクリは粛々と従った。入れられたのは鉄格子——牢である。
「……イリシエを呼んでくる。嘘だったらただじゃおかないからなっ」
ヨクリを一睨みしたあと、少年は扉の向こうへ消えていった。がりがり、という錆の擦れた音と、とどめの扉を蹴飛ばす大きな音が響いて、室内はかなり暗くなる。もうじき日暮れというのもあって結構冷え込んでいた。ヨクリは新品の首巻きを少し持ち上げて、ため息を吐く。
「最近牢屋に縁があるなあ」
などとひとりごちたあと、なんでほかの荷物は預かられないんだろうと、ちょっと抜けた小さな守衛に首を傾げながら中身をあらためる。落として紛失したり、破損したりはしていなかった。無事を確かめたあと、ヨクリは再度頭を回す。
(このぶんだと、女子供には伝えていないな)
エイネアとアーシス両方が動くような集落の非常事態。あの少年たちについてはきわどいところだが、おそらく端的に注意を喚起しただけにとどまっているはずだ。詳細を知らされていたならヨクリに対する風当たりはもっと強くてもいい。
いかんせん情報が少なすぎるため、これ以上の推察はできない。事情通に会いたいが、残念ながら牢の中ではそれもできない。ヨクリのすることはなくなってしまう。
手持ち無沙汰なので辺りを調べてみる。雨漏りでできた染みが点々と落ちていたり、腐った牧草が隅っこに詰まれていたりと惨憺たるありさまだった。住むならキリヤのところの牢屋だなとくだらないことを考える。
「きたない部屋だ」
全く重要ではないが、ヨクリは確認するように言った。
まあ、つまるところ滅多にというか、一度も使われずにいたのだろう。だから掃除も行き届いていないし、錆もとられていない。
再び鉄扉が開かれたのは空が夕焼けに染まりはじめた頃で、ヨクリが暇つぶしに腐心してからそこそこ時間が経っていた。顔を覗かせたのは、ばつが悪そうにしたさきほどの少年と、眉尻を下げて、息を切らす少女。座っていたヨクリの顔を覗くように腰を折って格子を両手で掴む。
「あああ、ほんとにヨクリさんだ!」
ぴょこっと横に跳ねたくせ毛。襟足は肩よりも少しだけ長く、二つに結わいて前に垂らしている。アーシスと同じはしばみ色の瞳。化粧っけのない素朴な顔だが、アーシスと雰囲気のよく似た愛嬌のある整った顔立ちだ。首もとまである縦編みの胴衣に、膝下まである厚手の前掛けを着用している。
「やあ、久し振り、イリシエ」
ヨクリは手を掲げて挨拶する。少年はまた眉を寄せて面白くなさそうな顔をするが、ヨクリと目が合ったイリシエはぱっと姿勢を正して、ささっと髪と服を整えたかと思うと、くるりと少年のほうを向いて、
「もう、ラッセ! どうして牢屋なんかに入れたりしたの!」
イリシエの剣幕に、とたんに慌てた表情になった少年。
「あ、怪しい奴に注意しろってアーシスさんが言ってたんだよ!」
「エイネア様と、お兄ちゃんと、わたしの名前を知ってたんなら、村の人に関係あるに決まってるじゃない!」
反論を思いつかないのか、ラッセと呼ばれた少年はむっつりと黙り込む。ヨクリは、念入りに下調べしたなら住人の名前を知るのにさほど苦労はしないし、少年の行動も正しいのではないかと、擁護する意見が頭をよぎる。
「今朝も薪割りにこなかったし、いつもは仕事なんて真剣にやらないのに!」「見張りを頼まれてたんだよ!」「朝はヤニさんが門の担当! どうせ寝坊したんでしょ!」
どんどんラッセの立場が悪くなる。言い争いの論点はすでにすり替わっているのだが、ラッセは気付かない。
(俺より弁がたちそうだな)
ヨクリはイリシエの舌鋒に感心していた。アーシスは都市へ出稼ぎに出ている場合が多いので、必然的にイリシエが家を守っていることになる。炊事洗濯掃除も完璧にこなすしっかり者なのだ。言い回しから、集落の仕事の割り振りや予定も把握しているらしい。
