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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
13/96

   3

 マルスの家にあるいつもの部屋についたあと、ヨクリはフラウから言付かっていた署名の話をすると、マルスは慣れた手つきで一枚の書状にさらさらと名前を書き、フィリルに渡した。

 代わりに少女の腰に下げた槍斧を受け取り、施紋装置に近づく。槍斧の下部と上部を接合器でくっつけ、元の形に戻すと、連結台座へ置いた。


 ヨクリはそれを見て、この施紋装置は片付けられておらず、あのときのままだと睨んだ。本当に瑣末事だが。

 アーシスは腕を組み、仏頂面で思案に耽っている。ヨクリがそれに気づいてアーシスの方を向こうとしたとき、


「この施紋装置は基礎的な干渉図術しか施せないが、問題ないな?」


 マルスに話しかけられ、ヨクリは弾かれたようにうん、と肯定して、


「俺も基礎校で習う程度の図術で十分だと思う。いきなり制御が複雑な干渉図術で慣れちゃうと、それもまた面倒だろうし。なにが施せる?」


 ヨクリが聞くと、マルスは施紋装置の前に陣取り薄板を出現させる。つらつらと流れ行く情報を読み取りながら、


「凍結と氷錐……それから、空槌だな。……やはり近接なら凍結か?」

「いや、飛び道具が欲しいかな」

「ならば、氷錐か空槌か」

「氷錐にしよう。空槌はちょっと変則的だから。……枠は三つだよね?」


「ああ。盾はどうする?」

「円盾で。基本だからね。……もう一枠余っているけれど、一度に使いこなす必要はないから、それは残しておいて」

「わかった」


 マルスはせわしなく両指を動かし、板を操作する。施紋装置に取り付けられた、大容量のシリンダーに入っているエーテルがぼこぼこと激しく泡立ってくる。ついで微かに、ごうんごうんと下から響くような音が鳴りはじめる。


「これ、もうエイルーンが触る必要ないんだよね」

「そうだ。登録は終わっているから、施紋してやるだけでいい」


 槍斧の柄あたりに、時折ちらちらと緑の光線が走る。内部に紋様を施しているらしい。

 マルスが作業をしている間、ヨクリはフィリルに、


「エイルーンが使えるようになる干渉図術はさっき俺たちが話した通り、氷錐と、それから円盾。使いかたは、都市外で話すよ」


 語りかけると、少女はこくりとちいさく首を縦に振った。いつの間にか槍を見ていたアーシスが声をあげる。


「結構かかるのか?」

「いや。もうじき終わる」

「すげぇはやいんだな」

「基礎的なものだからな。複雑な紋様だともっとかかる。それに、新しい紋様の情報を施紋装置に読み取らせているわけじゃないから」

「そういうもんなのか」


 へー、とアーシスはマルスに感心する。もうすぐ終わるのならとヨクリは見切りをつけ、


「じゃあ、おさらい」


 ぴんと人差し指を立てて、フィリルに聞く。


「種類に限らず、図術を使うにはエーテルが必要なのは、もちろん覚えているよね?」

「はい」

「そして、エーテルと波動情報は密接に関係している。波動情報を登録していない引具は、ただの武器。言い換えれば、図術はエーテルと使用者の波動情報が必要、と」

「ふむ」


 今度は誰ともなく得心するアーシスに問う。


「ここでアーシスに質問」

「オレか?」

「強化図術と干渉図術のおおきな違いって、なーんだ」

「ええっ……と」


 少しどもったあと、茶髪の男らしく、曖昧に答える。


「……アレだ。オレか、オレじゃないかだろ」

「おおー。だいたいあっているよ」


 存外的を射た返答に、ヨクリの口調は弾む。


「そう。強化図術は自身を影響下に置く図術で、干渉図術はその名前の通り、自分以外のものに干渉する図術のことなんだ」


「でも、物体ごとに波動情報は決まっていると、言っていました」


 少女の追求にヨクリはよく覚えていると内心で感心しつつ、崩れた相好のまま、


「その通り。……だから、干渉図術は物体の結合が弱いもの——流体に頼る」

「流体」

「風とか、水とかだな」


 ざっくり言ったアーシスにそうだね、と返答して、


「干渉図術を操作するにはまず、特定の干渉図術が設定されている引具にふれていること、そしてエーテルシリンダーに図術を使うだけのエーテルが残っていること。ここまでは強化図術と変わらない」


