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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
32/96

   2

 キリヤの重心が下へ動く。一度見た直前の所作。ぱっと、キリヤの足下の雪が飛び散った瞬間、ヨクリは冷静に攻撃を予測した。

 突進からの三連突きを、刀を振るいつつ後方に跳躍し、弾いて距離を取る。


 見越したように、足下に浮かぶ緋色の紋陣。範囲の外へひらりと逃げる。瞬間、轟音とともに紋陣から火柱が上がった。その恐るべき図術制御速度を森で見たにもかかわらず、ヨクリの背筋は凍る。

 ヨクリは支配領域を展開、照準を固定。旋衝を起動しつつ、キリヤへ間合いを詰める。キリヤはヨクリの正面に浮かぶ展開紋陣をうけ、身を屈めて突っ込む。


 空気の渦はキリヤの髪を一房持っていくだけで、役目を果たさなかった。一瞬で縮まった間合い。体のばねを利用した下から上への一閃を、ヨクリは上段から斬り下ろし、防御する。

 素早く身を逸らしたキリヤは、続けて鮮やかに手首を返してヨクリに斬りつけた。その切断の軌跡を、ヨクリの携える刀が再び遮る。


 甲高い金属音と、飛び散る火花。

 互いが結ぶは、刃と瞳。


「これが最後だ、今なら見逃してやる。引け、ヨクリ!」

「断る!」

「この馬鹿……! お前になんの利があろうというのだ!!」

「だから、俺の勝手なんだって言っているだろうが!!」


 ぎちぎちと、手元に伝わる感触。正面に受けるヨクリに対し、半身で、峰に右の掌底を添え応じるキリヤ。鍔迫り合いの状態で、両者は睨み合う。


「楽だな、そうやって覚悟した振りをして、本当は流されるままで! その為様(しざま)が、気に食わんのだ!!」

「逃げ癖がついたんだよ! あいにくとね!!」


 ぐっと、ヨクリは両腕に力を込め、キリヤを押しやった。筋力はヨクリのほうが上回っているようで、キリヤの体は滑るように後退する。


「くっ……居直るな! 義務も責任も果たそうとしないお前が……弱者の振りをした、かりそめの弱者のお前が!!」

「それでも、きみが正しいわけじゃない!!」

「ぬかせ!!」


 転瞬、キリヤは絶妙の体捌きでヨクリの力を右へ受け流し、撫でるように薙ぎ払う。即応したヨクリは、左足を踏ん張って右下に切っ先を下げ、キリヤの剣線を塞いだ。


 激しい金属音。

 二人は攻撃を警戒、反発しあうように後退した。


 いっとき剣戟は止み、一陣の突風が吹いた。ざあ、と浅く積もった粉雪が舞い上がり宙へ散り飛ぶと、波紋が広がるように、床の青銀を露出させた。

 ヨクリは無理に攻めず、守りに専心し、キリヤの速度に目を慣らす。キリヤにはもう内兜(うちかぶと)を見透かされている。生半可な攻撃は通用しない。


 だから、耐え、期を待つ。

 キリヤの睥睨(へいげい)静謐(せいひつ)な瞳で返しながら、ヨクリは口を開く。


「……きみは、なぜさっさと俺を警備に突き出さない」


 キリヤの目が見開いた。


「それで全部、終わる筈なのに。そうしないのは」

「……まれ」


 小さな声で切られるが、ヨクリは構わずに、


「そうしないのは、きみの——」

「黙れぇぇぇ!!」


 霞のようにキリヤの姿が失せ、気配を感じて咄嗟に首をひねる。

 反射だけで顔を狙った突きを躱し、腕が戻る前に刃を払い、叩き落とすように下へ封じ込める。遅れてヨクリの頬は裂け、白い肌に一筋の赤い線が引かれた。


 キリヤの体が下方へ引っ張られたのはごく僅かの時間で、右足を軸に回転しつつヨクリの剣を払い、遠心力を交えつつ攻撃に転じた。


 右肩めがけた斬撃を、ヨクリは腕を跳ね上げ、刀を横にして捌く。キリヤの剣に刃を滑らせるように腕を戻し、再び鍔迫り合い——戦闘が硬直するかに思えたが、キリヤはヨクリの刀を弾きながら後方へ跳躍する。