(まあ、それはともかくとして)
ヨクリはこほんと小さく咳をしてから、
「……とりあえず、ここから出してくれない?」
口論がぴたりと止む。やおらイリシエはヨクリへ勢いよく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!」
隣のラッセを促して鍵を開けさせる。ヨクリは立ち上がって、牢から出たあとラッセに訊ねた。
「剣を返してくれないかな?」
「……」
そっぽを向いてふてくされるラッセ。追求しようとするヨクリよりもはやく、イリシエが眉をきつくする。
「ラッセ!」
「……おれんちだよ」
ヨクリは少し考えて、
「シリンダーを替えたり、軽く刃も手入れしたりしなくちゃならないから、君に預けておくわけにはいかないんだ。取りに行ってもいいかい?」
引具は刻まれた紋様に微量なエーテルを流し込むことで、その利刃を保つ。これは”術金属”の性質だが、登録者のヨクリ以外が振るえば剣筋や斬る物体によっては刀身を痛めてしまう。なるべくなら自分で携帯しておきたいし、悪い言い方をすれば素人に保管を任せられるものではなかった。ヨクリの命綱なのだ。
「……」
返答しないラッセに、ヨクリはぴしゃりと言い放つ。
「どのみち君のものにはならない。施紋装置で登録したのは俺の波動情報だからね」
ヨクリは少年の心のうちをおおよそ見切っていた。
ヨクリが気に入らないのだろう。あまりそういうことに聡いほうではないヨクリにも、ラッセがイリシエに好意を抱いているのは明らかだった。少女を呼ぶ際になにがあったのかは与り知らぬところだが、イリシエがヨクリに懐いているのはさきほどのやりとりでも十分わかる。ただでさえ不愉快な相手が自分よりも性能の良さそうな引具を持っているとなれば、その心境は想像にかたくない。
加えて、外見の面もそういう気持ちを加速させる。ラッセはヨクリよりも身長が高かったし、ヨクリの容姿はあまり成人しているようには見えない。簡単に言ってしまえば、ヨクリは舐められているのだ。
(最初に礼を払ったのは失敗だったかな)
イリシエを盾にとって態度を変えたともとられかねない。少年の行動は拙いながらも正しいゆえ、思った以上に厄介な相手だったなとヨクリは少し後悔した。返却を拒否されたらヨクリにはどうすることもできないからだ。
だが、そんなヨクリの想像を裏切るように、
「……わかった」
ぶすっとしつつも素直に了承した少年に、ヨクリはほっとする。
「それじゃあ、案内を頼むよ」
三人で小屋を出て、再びラッセの後ろを付いて行く。ヨクリはなんとなく気を遣って、二人が並ぶように速度を緩めて歩いた。
中央の、住人の生活用水を賄う井戸がある広場を抜け、集落の西側、果樹園の近辺。そこにある一軒がラッセの家だった。丈夫な木材で組まれた簡素な家は依頼管理所の三分の一もない面積だが、集落の住居はどこも似たようなものである。やっぱり不機嫌そうなラッセだが、大人しくヨクリの刀を持って来て、手渡した。
「ありがとう」
礼にも返答しないが、ヨクリは引具さえ戻ればわりとどうでもよいので、気にせずイリシエに顔を向ける。
「アーシスが帰ってくるまで、待っていてもいいかい?」
ふくれた頬でラッセにもの申そうとしていたイリシエは、弾かれたようにヨクリに返す。
「あ、はい! えっと、今からですか!」
「う、うん」
思いのほか大きな声だったのでヨクリはちょっとびっくりして返事をする。
「わかりました、行きましょう!」
張り切ったように両手を胸の前で握りしめて、イリシエはここからでも見える、エイネアの屋敷のほうへ体を向ける。ヨクリは未だ鋭い眼光のラッセに軽く手をあげたあと、今度はイリシエのあとを追った。
