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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
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四話 業よりいでし荒野の王

 ざらついた空と、乾いた風。都市外と呼ばれているランウェイルの大地に、生物の印は希薄だった。

 この草原はセラム平野と呼ばれており、聖峰フェノールの麓にある。この季節のフェノールから吹きつける山颪は身を裂くように冷たく、たびたびヨクリを辟易させた。今日も例に漏れず、堪えるほど寒い。


 樹木はほとんど群生しておらず、僅かな地の隆起が空との境にはっきりと映し出されている。

 寒風が木々を揺らすざわざわという音と、三つの足音。

 ヨクリは昇る日から、だいたい四刻すぎたくらいかな、と一人見当をつける。フィリルがそうであるように今は休みだが、基礎校では最初の講座が始まる時間だ。


 右は都市間車道、左は広がる草原。ちょうどヨクリらの歩く路線の周囲は草木が生えておらず、むき出しの痩せ地だった。青銀の道を目でなぞりつつ、ヨクリは隣のアーシスに問う。


「検査紙で確認してから、路沿いに撒けばいいんだよね?」

「ああ。そろそろやっとくか」


 言外に促されたヨクリは、管理所から受け取った荷袋をアーシスに手渡した。アーシスは中を一つ一つ検分したあと、右の手甲を一旦外して荷袋に入っていたそれにかえ、さらに小瓶を取り出す。

 ヨクリは検査用の紙切れを路線ぎりぎりのところに置いた。白色だったそれは僅かに変色し、ほんのりと赤く染まった。


「ちょっとだけ赤くなったけれど、どうする?」

「真っ赤になってねえから、薬撒くぜ」

「ふぅん。量はどのくらい?」

「オレがやるわ」

「わかった」


 二人で検討し、アーシスは小瓶の蓋を開けた。

 中に入っているのは、瓶の外からだと水にも見える、透明の液体。アーシスは慎重に、ひとしずくだけ親指の先に垂らし、人差し指で水滴を弾いた。


「それだけ?」

「じきにわかるぜ」


 アーシスが受け答えたのち、すぐに異臭が辺りから漂ってくる。それは徐々に濃くなっていって、ヨクリは無意識のうちに声をあげた。


「うわ、臭……」

「こいつの匂いで獣を避けるってこったな」


 鼻をつまみながらヨクリが顔をしかめていると、なにが楽しいのか、アーシスはその様をみて口の端をあげる。なんとも言えないにおいだ。薬品的でもなく、汚物とも腐敗臭とも違う、強烈な刺激臭。どうにか表現するなら、植物の青臭さを極限まで引き上げたものが近いだろうか。


 足下に置いておいた紙切れを見ると、みるみるうちに鮮やかな赤に色を変えていた。ヨクリは鼻をつまみながら筆をとりだして、場所と時間を紙の裏に記したのち、それを荷袋にしまった。


「なんで君は平気そうなのさ」

「ま、慣れだな」

「一滴だけでこんなに臭うのか……」


 嫌そうにアーシスの手元にある小瓶を見るマルスも、袖で鼻先を覆っている。ヨクリは隣の少女を見て、さすがと思いつつもため息まじりに、


「エイルーンは、なんともないの?」

「はい」


 これまで通り、冷静に返答する少女。


「そいじゃ、こいつはどうかな」言いながら視界の隅で悪さをしようとする影。フィリルの方へ小瓶を近づけようとするアーシスを止め、睨みながら牽制する。


「やめなよこのばか」

「冗談冗談」


 破顔しながら、今度こそ瓶の蓋を閉じるアーシス。


「どうしてそういうこどもっぽいことをするかな。君いくつだよ……」

「二十四」

「知っているよ」


 口でくだらないやりとりをしつつ、手足は止めずに薬品を撒く。


「しかしなんだ」

「うん?」


 話題を変えようとするマルスにヨクリは続きを問う。


「いや、思っていたものよりその、地味なんだな」

「あはは」


 確かにマルスの言う通り、路に沿って歩きながら薬を散布するだけの作業だ。華やかさとはほど遠いし、地味は地味かもしれない。


「そりゃ、俺たちだって毎日切った張ったをしているわけじゃないさ」

「だな」


 ヨクリに同調するアーシス。


「ほかには、どんなことをしているんだ?」

「オレは集落に荷物を届ける、なんてのが多いかな」

「ほう」

「そうなんだ?」

「まあ、集落出身だからな。たまにオヤジの付き添いで遠出もするが、ありゃ息が詰まって仕方ねえぜ」

「ああ、そっか」


 アーシスが懇意にしているレミン集落は他のそれとは少々異なっており、”非公式に”貴族が統治している。その貴族——エイネアとアーシスはほとんど家族ぐるみの付き合いをしていたから、エイネアの介添えとなると、それは貴族同士の交流になるだろう。それはヨクリの知るアーシスの性分と合致するとはヨクリも思わなかった。


