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構内は吹き抜けで、外気が直接流れ込んできており、風が身を裂くように冷たかった。ヨクリは首巻きを押さえながら、鉄柱の奥の白みはじめた空のほうを見る。陽光が山陰からちょうど顔をのぞかせているところだった。
今日は依頼の当日で、ヨクリはまだ暗い時間に管理所へ荷物を取りに行ったあとフィリルを迎え、アーシスらと合流した。
都市外依頼のため、各々大きな鞄など、運搬用の袋を携えている。エーテルシリンダーや携帯できる食料、水筒、応急手当用の針や糸などが詰め込まれ、個々の性格によって中身は違う。動きやすさや軽さとの兼ね合いも重要で、選別には感性が問われる。体術、戦略、図術技能よりも、所持品のほうが師の影響を色濃く受けやすい。
レンワイス西大門。
幾本もの柱がそそり立つ、だだっぴろい空間だ。都市を囲う遮壁の一部である構内は、四角く切り出した無骨な石材や図術加工の施された金属で構成されている。都市内の人間はまだまどろみの中にいるだろうが、しかしここには数えきれないほどの人が往来していた。物々しさよりもせわしさが目立ち、皆足早だ。ひどくざわめいていて、時折列車の発車音や、大声などが聞こえてくる。ヨクリはここが落ち着き払っているところを見たことがない。
すれ違う人々にぶつからないように、身を縮め移動する。
「人が……」
「うん、円形都市の玄関だからね」
ヨクリはフィリルの呟きに答える。
円形都市にはヨクリの言う異名通り、わかりやすい入り口がある。円形都市内を走る路線と、都市間列車の乗場が集中する大施設。地形的に変わった作りをしている都市でなければ、直接都市と外を行き来できる”門”もここにある。
都市内の出入都人数をいっぺんに管理している行政所も敷設されており、業者とおぼしき、物々しい人間も多い。”門”から外へ出て、魔獣を狩る。それが業者の生業だし、入出を把握するには門に施設を建てるのが一番手っ取り早いからだ。
人ごみの奥、視界にちらりと見える長い階段は当然上階へ通じていて、そちらは都市内を走る路線の乗り場に繋がっている。
「いろいろと気をつけて。ちょっとでもはぐれちゃったら、探すのだけでも一苦労だし、手癖の悪いやつらもいるから」
「はい」
言い聞かせ、ヨクリも注意して歩を進める。
「お前も大概アレだけどな」
「なにさ」
ヨクリはじろりとアーシスを睨んだ。
「ちまいから、みつからねぇってこった」
「はは」
「マルスまで笑うなよ……」
ヨクリは突っ込んだアーシスとマルスにぶすくれる。そんなくだらないやり取りをしながら、ヨクリらは固まって進んだ。
途中、ヨクリはふとある人物に気を取られる。黒い外套をすっぽりとかぶり、隅の方に佇んでいる。小柄で、子どものようだった。遠目でもみすぼらしい格好だとわかる。
(スラムの子どもか……?)
スラムの人間は都市外へ用事はないはずだ。なのに、なぜだろう。人を待っているようにも見えなくはないが、ここは待ち合わせ場所には適さない。
さっき言ったようなスリで生計を立てているというのは考えにくい。黒ずくめは逆に怪しいし、もうすぐ明るくなるこの時間は目立つからだ。仮にそうだとしても、仕事を終えたならさっさと家に帰ればよい。
「っとと」
前を歩いていたアーシスが急に立ち止まり、ヨクリはその広い背中にぶつかりそうになった。文句を言おうとしたが、表情が険しい。
「どうかしたの?」
予定よりも声音を優しくして、ヨクリはアーシスに訊ねる。
「ん、あぁ、いや」
歯切れの悪いアーシス。ヨクリはアーシスが先ほどやっていた顔の方向へ視線を向けると、そこには業者数人がたむろしていた。それを確認し、直感する。
「気にしているんだ」
「なにがだ?」
ヨクリは調子を取り戻したアーシスにはごまかされなかった。
「あの人たち、同じ派閥なんでしょ」
「……」
「あれ、やっぱり気になってるんだよね?」
「……ばれちまってたか」
「なんの話だ?」
マルスが割って入ってくる。アーシスだって、闇雲に言いふらされたくはないだろう。ヨクリは「ごめん、なんでもないよ。先に行こう」とマルスの質問に答えずに促し、皆を引いて歩く。
「悪ぃ」
