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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
29/96

   4

 巻き起こったのは、爆風ではなく、疾風。


 古物の弾が打ち抜くよりはやく、一瞬だけ吹き荒れた烈風は”なにか”を吹き飛ばし、前方の金髪さえもその背にある石壁に激突させた。


 空中に放り出されたなにかは、右方で建物の炎上に呼応し、ようやく二度目の大爆発を炸裂させる。しかしヨクリの居る場所まで熱風は届かず、火の粉が頬を掠める程度だった。

 息吐く暇なくヨクリは金髪に詰め寄る。体を起こして咳き込む相手は、虚を突かれた一撃さえも受け身を取っていたようで、背中をぶつけるだけにとどまっていたらしい。


 捲れ上がった外套の奥には、くすんだ金の、長髪。不揃いに切られた、雑な髪型だった。咽せるその表情は想像よりもかなり若く、少女のようにも見えたし、少年のようにも見えた。胸元が薄く、性別が判断できないが、”あたし”と自称していたから、おそらくは女か。


 ヨクリは見かけに寄らぬその技量に内心で脱帽しつつも、油断なく刀を構えた。


「うそっ……!?」


 白刃を目にした金髪は驚愕を禁じ得なかったようだが、


「じゃあね」


 ヨクリは躊躇なく、その首めがけて刀を——「まってまって!!」


「……命乞いなら聞かないよ」


 幼げな、少女っぽい声音。すんでのところで刀を止めたヨクリだったが、黒ずくめの二の句がくだらないものであれば、そのまましるしを貰い受ける心持ちだった。


「……お兄さん、二週くらいまえ、森に居たでしょ」


 全く予想していなかった台詞————嘘だ。本当はずっと引っかかっていた。人斬りの熱に浮かされていなければ、すぐにもたげてきたヨクリの事情。

 不意打ちを喰らったヨクリは、面に出さずに思考を始める。


「……あたしを見逃してくれたら、お得な話が聞けるかもよ?」

「それがどうしたっていうんだ」


 平静を装ったつもりだったが、声音が少し震えたかもしれなかった。

 ヨクリの無意識下でぴくりと動いた剣先を、黒ずくめは見逃さなかった。にたりと、光明を見たかのように口元が歪む。


「あたしがヴァスト・ゲルミスの下で動いてるって言ったら、どうする?」

「……」


 ヨクリは絶句した。まさしく、ヨクリが欲していた情報にほかならなかったからだ。鋭く目を細め、威圧的に続きを促すが、


「おおっと、ここから先は、ゆ、う、りょ、う」


 おどけたように指を立てる金髪。


「脅したって駄目だよ。剣をおさめておさめて! 話はそれから」


 しばしの沈黙。


「お前が装備を全て外したら、考える」

「用心深いねー。こーんなこども相手なのにさ」


 うそぶきつつも、金髪は素直に従った。ばらばらと爆発したものと同じなにかを無造作に地面にばらまく。ヨクリの背後で熱気を発する火の手が回ったら、こいつらも引火するだろう。注意を払っていると、金髪は最後に右手の古物をごとりと落とした。


「引具もだ」

「ちぇっ」


 抜け目ないヨクリの付け加えに、金髪の少女はふてくされつつ裾を捲り、枝のように細い手首に付けられた腕輪を外し、同様に地へ放った。

 いつの間にか隣まで近寄ってきたアーシスの気配があった。素早く目配せすると、顎をしゃくられ、肩をすくめられる。どうやら、ヨクリに任せるらしかった。ヨクリは少し逡巡したのち、後ろに左手を回して鞘を引き寄せ、納刀する。


「話せ」

「いや、それにしてもすごいね、黒髪のお兄さん。あたしの完敗だよ。最後のあれ、なんていうの?」

「斬り殺されたいのか」


 無駄口を叩く少女に再び抜き放とうとすると、金髪はあわてたようにごめんごめん、とあやまった。


 ヨクリは返答しなかったが、さっきの図術は特殊であった。


 ”拡散”と呼ばれる図術制御法だ。

 ”敷陣”が一流遠射手の証ならば、”拡散”は近接手のそれに値する。森でキリヤが最後に放った術も、おそらくは拡散だろう。



 具者が用いる”引具”には、一つの絶対的な観念がある。

 魔獣という存在は理力と敏捷性に優れ、加えて分厚い脂肪や筋肉、強靭な毛皮を持つ。図術加工の施されたいわゆる”術金属”を素材とする引具の利刃以外では、すばしこく動く体を捉え、さらにその強力な天然の防具を突き破る手段がない。遠くから狙い撃てる弓や弩は基礎校でも履修できるが、都市外へ携帯するにはかさばりすぎる。ゆえに干渉図術という、近接武器でも使用できる遠距離攻撃手段が存在するのだ。