 守備に回ったわけではない。ヨクリはキリヤの直前の怒気から、ひと際苛烈な攻撃が来ると読んで、一拍遅れて飛び退った。


 着地の衝撃を膝を曲げてばねの力に転換させ、キリヤが再び突きを繰り出す。

 音を置き去りにしたその一発を、後ろに跳んでいたヨクリは刀でその切っ先を退け、致命傷を回避する。しかし、衝撃を全て殺しきるには足りず、左の二の腕を掠める。傷を見る余裕は当然ない。


 その鋭過ぎる突撃は、事前に予測していなければ、胴体を突き破っていただろう。

 腰を据え、体を安定させつつ雪に足を滑らせる。追撃の二太刀を手早く撃ち落として、また距離を取った。


 劣勢のヨクリだったが、極めて事態に従容(しょうよう)だった。もとより、地力に差があるのは明白だったからだ。苦戦は必至であると、予定に織り込み済みなのだ。


 稲妻のような速さの突き自体ではなく、その事前動作をあまさず捉える。腕の挙置、足運び、半身の傾き。呼吸の頻度。ほかの情報は、全て要らない。


 キリヤほど格上の相手になると、”感知”に頼るのは逆に危険だった。昔の立ち会いに基づいた肉体の反射に重きをおかねば、おそらく勝てない。

 ヨクリは戦闘が長引くのを覚悟していた。隙がないなら、生まれるまで待つまでだ。


 ふう、と浅く息を吐くと、気温を伝える白が籠れ出る。

 前方のキリヤを見ると、はぁ、はぁ、と、肩で息をしていた。体力の枯渇が原因ではない。おそらく、精神的な傷。


 追いつめられているのだ。


 キリヤに重圧を与えているのはヨクリなのか、それとも——キリヤ自身なのか。ヨクリには判別できなかった。この赤毛の女の心情を慮ることをやめたのは、たぶんあのときからだった。


 ただ、キリヤがどう思っていようと。


(絶対に、負けられない)


 ヨクリは硬く心に刻み、両の拳で柄を握りしめた。



 静かにこちらの所作を観察する黒髪の青年に、キリヤは唇を噛んだ。


(……こいつ……!)


 まるで別人の動きだった。

 速度は自身よりも劣っている。たぶんヨクリは、目で追えていない。それでもなおこうも攻撃を避け続けられるのは、黒髪の青年が、沈着に勝利を追っているからだろう。


 許せなかった。

 なにも語らず、あるがままに糾弾を受け入れて、勝ちを諦めたくせに。


 ——今更、ずるい。


 キリヤの全身が、火に包まれたようにかっと燃え上がった。


 足に気力を溜めて、地を蹴る。左に薙ぎ払いつつ、地面を踏み抜いた。すい、と身を引かれ、寸でのところで躱される。腕を返し、往復するように右に斬りつけると、今度は刀で応戦される。