小声で謝るアーシスに、同じくヨクリは声量を抑えて返す。
「いいよ。……でも、依頼中はしっかりやってよね」
「ああ。悪いな」
アーシスも依頼で飯を食う専業の業者だ。私情を仕事に持ち込むことはしないだろうとヨクリは無理矢理信じる。
「行列……」
再び、少女がぽつりと漏らす。
「長距離列車の乗り場だね」
流線型をした列車は整備点検が行き届いており、汚れや劣化は見当たらない。引具に使われるものと同じ、青色をした図術強化金属で作られている。
都市間をだいたい半刻で駆け抜ける列車は、主に貿易商や執政官、上卒以上の武官が仕事のために使う。流通の要でもあり、ランウェイルの生命線とも言える。ヨクリも頻繁に利用しているが、都市内を走る列車に比べるとかなり割高であり、距離にもよるが金貨一枚以上は最低でも必要だ。
もちろん例外はあり、先に述べた貿易や、依頼で移動をしなければならないときの乗車賃は大幅に値引きされる。物資の運搬を潤滑に進めたり、業者の待遇改善の一策だったりと、その目論みはさまざまである。
車の護衛を兼ねるのであろう帯剣した車掌が列車の出入口の脇に待機しており、乗り込む人間の管理を担っている。安全用の柵の奥では列車の吐く煙がもやのように線路にたまって、じわりと上にのぼって消えてゆく。
乗降口には身なりの整った裕福そうな商人や、逆に粗野な格好の業者など、千差万別の人々がずらりと並び、列車の到着、発車を待っている。
「俺たちはあっち」
ひとしきり眺めたあと、ヨクリはすっと別の方向を指差した。
巨大な門。薄暗い構内だったが、光が射して、早朝の透き通る空気にきらきらと反射している。奥には鮮やかな緑。影になる鋼鉄の柱や石壁は、深い青に染まっている。自然物と人工物が合わさった門の周囲だけ、切り取ったように美しかった。貴族の屋敷に飾られる一幅の画を描く一流の画家でも、この美麗さは表現しきれまい。
早朝は人の多さとは裏腹に、どこか神聖さすら感じるが、時間帯によってまた違った美しさを見せるとヨクリはいつも思う。夕刻になるとお捻り目当てに曲芸師や詩人などが集い、暖かい賑やかさで満たされるのだ。
「おおきい」
「あれが”門”だよ。俺たちはあそこから外へ出るんだ」
門の付近には露店などが並んでいて、この早朝から商売を営んでいる人も多かった。ヨクリらのように直接門から都市外へ臨む業者達が買い食いをしたり、都市内で購入しそびれた必要品を補充したりしている。さっきの乗り場ほどではないが、そこそこの賑わいを見せていた。
ヨクリ達は門のほうへ足を運ぶ。隣のマルスはきょろきょろと落ち着かない様子だ。
「おお……」
「少しなら、時間もあるし見てもいいよ」
「本当か!」
いつぞやのやり取りにそっくりだと、ヨクリは苦笑する。対し、マルスはなんの含みもない喜色を浮かべた。
「門のすぐ側に衛兵が立っているでしょ? 四半刻後、あの辺りに集合ね」
「わかった!」
マルスは小走りでヨクリらから離れてゆく。おそらく、図術道具を見にいったのだろう。
「時間、大丈夫なのか?」
「うん。みんな早めに集まってくれたし、問題ないよ」
「そうか……」
さて。マルスがこの場に居ないのは、都合が良かった。本当は依頼が終わってから話そうと思っていたのだが、そのためにまたアーシスを呼び出すのも効率が悪い。ここで本心を聞き出してみるかと、ヨクリはそう考えた。
ちらりとフィリルを見るが、少女はこちらを向いておらず、ぼうっと門を眺めている。好奇心を先走りさせてうろつくような性格の子ではないし、そういう年齢でもない。放っておいても支障はないだろう。
なにをするでもなく佇立するアーシスに、ヨクリは簡明直截に訊ねる。
「あの依頼、請けるの?」
アーシスは驚いてヨクリの顔を見た。
「……」
「人斬り、怖い?」
「そうじゃねぇ」
心外だというふうに首を振ったアーシス。ヨクリは重ねて、
「派閥に入って、まだ浅いんだっけ」
「まぁな」
「派閥の人と、そりが合わないとか」
「んなこたねぇよ」
「ふむ」
いくつか質問をして、ヨクリは考え込んだ。世間話をしているわけではないとアーシスも察したのか、ヨクリに心を配ったように笑いかける。
「お前が気にしてどうすんだよ」
「まぁ、いいじゃない」
ヨクリも笑顔を浮かべた。一度瞼を閉じて思案したあと、
