閑話 想いの形
間近で海を見たのは、”覚えている限りでは”一度きりだ。
あの都市は過去貿易が盛んであった。目立った工業地区も存在せず、とりわけ貴重な生活資源である海産物への影響を考えられていたのか、廃水は海へ流されない。
連れ出されたのは花の月も半ば。夏期のさなかだったと、記憶に残っていた。
真っ白な浜辺。陸から伸びた遮壁は都市の境界線を描くに至らず半ばで途切れていて、端に灯台がそびえ立っている。ゆらゆらと揺らめく海上、青に浮かぶ小さな点は漁船や貿易船。時折、汽笛が遠くでこだましていた。
途方もない水量、次々に浮かぶ疑問は、その光景全ての鮮やかさにかき消される。
群青に輝く水面は常に形を変え、さざめいていた。海面は、太陽から真っ直ぐにきらきらと陽光を反射する。海鳥の声と波の音。知識として海水は塩を多量に含んでいると頭の中にはあったが、あんなに塩辛いとは思わなかった。白砂は触れると咄嗟に手を引っ込めるくらいに熱くて、そんな様子を見る少女たちの笑顔がいまだ瞼の奥に焼き付いている。
風がひとつ吹くと、少女たちの長い髪をふわりと揺らす。じりじりと暑いこの場所だったが、その瞬間、周りの温度が少し下がったように感じる。
まだあのときは二人へ完全に警戒を解いていなかったから、誘われてから当日の四半刻前まで悩んでいた。
意図の見えない善意は怖かった。表層にはでてこなかったが、こころの底ではずっとおびえていた。だから少女の言葉は、よくわからなかったのだ。
『この景色を、君に見せておきたかったんだ』
黒髪の少女は、そう言って微笑んだ。なぜ、と問い返すと、少女は困ったように口元を緩め、赤毛の少女に目配せしていた。
悪意はどこにもなかった。それが逆に不安をかき立てる。
俯いて考えていると同郷の少女は慌てた様子で心配の声を投げてくる。体調が悪いのか、とか気分を害したのか、とか。
意を決して、こんなことをしてどうなるのか、なんの得があるのか、直截に訊ねる。
二人の少女は目を瞬かせたあと、柔らかく微笑む。答えたのは、黒髪の少女だった。
『きみともっと、話がしたいから。きみをきちんと知りたいんだ』
訪れたのは、衝撃だった。これまでに受けたことのないあたたかな感情。どんな言葉を発せばいいのか、どんな表情をすればいいのか、なにもわからない。
反射的に再び顔を伏せると、今度は、少女たちはなにも言わずにただ静かに見守っていた。
そう。このときは、わからなかったのだ。精神も成熟しておらず、あまりに無知で、経験が浅かった。人の真実や嘘の区別をつけず、ただ否定していた。
潮の匂いと波のざわめきのなか、戸惑いだけが胸を埋め尽くしていた。
■
レンワイス南。ステイレル家別宅の中庭に、暖かい風が吹き抜ける。春にはまだ早いが、今日は寒さもなりを潜め、とても過ごしやすい。
昼下がり。天候は当分崩れる兆しを見せないようだ。
石材が敷き詰められ、その周りを花壇が囲っている。花の名などヨクリは詳しくないが、どの時期でも景観を損なわぬように配慮されているらしく、冬の今でも色とりどりに賑わっている。
ヨクリらはその中央で、互いに武器を構えていた。
目の前のフィリルは肩で息をしながら、ヨクリを見据えている。手には木製の槍が携えられていた。ただ、両者とも表情に険はない。体が鈍らないように、ヨクリが模擬戦を持ちかけたのだ。幸いステイレル家には修練用の木剣があり、剣を交える空間も十分にあった。
二つ返事で了承した少女だったが、それゆえというか、ヨクリ自身の研鑽よりは指導稽古のような形になってしまったのは否めない。
ヨクリは左手を柄から離し、肩を回した。怪我の治りを確かめているのである。なんの違和感もない。医療技術に感心しつつ、
(さすがはゲルミスの直系。すごいな……)
再び、ヨクリは内心で少女に感嘆をおくった。以前より、動きの切れが増している。レリの森から槍を振っていないはずなのに、明らかに上達しているのだ。