■
「……もう、ラッセったら。いつもはあんな感じじゃないのに」
集落の北、エイネアの屋敷へ向かう道中。イリシエは悲しそうにぽつりと呟いた。
「まあ、俺は気にしていないから」
「そんなにヨクリさんの剣が欲しかったのかなぁ……」
うーん、とヨクリは声に出さずに困惑するが、
「俺も昔、教官の引具に憧れたことがあるし、気持ちはわかるよ。男の子なら皆そんなものじゃないかな」
このぶんだと、イリシエに少年の好意は伝わっていない。門番も真面目にやっていたし、ヨクリは気分を害していないのでラッセの弁解をした。
心の機微は苦手な分野でもあるので、関係を下手にかき回すのはやめようと、ヨクリはすかさず話題を変える。
「それよりごめんね、いきなり押し掛けちゃって。管理所で手紙を出しても、アーシスからの返事がなかったから、気になって」
「いえ! わたしも、ヨクリさんにあまり会えなかったし……」
謝るヨクリに、わたわたと手を振って答えるイリシエ。
「お一人で来られたんですよね? 大丈夫でした?」
「一応、これでご飯食べてるからね」
ヨクリは言いながら右手を後ろに回して刀の柄を持ち上げる。
「そうですよね、ヨクリさんとっても強いですし!」
くるくると表情を変えるイリシエに、結構違うな、とヨクリは無意識に無口でちいさな友人と比べていた。ヨクリの記憶するかぎり二人は年齢が同じのはずだったが、気性はかなり異なっている。
「お土産、なににするか迷ったんだけれど、日持ちする焼き菓子と、砂糖を買ってきたよ。食べてね」
「お砂糖があるんですか!?」
「うん、砂糖もよかったら使って」
嗜好品は円形都市でも他のものより高価で、集落だと滅多に手に入らない。料理が得意なイリシエならきっと有効に使ってくれるだろうなと見越しての買い物であった。
「わー、なにつくろうかなぁ……。お兄ちゃん、なにが好きかなぁ」
「アーシスなら、なんでも食べそうだけれど」
破顔するイリシエに、緩く笑いながらヨクリは返す。
そうやって会話を弾ませつつ、エイネアの屋敷に到着する。いかに貴族に仕える平民といえど、都市外の集落で住み込みで働く人間はとても少ない。だから、このよく手入れされた庭園はイリシエと、近くの住民の計らいであった。色が一生懸命考えられていて美しく、キリヤの屋敷とはまた違う柔らかさのようなものがあった。
屋敷は三階立てで、丈夫な石造りである。苔や蔦が生えていないのは庭と同じく定期的に気配りがされている証拠だ。素人目には狂いのない左右対称に建てられており、時代が時代なら立派な統治貴族の住まいにも見えることだろう。
アーシスの家は屋敷の敷地内にある、丸太組みの住居だ。半ば離れのような様相だが井戸が専用に敷設してあり、優遇されているのがわかる。面積も円形都市にある二人暮らしの家より広くとられていた。
庭には薪割り用の手斧が突き刺さった切り株があり、その奥、屋敷とアーシスの家をわけている垣根と切り株の間に薪小屋が建ててある。量から察するに、屋敷で消費するぶんも保存してあるようだ。
「そういえば、もう一人お客さんがいらしているんです」
「お客? ヴィシス様の知己のかたかい?」
「いえ、お兄ちゃんのお友達だそうです」
アーシスの友人となると、依頼で知り合った業者か、もしくは派閥”暁鷹”の構成員か。どちらにせよ、シャニール人であるヨクリは歓迎されない可能性がある。そしてもう一つ、そのなにがしかが無関係ならいいが、集落に起きているなにかが気にかかる。
「平気ですか?」
「俺はいいけれどあちらのかたが気にするかもしれない。そのときは適当に馬小屋とかで寝るよ」