 事情を説明されていないマルスは不思議そうな顔をしていたが、ヨクリは改めて自分が普段どんな依頼をこなしているのか、頭の中を精査していた。しかし、先ほど自身で口走った”切った張った”以外の依頼がすんなり思い出せない。


(あれ、俺ってひょっとして、結構殺伐とした毎日を過ごしているんじゃないか?)


 そんな寂しい事実と向き合いつつあったヨクリだったが、突然の音に思考を中断した。

 ぴぴぴ、という断続的な音は、ヨクリの荷袋から発せられている。アーシスはとたんに真剣な表情をして、


「やべ、列車が来る。急げ!」


 アーシスに従って路線から距離を取って、近くの岩陰に座り込んだ。アーシスの視線の先を見やると、一つの点がレンワイスの方向から近づいてくる。ヨクリはとっさにフィリルを引き寄せ、両手で少女の耳を覆った。


 瞬間、轟音と烈風。ヨクリはたまらず首をすくめ、目を力一杯閉じた。凄まじい速度で走り抜ける長距離列車は、瞬く間に草原の彼方へ去ってゆく。

 脳天を貫くような残響に、頭を激しく揺さぶられるような目眩と軽い嘔吐感がヨクリを襲う。足下に、いつの間にか脱ぎ捨てられた薬品用の手袋。顔をあげて隣のアーシスを見ると、小指を耳に突っ込んで音を軽減させていた。


「わりい、耳栓配るの忘れてたわ……」

「アーシスぅ……」


 くたびれた声音になったのは仕方がなかった。ヨクリとて失念していたから、アーシスだけの責任というわけではない。

 ヨクリはフィリルの頭から手をのけ、気遣う。


「皆、大丈夫……?」 

「これは、くるな……」

「ちかちか、します」


 こめかみを押さえるマルスと、いつもよりまばたきの多いフィリル。平気というにはほど遠かったが、この様子なら問題なさそうだった。少なくとも、耳を塞がなかったヨクリよりは。


「そういや、さっき鳴っていたのはなんだろう」

「列車の波動情報を感知する受信機だろうな」


 マルスが答え、ヨクリは荷袋から四角い箱を取り出した。


「これか」


 アーシスは頷きながら、


「オレらみたいな業者用だ。いつ列車がくるのかわからねえと、危なくてやってられねーからな」

「なるほどね」


 ヨクリはちょっとの間受信機を観察し、荷袋に押し込んだ。ついでに、ごそごそと袋の中を漁る。


「あったあった」


 腕を引き戻し、ヨクリは握った拳を開いた。手のひらにあるのは、四対の耳栓だ。だが一点だけどうしてもヨクリは気になってアーシスに訊ねた。


「ええっと……汚いね、これ」

「いや、こんなもんだぜ?」


 耳栓は新品とはほど遠く、薄汚れていた。元は白色だったのだろうが、本当に嫌なことに、若干黄ばんでいる。


「これ、大丈夫なの」


 衛生面を問うと、


「一応洗ってあるはずだぜ」

「そっか……」


 釈然としなかったが、こういっているのだからとりあえずは平気だろう。

 今渡しておくにこしたことはない。ヨクリはしげしげと手のひらの耳栓を眺め、選り分けた。一番きれいな物を少女に、二番目を金髪の青年に配ると、フィリルは一瞥したのちすぐに衣服にしまったが、


「……」


 露骨に眉を顰めたのはマルスだった。気持ちはわからなくもないが、我慢してもらうしかない。目で促すと、マルスは空いた手で一度眼鏡のふちを押し上げ、しぶしぶ、といった感じにスラックスに耳栓をねじ込んだ。


「どっちがいい?」

「どっちでもいいぜ」


 さして興味なさそうに言うアーシス。もうちょっと頓着したほうがいいのではないかと口にしかけたが、まあいいだろう。ヨクリはありがたく汚れの少ないほう(といってもあまり変わらないが)を自分のものにし、最後の一つをアーシスに渡した。