うかうかしていられないな、とヨクリは自身を戒めつつ、少女に剣先をあわせた。そして、やはりヨクリはこう思うことを禁じ得なかった。
こんなところで埋もれていい資質ではない、と。
上月 種の二十六日。
今後の方針が決まるまでは滞在していいとキリヤから言われ、ヨクリは好意に甘えているが、それには大きな理由があった。
——フィリルのことである。
ヨクリには二つの懸念があった。
一つ目は、少女の今後について。ランウェイルでのフィリルの身分が現在どうなっているのか確かめる必要がある。実験体としてゲルミスの庇護下にあった少女の処遇の変化。加えて、少女の特異体質。基礎校生として学業に励むには、そのエーテルに親和してしまう性質は致命的と言ってよかった。
もう一つは、ヨクリ自身が少女に対してどうすべきなのか。どういう立場を取って、責任を果たせばいいのか。
二つを解消せずにフィリルのもとを離れるのは、ヨクリにとっては不義理で看過しがたかった。
「ヨクリさん?」
透き通ったフィリルの声に、はっと意識を引き戻す。思考にふけっているあいだも訓練は続いていたようで、少女の頬に髪が張り付いている。結構な量の汗をかいているらしい。
「なにか、いけないところがありましたか」
フィリルは先ほどまでの立ち会いで自身に落ち度があったと勘違いしているようだった。ヨクリは反射的に、
「いや、全然。むしろ前より上手になってて驚いたくらいだ」
首を横に振って否定すると、少女はヨクリと目線をはっきりと合わせながら口を開く。
「些細なことでもかまいません。ぜひ言ってください」
真摯なまなざしだった。ヨクリは虚を突かれ、幾度かまばたきをする。
少女の潜在能力への惜しみはヨクリのうちに確かに存在していた。だが、フィリルが研鑽を望まないならそうすべきだし、あんな目にあったあとだ。いくら休息をとっても取りすぎるということはない。
真意を確かめるために口を突いて出たのは単純な台詞だった。
「きみはまだ、強くなりたいのかい?」
「はい」
迷いなく少女は頷いた。
「……どうして?」
考えなしに訊いたヨクリだったが、頭で内容を理解してほんの少しだけばつが悪くなる。とてもこどもっぽい質問だったからだ。
そんなヨクリの問いに、
「……曖昧なのですが」
フィリルはそう前置きして、途切れ途切れに答える。
「昨日、わたしは言いました。まだいろいろなことがわからないと。……だから知るために、強くなりたい。強さがなければ、この国ではなにも得られない」
よく通る声音で告げたあと、
「……と、思いました」
少しだけ自信なさそうに、言葉を終える。
ヨクリは少女の考えを聞いて、痛感する。
(俺よりもよほど思慮深いじゃないか)
二の足を踏んでいたのは自身だった。ヨクリは、臆病さを思い知る。この幼い友人がそう決意しているのなら、自分のすべきことは一つだけだ。
「……よくわかったよ」
ヨクリは頷いて、
「でも、今日はこのくらいにしておこう。急に体を動かしてもあまり意味はないし、暖かいとはいっても汗をかいたら冷えちゃうしね」
木剣をおろし、少女に提案する。フィリルはまだ続けたそうにしていたが、ややあって静かに首を縦に振った。
「それじゃ、片付けておくから先に屋敷へ入って、湯浴みでもしてきなよ」
「お手伝いします」
「いいよ。木剣と木槍を蔵へしまいに行くだけだから、手間じゃないさ」
ほら、と少女の携える槍を預かるため、手を差し伸べる。やはりフィリルは一度逡巡してから、遠慮がちにヨクリに槍を渡した。
頭を下げたあと屋敷へ向かう少女を尻目に、ヨクリは別の道に逸れる。首を左右にゆっくり倒してぼきぼきならしながら歩くと、これまた大きな建物が見えてくる。事前に知っていなければこっちが屋敷かと思うくらい、ステイレル別宅の蔵もとてつもなく広かった。ただ、見るのは二度目なのでヨクリの表情に驚きはない。さっさと元にあったところへ木剣と木槍を戻そうと、蔵の中を進む。
煉瓦造りの建物は二階建てで、清掃は行き届いている。一階には部屋が十、二階はまだ上ったことがないからわからないが、外観から察するに同じくらいはあるだろう。
