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途上のシャムロック  作者: 納戸
箱庭の黄昏
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   2

 車輪の擦過音が響き渡る。

 二刻ほど長距離列車で移動し、リンド北東の拠点にヨクリは降り立った。長時間の乗車に体が固くなったので、すこし伸びをして節々をばきぼきと鳴らす。


 レミン集落に向かうと決めてから少しばかり買い足したのでそこそこの手荷物があった。都市外用の装備と土産である。行商があまり流通させたがらないもので、喜ばれそうなものをヨクリなりに見繕ってきた。支度は万全である。


 荷を下ろす作業員以外、下車する人間は居ない。寂れた、というよりはただ無機質な歩廊だ。屋根がおざなりにつけられ、常駐する駅員も見当たらない。吹き抜けのこの場所にも都市外特有のざらついた風が流れている。轟音に振り返ると、しばし停車していた長距離列車は走り出し、加速を終えて地平線の彼方へ消えていった。


 遮るものがなくなり、天と地の狭間に浮かぶ雲、さざめく草原と果てなく続く荒野が眼界を埋め尽くす。生き物の気配が薄い、”獣”の縄張り。砂埃と僅かな緑のにおいは、ヨクリを自然と身構えさせる。

 ヨクリは小さく嘆息して今は必要ない緊張を払い、再び向き直った。


 歩廊から線路の逆側を見渡すと、全貌がよく把握できる。周囲には森と呼べるほどの群生した樹林はなく、見晴らしがよい。ここはスローシュ大陸地図上でもレンワイスとフェリアルミスのほぼ中間の距離に位置するため、他の拠点よりも警備が厳戒であるとうかがえる。

 食料品などを備蓄する倉庫、軍の宿舎、いくつかの馬舎が、管理塔の役割を肩代わりする”離棟”を囲うように建てられていた。セラム平野のレリの森にある拠点よりも建造物が大規模で、面積も広い。


 拠点内に踏み入ると閑散とした駅とは違い、すれ違う人々もかなり居た。ほとんどが軍の人間であるか、あるいは行商人、業者であり、旅慣れた風体や物々しい雰囲気が伝わってくる。

 ヨクリがまず足を運んだのは木材で建造された風通しの良い厩である。干し草とかすかな馬糞の臭いが鼻孔を通ったとき、空の馬小屋から熊手で藁をかき出している男を目視する。馬の面倒を見る人間は騎手も兼任していることがほとんどであるから、ヨクリは迷わずその者に声をかけた。


「馬は出ていますか」

「どこまでだい」


 無愛想に受け答える騎手の顔は疲れていた。ヨクリを一瞥するでもなく、忙しそうに、しかしゆっくりと作業を続けている。年のころは三十半ばといったところだろうか。


「レミン集落まで」

「向こうの行商がちょうどレミンの近くまで売りに行くから、そっちあたんな」


 気怠そうに腕を掲げた先の広場に、幌付き馬車三台を有する商人が集っていた。ヨクリは礼をいい、そちらへ向かう。馬車は並列して通路に止めてあり、幌の幕は開いていた。のぞき見える酒樽や木箱から、どうやら荷は食料が主であることがわかる。物資を乗せている途中らしく、馬車と作業員の更に後方から指示を飛ばしている人間は手慣れていた。その者が長だとすぐに判断し、ずんぐりとした馬車馬の隣を抜け、邪魔にならぬように距離をとって静観した。

 仕事の切れ目を見計らって、ヨクリは長と思しき者に話しかける。


「この商隊はレミンまで?」


 護身用の引具を腰に下げているが、身にまとう衣服は外套(ギャバジン)と革の胸当て。専門店で販売されている業者用の防具は見受けられない。ヨクリはその外見から戦闘員をほかで調達するのだろうという確信を深めた。