「俺にはアーシスが何を悩んでいるのかわからないんだけれどさ」
ヨクリはそう前置きして、
「請けるか請けないかの、どちらかじゃない?」
「お前な……」
単純明快なヨクリの回答に、身構えていたアーシスは脱力したように肩を下げた。
「簡単に決められりゃ、苦労はないぜ」
「そうかなぁ」ヨクリは首を傾げながら、
「派閥に義理を立てるのなら、断れないよね。今聞いた感じだと、彼らに嫌悪感をもっているわけじゃなさそうだし、アーシスなら引き受けそうなものだとも思う。でも、悩んでる」
予想立てて述べてから、声音を落として感情を出さずに追求する。
「何人か斬られているんでしょ」
「……あぁ」
そのことが一番の気がかりらしく、重く返事をするアーシス。
「俺だったら、請けちゃうな」
「そうか?」
「うん。だって派閥の人、嫌いじゃないんでしょ? だったら、俺には断る理由はないよ」
「そういうもんか」
「そういうものでしょ」
あっけらかんとしたヨクリとは対照的にアーシスは歯切れ悪く、おそらく本来の悩みであろうことを口にした。
「……ホシは子ども、らしいんだ」
「へぇ……」
「だからよ。なんとなく、ためらっちまってさ」
ヨクリはとたんに腑に落ちた。実にこの茶髪の男らしい気がかりだったからだ。
生来、年下の人間が好きなのだろう。だから集落の子どもたちも懐くのだ。妹をずっと守ってきた兄だから、なのだろうか。そこだけは、家族の居ないヨクリにはわからなかった。
ヨクリは忌憚ない意見を言おうと、口を開く。
「……貴族殺しは大罪だよ。”生死を問わず”っていうのは、年齢も除外される。その子どもはそれだけの大事をやったんだ。俺は自業自得だと、そう思う」
「子どもでも、か?」
「うん。いくら子どもっていったってまさか物事の分別がつかないような年齢じゃないだろうし。どんな事情があろうと、法を破るやつは世界には要らない。世の中は、そんなやつらをぜーんぶまとめて救ってあげるほど、優しくなんてない」
そうじゃなきゃ俺たちみたいな連中、居ないはずだ。ヨクリはそうしめくくった。少しだけ、未練がましいなと表に出さずに自嘲する。
そんなヨクリの本音にアーシスは言葉を失ってから、やがて得心したように何度も頷いた。
「そう、だな。そうなのかもな」
「俺も手伝うよ」
「いいのか?」
「いやならここまで首突っ込まないって」
それはアーシスに対する、ヨクリの真実だった。理由を聞いて、ますますこの男に力を貸したくなった。そうさせてしまう人間なのだ。このアーシスという男は。
アーシスは笑って、ヨクリの提案を受け入れる。
「ははっ、そうだな。じゃあ、頼むわ」
「頼まれた」
アーシスが腕を突き出すと、ヨクリもそれに合わせた。こつりと、両者の拳がぶつかり合う。
これで、アーシスは気を散らさないだろう。依頼の達成はもちろん重要なのだが、なにより全員の無事が大事だった。重い心のままなにが起こるかわからない都市外へ出るのは危険だ。
そう安心していたヨクリに向けられる視線。感じ取ると、フィリルがこちらを向いている。
「どうしたの?」
「いえ」
ふっと、視線を逸らす少女。ヨクリはやはり、フィリルがなにを考えているのかいまいち判別できない。そこに呟いたのはアーシス。
「そういや、少し腹減ったな」
「え? ご飯食べてこなかったの?」
「いや、食ったんだけどよ」
ヨクリは目を凝らして門につけられている大時計を見る。まだ、少し時間がありそうだ。
「なにか買おうか」
「だな」
首肯するアーシス。ヨクリはフィリルにも聞く。
「エイルーンは、食べてきたよね?」
「いえ」
予想していない返答だった。ヨクリは絶句する。
「……なんで?」
「食堂が、開いていなかったので」
なるほどと、わけを聞いて理解した。寮暮らしのフィリルは基本的に外で食事をしないだろう。冬期休暇の最中で、ましてやこの時間だ。生徒が集う食堂が開いていないのは無理もない。
だが、正当な言い分を聞いてなお、ヨクリは叱責せねばならなかった。今ヨクリはこの少女の指導役で、少女を正しく導くのが仕事だからだ。
「エイルーン」
「はい」
「ご飯を抜くことが、周りにどれだけ迷惑をかけるかわかっていないみたいだね」
ヨクリは目をきつくしてフィリルに言い聞かせる。
