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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
27/96

   2

 二人が通されたのは、ヨクリも滅多に入らないマルスの自室だった。

 ヨクリ、アーシス、マルスは、それぞれ書机、寝台、別の部屋から新しく持ってきた椅子に座し、互いの顔が見えるように、体を部屋の中心に向けている。 


 壁際の本棚は、少しばかり下の作業部屋とは毛色が違っていた。もっぱら図術に関連した書籍が詰め込まれている階下に対し、こちらには童話や説話、聖樹書の見解を述べる神学書、哲学書などが散見される。おそらく就寝前や気分転換に読する目的で格納されているのだろう。


(あれ?)


 一冊だけ、階下にありそうな本を発見する。背には『三十歳の赤子』とあった。これは図術系の本だったとヨクリは頭の片隅にある知識をひっぱりだすが、詳しい内容までは思い出せない。


 凪ぎの部屋のなか、会話の糸口を探していたのだが、うまく思いつかなかった。ゆえにぼんやりと椅子に座ったまま、数々並ぶ題名を眺めているのである。

 ヨクリはまあいいや、と興味を逸らし、マルスの家の女中が運んできた茶を一口流し込む。すでに飲むのにちょうど良い温度まで下がっており、啜るのに苦はなかった。


「怪我は平気か」


 しじまを打ち破った第一声は、金髪の青年のヨクリを慮る言葉だった。。ヨクリは目線を本棚からマルスに移し、


「うん、治癒液だったから。……二人とも、運んでくれてありがとう。君たちが居なければ多分俺は……」


 答えつつ感謝をあらわし、カップを置いた。二週も治癒液のなかだったのだ。受付で聞いた、肩代わりしてもらった額面からも、自身が重体だったと窺えた。

 しかしマルスは正面から受けずに、含みのある返しをする。


「それは、どうだろうな」


 続けてマルスは、訝った顔をするアーシスに、


「とどめを刺そうと思えばさせた状況だったんだ。そうしなかったのは多分……いや、止めておこう。とにかくそう言う意味で、僕たちは間に合わなかった」

「……」


 アーシスは口をつぐんだまま、拳を握りしめる。手甲の布が擦れ、ぎゅっと革っぽい音を立てた。

 ヨクリは二人の沈痛な面持ちを見る。一度目を閉じてから、ゆっくりと瞼をあげて、


「それでも、ありがとう」


 再び礼を言ってから、ゆっくりと立ち上がる。二人が気に病む必要はまったくない。

 そう思ったヨクリはおもむろに話題を切り替えた。


「取り敢えず、今回の報酬を支払うよ。手間だけれど、今年の租税算出に必要だから、領収紙に署名してほしい」


 荷袋から麻袋二つと羊皮紙二枚を取り出して、それぞれ二人に手渡した。アーシスが中身を確認し、金額に驚く。


「お前、これは出し過ぎだろ」


 業者の相場で考えればそうなのかもしれないが、しかし依頼の質が違う。


「一応、護衛だからね。あとは俺が色をつけたってことで。……”金はある”からさ」


 二人には伝わらない最後のくだりが誰に対する皮肉なのか、ヨクリ自身にもわからなかった。

 アーシスには金貨二十枚、マルスには金貨八十枚を支払った。マルスのほうがとりわけ多いのは、図術知識料と、多額の治療費を含めた金額を渡したからだった。


 暗い心情を隠した笑みをたたえて促すと、ヨクリがてこでも動かないとわかったのか、渋々二人は受け取って署名し、紙を返却した。


「そうだ。俺の服、持っていってくれたのって、どっち?」

「僕だ」

「ありがとう。いくらだった?」


 修繕費用を問い、その分を自身の財嚢から引き、追加の紙とともに手渡す。

 ややもせずヨクリは羊皮紙をしまったあと、マルスらに諸々の世話への礼と、連絡が遅れたことに対する謝罪を改めて行った。マルスは無言で首を振るだけだった。ヨクリは金髪の青年の変わった様子に思い当たるふしがいくつか浮かんだが、どれが正解なのか推理できなかった。