 ヨクリの顔をみた長は瓢箪の先端にはめられた栓を抜き、口をつけて呷ったあと答える。


「近くまでは通るが、レミンには寄らんぞ」


 付近まで馬車が使えれば儲け物と考えたヨクリは管理所で発行しておいた達成履歴書を見せつつ、即座に提案する。


「途中までで構いませんので乗せて頂けませんか。乗車賃くらいの働きはします」


 長と目を合わせたまま周囲に注意を払うと、幾人かのまともな武装をした人間が無聊を託っている。この商隊が護衛として金で雇った業者であることは明らかだった。商隊の規模も大きなものではないので、護衛の人間が上卒であるとは考えにくい。

 都市外を行き来する商隊には護衛がいくらついてもつきすぎるということはないので、提案が無碍にされる可能性は低いとヨクリは踏んでいた。こちらはただなのだ。


「もうすぐ出立だ。乗んな」


 一言の了承を経て、長は再び作業に戻る。ヨクリはちいさくほうと息をついたあと、顎でしゃくられた先の幌に歩み寄り、幕を払う。


 乗り込むと、幌の奥には一人の人間が居た。積まれた木箱に腰掛け、優雅な曲線を描く足をくんでいる。かたわらには恐ろしく長い、物干竿のような直方体があった。ヨクリにはそれが引具だとすぐにわかる。おそらくヨクリの持つものと同形状の——刀であるとも見抜く。


 その人物はヨクリを一瞥し、髪の色を見たのか、冷徹ささえ感じさせるきついつり目に好奇の色をたたえた。そいつは妙な女だった。背は高く、後ろに束ねられた闇のように深い黒髪によく映える肌の白さ。シャニール人だ。偶然にもヨクリと同じく黒を基調とした身なりで、膝まである丈の外套、その上からおそらく利き腕とは逆に装着された肩当て、独特のつくりをした篭手と首輪が特筆する服装である。恐ろしく整った顔にある、左目を狙った一撃を紙一重で避けたような浅い傷がヨクリの視線を引いた。


「ほう?」


 弦楽器をはじいたような、甘く痺れる声音だった。ヨクリがどう対応したものかと逡巡していると、


「かようなところで同胞に会うとはの」


 愉快そうに女は言った。


「この国で言う業者とやらか」


 ようやく、はっきりと目線が合う。双眸を覗き込んだその瞬間、ヨクリの背筋をぞわりと総毛立たせたものがあった。


「はい」


 礼を払ったのは意図したものではなかった。そうすべきだと咄嗟に口が動いたのだ。

 研ぎ澄まされた刀剣のような鋭気と、寒々しい覇気。

 同種の感覚を受けた覚えがある。

 ヴァスト・L・ゲルミス。あの、ヨクリが今まで立ち会った人間のなかでも群を抜いて強かった男が放つ威圧感と酷似していた。


「あなたは?」


 ヨクリが問い返す。かなりの手練であると直感していたが、女の口ぶりは自分は業者ではないと説明しているふしがあったからだ。


「我はそうさの——流れの傭兵とでも」


 曖昧な表現であったが、おそらくは管理所には登録していない具者、という認識をヨクリに持たせた。


「シビという。名は?」

「ヨクリです」


 簡潔に名を明かす。シャニール人同士には姓も家も言葉にする必要がない。のちに、ヨクリは手近な錠のついていない木箱に腰掛けた。


 シビと名乗った女の通り、シャニール人がこういう場で複数居ることは珍しい。商隊側の問題かと訝ったが、すぐに思い当たる。件の業者を集っている依頼のせいでこの辺りの業者は足りていないのだろう。選り好みができないのだ。