黴や劣化を防ぐために風通しよくつくられている内部は、日光も当たらず寒い。訓練のあとで火照った体を冷ますにはちょうど良かったが、あまり長居しても仕方がない。
一つの扉を開けて中に入り、携えていたものを適当に立てかける。室内を見回すと、修練用の木剣のほかにも、板金鎧や刃引きされていない真剣などが丁寧に保管されている。
ヨクリの眼前にある一領の革鎧は、キリヤの体格では着用できない大きさだった。縫い目も整っており、上質であると言えるが、しかしステイレル家の人間が使う装備にしては不釣り合いだった。
(なに隊だっけな……)
上級以上の貴族は、国から認可を受けて独自に武力を持つ家がある。学生の頃にキリヤから話を聞いたことがあったが、ヨクリは詳細を思い出せなかった。
ここにある武具はステイレル家の抱える兵が使うものなのだろう。しばらく眺めていたが、鎧はヨクリの興味外だった。良品を見分ける知識は少しばかり持っていたが、間接まわりの柔軟性や敏捷性を損なってしまうから、実際に身につける防具の類は最低限に留まっている。
魔獣退治を生業とするヨクリは、実は単純な真剣を目にする機会はあまりない。なぜなら業者が使う武器は引具だからだ。ここにあるものも本格的な実戦形式の訓練でしかおそらく使われないだろう。
ともあれ、目的は達したのでヨクリは蔵をあとにする。引き返して屋敷に到着し、貸し与えられた部屋でしばし考える。
(どうする)
ヨクリが自問しているのは、どちらを当たるか、という選択肢だった。ややあって、ヨクリは決める。闇雲に巻き込む気はない。事情が事情だけにうかつに全て話せないが、それでも一度通しておくのが義務だとヨクリは思った。
適当に身支度を整えて、使用人に外出する旨を言付ける。
フィリルには声をかけなかった。二度手間になってしまうかもしれなかったし、なにも確定情報がない今、いたずらに連れ回しても益はないと踏んだからだ。
屋敷の正門を抜け、最寄りの駅へ向かおうと足を踏み出した時。
「どこへ行く」
ヨクリの背後から、声がかかる。振り返ると、正門の柱に体を寄りかからせ、緋色の髪を風に遊ばせる女の姿がそこにあった。
「キリヤ」
名を呼ぶと、キリヤは手を使わずに体を戻し、ヨクリへ近寄った。
「駅までなら丁度いい。付き合え」
頷くと、二人並んで歩き出す。
今更だが、本来なら六大貴族の直系とヨクリが並列するなど、許されない。ヨクリは学生時に一度そういう気遣いをしたことがあったが、本気で怒られたのでやめた経験がある。
でも、もうヨクリも子どもではないし、キリヤもそうだ。キリヤとの付き合い方を改める必要があるかもしれなかった。
本道へ向かう途中、休日でないのになぜ家に居たのか訊ね、資料を取りに戻っただけだと聞けた以外の会話はなかった。
賑やかな大通りを抜け、駅も近くなる。ふと、道を逸れたキリヤをヨクリは訝りながらもあとを追った。入ったのは、街中に点在する休息目的の広場だった。植林され、長椅子がいくつか置かれている。無言で促しながらキリヤが長椅子に座ると、ヨクリも倣って腰を下ろした。首元のスカーフをあげつつ、キリヤは口を開く。
「エイルーン嬢の件だろう。行き先はどっちだ? ファイン卿の所か。それとも、基礎校か」
「……基礎校だ。一応、話せるところだけは話しておこうと思って」
答えを聞いたキリヤはヨクリから目線を逸らし、手荷物の中から一つの封書を取り出すと、ヨクリのほうへ掲げた。
「持っていけ」
ヨクリはすでに部外者だ。基礎校の敷地内に入るには所定の手続きが必要だったし、校内の人間に働きかけるには時間がかかる。キリヤの封書は面倒事を飛ばして用件を済ませられるものだろう。
驚いて目を見開いたまま受け取るヨクリに、キリヤは言う。
「準備していないと思っていたのか」
「いや……」
