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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
17/96

   2

 駆け出しつつ両手に集中、強化図術を起動させる。通常の状態では到底捉えられなかったであろう狗の速度がヨクリの目には減少したように感じられる。ヨクリは自身の加速を確認し、獣たちのほうへ意識を向けた。


 左前方に一匹、正面に一匹、右前方に一匹。このまま真っすぐ進むと、三匹を同時に相手取らなければならない。

 ヨクリは右の踵を立てて急停止し、左へ足を滑らせた。右前方の一匹とは距離があき、そいつはヨクリを無視して後方のフィリルに標的を変える。


(よし)


 正面の一匹を引きつけつつ、左の狗に進路を合わせる。


 仕事に対する指針をヨクリは二通り持ち合わせていた。一つは、速度。もう一つは丁寧さ。今ヨクリが取るべき指針は、丁寧さのほうだった。都市外での戦闘に関しては、ほとんど実力を知らないマルスはともかくとしてアーシスはこと信頼における人物であり、ヨクリがフィリルに対して抱く憂事はあの茶髪の男が取り払ってくれる。ヨクリは今、時間がかかってもこの二匹を自身に引きつけ、処理しなければならない。


 疾駆するヨクリの軌跡を辿るように舞い上がる砂埃。始め正面に居た狗はその煙に身を隠すようにヨクリを追従する。

 そいつを無視しつつ、もう片方の狗に接近。距離はおよそ六十歩。ヨクリは速度を意図的に緩め、耳に注意を払った。後ろの狗の足音が近づいてくる。


 間合いに追いついた後方の狗は、死角に入り込む。牙を剥く気配。


(ここだ)


 それをうけたヨクリは足を止めつつ冷静に右に見返り、腕を振り抜いた。狙い通り、狗の側頭部に柄頭がめり込む。みしりと、分厚い毛皮に守られた骨の更に奥へ衝撃が伝わった感触。

 急所を突かれた狗は低く啼いたが、体勢を崩さずに着地。しかしヨクリは右足を軸にして逆に回転、続けざまの左蹴りを鼻っ柱にぶちかますと、今度こそ高い悲鳴をあげ、後ずさった。


 目算で八歩の距離が置かれる。猛進する正面の狗はだいたい十五歩。


 ヨクリは好機を逸しない。温めていた速力を開放、距離のあいた後ろの狗は相手にせず、正面へ突進する。

 真っ向に見る獰猛な表情は、ヨクリを食物以外のものとして認識していない。しかし、ヨクリはひるまずに更に距離を詰める。

 先に攻撃の動作をとったのは狗だった。一度体勢を低くし、ヨクリののど笛めがけて飛びかかった。顎が勢い良く開かれ、唾液の線が引かれる。鉄をも容易く切り裂いてしまいそうな鋭い牙がぎらりと顔を覗かせた。

 間を合わせて右足を蹴って左前方に軽く跳躍し、すんでのところで躱す。首巻きが狗の右前爪に触れるか触れないかの見切り。


 踏ん張って勢いを殺したのち、こなれた所作で振り向きつつ、左から右上に斬り上げた。空を斬る感触と高い風切り音。手応えはない。視認外の攻撃は避けられていたが、これもヨクリの想定内だった。


(逃がさない)


 再び視界に捉えた狗は後方に跳躍したようで、ちょうど着地するかしないかのところだった。距離は三歩。ヨクリの間合いだ。

 短く鋭い呼吸と共に、逆袈裟から更にもう一歩大きく踏み込み、手首を回して真一文字に幹竹割。初撃の回避を見越しての動作。虚を突かれた狗の脳天にヨクリの刃がめり込む。


(浅かったか)


 まっ二つとはいかなかった。毛皮で刃が滑り、狙いが若干逸れる。それでも右目ごと頭骨を割られた狗は脳みそをまき散らしながらまた一歩距離をあけた。

 放っておいてもじきに死ぬだろうが、今のところ闘争心は失われていないようで、だらだらと血と脳漿が混じった淡赤色の体液を頭から流し、うなり声を上げている。


(いや違う。なんだ、この違和感は)