 間よく、外から声が聞こえてくる。


「馬を出すぞ!」


 忙しない足音と発声がしばし飛び交ったあと蹄鉄の音が下から伝わり、がたりと幌が揺れて車輪が回りだす。移動を開始したようだ。


 地の礫に小さく揺れる幌の中、ヨクリは思案していた。


 基礎校に入学してからヨクリが真っ先に行ったのは、自身の根幹であるシャニールについて調べるために足繁く書庫に通うことだった。そうして覚えたてのランウェイル語で辞書をかたわらにあらかたの書物を読みあさり、国柄、文化などの知識は手に入れていた。だが、ヨクリのシャニール剣術の上達が独学だけでははかばかしくなかったのと同様に、書だけでシャニールという国を深く知るには限界があった。

 外見は年齢の読めない美しい女だ。しかし、古風なランウェイル語を話すのもそうであるが、なによりその身にまとう気迫が、ヨクリにシビがかなり年上だと悟らせる。同年代が滲ませる力ではない。


 年輩のシャニール人とこういう空間で二人きりというのは経験がなかった。——昔の、ヨクリが生まれた頃のシャニールの話を訊くいい機会だと考えていたのだ。


 出立してからしばし経ったのち、ヨクリは口を開いた。


「……昔の、シャニールはどんなところでした」


 女はゆるりと顔をヨクリのほうへ向け、


「年は」小さく返され、口を開きかけて思い直す。自身が歳を取っていることに気付いて、「二十二です」


 短く返答すると、しばし目を閉じ、やがて声をあげるシビ。


「……見たのか」


 その言葉の意味がヨクリにはわからなかった。ヨクリに対する疑問のようにも聞こえたし、独白にも聞こえた。


「なにを……」

「よい」


 ヨクリの戸惑いを遮り、シビは少しだけ遠くを馳せるようなまなざしで語りだす。


「……武に優れ義に厚く、ひたに勤勉な民が暮らしていた」


 皮切りに、不思議と幌の中はしんと静まり返った。速くも遅くもない、按排のよい速度の慣れた語り口である。


「緑豊かな山々に囲まれ、流水は五分月(なつ)を過ぎてなお刺すように冷たい。平野の街は常に活気づいておった。特産品の染織や彫り物(カメオ)は美しく、近海で獲れる魚や菜の料理も美味でな。季節事に行われる祭事には異人もよく訪れておったよ」


 シャニールは戦争の火種となったエーテル資源だけでなく、女の言う工芸品も特筆に値する貿易材料として有名であったのはヨクリも書で知っていた。他にもヨクリの用いる刀などの武具も輸出していた過去があり、手先が器用な人種だった。節目には祭が盛んに開かれている、というのも知識にはある。だが、こうして実際に体験した者の語りは、ヨクリの心を大きく揺さぶった。


「武芸においては——その剣太刀、嵐のごとく疾し、と謳われたほどだった。この国のような都市は造らぬが、獣の討滅は(つわもの)の下迅速に行われ、十分な安息に満ちておったよ」


 いくばくかの色眼鏡を感じるよりはやく、シビが笑う。


「信じておらぬな?」

「いえ」

「よい。……我の腕前を見れば偽りはないと証明できるのだがな」


 どこかおどけたように言うシビにヨクリは少しばかりの好感を抱いたが、その後の言葉に息を詰めた。


「ほんに良い国だった——あの日、朝が墜ちる(・・・・・)までは」


 身も凍る気配が幌を埋め尽くした。言の葉から深い怨嗟が溢れ出て、女の圧倒的な気力と混ざり合う。


 その豹変になにか行動を起こすよりも先に、ぐん、と外に引っ張られる感覚がヨクリを襲った。咄嗟に側面の骨組みに指をひっかけ、転倒しないように踏ん張る。

 幌内のものが大きく揺れ動く。騒々しい音は外からも聞こえてきて、怒号が飛び交う。


「”獣”だ!!」


 転瞬、ヨクリの思考は別人のように切り替わる。

 馬車の停止を確認しヨクリが幌から飛び出たのと、長が叫んだのはほとんど同時であった。


「仕事だ! 出てくれ!!」


 ヨクリの目を陽光が射すがこらえつつ着地し、左手で腰の鞘を引き寄せ、刀を抜き放った。

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