ヨクリは封書を裏返し、検分する。キリヤの署名と捺印があった。様子を見ていたキリヤからもう一枚紙を渡される。こちらにはわかりやすく、基礎校の立ち入り許可を申請する旨が記載されていた。門にいる衛兵に見せればすぐに通してもらえるに違いない。
「封書は担当職員に預ければいい」
「中にはなにが書いてあるんだ」
「全てだ。当然知った瞬間口外は禁止され、破れば相応の罰がある」
刹那、ヨクリはキリヤに目で制された。一つの感情を発現させることすらできなかった。
「これはお前の義務だ。かかわりを持つとを決めたのだからな。できないのなら、今すぐに彼女のもとを離れろ。中途半端は許さない」
巻き込む人間を決めろと、キリヤはそう言っていた。キリヤにはおそらくヨクリを介さずともフィリルの身を助けることができるのだ。
だからこれは、ヨクリが負わねばならない義務。
「……わかった」
了承しつつ、ヨクリは丁寧に二つを自分の荷にしまい込んだ。キリヤは張りつめていた空気を緩ませるように、補足する。
「前置きは、お前の好きにしろ」
事前に、伝える情報が危険だと知らせるのは構わない、ということらしい。
「おおよそはもう把握しているが、直に訊いたほうが潤滑に進むだろう」
キリヤはフィリルの状況を知っているようだった。助言をヨクリは疑わず、それ以上を追求しなかった。
「……私よりも、お前が便宜を図ってやったほうがいいのは、確かだ」
少しだけ落ちたキリヤの声音。
たぶんフィリルとキリヤが歩み寄るには時間がかかる。それはヨクリにもわかっていた。そして、ヨクリはフィリル側に寄り添ってあげなければいけないことも。だからそれについて声をあげることはできなかった。
「キリヤ」
かわりにヨクリは切り出す。向き合わなければならないのはキリヤだけではない。ヨクリだって、キリヤにきちんと告げるべき事情があった。
「もう少しだけ、時間をくれないか。……いつか必ず、全部話すから」
はっきりと目を合わせ、ヨクリはキリヤに言った。
昔のこと。出来事自体はキリヤももう知っているはずだ。でもそれは完全じゃない。ヨクリの口から話さなければ、きっとキリヤにとっては意味がないのだ。
ヨクリはキリヤにみっともなく頭を下げた。ヨクリの心も、このひと月の経験でざわめいていた。だから全てを正確に語るには、時間が欲しかったのだ。
ヨクリを見るキリヤの瞳は揺れていた。そして、ぽつりと呟く。それはとても切なげな色を含んでいた。
「あいつには、会ってやってくれ。……お願いだから」
ヨクリが助けられなかった、昔の友人。今も施療院で静かに眠っている少女にキリヤは見舞ってやれと、懇願した。
「……ああ、わかった。これが終わったら、絶対に」
ヨクリは硬く頷いた。果たしてどんな気持ちで自分に言ったのだろうとキリヤの心情を想像して、己の情けなさを痛感する。
「私はもう、それだけでいい」
その言葉には万感の想いがこもっていた。
「……ごめん」
「……私もいろいろ、迷惑をかけた」
ヨクリは自分にキリヤが頭を下げる必要はないと口にしようとして、やめた。キリヤが感じている責任はキリヤだけのものだからだ。そこにヨクリが不用意に踏み入るのは間違っている。
訪れた静寂をしばしの間互いが破ろうとしなかった。
そして、キリヤは立ち上がる。
「私は行くよ」
駅までの道はヨクリと同じだったが、ヨクリも今はキリヤと連れ立つ気になれなかった。
「うん、また」
「ああ」
軽く挨拶を交わして、キリヤの背をヨクリは見送る。その姿が見えなくなり、ヨクリは面を下げ、深く座り直した。
時間を潰す目的でヨクリが思案を巡らせたのは、フィリルではなく己についてであった。
今ヨクリとキリヤは、フィリルに対して責任を果たそうと動いている。それはおそらく正しい、秩序や義に則った行動だった。
そんな責任という言葉がヨクリの身を苛みはじめていると、ヨクリは気がついていた。少女の件に片がついたら、前までの生活に戻るのだろう。生きるために業者を続け、食べ、眠り、日々を消費する。
(俺はこのままで、本当にいいのだろうか)
