3
ヨクリは現在、円形都市レンワイスの南東部、中流層と下流層の丁度境目の辺りを歩いていた。キリヤに持ちかけられた依頼を達成するためだ。
キリヤと再会したあと、新しく宿を取って一泊し、今は太陽が一番高く輝いている。丁度正午にさしかかろうかという時間だろうか。
ヨクリはある二人の人物と会う約束を昨晩取り付けていた。諸々の用事を午前中に済ませ、約束の場所に向かう道中だ。
歩道は石で造られており、ヨクリのいる所は賑わいをみせていた。
露店が建ち並び、商人達が各々の店の商品を宣伝している。円形都市内でも決して裕福とは言えないこの場所で、人は強く生きている。
ヨクリは商店街を抜けて、駅のすぐ近くにある大通りへと出る。その斜向いにある建物にヨクリは用があった。大通りを渡り、目的の建物の正面に立つ。
「やっとついたな」
主に石材で建立された、だいたい民家六つほどの広さを持つ二階建ての建物だった。
周囲の建築物に比べて大規模ではあるが、なんの変哲もない造りをしている。……はずだが、街中を行き交う人々は、その建物の周囲に近づこうとしない。ヨクリは頻繁にこれと似た建物に出入りしており、この空気に慣れ親しんでいた。
依頼管理所。個人や団体、政を問わず、あらゆる人間が問題を早急に解決するためにおかれた公共施設。円形都市には必ず敷設されている。個人や団体が問題ごとを依頼管理所に発注すると、依頼管理所がその問題を解決できる人材を募集し、派遣する。依頼を解決する人間は依頼管理所に登録され、その登録手続きを行えるものは、満十八歳以上で、殺しや強姦などの重犯罪経験のない者なら誰でも登録できる。
管理所に登録された人間は業者と呼ばれている。ヨクリも卒業したのち管理所に登録し、三年間業者として生計を立ててきた。
扉を開けると、正面に受付が見える。依頼の受注口、報告口、報酬金受け取り口と、三つに区切られており、それぞれ黒を基調とした指定の制服を着こなしている受付の人間が立っている。皆女性なのは印象がいいからだろうとヨクリは勝手に思っている。
受付に並んでいる幾人かの人間を素通りし、ヨクリは左奥にある部屋に足を踏み入れた。すぐ左に上り階段があり、入り口から見て真正面奥に様々な依頼や連絡が貼られている掲示板がある。その壁際に右端から左端まである長机が鎮座し、部屋の中央に五、六人がかけられる椅子が何脚か置かれている。書類の記入や待ち時間を待機している業者のためにある空間だ。
隅の方に移動し辺りをきょろきょろと見回すと、手をあげながら誰かが近づいてくる。ヨクリは、破顔しながら声をかけた。
「やあ、アーシス」
「よう、生きてるか」
アーシスと呼ばれた長身の男は、茶色の髪と、髪と同系色の膝上まである丈の上着をなびかせヨクリに応答した。
アーシス・イリス。ヨクリと同じ業者で、主にレンワイス付近の依頼を請け負っている。ヨクリが業者をはじめてから少し経ったころにある依頼を通じて知り合い、どこかウマがあって連絡を取り合っている。
「相変わらず元気そうだね……」
ヨクリが呆れ混じりで的が外れた台詞に答えると、アーシスは唐突にヨクリの肩をばしばしと叩いた。
「お前も相変わらずちっせーなぁ。ちゃんと飯食ってんのか?」
「ほっといてくれよ……」
ヨクリがむっとしながらアーシスの手を軽く払うと、茶髪の男はからからと笑いながら謝った。
「悪かった悪かった。それで? どうしたんだよ」
「ちょっと君たちに頼みたいことがあってね」
鬱々とこぼしたヨクリに、アーシスは目をしばたかせて言う。
「君たち? オレ以外にもいるのか?」
「うん、もう着いているんじゃないかな。彼、時間に正確だから」
アーシスの疑問に答えながらヨクリは階段の方へ手招きする。
「なんだ、場所変えるのか」
「上に部屋を取ってあるんだ。ここじゃゆっくり話もできないでしょ?」
依頼管理所には業者が借りることのできる部屋がいくつかあり、事前に申し込んでおけば時間帯は限られるが利用できる。主に、依頼を通して業者同士が新たに知り合うときに手軽な会議室代わりとして活用される。
