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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
21/96

五話 影は離れず

 フィリルへの対応を改めようと決意した正午から、二刻が経過している。


 あのあと昼食を摂ってからマルスの家に引き返し、そこで開いた傷の治療を行った。血のにじんだ包帯を取り去って、止血薬を塗り、再び清潔な包帯を巻き付けた。マルスはぎょっとしていたが、深く追求しなかった。


 そんな慌ただしい昼休憩を挟んで再開した講義も、もう終わろうとしている。


「……つまり、そういう魔獣の性質を利用した殲滅戦に、敷陣を用いたりするのさ。まあ、そんなに大規模な展開紋陣となると、特殊な引具か、図術士並の技量がなければ不可能だがな」

「だいたい、わかりました」


 フィリルとマルスの問答をヨクリは眺めていた。今話しているのは都市外でマルスの使っていた”敷陣”についての説明であり、その有効な利用方法についてだった。マルスの挙げた例は、エーテルに引きつけられる性質を持っている魔獣達を、高濃度のエーテル体——特殊な処理を施した動物の死体などでおびき寄せ、その囮を中心とした敷陣を展開、一気に魔獣を仕留める、という作戦だ。


 結合が複雑な物質ほどエーテルに抵抗力を持つというのは図術学的に言い換えると、より多くのエーテルを含有している、という意味に等しい。つまり、人間の体は多様な要素で構成されていて、他の物質よりもたくさんのエーテルを含んでいるのだ。そして、魔獣は”一斉蜂起”によって生み出された存在で、社会の崩壊を促す目的で、人間を狙うようにつくられている。一斉蜂起の首謀者たちは魔獣にエーテルの濃淡を嗅ぎ分ける能力を付与することによって、間接的に人間を目標に動く生物に仕上げた。要するに、濃度の高いエーテル体に引きつけられる魔獣の性質を利用した一例を挙げた話である。


 この魔獣の性質と敷陣を組み合わせた作戦は有名で、基礎校の高学年の戦術・戦略講座で習う。そこでヨクリはふと、フィリルの指揮成績——国内の全基礎校生中四位というのは、これらの問題を落とした上での成績なのではないかと気づき、冷や汗をかいていた。


 マルスがぱたんと参考にしていた書物を閉じ、合図の声をあげる。


「こんなところかな」


 マルスはフィリルを見て、


「今日で僕が教えるのは最後になると思うが、君は物覚えもいいし、教えがいがあったよ。よかったら、いつでも遊びにきてくれて構わない」

「……はい」


 少女は小さく首を縦に振った。マルスも頷き返して、


「それじゃあ、来年も勉学に励んでくれ。……そういえば、あと三日、どうするんだ?」


 続けてヨクリに問う。


「うーん」


 ヨクリは一度唸ってから、


「間に合うなら、もう一つくらい都市外の依頼を請けてもいいかなぁと思っているんだ」

「そうか。……引具の整備もあるから、別れの挨拶はまだになるな」

「うん。依頼に関しては、どのみち二人にも頼むつもりだったからさ」


 どれだけ用心しても用心しすぎることはないと先日身をもって知ったばかりなので、二人が居るのはヨクリにとって心強い。


「この足で依頼見てくるよ。明日朝アーシスと会う予定があるから、そのときにいい依頼があれば、皆で受注しよう。取り敢えず、またここにはくるつもり」

「わかった。二人とも、気をつけてな」

「うん、ありがとう」


 やり取りが終わるのを見届けていた少女は、マルスへ槍を渡した。金髪の青年に点検してもらうためだ。そんな劣悪な品物を薦めて購入したつもりはなかったが、シリンダーの補充も兼ねた、万一の備えだった。