「いいかい。引具がエーテルを使うように、俺たちは食事なしでは満足に動けないんだ。ご飯を抜いて仕事をするのは、責任感のある人間じゃない。空腹で本来の力が出せなければ、外で命を落とすかもしれないんだ。そうやって死ぬのは自分が悪いけれど、一緒に仕事をする人は、死んだ人間の分までこなさなくちゃあならない。それだけだったらまだましなほうだ。今後きみがこうやって食事を抜いて依頼に行ったとき、一緒に仕事をする人たちまで死なせてしまうかもしれないんだよ。……もしそれがきみの大事な人だったら、どうする?」
「……でも」
「でもじゃない。……二度としちゃ駄目だよ。ほら、お腹になにか入れないと」
言い終わると、戸惑う間を与えずにヨクリは強引にフィリルの腕を取った。アーシスに目配せし、連れ立って露店へ歩く。鉄板で肉を焼く音と、食欲をそそる香ばしい匂いがたちこめていた。
アーシスより先にヨクリはいくつか注文をして代金を払い、出来上がった紙に包まれた棒状の食べ物を受け取った。
続いてなにを頼もうか迷っているアーシスに「酒は駄目だからね」と小言を投げ「わぁってるよ」とすねた返答を貰い、フィリルを連れて離れた。
近くの長椅子に腰掛け、少女に食べ物を手渡す。
「はい、これ」
「……」
「ほら、食べる!」
有無を言わさず押し付ける。ヨクリも自分のものを取って紙の包みを上から破くと、香辛料のつんとした香りが鼻を通り抜ける。肉と菜を、焼いた穀物の薄生地で包んだ料理だ。出来立てでほかほかしていて、直接触るとまだ熱い。下のほうを持って、上からかぶりつく。
ちゃんと食べているかどうかフィリルを監視すると、ヨクリを倣ったように、ちいさな口でかぷりと取り出した食べ物をかじっているところだった。
少女はもぐもぐと口を動かし、飲み込む。次に小さく目を見開いたところまでヨクリが確認すると、
「おいしい……」
「……ん、でしょ?」
口の中の物を嚥下してから、フィリルに答える。
「外で食べるのもいいんだよ。この時期はちょっと寒いけれどね」
首巻きを上げながら苦笑いし、
「こうやって気持ちのいい場所で誰かと食べるご飯がおいしくないときは、なにか思うところがあったり、体の調子が悪かったりするものだよ。……確かに、食べたくないときはあるけれど、自分が今具合がいいのか悪いのか、簡単に測ることもできる。だから、おろそかにしちゃあ駄目だ」
少女は少しだけ目を伏せて、ヨクリの言葉を反芻する。
「誰かと、食べる」
「うん」
相づちを打って、ヨクリはまた一口食み咀嚼して飲み下す。
「今後、今日みたいに食事がとれなかったときは、必ず俺に言いなさい。一緒に食べよう」
ヨクリは少女の目を見て、
「約束だよ」
「——はい」
フィリルはヨクリにもわかるように、大きく頷いた。ヨクリは笑顔を返して、食事を再開する。そこへいくつかの食べ物を携え、アーシスがヨクリに近づいてきた。もぐもぐやりながらヨクリが隣を促すと、アーシスは腰掛ける。アーシスとしばらく談笑しながら食べていると、
「なんだ、皆食べてきていないのか」
言いながら近寄る人影。マルスだ。
「いや、ちょっと小腹が空いちゃってね。それにしても早かったじゃない」
「たいした物は置いていなかった」
ヨクリに返した台詞とは裏腹に、楽しそうなマルスだった。
「まぁ、どの店も補充用だからね。だいたい消耗品しか売っていない」
「だが、興味深かったよ」
マルスは眼鏡を押し上げながらヨクリに受け答え、あいているアーシスの隣に座す。
「マルスもどうだ? イケるぜ、これ」
「頂こう」
マルスはアーシスからヨクリらと同じ物を受け取り、開封した。四人並んで、かぶりつく。アーシスが食べながら、マルスになにをみてきたか具体的に聞いているのを尻目に、ヨクリはフィリルを観察する。ちびちびと食べているが、調子は落ちていない。おいしいと言っていたし、気に入ってもらえてよかったとヨクリは安堵していた。食に興味がないのは、寂しいから。
少し時間が経ち、予想通りというか、最初に食べ終わったのはアーシスで、最後はフィリルだった。マルスは皆の倍程度食べていたアーシスに、しきりに感心していた。
ちょっとの休憩を取って、四人は大門の外へと歩き出す。とうとう、都市外だ。
人間ではなく魔獣が頂点に君臨する、都市外。