ヨクリの言った通り、この空間は依頼を請け負う業者らがたむろしており、会話に適さない。部屋全体にうっすらと煙草の煙がたゆたっていて、時折言い争いが聞こえてくるほど集まる業者のたちも悪かった。人々があまり近寄りたがらないのもそのせいだ。
並列し、二人で話ながら階段を上る。
「そいつも業者か?」
「まあ、そんな感じ。基礎校の同期なんだ」
突き当たりを左へ曲がって一番奥の部屋の前で立ち止まると、ヨクリは拳をゆるく握り、何度か中指で扉を軽く叩いた。中からの応答を確認したのち、扉を開ける。古びた蝶番がぎいときしんだ。
壁と床が木材でできた飾り気のないつくりの部屋だった。採光用の小さな窓があり、やわらかい日差しを室内に取り入れている。
中央にある円卓で、金髪の青年が書物を読んでいた。眼鏡を掛けており、その奥の碧眼は見る人に理知的な印象をおぼえさせる。痩身に目の覚めるような深青色の外套を羽織っており、身につけている衣服は簡素ながらどこか気品を感じさせた。
金髪の青年はヨクリらに視線を向けると、くい、と黒ぶちの眼鏡を押し上げた。
「遅かったじゃないか」
青年は落ち着いた声音でヨクリに言った。
「悪いね、待っててもらっちゃって。ご無沙汰、マルス」
マルス・ファイン。レンワイスに居を構える貴族ファイン家の青年で、基礎校時代にヨクリと友人関係になった。
ファイン家はシャニールに造詣が深く、戦後シャニール人に対しての不当な措置を唯一批判した貴族だ。そういう意味では、マルスはヨクリが知るなかでは数少ない、シャニール人に対して悪感情を抱かない人間だった。
「ああ。久し振りだなヨクリ。そちらは?」
ヨクリが紹介しようとすると、アーシスはマルスの前に出て手を差し伸べた。マルスは本を閉じて立ち上がる。
「アーシス・イリスだ。業者をやってる」
「そうか。マルス・ファインという。よろしく頼む」
挨拶をかわしながら握手をしたあと、アーシスは椅子に腰掛ける。
「それにしても、二人とも連絡ついてよかったよ」
やり取りを見届けたあとに席につきながらヨクリがそう言うと、二人はヨクリの方を向いた。
「丁度管理所に居たときに連絡入ったからなー」
ついてたぜ、とアーシスが笑う。
「僕のほうはいつも家にいるからな」
こともなさげに返すマルスに、アーシスは驚く。
「通話機が家にあるのか!」
「ああ。腐っても貴族だから」
「そうか、ファイン家……」
アーシスは得心したように呟いた。
ファイン家は戦後のシャニール人への措置を批判し他の貴族から顰蹙を買い、没落した貴族だった。それについては世間も記憶に新しい。
「……まぁ、そんなことはどうでもいい。ヨクリ」
マルスが切り替えると、ヨクリは一つうなずき、眉間にしわを寄せて微妙な表情をつくった。
「今日二人を呼んだのは、頼みがあるからなんだ」
「珍しいな。しくったのか」
「しくじったと言えば、しくじった」
ヨクリは頬をかきながら、舌滑り悪くアーシスに答えると、二人に昨日の出来事をかいつまんで説明する。
■
「……ついてねぇなぁ、お前」
聞き終わったアーシスは開口一番に哀れんだ。やれやれ、と演技っぽく両手をかかげて首を振る。
「それで、その依頼をうけたのか」
「……そうするしかなかったからね」
ヨクリの返しにふむ、とマルスは顎に手をやった。
「それで、君たちに協力してほしいってわけさ」
二人を見やりながらヨクリは確認の意味を込めて締めくくった。
「教育、か」
「そう。マルスにはその教育のほうで手伝ってほしいんだ。エーテル関係に詳しいだろう?」
「まぁそこそこ、というところだがな」
「俺の知識だけじゃそこまで手が回らないんだよ。なにから教えたらいいのかさっぱりわからないし。マルスに協力してもらえれば、その辺りが大分楽になるんだ」
勿論報酬は出すよ、とヨクリは懇願する。するとマルスは平坦な口調で問うた。
「協力はやぶさかじゃない。だが、その対象はどういう人物なんだ?」
ええとね、とヨクリは手持ちの資料を漁った。ぺらぺらとめくりながら、
「女の子だね」
「女か!」