 ヨクリは理解しているかどうか少女の表情を観察しつつ、


「次に、支配領域を設定する。支配領域は、領域内のエーテルを制御下におく役割をするんだ。そのままだと干渉できない周囲の流体を、自分の波動情報に書き換える」

「…………」


 専門ではないから、うまく説明できたかどうか自信はない。ふと、音が静かになっていることにヨクリは気づく。施紋装置をみるとエーテルの泡立ちは止んでおり、マルスがふう、と一息ついていた。


「終わったの?」

「ああ」


 マルスは首肯する。みたところ、槍は施紋前の状態と変わらない。


「それより、面白い話をしていたじゃないか」


 マルスに笑いかけられ、ヨクリはそんなに面白い話だったかなと問いかけたが、なにか言いたそうに見え、譲る。


「波動情報の話だが、一応流体にも波動情報はある。だが流体は刻々とその形を変化させていくだろう? 同じように、流体の波動情報も応じてそれを変える。文字通り瞬く間しか同一の波動情報を検出できないから、図術学では流体のことを不定系と呼ぶんだ。図術学的側面からみると、複雑な体形を成す物質ほどエーテルに対する抵抗力が高いのは強固な波動情報を持つから、と言われている」

「へぇ……」


 ヨクリは感嘆した。マルスの知識は図術学に寄りすぎているところがあるが、確かなものだ。


「支配領域を展開し終えたら干渉図術を起動できるが、それは都市外で、だったな」

「うん」

「じゃあ、盾の話を先にしておくか。どうせ使うものでもないし」


 マルスの提案にヨクリは頷く。


「だね」

「君の引具には今、氷錐と円盾が搭載されている。氷錐は攻撃用の図術で、説明は省く」

「では、円盾の話ですね」


 マルスはフィリルに同意し、


「引具に設定できる干渉図術は、例外を除くと三つだけなんだ。これは国が作成している施紋部の領域に寄るところだから、変更できない」マルスは続けて、


「干渉図術は全て独立した役割を果たし、さっき述べた氷錐と円盾は別物。その効果は全く違う。だから、干渉図術の選択はとりわけ重要なんだ」

「そのお話だと、引具の用途によって引具を使い分ける必要がありそうですね」


 少女の質問をマルスに代わってヨクリは否定する。


「いや、よほどの金持ちじゃなきゃそれはできないよ。でも、使い分けるってのは正しい。依頼とか——軍に入れば、任務もある。いろんな仕事に対応するために、施紋自体を変更するんだ」

「元の施紋を書き換えなければならないから、まっさらな引具に施すのよりも時間がかかるがな。店だと値段も数倍違う」


 マルスがヨクリの言葉を引き継いで、


「通常三枠の引具だが、防盾だけは外せない、という制約がある。これは法で定められていて、理由は図術を用いた犯罪に対する抑止力のようなものだ。盾がなければ図術の直撃を受けるからな」