 引具は直接攻撃や回避のための強化図術、中距離から遠距離に対応できる干渉図術、それらに加えて、引具を用いた犯罪者などの対抗手段として”抗盾”を搭載する。 


 つまり引具とは、軽装を維持したまま、単独であらゆる都市外の戦闘に即応する、という目的のもと開発されている。これらを踏まえると、干渉図術は”遠距離用”で、それ以外の用途は想定されていないとわかる。

 しかしキリヤはあのとき、そしてヨクリはついさっき、対象である”なにか”やヨクリ自身と距離が近いまま、それぞれ使用した。


 ”拡散”。その特徴は発動の早さと、性質の変化にある。

 紋陣を起動させたのちに、シリンダー内のエーテルを、引具を介して周囲に直接散布させる、という特別な行程で行われる操作は、見た目の紋陣の大きさよりも遥かに高い威力を持つ。なぜならば、中空に撒かれたエーテルが同調し、形態を変化させて爆発するように広がるからだ。

 通常の干渉図術を使用する場合、紋陣を生成する際に始終点を設定し、術の規模を定める。のちに紋陣へエーテルを流し込み、術を発動させる。


 近距離戦で図術を使用しないのは、それらの行程でどうしても時間を食ってしまうから隙が大きくなり、さらに生成が間に合わない場合が多々あるためだ。


 ”拡散”が強力だと具者の間で言われているのは、生成時間を大幅に短縮させることで間合いを気にせず撃てるだけでなく、中空のエーテルも同調させ術の威力をあげられるという、反則じみた手であるからだ。レリの森で紋陣の大きさに惑わされたヨクリのように、傍目から威力の想像がつき難いのだ。



「そのまえに。『今日見た手配者は一人だけだった』て、報告してくれる?」

「……いいよ」


 ヨクリがさらりと嘘をつくと、知ってか知らずか、黒ずくめは愉快そうにふふんと鼻を鳴らす。


「じゃあ、どっから話そうかなー」


 顎に手を当て、考え込む仕草をしたのもつかの間、


「あたし、いくつにみえる?」


 毛ほども興味のない質問に、ヨクリの拳はくっと固くなる。


「知るかよ」

「ま、あたしも知らないんだけどね」

「ふざけてるのか」


 ヨクリが鯉口を切ろうとすると、押っ取り刀で黒ずくめが止める。


「違うって! あたしらみたいな身寄りのない子どもを使うやつらがいるやつらがいるって、知ってる?」


 炎が家を舐める音に、せわしなく木っ端の爆ぜる破裂音が混じっている。ヨクリが答えないでいると、


「……レムス」


 隣のアーシスが口走った。炎に照らされた鳶色の瞳は、遠くを見ているような、茫洋たる輝きをしていた。黒ずくめはそっちに目をやって、「おー、知ってるんだ」


「お前は、レムスの出なのか」


 続いたアーシスの問いに、笑顔のみを返す少女。レムス。地名か、あるいは組織の名か。ヨクリには判断がつかない。つらつらと考えを巡らせるヨクリを置いて、話はすすむ。


「レムスは、ヴァスト・ゲルミスの管理下にあるんだよね」


 だからゲルミスの事情を知っている、とでも言いたげな口ぶりだった。要するに、信憑性の裏付けをしていたのだ。それを信じるかどうかは、ヨクリが決めることではあるが。


「んで、こっから本題。赤毛の人とヴァスト、青髪の女の子を連れて、この街の管理塔にのぼっていったよ」


 どくり、とヨクリの心臓が跳ねる。赤毛の女は言うまでもなくキリヤであり、青髪の少女は——フィリルだ。

 ばたばたと、首巻きの端が熱による気流にはためく。つぅ、とひとしずく、額から汗が流れ、熱のなかに居ると唐突に思い出した。


「なーんかあるっぽいよねぇ。……例えば——実験、とか」


 ありえない。ヨクリは染み付いた常識のもと、内心で切り捨てつつも、本心を探るために訊く。


「なぜ、そう思うんだ」

「だぁって!」嘲りが混じった言葉のあと、「武官のゲルミスが、軍議でもないのに管理塔へのぼってるんだよ? あの男の興味は戦か、エーテルだからねぇ」


「エーテルに、興味?」

「戦前、あいつは実験に関わってたんだって」

「馬鹿な……! 六大貴族だぞ……?」


 実験、とは人体実験のことだ。

 図術研究の最盛期、人を検体とした試験は国法で禁止となった。平民ならば死罪、貴族でも位の剥奪が執行される大罪である。それは基礎校の四年次に図術を学ぶ門前で語られる、大前提だった。