 間合いは完璧だったはずだ。なら、何故。


 一瞬気をとられたせいで、更にもう一匹が半死半生の狗に追いついてきた。ヨクリは歯痒さに、思わず口の中で舌打ちする。


 干渉図術を使えば、手数を増やさずに倒せる。が、ヨクリはそれをすぐに否決した。都市外へ出てすぐにフィリルに自分が許可を出すか、フィリル自身や誰かが本当に危険な状況でしか干渉図術を使ってはいけないと言付けていたからだ。


 業者として生計を立てているヨクリは、干渉図術の戦闘においての利点を知っていた。知った上で、フィリルに使用を禁じた。当然理由はある。干渉図術は、強化図術とは比較にならないほどエーテルを消費するからだ。もちろん引具の性能や使用する図術の種類、展開紋陣の質など、さまざまな要素に大きく左右されるが、仮に基礎校で配られる修練用の引具でマルスの家で施したような初歩的な干渉図術を最小出力で使用したとすると、大体十発も撃てば引具に装着されているエーテルシリンダーの中身は空っぽになる。都市外は当然補給ができず、自分や仲間の使えるエーテルの総量は限られる。そして依頼を完遂したあとの、戻りの分も計算に入れなくてはならない。ゆえに、ある意味で業者は干渉図術に慣れてはいけなかった。そうでなくても、エーテルは高価だ。節約できるところは節約するよりほかはない。


 そう言った手前、ヨクリはここで干渉図術を使わない。今後の説得力にも関係するし、ヨクリにだってちいさな男の面目を守らなければならないときがある。できれば、というか、無傷で終わらせたい。これもちっぽけな誇りを守る欲だった。


 乾いた唇を舌なめずりして二匹の狗を見据える。ヨクリは静かに二匹の動向を目で探った。


 ヨクリの得意とするところは、後をとりつつも先を制する、いわゆる”待ち”の戦法だった。

 狗達の一挙手一投足に集中する。すうっと、頭の中が冴え渡る感覚。ヨクリはこの感覚が好きだった。世界中に自分と相手しか存在していないような、そんな狭窄した意識。


 跳躍しつつ大きく口を開いたのは意外にも瀕死の狗のほうだった。しかし、傷で動きが極端に鈍っている。ヨクリはしゃがみつつ刀を閃かせた。

 申し合わせたように刀の切っ先は狗の首を捉え、容易く斬り裂いた。絶妙の間だった。喉元から勢いよく血が噴出し、その衝撃でとうとう事切れた狗は、ぐったりとヨクリの背後にふっ飛んでいく。ぱたた、とヨクリの頬に数滴、返り血がかかった。


(まずい)


 刀を振り切った死に体のヨクリに、もう一方の狗が飛びかかってくる。

 体を起こし、刀を戻すのは間に合わない。そう瞬時に判断したヨクリは左手を柄から離し、腰の革帯につけられていた鞘を外した。逆手で持った鞘で、噛み付こうとする狗の上顎を下から突く。手抜きなしの一撃だったが、狗の顎は外れなかった。


 一度拮抗した力だったが、ヨクリは踏ん張って耐え、上半身をばねにして狗を押しやり、鞘を投げ捨てて再び刀を構えた。

 鞘による打撃と先ほどの蹴りで、狗は鼻と口から出血していた。

 やはり突進力は相当のもので、ヨクリの左手はぴりぴりと痺れていた。ぐっと力を入れ、感覚を確認する。痺れているのは手首から先の触覚だった。ならば、問題はない。


 三度の傷で、明らかに狗は疲弊していた。こちらを睨んでいるが、焦点が定まっていない。顔に集中した攻撃は、これが狙いだった。

 体さばきだけで軸のぶれた狗の攻撃を避けながら、ヨクリは油断無く刀を振るった。すれ違いざまに横から下半身を捌く。狗はすぐに向き直って飛びかかろうとするが、後ろ足がついていかず、前足で必死に地面を掻いた。ずるりと下腹から臓腑がこぼれでる。