 見計らい、ヨクリは扉をあけつつ、「行こう、フィリル」と促した。その瞬間マルスの表情が強張ったのに、ヨクリは気がつかなかった。


「……君がそうしたのなら、僕のすべきことも……」


 という金髪の青年の言葉も、ヨクリは知らなかった。



 フィリルと共にいつもの管理所に着いて、ヨクリは真っ先に受注口へ向かう。業者番号を提示したとき、予想外の反応を受付嬢から投げられる。


「ヨクリ様ですね。お荷物を預かっております」


 差し出されたのは一通の封筒だった。


 依頼管理所は業者間の連絡のやり取りも担っており、相手の業者番号を知っていれば、相手がどの管理所で最後に依頼を受けたか、などの情報を手に入れられる。手紙や物の郵送も管理しており、こうして荷物が届けられることもある。金は多少取られるが、波動情報を利用した遠隔の会話もでき、それは通話機と呼ばれ、業者の意思疎通に一役買っていた。ただし通話が可能な波動情報の送受信機の本体や設備は大変高価で、貴族の家やこういった国が管理している建物にしか敷設されていない。


(誰からだろう)


 ヨクリは訝りつつ、フィリルを手招きしながら一旦待合室へ向かう。裏返すと、ヨクリの心臓はどくりと跳ねた。達筆な文字でキリヤ・K・ステイレル、と書かれている。浅く呼吸したのち、封を破り中身を確認する。簡素な手紙と——依頼書だ。まず手紙を流し読むと、フィリルの件らしい。当たり前だろ、心のうちで自分に言い聞かせてから、隣に座った少女に詰め寄って、一緒に見るように勧める。


 一切の装飾なく、休暇の最終日に同封されている依頼を受けろ、と簡潔にあった。ヨクリはふう、とため息をついたのち、依頼の仔細を確かめる。


 レンワイス西一番拠点の警護——近隣のレリの森にて魔獣の討伐。


「更なる詳細は担当の軍人へ、か」


 当日追加で説明があるのだろう。ヨクリは顎に手をやってから、フィリルに訊ねた。


「どうする?」

「……受けましょう」

「だよね。……キリヤから、だし」


 無視する理由もない。ふと、ヨクリは疑問に思う。これまで個人宛の依頼をこなしたことがなかったから、この依頼に関して、同行者を募れるのだろうかと。フィリルの件はヨクリがアーシスらに”諸経費”として個別に金を払うため、二人の経歴にはのらない。軍の人間——つまり外部の人間と連携した依頼であるから、この手紙の依頼は別の問題なのだ。


 金額は記されていたが、募集人数がこの書面には書かれていない。ヨクリは少しだけ思案したのち、開封したものを再び封筒に詰め、立ち上がる。


「それじゃ、明日、皆と受注書書こう」


 取り敢えず皆に集まってもらい、受注書を四人で用意したあとに管理所に提出し、拒否されたならそれは仕方ない。その点を相談する意味でも、明日ここに再び来る必要がある。


「はい」


 フィリルの返答を受け、少女を寮へ送るために管理所をあとにする。


 通りを連れ立って歩いていると、目に留まった店があった。逡巡して、決心し少女に一声掛けて、ヨクリは手早く買い物を済ませる。


 購入した物を携えて、店外へ出たあと、立ち止まって少女に提案する。


「ちょっと俺の宿に寄ってもいいかな?」

「はい」


 頷いた少女に笑いかけて、暫く滞在している宿へ向かう。列車に揺られ、さほどせず到着する。フィリルを三階の露台で待たせて、ヨクリは自分の荷からある物を取り出したあと、少女のあとを追って露台に着く。卓を挟んで向かい合わせに座ると、


「お待たせ」

「いえ」


 平坦に答える少女に、先ほど購入したものと、荷から出したものを卓上に置いて、すい、と差し出した。


「はい、これ」

「……なんでしょう」


 問うた少女に人差し指で指しながら、説明する。ちょっと古いが、手入れを怠っていなかった、鞘に入った小さな刀と、小箱。


「こっちが、俺が前に使っていた護身用の短刀で、こっちは」


 ヨクリが言い切る前に、少女は卓に置かれた物とヨクリの顔を順番に見て、


「……わたしに?」

「うん。ちょっと早いけれど、これまで頑張ったご褒美。……お疲れ様」


 口角を上げながら答えたヨクリに、少女は俯いた。


「……どうして」


 少女は受け取らず、ヨクリに訊いた。おそらくは、先日の酒場と同じ意味の質問だろう。ヨクリは少しだけ考えて、


「こういうの、初めてでさ。でも、俺なりに思うところがあって、俺がされたら嬉しいかな、ってことをきみにやってあげたいんだ。……それがなぜなのかは、まだ俺にもわからない」