 それを他でもない六大貴族がやっているとは、到底思えない。


「六大貴族だからやるんじゃないの? ……その辺はあたしの勘だし、絶対なんて言えないけど」


 暗に、罪は権力で握りつぶす、と仄めかす。六大貴族と耳にしていの一番に思い出すのは、キリヤ・K・ステイレル。高潔にして苛烈。そんな旧友が、言うに憚れるような悪行をするはずがない。ヨクリは小さく瞠目したまま、頭を回していた。

 おざなりに言い捨てた金髪がついでに囁くのは、ヨクリへの甘言。


「……気になるならさ、確かめにいったら?」

「お前には関係ない」


 ヨクリが冷たく突き放すと、黒ずくめはあっそ、と笑って、


「それじゃ、あたしはありがたくとんずらさせてもらうよ」 

「——逃がすと思うのか?」


 ヨクリが刀を抜き放った瞬間、黒ずくめは足下のなにかを蹴っ飛ばした。


 なにかの軌道を追うよりはやく、ヨクリとアーシスがそれぞれ左右に飛び退ると、少女は笑いながら、ヨクリらの間を抜け、炎の奥へと駆け出す。その腕には、拾われた腕輪。


「あはは! びびりすぎだってーの!」


 出し抜かれた悔しさは、少女を追跡させるには至らなかった。煙と炎熱が、ひときわ強くなっていたためである。姿が見えなくなった少女の胆力に、脱力感にもにた徒労を覚えたヨクリだが、このままここに留まるのはまずいと瞬時に思考を切り替える。

 墨になった柱が熾りつつ、がらがらと音を立てて崩れていく。路肩の木箱や樽の中身が燻された臭いが、空気に流され辺りを満たしていった。灼熱はもうすぐ、追いついてくる。


「……ちっ、さすがに進めねぇ。腹立つが、ずらかるぞ」


 アーシスの言葉に頷いて、浄水施設のほうへ走り出した。



 図術浄水施設まで戻ると、辺りは騒然としていた。火災の規模を知らせる伝令、周囲の封鎖を強化する維持隊。炎が燃えているほう——遮壁の側では、先程すれ違った火消しの怒声が飛び交っている。

 アーシスは維持隊員の一人と話し込んでいた。戦闘結果と、火災の原因を知らせているのだ。加えて、ちゃっかりと一つ拾っていたあの爆発物を証拠として検分させている。


 ヨクリはその光景をぼうっとした顔で見ていた。

 去り際にかけられた黒ずくめの呪いが、脳内を埋め尽くしているのだ。


 ——気になるならさ、確かめにいったら?


 本当に図術実験が行われるのだとしたら。キリヤが加担しているのだとしたら。いいのか。このままで。見送って、取り返しがつかなくなったら。今度はきっと、踏みとどまれない。


 心のうちで、乾きを癒す水が一滴、落ちて波紋を描いた。

 ヨクリの眉宇にほのかな感情が見え隠れする。


(——マルスに、会わなければ)


 金髪の青年の意見を仰ぎたかった。たぶん、止められる。あの青年は、ヨクリを大切に思ってくれているから。それはヨクリにも重々伝わっていた。

 それでも。もし、間に合って、取り返せるのならば。


(マルスの心情を振り払ってでも、訊きたいことがあるんだ)


 ヨクリは袖で、煤まみれの頬を乱暴に拭った。


「すみません、急用が」

「聴取がまだだ。君の身元も不明瞭だからな」


 急に割り込んだヨクリに、アーシスと維持隊員はそれぞれその顔を見、隊員がばっさりと拒否する。ヨクリはシャニール人で、身分を保障してくれる家族も居ない。維持隊員としては、まだ火災の原因が判然としていない以上、ヨクリらを帰すわけにはいかないのだ。

 ヨクリの口から咄嗟に出たのは、あの古き友の名だった。


「俺の身元は——キリヤ。キリヤ・K・ステイレルが保証してくれます」

「ステイレルだって!?」


 驚きの声をあげる隊員。ヨクリは矢継ぎ早に、


「嘘だと思うのなら、管理所で履歴を参照下さい。彼女から俺宛に、依頼がありました。つい先日のことです」


 しばし難色を示したが、隊員はヨクリを試すように脅しを掛ける。


「——六大貴族の名を騙ると、どういう目にあうのかは、わかっているな」

「承知しております。後ろめたいところは、なに一つありません。女神リリスと——国王陛下に誓って」


 ヨクリは隊員の目をしっかりと見据えて、明瞭に答えた。


「……行って良い」

「お心遣い、感謝します」


 頭を下げ、ヨクリは二人に背を向ける。


「アーシス、ごめん。俺、行かないと」

「おい、ヨクリ!」


 アーシスの静止も振り切って、ヨクリは駆け出した。地図はないが、道は覚えている。がむしゃらに、ひたすらに、疲労も感じぬままひた走る。


 幻影のごとく目の前をちらつく、一筋垂れた蜘蛛の糸を追いかけるように。

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