 ヨクリはよどみなく詰め寄り、刀を下ろす。頭を断ち割られた狗はくぐもったうめき声とともに、脱力して地に臥した。


「……ふう」


 絶命した二匹の狗を一瞥したのち、頬の血を服の袖で拭いつつ、投げ捨てた鞘を探す。

 無事発見し、拾って革帯に装着、二度血振るいしてから納刀しようとして、思い直す。ヨクリから見て正面右の遠方でフィリルらが狗と戦っている。まだ終わっていない。


 ヨクリは強化図術を切らずに疾走し、狗に見つからぬように遠回りしてアーシスらのもとへたどり着く。

 アーシスとマルスは少し離れた地点で少女の動向を見守っていた。ヨクリを見たアーシスは、頬を緩めて確認する。


「終わったか」

「うん。エイルーン、どう?」

「オレから言わせりゃ、すげえよ」

「やっぱり?」

「ああ。あの年でたいしたもんだぜ」


 感嘆の声をあげるアーシス。ヨクリはフィリルのほうを注視して、戦況を分析した。


 フィリルはヨクリの六歩という教えをよく守り、巧みな足さばきで距離を保っている。額に汗の一つすら浮かんでいないのは、日頃からよく鍛錬している証拠だった。対して狗のほうは、細かな傷が幾つもつけられている。右前足に一つの裂傷、胴体には三カ所、更に、左耳が斬り飛ばされていた。


 命のやりとりははじめてのはずなのに、ヨクリから見たフィリルは冷静沈着だった。自分が優位に立っているという要らぬ高揚や、狙われている苦しみ、その他戦闘中に感じうる感情の一切が見当たらない。ヨクリは少女の戦いぶりを観察しながら、昔の自分を思い出していた。基礎校を卒業して最初に請けた依頼で、フィリルのように冷静だっただろうか。


 結局、自分とは比べられない。ヨクリは一人首を振って思考を止めた。あのときはヨクリにもこみいった事情があったし、フィリルとてそうだろう。心という人間のごく主観的な部分を客観視しようとしたところで、それは無意味だった。


 ——嘘だ。本当はあのときの気持ちを鮮明に思い出したくなかったから。そういうやましい感情が生まれたのを、ヨクリは無視した。


 くだらない考えをやめ、フィリルをきちんと見守る。あの様子なら、もしかしたらもう二匹増やしても倒せるかもしれない。さすがに実際に相手をさせようとは思わなかったが、ただの一匹ならば十分に任せられる。ヨクリはそう診断した。


「余裕そうだね」

「正直僕にあれをやれと言われても、できる気がしないな」


 ぼやいたマルスに、ヨクリはあははと空笑いした。強化図術のみでマルスとフィリルが立ち会った場合、ともすれば少女のほうに軍配が上がるかもしれない。それだけ少女は腕があるし、ヨクリの知るマルスは心底体を動かすのが不得手だったからだ。


「まあ、君の力は図術に寄り過ぎているからなぁ。……っと、そろそろ決着がつくね」


 石突きで頭をぶん殴られた狗は甲高い吠え声を一度発したのち、フィリルから視界を外した。

 その隙を逃さず、フィリルは間合いを大きく詰める。狗が顔を戻す頃にはもう槍の旋回が最後の動作に移行していた。距離を取ろうとしたのか狗の前足に力がこもったのをヨクリは見たが、まず間に合わないだろう。


 遠心力と槍斧自体の重さを含めた上からの一撃は、あますことなく狗の命を刈り取った。鼻先から首の付け根までまっ二つに斬り裂かれた狗は、ゆっくりと横に倒れ込んだ。遅れてぶしゅ、と断面から血が噴き出して、フィリルの鮮やかな青髪を赤く汚した。