「さて、続きを」


 ヨクリは口にしかけて、目を細めた。


「アーシス」

「おう」


 二人揃って、路線とは反対の方角をみる。視線の先の草原は風でしきりに揺れていたが、ある箇所が周りの草と連動していない。がさがさと、一直線にこちらに向かってくる様相を視認し、ヨクリは確信した。

 間違いない。


 あの影はヨクリらが”獣”と呼称している存在——魔獣だ。


 ヨクリは全身の毛が粟立つのを自覚した。ヨクリにとっては久方ぶりの命のやり取りだった。心臓から全身に血液が送られる鼓動。指先まで研ぎ澄まされ、あますことなくヨクリに伝わってくる。

 魔獣には多様な種の存在が確認されているが、ヨクリは前方のそれに、ある程度見切りをつけていた。加えて数は多くない。自分一人で十分だとヨクリは考え——思い直した。

 そう。フィリルの教育だ。一人で片付けるのは楽だったが、それではここまで赴いた意味がない。


「どうした?」


 マルスが声をかける。つらつらと思考を巡らせていたヨクリは返答代わりに、


「二人とも、武器出して」


 二人に投げかけつつ荷袋を岩陰に放り、刀を抜いて構える。アーシスも薬品用の手袋を手甲にかえて草原を注視していた。マルスとフィリルはヨクリらに遅れて、引具を準備する。

 徐々に、だが素早く、草の揺れがこちらに近づいてくる。直線だったそれは分岐し、三方に散らばった。


「三匹か」

「どうする」

「二匹俺がやる」


 アーシスに呟いたあと、


「エイルーン。一匹任せるよ」

「はい」


 相も変わらず、少女は抑揚なくヨクリに頷く。ヨクリはその少女の様子に頼もしさを感じるのを禁じえなかった。


「油断しなければ、きみなら十分やれる。落ち着いて」

「はい」


 返事をするフィリルに首肯を返したヨクリは、


「マルス、アーシス。エイルーンを補佐してあげて」

「任せろ」

「わかった」


 マルスにはいささか緊張の色が見えていたが、アーシスもいる。この四人なら、間違いなくやれるとヨクリは自分を叱咤する。


「二匹は俺がひきつける。エイルーン、アーシスの順番で俺に続いて、マルスは一番後方に。アーシスは状況見て前後の間隔適当に取って、万一エイルーンが危なそうだったら、交代してくれ」


「おう」


 素早く指示する。アーシスへの心配はしていない。次にヨクリは、


「殺せると思ったとき以外は、距離を六歩以上取るんだ。絶対に六歩の間合いを詰められちゃ駄目。いいね?」

「はい」

「ああ」


 硬く首を縦に振るマルスと、再び冷静に返答するフィリル。


「……相手は?」

「多分だけれど……」


 マルスの声と同時に、とうとう揺れが草原の境目まで到達し、顔をのぞかせる。三匹の形影はこちらを向くと、鋭い犬歯をむき出しにして低くうなり声を上げた。


「”狗”だ。基礎校の教書にも載っているやつだから、二人とも知っているね?」


 問われたフィリルとマルスは頷いた。

 ”狗”は基礎校生全員が目を通す教書にも載っているだけあって、ランウェイルでは最も目撃例のある魔獣のうちの一種だった。危険度もそう高くはなく、国では低級と認定されており、当然、引具を携えた具者ならば、苦なく倒せる魔獣と思われている。が、ヨクリの意見は異なっていた。


 思われているだけだ。一番知られている魔獣ではあるが、業者の非依頼達成率——はっきり言ってしまえば、死亡率が一番高いのもこの”狗”だった。


 なぜならば、基礎校を卒業し、管理所に登録したての新人業者の初陣の相手はほとんどがこの眼前の”狗”だからだ。”狗”というのは業者が勝手につけているあだ名のようなもので、正式な学名も存在するが、もっとわかりやすい通り名がある。凶悪なその異名は”駆け出し殺し”。対策が整えられているからと油断した新米を狩るもの。それがこの眼前の”狗”に対して抱くヨクリの印象だった。


(ぶったぎってやる)


 夜闇のように暗い褐色の体毛に、ヨクリと同程度ある体躯。この魔獣はヨクリがついこの前の依頼で倒した相手だ。牢にぶちこまれたのはこいつらが原因ではなかったが、それでも鬱憤を晴らすにはうってつけだった。


 三人に目配せし、同意を貰う。


 それをうけたヨクリは三匹の”狗”目がけて躊躇無く駆け出した。

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