 ヨクリは正直に答えて、続ける。


「必要なかったら、あとで捨てちゃってもいいから」


 笑みを崩さないヨクリに、少女は緩く首を振った。


「頂きます」


 少女の答えにヨクリはまた破顔する。フィリルは貰ったものを観察しつつ、聞く。


「こちらは剣、ですか」

「そのくらいの大きさのものは小回りがきくから、一振り持っておくと便利だと思う。獣の解体にも使えるし、お下がりなんだけれど、ちゃんと点検してあるから切れ味もいいよ」


 細かく解説すると、少女は次に箱を手に取って、


「これは?」

「前に首飾り、落としたよね」


 上流層でフィリルの引具を買いに行った際の出来事だ。


「はい」

「鎖が駄目になっちゃっていたから、その代わりに使ってよ」


 少女が箱を開けると、あの首飾りと同系色の鎖が納まっていた。フィリルは制服から首飾りを取り出して、鎖へ通す。


「……それ、大事な物なの?」


 少女は少しだけ俯いたのち、訊いたヨクリにぽつりと呟いた。


「……母が」


 そこで切れた言葉を、ヨクリは急かさずに待った。少女は伏し目がちに、 


「母が、持っていたもの、なのだそうです」

「……そっか。それじゃ、大切な物、だね」

「……」


 よもや少女の口から家族についてのことが出てくるとはヨクリも思っていなかった。ヨクリは息を吐いて、


「ま、そうはいっても、俺、よく知らないんだけれどさ」


 ヨクリの台詞に違和感を覚えたのか、少女は顔を僅かに傾けた。


「そうか……話してなかったな」


 ヨクリは思い当たる。最近はフィリルに限らず、他者に自分の身上を話す機会がなかった。


「記憶ないんだ、俺。だから、親がどうとか、よくわからないんだ」


 笑いながら、そう言った。


「俺が覚えているのは、十二の頃の記憶から——俺の年齢も便宜的なものでさ。シャニール人は戦争のときに記憶をなくしている人が凄く多いみたいで、特に子どもが多かったんだって。戦争の衝撃が原因らしい、としか言われなかったんだけれど」


 ヨクリの独白を、フィリルは黙したまま耳を傾けていた。


「当時は自分が何者なのかわからなくて、そういう子どもたちがたくさん集められている場所に連れられて、そこで試験を受けて、学力で年齢をある程度振り分けられたんだ。自分が何歳なのかとか、親とか、友達とか、なにも思い出せなくて。ランウェイル語を頭に叩き込まれたのも、そこでだったな」


 シャニール語や、日常で用いる物の名前、算術、学術的な知識は忘れていなかったが、肝心の思い出とか、自分に関する情報がすっぽりと頭の中から抜け落ちていて、とても怖かったと記憶している。


 そんな状態で受けた、ランウェイル語の訓練。

 ——あれは、この世で最もおぞましいもののうちの一つだった。ヨクリは今でもそう思う。


「それで、覚えたらすぐに基礎校に放り込まれて、今に至るって感じ」


 ヨクリは目を細めながら、


「だから、そういうの、少し羨ましいかな」


 言い終わると、目の前を何かが横切った。少女はぼんやりと空を見上げながら、


「雪」


 はらはらと、粉雪が舞い降りていた。ヨクリははあ、と白い息を吐き出したあと、立ち上がって欄干まで寄って、街を見下ろした。少女が隣に並ぶ気配。二人で、暫く雪の降るのを眺めた。