 まばたきひとつせず、フィリルは槍を引き抜く。

 終わりを告げるように少女は大きく槍斧を振り回し、刃の血を取り去った。


「お疲れ様」


 ヨクリはねぎらいながらフィリルに歩み寄った。


「いえ」


 少女はやはり無表情に返答する。


「途中からだったけれど、見事だったよ」

「このぶんだと、オレらの出番はねえなぁ。ま、楽でいいんだけどよ」

「ふふ、全くだな」


 ヨクリの賞賛にも、アーシスとマルスの軽口にも、少女は動じなかった。

 フィリルは槍を地面に突き立てたまま、狗の亡骸をじっと見つめていた。


「どうしたの?」

「いえ。……もう、動かないんですよね」

「うん。死んでいるからね」

「死ぬ。血がたくさん出て、動かなくなる。……なにも感じなくなる」


 いつになく饒舌なフィリルに、ヨクリは少しだけ戸惑った。ほかの二人も、少女の様子を見て黙している。

「わたしが、ころしたんですよね」

「……うん」

「あれが、死」

「そうだよ」


 少女が感傷を抱いているのを、ヨクリは知った。


「生物が死んでいるところ、はじめてみました」

「そう。……それは、良いことだと思うよ。でも俺たちはこうやって殺して、生きている」

「少しだけ、物悲しいな」


 伏し目がちにそう呟いたのは、マルスだった。


「仕方がないと、割り切るしかないさ。少なくとも、俺は生き死にについてどうこう言える資格なんてないしね」


 こいつらが人を襲うかもしれない。だから俺はこいつらを倒さなきゃならない、なんていう正義っぽい言葉は、ヨクリは間違っても口にできなかった。


 そんな気持ちなんて全くなかったからだ。ヨクリはただ生きるために、魔獣を殺す。ほかに手段を持ち合わせていないから。そして、仮に持っていたとしても、その方法を取らない可能性を否定しきれないから。

 こうやって生死についてマルスが、ひょっとするとフィリルも心を動かされているのに、なにも感じられない自分を残念だと思えないことも、ヨクリは恥とは思わなかった。それくらいには、醒めていた。


 業者全員が全員ヨクリと同意見だとは思っていなかったが、そういう風に言えるほど強い人間をヨクリは知らなかった。

 鈍感になったのは、いつからだったろうか。ヨクリはヨクリ自身が忘れ去ったその彼方へ意識を集中しようとして、やめた。


「さ、仕事の続きだ」


 周囲の魔獣の気配を感覚と目で確認し、無事が分かると納刀して、フィリルらにもそれを促した。少女が槍をしまい終わる頃に、いつの間にか場を離れていたアーシスが全員分の荷袋を持って戻ってくる。


「悪いね」

「いいさ。さっき働いてねえからな」


 アーシスは快活に笑った。


「エイルーン、ちょっとこっちきて」


 フィリルを呼ぶと、素直に側に近寄った。ヨクリは荷袋から安っぽい綿布を取り出して、


「固まっちゃうと落ちないから、これで拭いて」

「どうも」


 フィリルは形ばかりの礼を述べつつ、髪を拭く。しかし、自分では見えないからか、あまりよごれが落ちていない。ヨクリは笑い半分呆れ半分のため息をもらしながら、


「貸して。俺が拭くよ」


 手元に戻ってきた綿布で、代わりに拭う。


「うあ」

「動かないで」


 少女にしては珍しい、妙な声音だった。そんなフィリルを制止しつつ手を動かすヨクリ。少女は再び頭を下げて、ヨクリの言いつけ通り、彫像のように微動だにしなかった。幸い、血糊はきれいに拭き取れた。