 ヨクリは、昔講座でならったとき、この盾の扱いに少しだけ疑問があったと思い出す。図術犯罪者に対抗する力というのは、真実納得いく理由ではあったのだが……。


「察せるように、盾は干渉図術を無効化する役割を持つ。敵の具者から身を守るためにある。だから、今回の依頼では使わないだろう」

「わかりました」


 考えているうちに、マルスの説明が一区切りつき、


「あとは、護印だな」

「うん。アーシス」

「おう」

「本来護印は支援手が担うのだが、ここに、護印器がある」


 アーシスが片手でようやく持てるくらいの大きさの四面体だ。紋様がうっすら刻み込まれている。


「護印?」

「護印は、具者が集団で戦うときに絶対に行わなければならない用意なんだ」


 ヨクリの言葉にマルスが入ってきて、


「そう。護印とは、味方を識別するためのものだ」

「味方の干渉図術で死ぬ、なんてマヌケが起こらないように、あらかじめ、波動情報を引具に登録させるんだよ」

「盾と同じなんですね」

「うん。自分に触れている波動情報を読み取って、変換した同じ波動情報を干渉図術に当てる。そうすることで、強制的にエーテルへ戻すんだ」


 ヨクリは簡単な仕組みを解説する。


「自分の干渉図術が自分に作用しないのは、図術を使うときに体が微弱に発しているエーテルを増幅させる中和領域ってのが発生するんだけれど、その中和領域と自分の干渉図術が同一な波動情報を持っているから、なんだって」


 ここまで言い切ると、少女はわずかに首肯する。概要は把握できたらしい。再びマルスがヨクリのあとを受け、


「同じ波長の図術やエーテル同士を当てると、強制的にエーテルに戻る。これを相殺と呼ぶ」

「わかりました」

「あとは、干渉図術を使う際には支配領域の生成が必須だが、護印をした者同士なら、互いの支配領域が影響しあうことがなくなる」


 二人以上の支配領域が重なると、領域は消滅しないが、極めて不安定になる。図術を使う度に別々の波動情報が干渉し、エーテルの消費が重くなるのだ。

 再びの少女の了解を見ると、マルスは皆に向き直った。


「じゃあ、はじめよう。この護印機に各々の引具を当てればいい。あとは僕がやる」

「よし」


 右手で引具の柄頭に触れ、図術使用前の待機状態になる。抜刀せずにそのまま、四面体に引具を触れ合わせた。


「引具で図術を使える状態にしてくれ」

「はい」


 フィリルが待機状態になり、皆、護印の準備が整う。ヨクリは柄頭、アーシスは右手の鉄甲、フィリルは石突きを、四面体に触れさせた。最後にマルスが青緑色の杖の先端をこつりと四面体に当てると、わずかに浮き出ていた紋様がはっきり見てとれるほど光りはじめる。

 マルスが自身の引具を介して護印機を操作すると、一瞬ざらりと、雑音のような違和感が体の中枢を突き抜けた。フィリルを見ると、ちょっとだけ目を丸くさせている。


「終わった」

「これで、俺たちの図術は俺たちに機能しなくなる」

「ただ当然だが、干渉図術で破壊した岩の破片など、二次的な衝撃に対しては意味がない。飽くまで事故を防ぐものだということを念頭に置いてくれ」

「はい」

「俺たちも留意しよう」

「だな」


 護印を終え、一様に楽な姿勢になる。

 これであとは都市外へ出て、依頼を受けるだけになった。ヨクリは皆の顔を見たあと、


「それじゃ、概要を確認しておくよ。明後日の明朝三刻に、アーシスとマルスは門まで集合。エイルーンは俺が迎えにいく」

「はい」


「依頼内容は都市間車道の警護。一つ目までで、だいたい時間は四刻から半日中かな。倒した獣はなるべく収集。お金が増えるからね。それと、薬品は検査紙で必ず確認して、きちんと濃度通りに散布。使った検査紙も管理所に提出」ヨクリは記憶をなぞりながら、


「検査紙とか袋は俺が管理所で貰っておくよ」他になにか言い忘れがないかもう一度頭で確かめて、


「みんな、大丈夫だよね?」


 実のところアーシスやマルスに関しては、なにも心配していない。フィリルだって、ヨクリが気を配ればよいから、懸念はない。

 ヨクリに頷く三人。それを見てヨクリは破顔し、


「それじゃあ、今日はここまで」


 胸騒ぎのような予感は消えないが、慣れないことをしているからだろう。あまり悪いほうに考えるのは建設的でもなんでもない。


 二日後の依頼は、何事もなく終わりそうだと、ヨクリはそう思うようにした。

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