 自分と相手の刃の向きを一瞬で見切り、手首を細かく操作して斬り結ぶ瞬間に捻る。


 小手先の動きだけで逆に弾き返すと、かん、とちいさな金属音が鳴り、ヨクリの刀が僅かに上方へ逃げる。刹那の隙に、キリヤは腕を下げつつ軌道を強引に戻した。


 ヨクリが瞠目し、後退する。刻むような足さばき。おそらく、回避の布石。

 キリヤは大きく踏み込み、心臓めがけて突きを放った。


 斬撃と刺突の、三連撃。

 ヨクリはさらに後ろに飛び退り、最後の一発も鮮やかにまぬがれる。だが、この戦闘中で一番距離のある跳躍だった。


 間合いが大きく開く。


 ——キリヤにとっては、必勝の間合いだった。


「うああああぁぁぁ!!」


 絶叫とともに展開紋陣を現出させ、図術を打ちはなった。

 ”拡散”も”敷陣”も用いない、初めて見せる”炎壁”。


 紋陣の中央から放射された、全てを飲み込む灼熱は扇状に前方を埋め尽くす。図術の発現とともに、床の積雪が一瞬で蒸気になり、空気の温度を急速に上げていく。


 火炎が焼き尽くすのは、対峙していた黒髪の青年とて、例外ではなかった。みるみるうちにその姿は紅に遮られ、キリヤからは見えなくなる。


「おわった」


 私は。


 キリヤが途方もない虚無感を感じはじめた、その刹那。

 熱源体の接近を知らせる、”熱量感知”。


「……!?」


 周囲の炎熱を意図的に排除、支配領域下の情報を改めて精査しようと引具に集中。しかし、遅かった。

 ぎらりと、紅蓮の焰を切り裂く一条の光。


「————!!」

「馬鹿な……!?」


 あの少年めいた友人が、声にならない気迫を携えて、燃え盛る炎の中から凄まじい速度でキリヤの間合いに突っ込んでくる。


「なぜだ……!! 術で殺せる間合いでは……!!」


 急激に遅くなった敗北の瞬間、ヨクリの切っ先を凝視する。馬槍のような光壁が刀の先からヨクリを包むように広がっている。


(負ける)


 キリヤがそう悟ったとき、ヨクリはもう目と鼻の先まで距離を詰めていた。



 ヨクリの走行しつつ繰り出した突きは狙い過たず、キリヤの護拳と左手の隙間を捉えた。足を止めながら刀を跳ね上げると、きぃん、と澄んだ音を立てたのは、宙へ飛ばされたキリヤの引具だった。