静観していたアーシスがいきなり大声をあげた。間髪入れずに「うるさいよ」とヨクリはあしらう。「冷てぇやつだな……」というアーシスの呟きも無視して、
「うん。年齢は今年で十五、かな。成績は優秀生ってだけあって飛び抜けていいみたい。特に指揮の講座の成績がすごいね。最近の試験の結果がランウェイル全土の基礎校生中四位だって。……四位!?」
マルスに聞かせていた内容だったが、ヨクリ自身が驚いた。成績に関しては、一桁の数字ばかりで注視せずに飛ばしてしまっていたため、見落としていた項目だったからだ。十二から十八歳までいる基礎校生だが、弱冠十五歳にしての指折りの順位は異常だった。
「それはすごいな……」
マルスもしみじみと感嘆の声を漏らす。「続けるね」とヨクリは気を取り直して、
「えっと、優秀生に選ばれているんだから間違いなくランウェイル人だろうね。貴族かどうかは書かれていないな」
「なるほど……」
「あとはそうだな……あ、写真があるね」
ほら、と円卓の上に一枚の写真を置いた。小さなものをまるまる引き延ばしたと思われるそれは、おそらく受注者の確認用だろう。この国の撮影機は質が悪く、色を識別できない。隣国のスールズはもっと技術が進歩しており、鮮やかに色を置けるらしいが、ヨクリは見たことがないしあまり興味もなかった。
写真の少女の髪は肩まで伸ばされ、少し長めの前髪に隠れた瞳は宝石めいた輝きをしている。全体的に線が細く華奢で、表情が柔らかければ可憐と表現してよかったが、唇は真一文字に結ばれていた。
「お、可愛い子だな。ただちょっと顔が固くないか?」
「君はいつもそんな感じだね……」
写真に駄目だしするアーシスに、同じふうに思っていたヨクリだったが、それを全く表に出さずにため息をこぼす。
「女子か。男が多いと嫌なんじゃないか?」
「そこは会って確認しないとなんとも言えないよね。駄目そうだったらそのときにまた連絡するよ」
「……大体は把握した」
マルスが疑問を終えると、互い違いにアーシスが口火を切った。
「ところで、オレはなんで呼ばれたんだ? 話聞いてる限りじゃ、えーと、マルスさんが居りゃあいいっぽいだろ」
「呼び捨てでかまわないよ」
マルスは表情を緩めてアーシスに告げた。「助かる」と、アーシスも笑う。
「アーシスには、実戦を手伝ってほしいんだ」
「……なるほどな、都市外へ出るつもりか」
実戦という言葉にアーシスは納得する。
「うん。管理所から難度の低い依頼をうけて下級の獣を相手に訓練したほうがよりなにかを掴んでもらえるかなと思ってさ。……俺だけじゃ、助言しながら対象を守るのは難しそうだ」
「確かに、人数は多いほうが安全だろうなぁ」
同調してアーシスは首肯し、唐突に「あ、やべ」と焦りだす。
「もうそろそろまずいな」
アーシスは目を見張る二人を尻目に急に慌ただしく身支度をして、
「悪い、このあと予定が入ってんだ」
「そっか、時間取ってもらっちゃってごめんね」
ヨクリが謝ると、アーシスは首を振りながら、
「気にすんな。依頼は引き受けるぜ。日程とかはまた連絡してくれ」
「助かる、ありがとう。ちなみにこれからどこへ?」
ヨクリはアーシスの受諾に感謝し、ついでに聞くと、
「ちと家にな。妹もお前に会いたがってたぜ?」
アーシスは業者では珍しく持ち家があり、妹と暮らしている。ヨクリもアーシスの妹と面識があり、目鼻立ちの整ったアーシスとどことなく特徴の似た、愛嬌のある礼儀正しい少女だった。
レンワイスから少し距離のあるところに家があり、多く時間を見積もっておかないと日暮れまでに到着しないことはヨクリも知っている。
「よろしく言っておいて。それじゃあ、気をつけて」
「アーシス。今日はあえて嬉しかった。また会おう」
ふとマルスはアーシスの去り際にそう声をかけた。
そういうことを嫌味なく言えるのは育ちがいいからかなとヨクリは思う。
マルスの台詞に気をよくしたのか、アーシスはにこりと白い歯を見せて、
「おう、二人とも、またな!」
勢いよく扉を開き、アーシスは室外へ出た。