 が、後回しだ。気持ちが薄れる前に、ヨクリは清か(さやか)にさせておきたかった。

 前置きは、これで終わりだろう。先手を打たれるより早く、ヨクリは仕掛けていった。


「アーシス。先に、訊かせてくれない?」


 ヨクリはアーシスと目を合わせ、くだんの説明を求めた。ヨクリの瞳になにかがともっているとアーシスは気付かずに、


「……いや、お前のほうこそ」

「アーシス」


 有無を言わせないヨクリの静かな怒気に、アーシスは気圧されたように眉尻をわずかに下げた。

 そう。ヨクリはアーシスに対し、明確な怒りを覚えていたのだ。


「君が識見を損なっているようだからはっきり言っておくけれど、マルスは俺たちとは違う。締めなくちゃいけないところがあることくらい、わかっている筈だろ」


 ヨクリはアーシスの属する派閥の件を悟り、そしてそれをマルスに持ちかけようとしたアーシスに、筋違いだと糾弾しているのだ。


「なんのために俺が”門”でマルスを遠ざけたと思っているんだよ。もちろん君のためでもあったけれど、それだけじゃない。マルスのためにも、マルスに聞かせてはいけない話だったからだ」


 アーシスへの説伏に、マルスがはっとした顔で二人を見る。


「聞かれるだけなら、まだいい。術の種類とか、相談するには頼りになる。君の命も懸かっているから、最善を尽くすのは当然だ。それならわかるよ。でも……君は依頼に誘おうとしていただろう」


 黙したままのアーシスの態度は、肯定の意に他ならなかった。


「一体どういうつもりでそうなったのか、俺にはまるでわからない」ヨクリはついに剣呑さを露にし、「答えろ、アーシス!」


 こうしてヨクリがアーシスに敵意をむき出しにするのは、初対面以来のことだった。俯いたアーシスにさらに詰め寄ろうとするヨクリの肩を引っ張ったのは、体を起こしてヨクリの背後に立っていたマルスだ。


「違う、違うんだ、ヨクリ!」

「なにが違うって言うんだ、君は、」「持ちかけたのは、僕からなんだ!」


 ヨクリは動きを止め、マルスを見る。芽生えていたのはくじかれやすい、真意を問うための怒りだったと決めつけていたヨクリだったが、ことさら強硬な態度になっていたのは、八つ当たりに違いなかった。

 だからマルスの静止に、ヨクリは助けられた。一拍置く切っ掛けができ、頭が冷えたからである。


「聞いたのも、偶然なんだ」


 マルスは前置きをして、「君の見舞いで施療院に赴いた際に、アーシスの派閥の人が担ぎ込まれてきて。……実行犯がどうやら、教会の子らしいんだ。アーシスの属する派閥は熱心なリリス教徒が多くて、手が出せないらしい。他の人間も別の依頼を抱えていて、アーシス以外は……」


 ヨクリは、事実確認をとりつつ疑問を重ねた。


「手透きだったほとんどがやられたってことかい? ……子ども相手なんだろ?」 

「……二人組で、教会に関係ねえほうが妙な武器持ってるらしくてよ。そいつが全員施療院送りにしちまったんだと」 


 アーシスが固く結んだ口を開いてあとを継いで、さらにヨクリらに問うた。


「なんつったっけかな……教会って今、寝てんだろ?」

「伏日のこと? ああ、そっか。審問会か……」


 ヨクリの解説と得心にアーシスは頷きながら、


「一応依頼だからよ。情報は全部管理所に提出しちまってんだ。もうすぐ半月経って、その審問会が動いちまう」


 教会が身元を請け負う孤児や教学校の生徒、司祭など、教会内部の人間が犯した罪を計量する審問会という組織がある。

 まとめるに、派閥の構成員を殺したほうが教会の人間ということになる。当然情報はすでに行き届いているだろうが、現在、教会は表立った動きを取れない。これが日常であったならば依頼は取り下げられ、審問会傘下の教会兵団が舵取りとなり、事態の解決にあたっていたはずだ。


 教会は、教典に基づいた取り決めで、伏日から半月程度の休暇を儲けている。伏日が下月の枯の十二、今日が上月、種の五日であるから、猶予はあと一週程度という目算になる。


「んで、もいっこあんだ」

「というと?」

「妙な武器持ってるほうが、言ってたんだわ。『きみらといい、つくづく縁がある』って」


 あからさまに意味深な言葉である。ヨクリは文のうちの一つの単語に注目して、

「きみら、か。アーシスの派閥の名前ってなんだい?」

「”暁鷹”」

「事件の発端、殺されたランヴェル卿は、ハト派の有力貴族だ」


 このあたりの話は二人のあいだでなんらかの結論がでているらしく、それぞれの返答はすばやかった。政治的集合体であるハト派と対立する組織は一つしかない。


「じゃあ、タカ派の……」


 思ったよりもかかずらった話になってきた。単なる貴族殺しでは片がつかないかもしれない。しかし、ヨクリは殺害されたランヴェルという貴族や、教会、タカ派ハト派、やりとりに出てきたそれらの背景を全くといってよいほど知らない。