「髪は女のなんちゃらって言うしねぇ」


 などとちいさくぼやいたあと、綿布を荷袋の側において、


「それじゃ、解体しよっか」


 言いながらヨクリは両腕の袖をまくり上げたあと荷物から小剣を取り出して、フィリルが殺した死体におもむろに近寄る。


「なにをするんです?」訊いたフィリルに、


「倒した相手の一部を持って帰るんだよ。仕事しましたよーっていう証拠をね。今回は検査紙だけで完了にはなるんだけれど、ついでに倒して持って帰れば、そのぶん上乗せしてお金が貰えるんだ」


 答えるヨクリ。アーシスは死骸を検分しつつ、


「どれにすっか」

「ちょうど頭の半分取れそうだし、頭骨でいいんじゃない」

「任せるわ」

「了解」


 軽い口調だったが、これからヨクリがする仕事はかなり残酷だった。

 首の皮一枚で繋がっている頭部の半分を切り離し、脳みそを小剣でえぐる。ぼとぼとと落ちる肉片。たちこめるむわりとした蒸気は直前まで息をしていた証だった。強烈な血生臭さが鼻をつくが、ヨクリは意に介さず、粛々と作業をこなす。左手の骨と右手の小剣をすいすい動かして体液の付着を避けた。腕まくりをした意味はあまりなかったな、とヨクリはなんとなく損をした気分になる。


 ひとしきりかき出したあと毛のところを引っ掴んで上下させ、残った肉片を振り落としながら重量を確かめる。


「まだちょっと重いな」


 ヨクリはほとんど頭骨と毛皮だけになったそれを死骸の上に置いたあと、フィリルの髪を拭いた綿布で手の汚れを取り去る。続けて刀を抜いて、無造作に横薙ぎ。

 両断された切れ端は勢い良く吹っ飛んで、更に半分になった。納刀したのち、遠くに落ちた毛皮つきの頭蓋骨を拾い上げる。


「こんなもんかなぁ」

「ちょうどいいだろ」


 アーシスとヨクリのあっけらかんとしたさまに、マルスは片手で目を覆っていた。


「……何故わざわざ、頭なんだ」

「そりゃ、信憑性が高いからだよ。頭なら仕留めましたーって証にちょうどいいから、けちもつかないでしょ?」


 平然としたヨクリの表情と口調にマルスは顔を青ざめて呟いた。


「……解体は、君たち二人に任せてもいいか」

「……そのほうが良さそうだね」


 ちなみに、いま解体した個体の別の部位を持ち帰って嵩増しする、なんてずるはできない。解体されたものは依頼管理所できちんと波動情報を調べ上げられるからだ。そういう騙すような行為は刑罰がくだされる場合もある。

 ヨクリはマルスの恵まれた潔癖に苦笑いしたあとフィリルに向き直って、


「こういう解体とか、その解体した部位を運ぶのが運び屋——支援手の主な役割だね。要するに、雑用」

「はい」


 少女はこくりと頷いた。この作業は命に関わらないし、さすがにこの年齢の女子にやらせるには酷だろう。そうやって考えているとふとアーシスが疑問を口にする。


「そういや、持って帰ったこれってどうなるんだ?」

「どうなるもなにも、証拠以外の役目はないよ」

「んじゃあ、調べたあとは都市の外にぶん投げちまうってことか?」


「ああいや、確か」答えようとしたヨクリに代わって、


「大型の引具で処理されたあと、農耕の肥料などに用いられるらしい。魔獣の死骸から精製される肥料は良質なのだと、本で読んだことがある」

「そーなのか」


 マルスが説明を引き継ぐ。アーシスは世の中うまくまわってんだなぁと、わかったような台詞を口にする。


「ほかにも、調度品とか、日用品とかに魔獣の骨とか皮が使われるよ」


 更に注釈を入れるヨクリ。

 倒した獣だけ追加で報酬が増えると先ほど説明したが、獣の種類ごとにある程度金額が設定されていて、その額は日や時期によって上下する。例えば葉の月に雨が強いイヴェール地方などは、撥水性の高いある魔獣の皮が雨具の材料として重宝されていて、高価だった。もっと突き詰めると、当然雨期やその直前のほうが活発に取引される。そういう高額な獲物を狙い、専門的に狩りをする派閥もあった。