「ちょっと心配だな」


 雨雪は足場や視界が悪くなる。にわかな天候であればいいが、雨具を用意する必要があるかもしれない、とヨクリは頭の中で計算した。

 そして卓に戻って、懐から筆と手帳を出す。書き込んでちぎり、少女に渡した。


「はいこれ、俺の業者番号。管理所で言えば、俺に取り次いでくれる」


 少女は切れ端を眺めて、ヨクリの顔をうかがうように見る。


「依頼が終わったあと、なにか困ったことがあったらここに連絡してきて。俺でよければ、相談にのるからさ」

「……」


 こくりと首肯した少女に笑みを返して、ヨクリは固く決意する。


 あと三日、なにがあってもこの少女を守ろう、と。


 フィリルへの贈り物を終えたので、そろそろ行こうか、と促した。

 宿の外へでたが、ヨクリはそのまま少女とともに基礎校へ足を運び、寮まで少女に付き添った。



 ファイン邸二階の書斎は、マルスの叔父であるクラウスが屋敷に戻ってきた際に使用する部屋だった。下の作業部屋とは違い、整理整頓が行き届いている。きちんと本棚に書物が並べられ、覚え書きをする紙や重要書類作成のための羊皮紙など、その用途に応じて引き出しに細分されていた。マルスは部屋の奥、隅に取り付けられている通話器を操作し、呼び出しをしていた。


 暫く会話して、相手が事務処理を行う者から、目的の人物へと変わる。


『マルスか。どうした?』

「お忙しいところ済みません、叔父上」

『なに、君が気にすることではない』


 相手は、クラウス・ファインその人だった。落ち着いた深みのある声音は、知性がにじみ出ている。その声や仕草は、マルスがクラウスを尊敬する理由のうちの一つだった。


 しかしその敬愛してやまない叔父に、固い口調で淡々と告げるマルス。


「……手紙は読んで頂けましたか」


 マルスは訊いた。だが、この質問は額面通りではない。


『……いや、しばらく仕事場に缶詰めでな』


 マルスはそれが嘘であると知っていた。


「叔父上は今、ハスクルにいらっしゃいますか」

『……』

「戻っていらっしゃるのでしょう?」

『何故、そう思う』

「ステイレル卿が動いていて——あの性質と出自。……少し調べさせていただきました。管理塔に出入りしているそうですね」


 誰が、とはマルスは言わない。最低限の言葉で、最大の情報を相手に伝える。他ならぬ叔父に、必要以上の文は要らなかった。


 本当は叔父に詰問などしたくなかった。


『……』

「どう、なるのですか」

『それは、君の知るところではないよ』


 ようやく発せられた受話器越しの音は、マルスの戸惑いを切り裂くような拒絶の意だった。


「叔父上!」


 声を荒げるマルスに、


『分を弁えぬ男に育てた覚えはないはずだがね』

「……っ」


 クラウスの痛烈な返しに、マルスは言葉を詰めるほかなかった。


『力なき者の言葉に力はない。問いとは常に返るものではない。そう教えたはずだな?』

「……はい」


 マルスは項垂れて、返答した。何通りもの返しは頭の中で回るだけで、全て封殺されてしまった。暫くのあいだ、沈黙が続いた。


『……思考を止めるなよ、マルス。君の知恵はきっと役に立つ』


 その一言を残し、受話器の向こうからは妙なさざめきが流れ出した。通話が切れた証拠だった。

 しかしマルスはクラウスが置き去った台詞に、確信していた。


 叔父は全て知っている。


 叔父が多くを語らないのは、自分の成長を促しているからだ。思考し、相手の考えを更に読んで、無意識に発せられる言葉にならない情報を読め、と。


(では、やはりそうなのか)


 マルスは先の会話で自分の推理が全て線で結ばれたと感じていた。そして、自分が次に取るべき行動について考えたが、肝心のそれが全く浮かばないのだ。


 告げるか、告げざるか。どちらに転んでも、あの黒髪の青年には酷な現実だった。どうすればいいのかわからない。


 煮え切らない心は、やがて焦燥感へと変質していく。焦りは良い結果をもたらさないことも、叔父から学んだ。だが、もう時間がない。


(……だめだ、考えろ)


 そうやって必死に巡らせるが、マルスは決められなかった。

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