 とっかかりを探そうと、思わず嘆息したそのとき。


「ヨクリ」


 マルスが出し抜けにヨクリを呼ぶ。


「続ける前に、先に君の話を訊かせてくれ。僕にも君に話さなければならないことがあるんだ」


 本題に戻す声である。確かに、軸が逸れていた。

 さっきの説明では、人数が足りず、期間が短いという端的な理由にしかなっていない。それは二人の行動の選択の核ではなさそうだった。

 ヨクリは僅かに逡巡したのち、先日の苦い記憶を掘り起こすことに決めた。もう怒りは薄れていたからである。


「……わかった」


 すうっと息を吸って、平坦に努める。気を配らないと、声音は震えてしまいそうだった。


 まず引具の暴走から、説明を始める。

 次にあの場にはあと一人居て、その人物と少女の関係について。

 そして依頼は、全てキリヤの筋書きであったこと。それを理解した自分が我を忘れ激昂して戦い、敗北したこと。


 ——少女が連れ去られたこと。


 包み隠さず口にしたヨクリは少しばかりの疲労を覚え、振る舞われた茶を一気に呷り、飲み干した。一拍置いて、


「それで、終わり」


 カップを机上に置かれた受け皿に戻し、締めくくった。

 顔色を変えず、ヨクリに質問もしない二人に、ヨクリは少しだけ訝ったのち、得心する。暴走時のエーテル光で、マルスが全て悟ったのだろう。そしてもう一つ。


「……そっか、アーシスにも、大体話したんだね」

「……」


 気まずそうなアーシスと目線を逸らしたマルスに、ヨクリは微笑む。


「それについては、怒っていないよ。仕方ないって。……元々、巻き込んだのは俺なんだから」


 優しく付け加えたヨクリに、マルスは目をあわせようとはしなかった。こういうときのマルスには、なにか後ろめたいことがあるとヨクリは知っていた。黙って、青年の言葉を待つ。


「……知っていたんだ」

「なにを?」


 続きを促すと、


「……エイルーン嬢の」


 そこまで耳に入った時点で、続きはいらなかった。


「……そっか」


 語らせてしまうのは、酷だろう。マルスとアーシスは本当に、良く付き合ってくれた。ヨクリは目を閉じ、口元を歪めた。

 全てを訊いてなお、怒りはなかった。実のところ青年の態度から半ば予想はしていたし、きっと。


 ——きっと、どうしようもなかったのだろう。キリヤに出会ったあの日から、こうなることは決まっていたのだ。


 ヨクリはやっと、自分が負けてしまったのだと実感した。漠々とした悲しみが胸をよぎるが、それがなにに対するものなのか、たくさんありすぎてやはりあやふやであった。


 一人終結を思い知らされるヨクリに、ぽつりと呟いたのはマルスだった。


「タカ派の筆頭は六大貴族のユラジェリーと……ゲルミスだ」


 今しがたの話と繋がった。

 ヨクリはまた、慚愧(ざんき)の念を禁じ得なかった。


「だから、か。……じゃあ、全部俺のせいなんだね」

「僕はただ、君に申し訳が立たなくて……ひょっとしたらなにかあるんじゃないかって」


 マルスは、ほかならぬヨクリのために依頼をうけようとしていたのだ。ゲルミスの姿がちらりとみえただけの確実性の薄いこの依頼に。


「アーシス。君になにか言う資格は、俺にはなかったみたいだ。八つ当たりしてしまって、ほんとうにごめん」


 アーシスを責めるのはまるきり筋違いであった。ヨクリはこどものように癇癪を起こしていただけだったのだ。


「……オレぁ、学がねえからよ。貴族とか、技師とか、込めた想いってのを汲んでやれるほど賢いなんて思えねえ。……どっちをとりゃいいのか、わからなかったんだ」


 その己を嘲った言葉自体が、アーシスが浅慮でないという裏をきちんとヨクリに伝えた。マルスの貴族として、図術技師としての信念を、はっきりとはわからないまでも仄かに察した上で、それでも依頼を持ちかけようとしていたのは、マルスの持つ、ヨクリへの情誼を大きく買ったからだろう。


「うん。仔細承知した。二人は悪くない。……俺が全ての原因だった。済まない」

「いや、」「……あのさ」


 ヨクリは声を発しようとしたアーシスを遮って、


「俺は、大丈夫だから。……大丈夫じゃないけれど、なんとかなりそうだよ。だから、アーシス。やっぱり当初の予定通り、俺に協力させて欲しいんだ」


 そうやって、ヨクリが精一杯想いを伝えると、二人は押し黙った。ヨクリは静かに、しかし黒い感情を少しずつ吐き出すように、


「……なにかしていないと、嫌なことを考えてしまいそうなんだ。考えだすと、止まらなくなる。逃げだっていうのはわかっている。それを置いても、二人は十分よくしてくれたから、アーシスが困っていて、マルスがしなくてもいいことをしようとするのを、俺は容認できない。……もう、後悔したくないんだよ」