 とは言え、アーシスも知らなかった通り、一般的な業者はそういう情報に頓着しない。なぜなら魔獣は毎年新種が発見されていて、その都度覚えなければならない知識が多すぎるし、採取対象の討伐依頼が常に発行されているわけではないからだ。そんなものに気を取られるくらいなら、新しい図術の訓練や戦闘技術の研鑽に時間を割いた方がましだ。それはヨクリが一度”そういう情報誌”を購入して依頼の効率化を試みたが、あまりに面倒でひと月も続かなかった、という結果に基づいた意見だった。


 ヨクリは話もそこそこに切り替えて、


「それじゃあ、俺のやっつけたやつのもやっちゃおうか」

「だな」


 アーシスが返事をして荷物をまとめ、移動する。ヨクリが先導し、アーシス、フィリル、そして足下がおぼつかないマルスが続いた。



 解体作業も終わり、再び歩を進めて二刻が経過しただろうか。

 ヨクリらの依頼は都市から始まって、一つめの拠点までの路線の警備だった。今はちょうどその中間地点にさしかかろうとしている。

 拠点とは、長大な長距離列車の路線を防衛するための施設だ。そこには軍や依頼を任された業者達が駐屯し、路線の巡回と警護を担っている。有事の際は、そこから人が集められ、その地点の問題解決にあたる。


「そろそろなにか食べようか」


 見晴らしのいいこの場所でヨクリが申し出たのは、昼食だった。マルスなどは明らかにぐったりしているし、そろそろ補給や引具の点検なども挟んだ方が良いだろう。

 都市外で食事を摂る時は、こういった見通しのきく地形が望ましい。魔獣の強襲を避けるのが狙いだ。なにか起こった時、干渉図術も起動しやすい。そうでない場合は、交代で見張りをしながら摂ったり、歩きながら食べたりする。


「おっしゃ、昼飯だな!」


 アーシスが元気よく返事をし、荷袋を漁りはじめた。マルスもようやく一息つけるなと顔をほころばせながら支度をはじめる。


「俺たちも食べよう」

「あの」

「わかっているよ。きみのぶんもちゃんとある」


 フィリルに語りかけて、ヨクリは自分の荷袋から二つ分の食料を取り出した。


「はいどうぞ」

「ありがとうございます」


 フィリルに手渡してから、自分のものを開封する。

 今朝食べたものと似たような食物だった。


 都市外での摂食には、こういった持ち運びのきくものが好まれる。仕事上どうしても手が汚れてしまうので、手づかみで食べられる物はヨクリがそうしているように紙などでつつんでやり、直接手が触れないようにするのが基本的な業者の昼食だ。血肉で汚れてしまった手で口に入る物に触るのは衛生上いいとは言えない。妙な病に罹ってしまったり、魔獣そのものが有毒だったりするからだ。


 ヨクリとフィリルが手頃な岩に座り込んで食べていると、マルスとアーシスが自分の食料を持ってやってくる。


「いや、やっぱ飯のために生きてるようなもんだからな、オレは!」


 破顔しながら食むアーシス。


「……これ、良かったら食べてくれないか」


 マルスが差し出したのは決して小さくない編みかごだった。


「どうしたの?」

「いや、都市外にでてくると言付けたら、家の女中がはりきってしまってな……」

「あぁ……」


 あまり外出しないマルスだから、よけいだったのだろう。マルスの荷物が妙に多かったのはこれのせいかと、ヨクリは困惑しつつも笑みを浮かべて、


「そういうことなら、頂くよ」

「うまそうだな! いいのか?」

「ああ。……到底、僕一人で食べきれる量じゃない」

「……丁寧に、食器まで持ってきたんだ」

「僕にはいささか重かったよ」

「あはは」


 言いながら開封して、食器で籠をつつき、業者の飯にしては豪華な昼食は静かに進んだ。

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