 剣は空で回転し、落ちゆく陽光を幾度か反射させる。


 勢いを殺しきれず体当たりする形となり、キリヤは吹っ飛ばされ、防壁へ身を打ち付けた。

 遅れて響き渡ったのは、キリヤの剣が青銀の床に落ちる高音。二人の中間、刻まれた溝に刃の先が突き刺さる。


「はぁ……はぁ……」


 勝った。

 ヨクリは息を切らせつつ、体を折るキリヤを前にして、悟った。

 綱渡りのような勝負だった。


 こほこほと咳き込みながら、キリヤは身を起こす。

 ヨクリを見上げる表情はうつろで、幽愁(ゆうしゅう)としていた。


「……なにをした」キリヤはヨクリに問うた。「私の”炎壁”は、生半可な”盾”では保たぬ。図術が追いつく距離でもなかったはずだ」

「”拡散”。使えるようになったんだ。それで弱めてから”盾”を使って、突破した」


 暫時の沈黙ののち、


「……ふふっ」


 俯き、笑うキリヤ。なにがおかしいのか、ヨクリにはわからなかった。

 ヨクリは一度キリヤから目を離し、紋陣を呼び出して”拡散”を使用、残っていた炎を消し飛ばす。

 再び向き直って、


「……とにかく、俺の勝ち、だ。話してもらう」


 ヨクリが刀の切っ先をつきつけながらキリヤに言い放つと、キリヤは目を逸らしながら自嘲混じりに答えた。


「……断ると言ったら?」


 ヨクリはしばし逡巡した。そして、それならそれは仕方がない、とそう思った。


「フィリルに訊きにいくだけだ」


 視線が交わっていたのは、どれくらいだっただろうか。一瞬のようにも感じたし、半刻のようにも感じた。

ヨクリは瞑目し、鞘を引き寄せて、納刀した。

 答える気はないらしい。怒りは、全く沸かなかった。


 ヨクリは体を施設のほうへ向けて、歩き出す。

 ややもせず、背後から声がかかった。


「……甘すぎる。このまま放っておいて、私がなにもしないと思っているのか」

「きみを殺せるくらい慎重であったなら、……俺はここまできていないよ」


 足を止め、ヨクリは答えた。キリヤは嘲るようにヨクリへ挑発する。


「……前の啖呵はどうした? 威勢よく、斬ると言っておきながら」


 ヨクリは左足を引いて、キリヤの顔を見据えながらいらえを返した。


「わかっているくせに。……自分の大事な人を殺すのは、もう嫌なんだ」


 音が消え、キリヤは顔を伏せる。

 徐々にふるふると震えだす。うつむいたまま、わかるわけがない、と小さく呟いて、頭を上げた。


「笑わせるなヨクリ、笑わせるなよ!!」


 キリヤはその整った顔をくしゃくしゃに歪めて、ヨクリに怒鳴った。深紅の瞳に雫を溜め、今にも溢れそうだった。

 キリヤの泣き顔を見たのは、二度目だった。

 言葉とは裏腹なその様相は、ヨクリの心を強く打つ。


「今更そんなふうに私を語るな!! ……そんな顔で、私を見つめるなっ……! だったら、どうしてあのとき私になにも言ってはくれなかった!! 傲慢だよ、狡いよ、ヨクリ! ……私はお前に都合のいい人間じゃない!!」


 左右の髪を振り乱し、ヨクリに叩き付ける。つぅ、と、キリヤの滑らかな頬に涙が滑り落ちていく。

 きちんと答えなければならなかった。きっと今を逃せばもう二度と、この高潔な友人と言葉を交わすことはなくなると、ヨクリは確信していた。


 ヨクリは片膝を地に着け、キリヤと目線を合わせてごめん、と小さく謝った。


「謝るな!! ……あやま」「逃げたんだ、あのとき」


 再び叫ぶキリヤに、ヨクリは被せた。キリヤの濡れた睫毛が、かすかにもちあがる。

 ヨクリは後悔を隠さず、苦笑顔をして続けた。


「きみの言う通りだった。俺はただ、逃げていただけなんだ。きみだけじゃなく、全てから」


 思い出しながら、誠実に話す。一言告げるたびに心がちくちくと痛むが、きっとキリヤはもっと痛い筈だった。


「俺があのときどう感じて逃げだしたのか、ぼんやりとしか思い出せない。ただそれでも、はっきりと覚えているのは、自分の、浅ましさだった」


 想いは時間が経てば経つほど霞み、澱み、腐り、元の形を忘れてゆく。ヨクリはそれがもう長くもたないことをしっている。劣化した思い出のなかにほんのすこしだけ残った透明な上澄みを、ヨクリは慎重に、震える手のひらで掬い取っていく。


「あいつをあんなふうにしてしまったのは、間違いなく俺で、自分を許せない気持ちは確かだったと思うんだ。けれど、わずかでも、全てをきみに話してきみに嫌われることを恐れた自分と、もしかすると理解して同情をくれるきみをこころのどこかで期待する自分。自責さえ押しのけて生まれてくる、その両方の醜い怪物みたいな感情がたまらなくいやだった」


 きちんと届くよう、声が震えないよう、ヨクリは気を配りながら、キリヤに伝える。


「その生まれた気持ちから目を逸らしたかった。……俺の本質が打算じゃないと、信じたかった……。たぶん、それだけだったんだ」


 思い返せば、ただそれだけだった。弱さを認められなかった。取り返しのつかない過ちのあとの下心を、友にみせたくなかったのだ。


「それで結局きみを傷つけてしまった。だから、ごめん」


 もし再会したときに告げていれば、キリヤが苦しむこともなかったのかもしれない。それもまた、ヨクリの弱さが招いた事態だった。


「今ここでこうしているのは、きっとあのとき逃げたからなんだ。逃げたぶんが、今返ってきたんだよ」


 そうして、ヨクリはようやく語り終えた。

 いつの間にか俯いていたキリヤは黙ったままだった。

 あのころの心情を吐露しただけでは、やはり足りなかったのだろうか。でも本当に全てを語るには場所も時間も悪いと、ヨクリは言い訳のようなことを思った。


 しばらくヨクリはキリヤの風に揺れる紅色の髪を眺めていた。すでに雪はほとんどやんでいる。日は陰ってきており、もうじき暗闇が辺りを染め上げるだろう。


「……もう、いい」


 ぽつりと、キリヤが言う。ヨクリには、その音がとても切なく聞こえた。


「もういい。行け」

「ごめん」


 命令のような言葉に、ヨクリはまた謝って、キリヤに再び背を向ける。 


「……馬鹿」


 その懐かしい響きは、聞こえなかった振りをして駆け出した。

 少女の待つ、この先へ向かって。

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