アーシスが去ると、室内は急に静まり返る。ヨクリもマルスもどちらかといえば社交的でない性格なので、沈黙が多くなるのは必然だった。
マルスはヨクリの持ってきた資料を手にとりざっと流し読んでいる。
「図術に関する署名は、もうしておいたほうがいいだろう?」
「ああ、そうだね。助かるよ」
おそらく上級依頼に相当する今回の件は、かなりの権限がキリヤを通じてヨクリに与えられているはずだが、腹を探られるのも面倒なので、図術監督をマルスに委ねるため、署名を貰うことにする。
いくつか二人で書類を確認し、必要な箇所にマルスが記入する。それが終わると、手持ち無沙汰になったヨクリはマルスをなんとなく眺めていたが、ふと思い出して、
「あ、そうだ。アーシスにはああ言ったけれど、彼女の紹介だから、対象はたぶん貴族なんじゃないかと思っているんだ」
「ほう?」
マルスは興味ありげに顔をあげた。
「彼女の懇意にしている人からの依頼なんだってさ。……それに、写真を取るだけのお金がある。あとは、やけに身なりが整っていると思わない?」
「なるほどな」
ヨクリの意見に異論はないらしく、マルスは同意の声をあげる。
「もしかしたら、隠しているのかもしれない。なにか都合の悪いことでもあるのかな?」
付け加えて、まぁ、全部憶測だけれどね、とヨクリは考えをすぐに打ち消す。
それには返答せず、マルスはヨクリの顔を見つめた。表情は平坦だが、どことなくなにか言いたげな感じがする。短くはない付き合いなので、そのくらいの変化ならヨクリは察せられる。
「どうかした?」
マルスに聞くと、ためらいがちに、しかしはっきりとヨクリに訊ねた。
「……彼女に、会ったんだろう」
マルスの言葉にヨクリは目を丸くしたあと、抑えた笑顔を浮かべる。
「うん」
「……僕が言うことではないが、大丈夫だったのか」
「うん、まぁね」首を縦に振るがすぐに「いや、ちょっと堪えたかな」と先ほどの言葉をヨクリは苦笑いしながら否定する。
「そうか」
資料を読みながらマルスは相づちを打つ。
「……俺が悪いのはわかっているんだ。……うん、知っているさ」
独り言っぽくヨクリは言って、
「なんで今更……キリヤが出てくるかなぁ」
「巡り合わせが悪かったんだろう。昨日のヨクリは彼も言っていたが、ツイてなかったんだ」
「あはは」
珍しいマルスの軽口にヨクリは薄く口をゆがめた。
「さて、と。愚痴るのもこれくらいにしとこうかな。ごめんね」
「構わない。言い出したのは僕だからな」
「ありがと」
マルスの計らいにヨクリは今度こそ本当に笑った。
「この資料、僕が預かってもかまわないだろうか」
「ああ、うん。写真以外は構わないよ。対象の名前も場所も暗記しているし、覚え書きもとってあるから。その資料は好きにして」
ヨクリの許可を得たマルスは資料を纏め、筆を取り出してなにかを資料に書き込みはじめた。
「なに?」
「少し気になってな。判別できたら言うさ」
「そう、わかった」
了承した手前、手元を覗き見ることも憚れた。ヨクリはふぅ、と立ち上がると、マルスに切り出した。
「俺はそろそろ行くよ。君はまだここに残る?」
「あぁ。少し資料を」
「わかった。まだ部屋の時間はあるから、それまでは好きにしていて」
「助かる」
マルスはヨクリを見ずに、生返事をする。集中しはじめるとこうなるのはヨクリも知っていたので、別段気分を害せずに別れの挨拶を告げた。
「それじゃあ。頼み、引き受けてくれてありがとう」
「……かまわないさ。僕は君に二度も救われているんだ。これくらいはさせてくれ」
返事がないと思っていたヨクリは少し驚くが、マルスの言った内容に頬を緩めた。
「いつも言ってるけれど、おおげさだよ。……でも、ありがとう」
再びマルスに礼を述べ、ヨクリは扉を開けて部屋をあとにした。
■
足音が徐々に遠ざかる。
マルスはヨクリが退出したあともしばらく筆を走らせていたが、文字の途中で手を止めた。
「……君にとっては、今更でもなんでもないだろう」
言葉を切って、出入り口を見やってから、
「強がりなのは今も変わらないな」
一人呟いて、暖かい陽光に照らされながらマルスは微笑した。