「明るくて面白い人ですよ。女の子で、わたしよりも年下みたいでした。あんな人も戦うんだなぁって、ちょっと意外です」
「へぇ、女の子……って、年下? その人も、一人でここまで来たのかい?」
ヨクリは訊きつつ、内心で更に懐疑の目を向ける。口ぶりから、イリシエは初対面のようだからだ。
「背がわたしより低かったので、そうなのかなって。そうですね、お一人でした」
女性で、イリシエよりも背が低い。仮にイリシエと同い年だとしても、まだ基礎校生のはずだ。そんな人間が果たして単独で都市外へ赴くだろうか。ヨクリは不信感を膨らませていた。
(アーシスと同じ、基礎校を出てない業者かな……)
ともかく会って話をしたほうがはやそうだった。アーシスの家の前までやってくると、イリシエが扉を開けて「どうぞ」と促す。ヨクリは礼を述べつつ中へ入った。
すぐに感じられるのは、木と、人の暮らす胸が揺さぶられる匂い。かすかな麦の香りは、昼餉の残滓だろう。
生活感のある室内。向かって右に勝手場があり、使い古された食器や調理器具、かまどが並んでいる。部屋の奥には階段と扉があって、上階は二人の部屋と客室があり、しっかりした内装になっている。扉の向こうは厠と浴室が備わっており、機能も十分だった。
部屋の中央、食卓には空席の椅子三つと、入り口に近い左側のあと一つにだらけた格好で座る人影があった。
「やっほー。おかえりー」
「行儀が悪いですよ! ミリアさん!」
ミリアと呼ばれた人物は椅子の背もたれにぐでっと体を預け、机に足を乗せていた。ヨクリは声音と風貌に驚愕し、虚を突かれる。
「お? ……ひさしぶりだねぇ」
ヨクリを見留めたそいつは、不敵に言った。
ヨクリが不意を打たれたのは一瞬だった。襤褸の外套を羽織る少女に向かって突進し、距離を詰めて刀を抜き打つ。踏み込みに床板が悲鳴を上げる軋んだ音が部屋中にこだまし、眼前の人間の髪がぶわりと揺れる。感心するような、かすれた口笛が一つ漏れる。
「……また強くなったんじゃない? おにーさん」
首もとにひたりと据えられた刃は直前で止められていた。訊きたいことがあったから、というのもあるが、そいつは避けるでもなく、指先さえも動かさなかったからだ。
遅れて後ろから、人が変わったようなヨクリの振る舞いを見たイリシエの、ひぅ、という息を飲む音が聞こえてくる。
「怖い顔しないでよ」
人を食ったように笑う。
金髪金目にやせぎすのからだ、こどもっぽい声音。アーシスとの依頼で剣を交えた、年齢にそぐわない凄腕の具者。なんの躊躇もなく炎をまき散らし、スラムに火災を発生させた張本人。ミリアは紛れもない、ヨクリが戦い取り逃がした貴族殺しの指名手配犯だった。
ぎらつく白銀を意に介さず、イリシエのほうを流し見て、
「あたしがなにかしようと思えば、すぐにできた。違わない?」
「なにが目的だ」
ミリアはその体勢のまま、器用に顔を後ろにそらして考えるように唸ったあと、
「目的かぁ……うーん、趣味、かな?」
「ふざけるな」
「ほんとだって。今日はどかーんもなし」
わけのわからないことを言うミリアだが、火災の原因である、あの爆発するものを持っていないという意味だろう。
「もう一度だけ訊く。なにが目的だ」
冷たい声でヨクリは再度追求する。ミリアは首を戻して、はっきりとヨクリに目を合わせる。その表情は、ヨクリが見たにやけ顔ではなく、ほんの僅かに真剣な色を秘めていた。
「アーシス、であってるよね。あの茶髪のおにーさん、教会から狙われてるよ」
囁くような言葉に、ヨクリはとてつもない衝撃を受ける。目を力一杯見開いて、意図せず震えた両腕は、あまり少女らしくない骨張った顎先を反射する刀の切っ先を浅く下げた。