 その両方ともがヨクリの本音だった。


「こんな言い方をするのは卑怯だとわかっているけれど、俺のためを想ってくれるのなら、是非協力させてほしい」


 アーシスはヨクリの切願を受けて、しばし目を伏せた。思案顔でふう、と息を吐いてヨクリの肩をぽんと叩いた。


「……ま、お前がそう言うなら、オレはかまわねえけど……信じてもいいんだな?」

「ああ。へたは打たない」


 互いに頷きあう二人を見たマルスは腕を組み、口の端をあげる。マルスも、異論はないらしい。アーシスは空気を払うように右の拳と左の掌を打ち合わせ、


「うっし、じゃあ詳しい話をするぜ」


 アーシスはヨクリのほうへ顔を向け、


「オレが今日ここに来たのは、マルスに依頼を請けてもらうつもりだったんだが、なぜかっつうと明日の夜にやつらをあぶり出すからだったんだ」

「じゃあ、このあとすぐに管理所に行って手続きしないと、だね」

「ああ。提出した書はすぐに返してもらって、直接維持隊の詰所に持ってく。その辺の手筈も済んでるぜ」

「わかった。敵の戦力は?」


 人数は二人、というのは把握しているが、装備の詳細がまだだった。引具の形状や図術の種類。そういった情報は戦闘の勝利に肝要である。


「教会のほうはたいしたことねえらしい。やっぱもう片方がやっかいなんだろうな」

「妙な武器を使うと言っていたね。引具?」

「その辺はわからねえ。ただ、火を吹く、だっけかな。相手の手元が明るくなった途端、やられちまったんだと。鏃のちいせえ矢が貫通したみたいな傷跡だったんだが、体に鉄くずが埋まってた」


 反応したのは、金髪の青年。


「……古物か」


 古物という耳慣れない名詞は、基礎校で入り口程度に習う。ただ、専門的な知識を得るには学術院で専攻するしかない。ゆえに、古物へ無知であるヨクリとアーシスは、マルスの言葉を待った。


「弾を込めて射出する絡繰りだ。きわめて軽く、小さく、そして威力と精度の高い弩だと思ってくれればわかりやすいか」

「……反則じゃん」


 聞いた限りでは、理想的な武器だった。古物に関するあらゆる細事をすっとばして、ヨクリは反射的にぼやく。


「弧は描かず、ほとんど直線に飛ぶから、遮蔽物の多い場所で戦うのがいいだろうな」

「むむむ……。戦場はどこになるんだい?」


 マルスの助言に頭を悩ませつつ、戦に必要な項目をたずねてゆく。


「南東のスラムをねぐらにしてるから、たぶんそのあたりになる」

「ふむ」


 抜刀許可は降りているようだった。スラム——貧民層が暮らす区域なので、人々の喧噪を誘わない。避難勧告はでてはいるのだろうが、たぶんほとんどの住人は動かない。

 ヨクリは作戦の立案に時間がかかると踏んだ。なら、先に済ませなければならない用事がある。物事には優先順位をつけ、行動するのが鉄則だ。


「それじゃあ、まず受注に行こうか。そのあと、いろいろ詰めよう」


 アーシスも首肯し、同意を見せる。そんな二人に申し出ようとするのは金髪の青年だった。


「……やっぱり、僕も」

「マルスは、駄目」


 ヨクリは察し、きっぱりと否定した。


「君は図術を使って人を斬ってはいけない。……そんなことになったとしても、それはきっと今回じゃないはずだ。俺はそう思うよ」

「……でも」


 なおも食い下がるマルスに、ヨクリは青年の懸案を取り除くだめ押しの説得をする。


「いいんだ。前の件は、君が気に病む必要なんてない。全部、俺のせいだったんだから」


 暫時なにかを言おうと口を開きかけたり、また閉じたりしていたマルスだったが、諦めたのか、しぶしぶといった体で受け入れた。


「それじゃ、行こうアーシス」


 話がまとまり、二人で目的の場所へ足を運ぼうとそれぞれ扉の側に寄ったとき、声がかかる。


「……武運を祈っている」

「うん。任せておいてよ」


 しっかりと頷いて、ヨクリらはマルスの家を出て、依頼管理所へ向かった。

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