自分の糧だけを求め街を転々とする生き方に不満はない。ただ、漠然と生まれてきたのは焦燥感だ。——差を知ってしまったから。
昔の友であるキリヤは四年ほどを研鑽し続け、地位を築き、このランウェイルという国で力を着々とつけている。それに比べて自分はどうだ。
(それこそ今更だ。……女々し過ぎる)
蓋をするように、そうヨクリは決めつけた。
ヨクリの中では、基礎校を卒業してから何度も自問自答した事柄だったからだ。そしてこの焦りは劣等感だとヨクリは断じた。先へ進めなかったのは自分の落ち度だ。誰も責められない。
一生抱えていくしかない。
ヨクリは一時の間瞑目し、再び瞼を開いてから席を立ち、駅へ足を進めた。
■
基礎校レンワイス東、職員詰所。
以前フィリルの担当職員であったフラウ・リズベウに、ヨクリはフィリルの件を持ちかけていた。六大貴族がかかわっている事情。危険を顧みずに二つ返事で了承したフラウに、ヨクリは感謝していた。
一度封入されていた書状に何かを書き込んだフラウ。疑問の声をあげることはなかった。
フラウは封書を綺麗に畳み、机上へ置いた。そして、ヨクリに視線を合わせ、
「フィリルさんの状況は、正直芳しくありません」
フラウは真剣に、ヨクリに告げた。
「と、言うと?」
「まず、彼女の退学手続きがすでに終えられています。——誰がおこなったのか不明瞭でしたが、正式な書状によるものです。……おそらくは、ゲルミス家の人間でしょう」
予想はしていた。ヨクリはかたく頷いて、
「どうにか、フィリルを学業に復帰させることはできませんか」
「……今のままでは、難しいでしょう」
エーテル親和症だ。これについては助言を貰えそうな人間に心当たりがある。
「解消したなら?」
「基礎校では、彼女の体調を管理できる設備や人材が確保できません」
「……基礎校では?」
別の場所があるような言い回しだった。ヨクリの知るところでは、基礎校以外となると、学術院か、教学校の二通りが浮かび上がる。疑問に即応したフラウは、机の抽斗から書類を取り出してヨクリに見せた。
「特貴族分校、という組織が、今年の芽の月一日から動きだします」
はじめて耳にする名だった。ヨクリは紙に目を走らせる。
端的に説明すると、全国の基礎校生の学年総合主席、次席を集めた学校らしい。
基礎校から枝分かれした、という位置づけの組織であるが、最新の設備と一流の教育関係者が、国の中枢を担う者を学生のうちから選別する機関だ。立案、進行はステイレル家。
「実は私も転勤なんです。分校の教員として」
「そう、だったんですか」
一流の指導者が集う場所へ招かれるということは、それ自体がフラウの優秀さの証明に他ならなかった。自分と同程度の力量などという見誤りを、ヨクリは内心で恥じる。思えばフィリルの担当職員だったのだ。ゲルミスが力のない人間の下に自身の子をおくるはずがない。たとえ愛情がないにせよ、貴重な被験者なのだから。
「まだ半月以上の猶予がありますが、なるべくはやく、問題を解消してください。特貴族分校なら私が配慮できます。手続きは提出直前までやっておきますので」
そう言うフラウの瞳には、ただただフィリルの安否を気遣う色だけが見えていた。ヨクリは金髪の教師に、表情を締めて訊いた。
「なぜ、そこまでフィリルに気遣うんです」
「あら」
フラウは悪戯っぽく笑って、
「それが教師という職業だと私は考えています。ヨクリさんこそ、ステイレル様から頂いた書状にありましたよ。……とても危険な橋をわたったそうですね」
フラウの笑みは優しいものに変わっていた。そして、逆にヨクリは訊ねられる。
「それは、責任感からですか? それとも、純粋な心配ですか?」
ヨクリは視線を落として、
「両方です。それに……たぶん俺はフィリルに自分自身を重ねているんだと思います。昔の自分を」
「……そうですか」
柔らかい声音に、ヨクリは伏せた睫毛を戻す。
「私たちでなんとかしましょう。フィリルさんのことを」
「はい」
差し伸べられた手をとり、ヨクリはかたく握り返した。




